第11話

 玄関を出て、行き先も決めずに足の向くままトボトボと街中を歩いていく。


(うぅ、寒いなあ)


 お気に入りの白いロングコートと赤い毛糸の手袋を身に着けているにもかかわらず、家の外は風が吹くと思わず体を抱き締めて身震いしてしまう程に寒かった。


(出なきゃよかったかなあ)


 少しだけ後悔してしまう。全く予想以上の寒さだった。

 単純な数値として見れば、アエルが体験した最も低温の世界よりも遥かに温かいはずなのだが。

 やはり、家の中との気温差が体感する寒さを強める最たる要因なのだろう。

 レクトゥスの家の冷暖房は、当然薪をくべるなどの非文明的なものではなく、理術で直接分子の熱運動に干渉して過ごし易い温度に保つ形を取っている。

 そのため、夏は涼しく冬は暖かく、家の中であれば一年中適温で快適に暮らすことができるのだ。

 ただ、こちらに来てからレグナの支給が増えたようで、サエクルム家では気持ち余分に温度を高くしているらしい。

 そのせいで若干内外の温度差が大きくなっているようだ。


(アシハラの結界みたいに街全体に効果があって、全部暖められたらいいのに……)


 温度のコントロールもまた場に対する術であるため、通常のやり方では屋外では効果がない。

 一人でできるのは精々、服の内側を暖めて身一つを快適にする程度のものだ。

 レグナを用いて、ようやく周囲数センチというところだろう。


(……ちょっと気合い入れて体、温めよっと)


 冷たい風にでも当たりながら、とか考えていた少し前の自分を裏切って、意識的に適温へと持っていく。

 少々疲労の度合いが増してしまうが、寒さに震えるよりは遥かにいい。


(よし。丁度いい感じ)


 この例から分かるように、理術は環境のコントロールにも用いることができる。

 場を区切ることで効率化し、さらにはレグナによる増幅を駆使することで、極限的な環境下でも快適に過ごせるように調整することができるのだ。


(うん、便利便利。その内、天気も変えられるようになるかもね)


 これにより、人間の生活圏は格段に拡大した。

 場を区切るというルールさえ堅持できれば、砂漠のど真ん中だろうと北極や南極レベルの極寒の世界の只中だろうと、レクトゥスの人間は快適に生活できる。

 極論、たとえ海の中だろうとも。

 ただし、この場合は酸素の供給などにも気を使わなければならなくなるため、レグナの消費が半端ではなくなるだろうが。

 何にせよ、この環境コントロールのおかげで、少なくとも地表のほぼ全てが人間の生活圏と言っても過言ではない。

 そして、水や食料も理術を用いれば、極限的な環境下にあっても安定して生産することができる。レクトゥスの生の営みは盤石……のはずだった。


(こんなに、便利なのに……)


 にもかかわらず、その裏側では深刻な問題が生まれつつあった。

 人口問題。これこそが一般には隠された、異世界進出の目的だった。

 フォルテの話では、このままでは近い将来、広大だったはずの土地は圧迫され、高い効率で安定的に生産できたはずの食料の供給を需要が上回ってしまうらしい。

 結果訪れるのは徹底的に管理された、不平等な世界だろう。さすがに人口を調整しつつも後は平等に、というのは子供なアエルでも妄想だと分かる。


(まあ、異世界進出で土地を確保できれば、しばらくは大丈夫だけど……何でこんなことになるのかな)


 このような事態に陥った理由は簡単。増えるからだ。

 神話、伝承を読み解くと、人間は亜人よりも長命であり、比較的多産であり、かつ乳児死亡率が極めて低かったらしい。

 と言うのも、理術を応用した優れた医術が過去から存在していたからだ。

 しかし、正にそのために人口は爆発的に増え、増え続け、現在レクトゥスのみで一一〇億人、テラ全体では推定で一七〇億人が存在するとも言われている。

 国の存亡に関わる点で、この問題の解消はレグナ確保と重要度はそう変わらない。


(理不尽な死が少なくなるよう努力した結果が、こんな事態だなんて……世の中は不条理というか、よくできているというか)


 溜息をついたアエルを諌めるようにビルの間からの強い風が体を取り巻き、折角暖めた空気を全て持っていかれてしまう。

 アエルは少々行儀が悪いような気がしながらも、たまらず初等学校を卒業した三年前に買って貰ったロングコートのポケットに手を突っ込んだ。

 サイズは今もあつらえたようにピッタリだ。

 つまり、三年前から全く成長していないということ。

 十歳から十二歳の間で成長は完全に終わってしまったらしい。

 その頃は大女と呼ばれ、小さく可愛くなりたいと思ったものだった。が、今となっては同世代の子達と比べるとむしろ小さいと判断されるだろう。色々な部分が。


(でも、もう少しで父さんや姉さんと同じ理術師になれるんだよね)


 しみじみと過ぎ去った三年間のことを振り返る。

 体は全く成長していなくても確かに時は経ち、少しずつ大人に近づいている。

 正式な理術師となる方法は一つだ。

 六歳から通う初等学校での六年間の義務教育を修了した十五歳以上の者が、春と秋に行われる適性試験に合格する。これ以外にはない。

 空白期間があるのは、別の進路を一先ず選んだ者にも門戸を開いているためだ。

 初等学校を卒業した後に選べる道は三つ。

 一つは理術師一本に絞って適性試験に備える道。

 アエルのように自学してもいいし、予備学校に通う手もある。

 一つは理術の総合的な発展のための研究を行う理術学士を目指す道。

 この場合は卒業後すぐに試験を受けて高等学校に入学する必要がある。

 研究とは言っているが、レグナの生成方法が確立されて以降は目立った成果がなく、実態としてはその知識を用いてインフラ整備を行う技術者の色の方が濃い。

 そして、最後の一つは民間のマイスターの下で専門の文化職の見習いとなる道だ。

 これは人々の衣食住を豊かにしたり、娯楽を提供したりするための職業で、様々な嗜好品の生産や文芸作品の創作などを行うことになる。


 理術の才に富んだ人間の多いレクトゥスでは、人間として最低限の生活は一生涯保障されていると言っていい。少なくとも現時点では。

 理術によって農作物の成長速度などに干渉し、誰もが自給自足で日々の食欲を満たすことができるのだ。

 勿論、それに見合うだけの有機肥料などは必要なのだが、非常に高い効率で色々と循環しているため今のところ問題はない。

 余った食料は国によって買い取られ、長期の保存が可能なように加工されて非常に安価で流通している。つまり、餓死の心配は皆無と言っていいのだ。

 これから先、異世界の土地を得ても尚、というレベルで人口問題が大きくなってしまえば、どうなるかは分からないが。


 ともかく、己の生活がある程度安定していれば、娯楽を求めるのが人間の常だ。

 レクトゥスにおいて金銭というものは、基本的に文化職の人々が生み出した娯楽に主に利用される。後は衣服や畜産関係で生産される食料品ぐらいのものだ。

 この国の経済の形態は、自給自足の上に非常に緩い資本主義が乗っかっているような状態と言える。完全に資本主義のアシハラや、社会主義とされるヘルシャフトとは一線を画した少しばかり特殊な形なのだ。


(経済とかの話をしてくれたのは、姉さんだったっけ)


 こうした軍事関係以外の他国の話は、基本イリスからの受け売りだ。


(また、姉さんに色々と聞きたいな……)


 両親は余りいい顔をしないが、姉の言う通り敵を知ることは大切なことだと思う。

 亜人という脅威がある今こそ、見識の広い姉に尋ねたいことが沢山あった。


(姉さん、元気にしてるかな?)


 アエルの姉たるイリスは二つ年上で、一足早く理術師として活躍している。

 理術師の仕事は端的に言えば国民を守ることだ。

 それは即ち有、事に際しては軍人として敵国と戦い、平時には治安維持、救命活動、医療活動を行うということ。そして、理術師はそのために理術を他者へ向けることが許される責任が重い職なのだ。


(姉さんなら大丈夫だろうけど――)


 間接民主制を取るレクトゥスでは、主に理術師か理術学士の経験者が議員として政治一般を取り仕切ることになる。

 つまり、このどちらかになることがレクトゥスでは大きなステータスとされる。いわゆるエリートだ。


(私に、務まるのかな。……まあ、それ以前に試験に受からなきゃ始まらないけど)


 理術師の適性試験の内容は一次試験が筆記と実技、二次試験が面接だ。

 だが、筆記は一般常識の範囲で答えることができるため然程重要ではなく、また面接も一次試験を突破していれば、常軌を逸した人物でもない限り問題ない。

 兎にも角にも重要なのは実技なのだ。

 知識は後からでも詰め込めるし、礼儀についてもある程度仕込めるが、理術の優劣だけは正に才能に依るものだからだ。


(多分、合格するだけならできる……と思う。でも――)


 無意識に溜息をついてしまい、そんな自分に気づいて再度深く溜息を繰り返す。


(こんな事件に怯えてる私に……)


 それだけではない。

 未だ三国間の対立は続き、いつ戦争になってもおかしくはない状態にある以上、理術師となれば戦地に赴く可能性だって十分にあるのだ。


(誰かを守るために、本当に誰かを殺せるの?)


 その時になれば状況に流され、それをなしてしまうかもしれない。

 だが、それを今の自分の価値観はよしとしない。それを考えるのは苦しい。


(なんて、分不相応な疑問だよね)


 それは敵の理術師を殺せる実力があって初めて自分に問いかけられることだ。


(そもそも、父さんや姉さん程才能がある訳でもないのに……)


 よく訓練を手伝ってくれた姉や、たまに手合わせをしてくれた父からは「アエルには才能がある」と言われてはいた。

 しかし、アエル自身はそうは思えなかった。

 いい勝負をしていたように見えても、明らかに手加減されているのが分かっていた。それを感じ取れるのもある程度の実力があってのことなのかもしれないが、結局二人には理術では勝てないのだ。

 どこまで行っても劣化コピーでしかない。

 姉に教わった剣術まで混ぜ込んで自分なりの工夫はしているが、それもある意味才能がないことを暗に認めているようなものだと思う。

 平均から見れば十二分に優れているという二人の保証も、二人の才能が桁違い過ぎて惨めな気休めに感じられてしまう。


(私、どうして理術師になろうと思ったんだっけ?)


 今日のネガティブ思考は事件のせいか普段よりも深みにはまっているらしく、そんな根本的な疑問まで浮かんでくる始末だった。


(あれ? 思い出せない……)


 昔からそうなることが当然だと考えていた。初めてそんな疑問を持った気がする。

 アエルは「うーん」と唸りながら、ふと足を止めた。

 そして、周囲の風景を見回して少し驚く。考えごとをしている内に、いつの間にか街外れの公園にまで来てしまっていた。

 そこは、別世界での新生活に慣れることができず、妙な息苦しさを感じた時に訪れるアエルの避難所だった。

 ここのベンチでしばらくボーっと座っていると寒さで家が無性に恋しくなり、息苦しさもなくなってくれるのだ。

 あの事件を耳にしてからというもの毎日ここに来るようになってしまい、今日もまた無意識的にいつも通りの順路で歩いてきていたらしい。

 そこには何も知らず楽しそうに一日を過ごしている人々がいる。


 手を繋いで歩いている若い男女の姿を見ると、ほんの少しだけ羨ましく思う。

 しかし、未熟な自分には何もかも早過ぎるといつも言い聞かせてきたし、今はそんなことを考えていられる余裕などアエルにはなかった。

 遠くにある遊具では親子が、見ている者の心まで温かくなるような笑顔を浮かべながら一緒に遊んでいる。アエルにはそれが酷く眩しい光景に思えた。


(父さんにあんな風に遊んで貰った記憶って、そう言えば、ないなあ)


 理解はしているのだ。

 父は優秀な理術師で、だから、子供と遊んでいるような暇はほとんどない。

 一番遊んで欲しかった十年前頃は戦争があったし、その後も事後処理で忙しかったと聞く。

 休暇が取れるようになればなったで、遊ぶ暇があるなら訓練だった。


(それは多分姉さんも同じだったんだよね。でも、姉さんがそんなことで文句を言ってるところは一度も見たことなかったな)


 自分の甘く幼い感情に再び自信喪失して嘆息しつつ、アエルは親子から視線を外して自分の心象にはそぐわない青空を見上げた。

 あの男女も、この親子も、そして、その他の一般の人々も何も知らない。

 この日常の裏で起こっている重大な異変を。

 亜人による事件の情報は当然秘匿されている。

 レクトゥスのエリートである理術師が亜人に殺されたなどという情報は、間違っても流す訳にはいかないだろう。


(もし、知られたりしたら――)


 そうなれば、大きな混乱を引き起こすことが目に見え過ぎている。アエルはもう一度だけ溜息をつくと、視線を下げて周囲に目を向けた。


(あれ? あの人、今日もいる)


 公園で過ごす人々の中に、この数日毎日見るようになった人の姿があった。

 厳密に言えば、五日前、即ち事件が始まってから毎日だ。

 彼は一人隅の方にあるベンチに座り、そこで人々の様子を眺めていた。

 いや、眺めると言うよりも観察していると言った方がいいかもしれない。


(何だか、日に日に疲れていってるみたい……)


 年齢はアエルより少し上で、背の高さも頭一つ分以上大きい。

 服装や容姿は特に印象に残らないような、何の変哲もない少年のように見える。

 しかし、その手に大事そうに抱えている何やら長いものが入っていそうな布の袋は目につく。

 アエルはその様子から少年の正体についてある一つの推測をしていた。

 だから、思い切って彼に声をかけてみることにした。

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