2A 違和感

第9話

 レクトゥスの領土と成り果てた北海道。

 まだ一ヶ月と少ししか経っていないため、札幌の辺りに十数万人規模の都市とその周辺にレグナの生成工場が点在しているのみだ。

 しかし、現在進行形で移住が進んでおり、都市は急激に拡大を続けているらしい。

 その街並みは戒厳の記憶の中にあるかつての札幌とは大きく異なっていた。

 とは言え、作戦行動の一環として一通り巡ってみた限り、異世界という言葉に思い描く特異性をそのまま感じる程の差異はなく、精々海外の先進国を訪れた際に抱く僅かな雰囲気の違い程度のものだった。

 理術という力を持っていても生態という点では同じ人間なのだから、当たり前と言えば当たり前のことだが。


 街の中心には高層ビル群が整然と立ち並んでおり、夜になれば街灯や建物の明かりが道を照らし、闇を取り除く。そのあり方は地球の都市と何ら変わりがない。

 しかし、全てが同じかと言うとそういう訳でもない。どうもレクトゥスには乗用車というものがないらしく、道路に目を向けるとその光景は若干異なっている。

 そこには理術で動くらしい路面電車が網の目のような道を絶え間なく駆け巡っており、的確に乗り継いで行けば街の隅々まで行くことができるらしい。

 運賃はどこまで乗っても無料という名の税金払いだそうだ。


『てっきり、人が縦横無尽に飛び回っているもんだと思っていたけどな』


 周囲の人間に気づかれないように戒厳は口の中で呟いた。

 そんな戒厳の言葉に対して、耳に直接返答が届く。


『街の中では緊急時を除いて、一部の理術師にしか飛行の許可は与えられていないそうですよ。いくらレクトゥスの人間でも飛行の制御はかなり神経を使うそうですし、混雑して空中で事故でも起きようものなら命に関わりますからね』


 それはあれだけ悲壮感たっぷりに別れたはずのサクラの声だった。

 実のところ通信は常に可能な状態にある。

 しかも、空気伝導ではなく骨伝導のコンセプトを応用した理術通信であり、機器も外見からは分からないように戒厳の体内に埋め込まれているため、戒厳が自身の声に気をつければ周囲の目を気にする必要はない。

 だとしても、あんな風に別れた直後に通信が入ったのには、さすがに呆れたが。

 その辺が彼女の可愛いところと言ったところだろうか。


『結局、上辺は似たようなものに収束するのかもしれません』

『そうかもしれないな。ただ、まあ、見た目は似ていても中身は違うんだよな?』

『はい。根本の部分で必ず理術が関わってきますから。例えば、電気ですが――』


 サクラは少しだけ勿体つけるように間を取ってから言葉を続けた。


『理術の物理干渉で中性的な状態からプラスとマイナスの電荷を切り離し、それぞれを一ヶ所に集めることで電位差を生じさせて電流を発生させるそうです。とは言え、素直に磁石でも理術で回転させた方が遥かに効率的ですけど』


 その辺の効率の悪さが弊害として表に出てこない辺りに、レクトゥスの圧倒的な理術の才能の片鱗が見て取れるだろう。


『ともかく、自分が使うものは自分で発電するのがレクトゥスの基本です。屋内の電灯然り、街灯然り、です』

『何だかんだ言って、実は二〇世紀初頭程度の科学力はあるんだよな』

『地球やアシハラの感覚からすると科学というより、小学生の理科という感じのレベルですけど』

『まあ、何ごとも基本は大事だよ。発展させなければ意味はないけどな』


 レクトゥスにおいて、そうした技術はどれだけの代物にせよ理術が必要となるため、理術とその発展のための学問、理術学の範疇になるそうだ。

 その定義に則れば、アシハラの技術も理術学の一部と言えなくもないが、理術の占める割合が余りにも低いため、理術とは見なされていないらしい。

 その辺が曖昧なところも、いつまでも基本的なレベルで留まっているところも含めて、科学後進国という感じか。


『しかしまあ、サクラの言う通り、上辺は似ている訳で……結果的に人々の生活に必要とされるものは同じなんだな。当たり前のことだけど』


 メインストリートの端、歩道を行く人々を戒厳は歩きながらそれとなく眺めた。

 彼等の着ている服も、布などの裁断、縫合には全て理術が使われている。

 そこにはミシンも余分な糸も針すらも必要なく、それによって作られる服は天衣無縫と評するに相応しい。

 そうした出来や縫製方法はともかく、服に求める機能は世界共通なのだろう。


『人間の本質って奴は、たとえ世界が変わろうと、そう変わらないんだろうな』


 戒厳は街外れにある公園に入り、空いているベンチに腰かけた。

 刀が入った布袋はしっかりと手で持ち、先端を地面に触れさせながら。

 その公園からはとにかく広大な印象を強く受けた。

 実際の敷地面積よりも遥かに広く感じられる。

 と言うのも、公園として整備されている部分の先には更地が広がっているからだ。

 ここから先が開発されるのは、しばらく先のことなのだろう。


 時刻は三時を少し過ぎた頃。

 周囲には公園でのんびりと日常を過ごしている人々の姿がある。

 遠くに見えるベンチに仲睦まじく並んで座る若い男女は恋人同士かもしれない。

 奇妙な形の遊具らしきもので楽しそうに遊んでいる親子もいる。


『理術があるとは言え、この一ヶ月でよくもここまで街を作り上げたもんだ。人も当たり前の顔をして生活している。完全に俺の方が部外者だな』

『お兄様……ですが――』

『ああ。そんなことは俺の復讐には何の関係もない。ただな……』


 戒厳は深く溜息をついて視線を下げた。


『どうにも違和感があるんだ。……何と言うか、簡単過ぎたからかもしれない』


 既に昨日、この街から少しばかり離れたところにあるレグナの生成工場を三ヶ所襲撃し、そこの監督者三名と他の理術師一名を殺害していた。

 対象は皆、十年前のアシハラとの戦争で民間人を虐殺した戦犯だ。

 テラにジュネーブ条約のような国際条約があるとは思えないが。


『もう少し、危険な目に遭うと思ったんだけどな。レクトゥスでは英雄視されているって話だったし』


 しかし、実際は死刑囚を処刑させられていた時と何ら変わりがなかった。

 人を殺す覚悟の有無だけが問題で、既にその段階を通り過ぎていた戒厳にとっては赤子の手を捻るようなものだった。


『危険がないのは喜ぶべきことです。アナレス様の予測通りということですから』

『まあ、それはそうなんだけどな』


 六割程度の出来であっても、理術師を殺すには十二分。実際、その力を使ってみて戒厳はアナレスの言葉が決して大言ではないと身を以って知った。

 性能的に一対一、かつ近接での対理術師戦で負ける要素はない。

 複数が相手であっても近接戦であれば遅れを取ることはない。

 暗殺ならば、自身に危険が及ぶ可能性は皆無と言っていい。

 つまり。あの日、絶対の恐怖を覚えた理術師という存在を、虫けらを踏み潰すように容易く殺すことができる訳だ。

 しかし、だからなのか、まるで裏技を使って容易にゲームをクリアしてしまったような、虚しい感覚を戒厳は抱いていた。


『お兄様?』


 そんな自覚ある感覚とは別に、正体不明の妙な焦燥感が胸をざわめかせる。

 何か大事なことを忘れてしまっているような、そんな焦りがある。


『何なんだろうな、この違和感は』


 別に今更人を殺すことに躊躇がある訳ではない。

 勿論、それは人殺しが罪であることを忘れてしまった、という訳でもない。

 そこに罪悪感はある。ただ、復讐を心に決めたその瞬間から、あらゆる罪を背負い続けることを覚悟しただけだ。

 自身の行動の責任を取ること。それが東条家の家訓であり、それを守ることは家族との繋がりを保つことでもあるのだから。

 あの日の経験が倫理観を揺るがせようが、国が殺人を許容しようが、復讐心が人殺しを正当化しようが、それは関係ない。

 かつて人を殺すことを悪と当たり前に思っていた時があったのだから、それを犯した以上は悪と自覚して生きるしかない。

 大義を以って悪をなし、世界の理不尽への復讐を果たす。

 それは死刑囚の処刑を強制され、人殺しとなった自分の心を保つための言い訳に過ぎないのかもしれない。

 しかし、それこそが、それだけが今の戒厳の自身に課したあり方だった。


『まあ、やるべきことは変わらない。多くを殺しておきながら罪の意識を抱くこともない者は、俺が殺す』


 それは悪ですらなく、単なるケダモノに過ぎないのだから。


『それでサクラ、次はどんな奴だ?』

『あ、はい。データを送ります』


 その言葉とほぼ同時に左目を閉じると視界の端にウインドウが開き、そこに次に暗殺すべき対象の情報が表示される。

 あの日、炎に焼かれて視力を失った右目。

 その代わりに埋め込まれた機械の目が持つ機能の一つだ。


『次も民間人殺しか』


 今回殺害が指示されている対象は二人。一人は男性で、一人は女性。

 やはり十年前のアシハラとの戦争で、あちらの北海道にて多くのアシハラ国民を惨殺していた。


『やっぱり戦犯という考え方自体がないんだろうな』


 いや、そもそも彼等には人を殺したという意識すらなかったのかもしれない。

 レクトゥスの理術師の戦闘スタイルは、その考案者について言えば確実に、敵国の民間人への被害など何とも思っていないのは確実だ。

 何故なら、その戦術は一ヶ月前のフォルテ同様に「高高度からレグナを用いた超火力の攻撃で対象諸共全てを破壊する」というものだからだ。

 これでは非戦闘員にまで被害が出るのは至極当然のことだ。

 あるいは、一般人という括りなどなく、全て敵という認識なのかもしれない。

 はたまた、所詮は亜人に近いアシハラの人間だからと、害獣を駆除するような感覚で攻撃を加えたのか。


『しかし、こんな相手によく、北海道を奪われこそすれ押し返したな』

『アシハラには世界最強の防御結界がありますから』

『ああ。日本の沿岸部にも作っているあれか』


 アナレスが開発に携わった、理術と科学の融合技術で生み出された防御結界。

 理術の発動を阻害するそれによって疲弊したレクトゥスの理術師達を対空砲火で撃ち落とし、十年前の戦争では相手に甚大な被害を与えることができたそうだ。


『はい。ただ、当時の技術ではレクトゥスの才能頼りの力任せな戦術を前に、最終的には結界を破られてしまいましたけど。それでも、テラにおける最重要資源であるレグナを相当量消費させたので、結果としては限りなく負けに近い引き分けという感じでした』


 冷静を装ってはいるが、サクラの声は痛みに耐えるように少し硬かった。


(サクラ……)


 この痛みこそが新たな争いの火種となるのかもしれない。

 結果を数字で見た場合、圧倒的にアシハラの死者数の方が多い。その中には防御結界の維持を仕事としていたサクラの父親も含まれている。

 そのサクラがレクトゥスに憎しみを抱いたように、多くの遺族が同様の憎しみを抱いているだろう。その憎しみが彼等を殺すことになる。

 そういう見方も不可能ではない。

 あるいは、北海道奪還作戦の足枷となる人物というよりは、そうした感情によって暗殺すべき対象が選ばれているのかもしれない。


(過去の歴史、選択が現在を……か)


 ふと、サクラの言葉が脳裏に思い浮かぶ。

 全ての行動には過去に原因がある。まるで過去が未来を作るかのように。

 そして、その過去すらも更なる過去によって――。


(無限後退。それこそ、無限に責任転嫁しているようなものだな)


 戒厳は心の中でそう断じて思考を止めると、ゆっくりとベンチから立ち上がった。


(自分の行動の責任は自分で負う。それだけだ)


 ふと空を見上げると、そこはいつの間にかあの日に似た赤で染まっていた。

 心にどのような違和感を抱こうが、指示を完遂しなければ次へは進めない。

 既に与えられた指示をしっかりと果たさなければ、当然ながら次の指示はサクラの元に送られては来ない。

 もたもたしていては、いつまで経ってもフォルテには辿り着けないのだ。

 とは言っても、二人の本命であり、かつ総督という重職につくフォルテが対象となるのは、恐らく一週間という期間の最後の最後だろうが。


『そろそろ向かうか。……復讐を果たすために』

『はい、お兄様。行ってらっしゃいませ』


 ベンチを離れて歩き出しながら、戒厳は懐を小さな動きで確認した。

 そこには顔を隠すための仮面が入っており、それには小型カメラがついている。

 どうやら、これによって対象の殺害を確認しているようで、暗殺を行う際には必ずこれを被るように命じられていた。

 そこに施された意匠は、何の意味を込めてのことか、鬼だった。


(時に人に害をなし、時に閻魔の使いとして人を裁くとされる存在、か。何にせよ、正義というつらではないのは確かだな。まあ、悪党としては相応しいか)


 戒厳は顔を上げると、自身の決意と覚悟を確かめるように生身の左手で既に血に塗れた二振りの刀を強く握り締め直した。

 そして紅に染まった夕焼け空の下、街外れの公園を後にしたのだった。

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