第146話 彼女はずっと見守っている

「目、赤くなったな……」


 真理音のお母さんからの手紙を読んだ後、彼女は疲れて眠るまで泣き続けた。そのせいか、時間が経過した今でも少し赤みを帯びている。


 マッサージするために閉じられた真理音の瞼の上に親指の腹を這わせる。


「くすぐったいです」


 心配していたほどは落ち込んでなさそうだな。

 文句を言われて、少しほっとした。


「ごめんな。涙、すくってあげられなくて」


「真人くんだって泣いていたんですから気にしないでください」


「そっか。真理音のお母さん、優しい人なんだな。会ったことはなくても素敵な人だったんだって分かったよ」


「ふふ、そうなんです。とっても素敵な部分がいっぱいあって語り尽くせないほどなんですよ」


 そんなこと、あの手紙を読めばすぐに分かった。あんなにも娘を愛していて、家族を愛しているのだから。


「真理音が辛くないならさ、少しづつお母さんのこと教えてくれ。俺も知りたいんだ」


 もう会うことはない、といっても将来を共にするつもりなのだから知っていきたい。ただ、真理音が思い出して辛くなるのなら無理強いはしない。


「……恐らく、何度も泣いちゃいと思いますけどいいですか?」


「当たり前だ。その度に俺が涙をすくうし抱きしめるから。俺が真理音をひとりになんてしないから」


「……ふふ、なら少しづつ私のお母さんを知っていってくださいね。あ、だからって私よりもお母さんを好きになったりしないでくださいよ」


「真理音がお母さんに抱いてる思いに俺が勝てるはずないだろ」


 笑いながら答えると真理音は頬を膨らませた。

 どうしたんだろう、と首を傾けると呆れたようにため息をつかれる。


「そうではなくてですね。真人くんに私のことよりもお母さんのことの方が好きになられると嫌だということですよ」


「……なるほど。そっちでしたか」


 どうやら、とんだ勘違いをしていたようだ。申し訳ないように頭をかくと真理音はピタッとくっついて肩に頭を乗せてきた。


「ほんと、鈍感さんなんですから」


「面目ない」


「もっともっともっと好き好きって伝えないとダメなようですね」


「お手柔らかでお願いします」


「どうしましょう。真人くん次第ですかね」


 楽しそうに微笑まれ、ドキッと心臓が鳴った。

 そんなことされなくても十分伝わってるんだけどな。

 それに。


「真理音のお母さんには悪いけど、人としては好きになっても恋愛的な意味では真理音以外好きにならないから」


 この先、誰ともそういうことになるつもりがないしなる気もない。もう、そんなことを考えられないほど真理音のことが好きなのだから。


 自然とお互いの顔が近づいていた時だった。


「あ、こら。愛奈」


 と言う声が聞こえ、襖が勢いよくスパーンと開けられた。そして、愛奈が元気よく入ってくる。視線を移動すれば母さんまでいた。


 俺と真理音は暫く硬直してから弾かれたように姿勢を正した。


「まりねちゃん。まりねちゃんのぱぱねー、お寝んねしちゃったよー」


「あ、ありがとうございます……」


「どういたしましてー」


 愛奈のせいで良い雰囲気がぶち壊しだ。この純真無垢な愛らしい存在は時たま意地悪な悪魔としか思えない。


「……で、母さんはいつからいたんだよ」


 愛奈を止めようとしたということはいつからかは知らないがすぐ近くにいたということだ。


「目、赤くなったな……から」


「最初からじゃねーか!」


 え、じゃあ、あの恥ずかしいやり取りを全部聞かれてたの? うっわ、最悪だ。


「あんた、真理音ちゃんの前でだとあんなセリフをイケボで言うのね。聞いてるこっちが恥ずかしくなったわよ」


「別に、イケボじゃねーし。単純に目が赤くなったから言っただけだし」


「はいはい、分かった分かった」


 くっ、絶対に何も分かってない。ニヤニヤニヤニヤ嫌みったらしい笑みを浮かべて……っ、恥ずかしい!


「あの、お母様。先程は晩ご飯のお手伝いが出来なくてすいません」


「あのね、真理音ちゃん。そういうのは気にしなくていいの。今日はお客様なんだから」


「ですが……」


「真理音ちゃんは少し甘えることを覚えた方がいいわね」


「……真人くんには随分と甘えさせて頂いています」


「じゃあね、もっと他の人にも甘えていいのよ」


 それに関しては母さんと同意だ。真理音は性格上、甘えないで自分でどうにかする、出来ないと申し訳ない、そう思う節がある。

 それは、別に悪いことじゃない。優しいことの証拠だ。

 でも、もっと甘えてくれていいのだ。


「……お母さんがそうだったんです。いつも、私の前では笑顔でした。しんどい時も強がって無理に笑って弱いところは一切見せてくれませんでした。だから、私も――」


「それはね、母親だからよ。母親はね子供の前で弱音を吐けない生き物なの。でもね、真理音ちゃんはまだまだ子供よ。真人だってそう。親からすれば子供はいつまでも子供なのよ。だからね、いっぱい甘えてもいいの。きっと、真理音ちゃんのお母さんもそう願ってると思うわ」


 母さんは真理音を抱きしめた。

 何故か、愛奈まで一緒に背後から真理音を抱きしめるようにぎゅっとしている。


「……温かい、です」


「よかったわ。私もまだまだ現役でもいけるってことね。真人もいいわよ?」


「いらねーよ」


「照れ屋なんだから~お母さん、泣いちゃうぞ?」


「弱音は吐けないんだろ」


 言ったそばからこれである。母さんは本当に厄介な性格をしている。でも、その厄介な性格のおかげで真理音が笑ってくれた。


「……母さん。生んでくれてありがと」


「どういたしまして。真理音ちゃんのおかげね。真人がこんなにも素直になったのは。真理音ちゃん、ありがとうね。成人、おめでとう」


「……はい。ありがとうございます」


「はぁ~是非とも、真理音ちゃんのお母さんともお話したかったわ」


「きっと、お母さんもお母様とお話したかったと思います」


 女子トークになってしまった。

 真理音から離れた愛奈を組んだ足の間に入れながら二人を眺めた。

 ……いや、二人じゃないな。三人だ。


 目の錯覚でしかないが確かにそこにいるのが見えた。


 その人と目が合った。にっこりと笑われ、真理音の頭を撫でたり抱きしめたりしている。


 俺、霊感とかないんだけど……。


 でも、ここまでくれば認めるしかないだろう。彼女は確かにそこにいて、いつも真理音を見守っているのだと。強い想いが真理音を守っているのだと。見えない俺が見えてしまうくらいには濃く。


「お母さんは遠くにいっちゃいましたけど私の心の中にはいつまでも居てくれるんです。それに、何だかずっと傍に居てくれるような気がするんです」


「ふふ、そうね。真理音ちゃんのことをずっと見守ってるんだと思うわ」


 二人には事実を伝えなかった。

 きっと、こういうのは知られずにいる方がいいのだろう。

 だって、知られなくてもその想いはちゃんと届いているのだから。


「ところでさ、母さんは何しに来たんだ?」


「あ、そうだった。すっかり忘れてた。真理音ちゃんのお父さんが酔っ払って眠っちゃったから布団を敷きにきたんだった」


「え、お父さんがですか? 珍しいです。あんまりお酒は飲まないのに……」


「きっと、真理音ちゃんの成人式がお目出度かったのよ」


「すいません……私も手伝います」


「じゃあ、お願いしようかしら。真人はお父さんと一緒に運んできて」


「了解。愛奈もお手伝いするか?」


「するー!」


 元気よく返事した愛奈と共に彼の元へ。


 部屋を出る際、真理音の顔を伺った。すっかり元気になって母さんと一緒に楽しそうに笑っていた。


「にーに、笑ってるのー?」


「ああ」


 真理音が笑顔でいてくれるなら俺も笑顔になれる。


「よし、愛奈。行こう」


「うん!」


 きっと、それはこれからもずっと変わらない。

 彼女が真理音を守り続けるように。

 俺は真理音が笑顔でいられるように俺が笑顔で居続けよう。

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