第152話 寂しがりとミスバレンタイン 終
何かが頭に触れる感覚がして、うたた寝だった状態から覚醒しようとしてある言葉を耳にした。
――ちゅー、しても……いいですか?
あんなの聞いたら起きれない。開けようとした目を急いで閉じ直した。
それから先は何度も唇を重ねられた。
名前を呼ばれながらのそれは心臓が飛び跳ねて仕方がなかった。
されるがままの俺は失礼にもこんなことを考えてしまった。
真理音の本性は貪欲ではないのかと。
そう考えてしまったのは今日だけが原因じゃない。前回もそうだが、最近、真理音から求められることが特に多いのだ。
その事が嫌だとは思っていない。それだけ俺のことが好きなんだと証明してくれているし、俺も真理音を求めているからだ。
ただ、このままでいられるといつか俺は真理音に手を出してしまうかもしれない。
ヘタレでも性欲がないわけじゃない。ちゃんとそれなりにある。真理音と色々してみたい気持ちを抱いている。
だからこそ、真理音がもっともっと求めてくるようになれば我慢できなくなるかもしれない。
……今度、一応買っておこう。
「ごめんなさい、真人くん」
「いや、謝らないでいいよ。ちゃんと起こせなかった俺が悪いんだし……それに、ほんのちょっとしかまだ過ぎてないし」
「……でも。でも。バレンタインデー……終わってしまいました」
そう。昨日はバレンタインデーだったらしい。忙しくてすっかり忘れていたが真理音に言われてようやく思い出した。
しかし、もう時計の針は十二を過ぎてしまって日付けが変わってしまっている。
それに気付いたのはふたりで羞恥をどうにかしてからのことだった。
コタツから身体を起こした真理音は弾かれたように時間を確認し、謝った。泣きそうになりながら何度もごめんなさいと言う姿はいたたまれない。
「大丈夫だから……真理音さえ良かったら今からでも貰えないかな?」
恐らく、何度も謝るということは俺に用意してくれているものがあったのだろう。それを、当日に渡せなかったを責めているのだ。
真理音は黙ったまま冷蔵庫に向かった。
その後ろ姿を見ながら小さく安堵の息を吐いた。
お腹空いたからって冷蔵庫開けなくて良かった。
馬鹿な俺は見覚えのないものが入っていたらきっと勝手に見ていた。そして、何も考えずに元に戻し、後々になって気付くのだ。失敗したと。
「真人くん。これ……」
真理音はピンク色のリボンで装飾された真っ赤な箱を机に置いた。
「ありがとう。開けていい?」
頷かれたので中のものを崩さないよう丁寧に開ける。
そして、中に入っていたのは、
「……う、嘘……どうして……!?」
真っ二つに割れたチョコレートだった。
流石に、俺も何て言ったらいいのか分からず固まってしまった。
きっと、これは勝手に起こった事故だ。
だから、早く真理音を慰めろ。
そう、頭では分かっているのに言葉が見つからない。
「ま、真人くん。これは、違うんです。これは……」
真理音は泣きながら何度も違う違うと繰り返す。
「ご、ごめんなさい。こんなもの、もう捨て――」
目の前からそれが消えていく。
「待った」
「……待てないです。こんなもの、見てほしくありません。私はダメダメですね。寝過ごした挙げ句、こんなものを渡して……喜んでもらいたかったのに傷つけてしまいました」
恐らく、以前の俺なら真理音が言うように傷ついて嫌われているんだと思い込んでいただろう。
でも、今は思わない。
真理音の傍にいって箱を奪い取る。
「か、返してください……」
「返さないよ」
例え、形が割れていたとしても真理音が何を渡してくれようとしていたのかは丸分かりだから。
「真理音。こっち持って」
割れている片方を持ってもらう。
もう片方を俺が持ち、隙間が生まれないようくっつける。
そうやって誕生したのはハートの形をしたチョコレートだ。
「ありがとな。スッゲー嬉しいよ」
余計な言葉はいらない。思ったことを直接伝えるだけでいい。
「……真人くん、喜んでくれてますか?」
「そりゃ、貰えるだけ嬉しいんだ。それが、こんな沢山気持ちの込められたもので喜ばない訳ないだろ」
真理音の目についた涙を拭いながら笑いかけると柔らかい笑みを向けられる。
真理音との初めてのバレンタイン。過ぎてしまったとしても良いものとして残したい。
「食べてもいい?」
正直、さっきから空腹が根をあげ続けてどうしようもない。元々の空腹にこんな美味しそうなものを前にされたら耐えられない。
「少しだけ待ってください」
そう言われ、ヨダレが出そうになるのを堪えながらじっと待つ。
すると、真理音は小さく深呼吸して、じっと俺の目を見つめてきた。
「大好きです、真人くん。ハッピーバレンタイン」
さっきまでとは違って、真っ直ぐに伝えられて思わず赤くなるのが分かった。
「あ、ありがとう……いただきます」
チョコレートを口に入れる。味はただただ甘かった。元からなのか、それとも胸が甘ったるくなっているからなのかは分からない。ただ、美味しい。そう思った。
「美味しい」
「ふふ、ありがとうございます。来年はもっと美味しく作れるよう頑張りますね。形も崩れないように気を付けます」
「どんな形でも気持ちはちゃんと伝わってるから……俺も大好きだよ」
今までに何度も伝えてきた言葉。
なのに、今は照れくさい。
「ま、真理音は食べないのか?」
「はい。全部、真人くんに食べてほしいですから」
「ん、分かった」
真理音のチョコレートを食べ進めていると彼女がポンと手を叩いた。
「真人くんのバレンタイン歴史が知りたいです」
「モテない男が聞かれたくないやつ」
「いいじゃないですか。真人くんのこと知りたいです」
まあ、大して興味もなかったからいいか、と苦い思い出を記憶に浮かべながら、
「高一で誰かは知らないけど机の中に入れてくれてたのが初めてだな。結局、誰か分からなかったけど嬉しかった。で、高二は琴夏から貰っただけ。高三はゼロで去年、玄関の取っ手にかけられてた差出人不明からの一個。それまでは母さんからの義理」
改めて思い返しても真理音を除いて本命という本命は琴夏からしか貰ったことがなかったんだな。去年に関してはちょっとだけ怖かったし……結局、食べちゃったけど。
「モテモテじゃないですか。不服です」
「でも、本当にモテてたら一個じゃなくてもっと沢山だろ? それに、名前くらい書いてるだろうし。きっと、誰かの悪戯なんだと思う」
「真人くんは女心が分かっていませんね。恥ずかしい……けど、渡したい。そう思うものなんですよ」
「でも、名前くらい書いてくれないとお返しも出来ないだろ?」
「お返しなんていいんですよ。一方的で。片想いってそういうものじゃないですか」
そういうものなのだろうか。分からない。でも、何年も俺にそれを抱いてくれていた真理音が言うのだからきっとそうなのだろう。
「因みに、皐月さんのはどんなのでした?」
「琴夏は売ってるものをくれた。手作り、苦手なんだって。だから、手作りチョコ貰ったのは真理音が初めて」
口には出さずにガッツポーズだけを決める真理音が微笑ましい。
「真理音には沢山お返ししないとな」
「どうしてですか?」
「差出人不明の分、返せてないからずっと心苦しいんだ。でも、探そうにも無理だろ? だから、真理音にその分もお返しして、ちょっとでも楽になろうかと……自分勝手だとは分かってるけど受け取ってくれると嬉しい」
真理音からすれば、自分が渡してもない分のお返しを貰ってもいい迷惑だろう。
しかし、何故か嬉しそうに微笑まれた。
「優しい真人くんのお願いですからね。任せてください」
「ありがとう」
「期待してますね」
鼻歌まで鳴らしてご機嫌な真理音。
そんな彼女を見てまさかな、と思いつつ任せてくれと答えた。
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