第145話 寂しがりと十年越しの手紙 後

『最愛なる真理音へ』


 真理音は母親である真理華まりかが残してくれていた手紙を真人が読むことを静かに聞いていた。


『元気にしてるかな?

 この手紙を読んでるってことはもう十年も時間が経ってるんだよね。早い。早いよ。いつまでも子供だと思ってたのにもう大人なんだもんね。どう、青春してる?』


 真理音は真理華のことを思い出しながら楽しそうに小さく笑った。


「もう子供じゃないよ。青春はしてるのかな……どうでしょう?」


「してるんじゃないか」


 肩を竦めながら答える真人に真理音はだって、と嬉しそうに呟いた。

 それから、真人に次をお願いしますと頼んだ。


『お母さんね、真理音に一つ謝らないといけないことがあるの。実はね、ずっと病気だって言ってたけど本当は生まれつき身体が弱かったんだ。だから、小さい頃はいつも家で安静にしてなさいって言われてさ、中々外にも出させてもらえなかったんだ。そのせいで友達もいなかったし酷いよね?』


「そんなの当然だよ。お母さんの身体が大事なんだもん。おばあちゃん達は酷くないよ」


『小学校も中学校も毎日は通わせてもらえなかったんだよ? 高校からは周りにいる皆と同じような生活が送れるんだ、って思ってたのに結局安静第一って言われて、全然楽しくなかったし。

 でもね、そんな灰色の世界にね光が差し込んだの。お父さん――葉月はづきくんがねこんな私のことを好きだって言ってくれたんだ。

 私みたいな人を好きになってくれる人なんているはずないって思ってたから嬉しかったなぁ……断ったんだけどね』


 当人にしては呑気な報告であろうが娘にとっては重大な報告に真理音は口をポカンと開けた。

 それから数秒、時が流れて――


「ええっ!?」


 ようやく、意味を理解してから驚いた。


『驚いた? 驚いた?』


 予知していたかのような内容はどこか嬉しそうに書かれていた。

 きっと、真理華はどこかで盛大に笑っていることだろう。実に似た者夫婦である。


『だって、葉月くんのこと友達としては好きだったけどそういう関係になるとは思ってなかったんだもん。それに、葉月くんのこと悲しませたくなかったし。ほら、私って女神様みたいに優しいでしょ?』


「知らないよ!」


 むきになりながら答える真理音。真人に微笑ましく見られていることにも気付かず、真人の向かいから隣に移動して手紙を覗き込んだ。


「真人くん、お母さんどう思いますか?」


「楽しいお母さんだな」


「確かに、楽しい人です。ですが、意地悪が過ぎるんです」


「でも、嬉しそうだよ。……ほんとに」


 怒っているような口調でありながら声音は穏やかな真理音の頭に真人は手を乗せた。くすぐったそうに目を細める真理音を観察してから手紙に目を通した。


『でも、本当は私が葉月くんのことがすっごくすっごく好きだったから、悲しませたくなかったし幸せになってほしかった。でも、葉月くんは私と幸せになりたい、って言ってくれてね。ああ、もう彼しかいないなって思ったの。泣ける話でしょ?』


 真理音は答えず、ただじっと手紙を見つめたままだった。


『真理音、ごめんね。今、真理音の傍に居てあげられなくて。ずっと真理音の傍に居てあげたかった。でも、お母さん弱くて出来なかった。真理音は私と葉月くんの寂しがりの血を特に濃く受け継いでるからすっごく寂しい思いをさせたよね。

 今もまだ寂しい思いしてたらお母さんちょっと不安だな。上手く、笑えてるかな? 笑っていてくれるなら嬉しいな』


「……寂しさがなくなったりはしないよ。でもね、その寂しさを埋めてくれる大切な人が沢山出来たんだ。だから、笑えてるよ。不安にならなくていいよ」


『他にもまだまだ沢山不安なことがあるよ。葉月くんと仲良くやってる? 葉月くん、私のことだーーーい好きだから、私が居なくなるとすごく落ち込んぢゃうと思うんだ。もしかしたら、真理音とギクシャクしちゃうかもしれないんだけど……大丈夫?』


「……うん、お母さんの言う通りだったよ。お父さんと長い間、疎遠になっちゃったよ。ごめんね、不安にさせて。でも、今は大丈夫だよ。ちゃんと父娘だよ。今度、今日撮った写真を見せに行くからね」


『後ねー、友達がいるのか心配だなぁ。いっつも真理音は私とお絵描きお絵描き~って楽しそうに言ってくれたから相手してたけど、ほんとは友達と元気よく外で遊んでほしかったんだよ? 折角、元気なんだからさ。でも、真理音が本当に嫌ならさせたくないし。悩ましい親心、分かる? って、友達が全然いなかった私が言うのもなんだけどさ。

 ……でも、出来れば真理音には友達と呼べる相手と笑っていてほしいな。大勢じゃなくていいの。一人。たった一人でいいの。心の底から友達だって呼べる相手がいればきっと楽しいと思うし真理音を助けてくれると思うから』


「……うん。あのね、斑目九々瑠ちゃんっていうとっても仲良しな友達が出来たんだ。私にも友達が出来たんだよ。九々瑠ちゃんはね、いつも私を助けてくれて優しくしてくれるとっても良い子なんだよ。それにね、とっても可愛い子なんだ。お母さんにも会ってほしかったな。

 ……九々瑠ちゃんとはずっと仲良しで一生笑い合える心の底から友達だって言い合える仲だから……心配、いらないよ」


 真理音の声と身体が徐々に徐々に震え始めていた。まるで、もうすぐ泣いてしまいそうになるのをギリギリの所で踏ん張っているように。

 その事を横で見ていた真人は読むことを止めずに続けた。残り少ない、真理華の想いを真理音に伝えるために。


『後ね、どうしても心配なことが一つ。お子ちゃまな真理音ちゃんにはまだ早いかもだけど好きな人はいる? その人とは今どうなってるのかな? お母さん、娘と恋バナするのに憧れてたんだよね。葉月くんには内緒で二人だけの秘密。真理音からどうしたらいいのかなって聞かれて、私がアドバイスしてあげるの。ね、すっごく楽しそうでしょ?

 私としては、真理音が選んだ人なら真理音を泣かすようなことしない限り応援してあげるけど葉月くんは嫌そうだな~。葉月くん、真理音が将来パパと結婚する~って言ってたの未だに信じてるほど純情だし親バカだからさ。真理音に見せてないだけで。笑えるよね。あなたの奥さんがすぐそこに居るってのに。妬いちゃうよ、まったく。

 で、どうなの? 素敵な人は出来た? その人とどうなったの?』


「……うん。大好きな人と一緒に居られてるよ。星宮真人くんって言ってね。とっても素敵な男の子なんだ。中々、素直になってくれない時もあるけどね優しいんだよ。道路側を歩いてくれたり、言ってほしい言葉を言ってほしい時に言ってくれたり、私のことを真剣に考えてくれて優しく抱きしめてくれたり。そんなことが出来る人なんだ」


 真理音は真人の手を握った。

 真人は震えているその小さな手を優しく包み込んだ。


「私はね、そんな真人くんが大好きだし、真人くんも私が大好きだからお母さんが心配していることは大丈夫だよ。絶対に」


『ふふ、真理音がどうなってるかは分からないけど楽しんでくれてるなら言うことはないよ。

 あーあ、もっと三人で楽しいこといっぱいしたかったな。もっと、色々話したかったな。もっと、色々なことしたかったな。朝はご飯を一緒に食べて、昼は一緒に会話して、夜は一緒に寝る。三人でやりたいことなんて無限に出てくるよ。真理音の成長を見守って、二人で年老いて、三人……ううん、もしかしたら他に増えてる人達と同じ時間を過ごしたかった。ずっと、二人の傍に居たかったよ。

 でもね、それは叶わない。残念だなぁ。

 ……だけどね、後悔はしてないよ。不幸だなんて思わないよ。とっくに諦めてた灰色だった世界に真理音と葉月くんが沢山の色をつけてくれたんだもん。葉月くんと出会って、真理音と出会って私の世界はどんな宝石よりも輝いたんだもん。毎日が楽しくてしょうがなかったよ。幸せだったよ。

 私はちょっと先に二人からは見えなくなっちゃうけどいつまでも二人の傍に居て見守ってるからね。


 最後に……真理音。今、幸せ?

 真理音が幸せならお母さんこんなにも嬉しいことはないよ。だからね、これからも真理音が大切な人達ともっともっともーーーっと、沢山沢山幸せになってね。

 私と葉月くんとの間に生まれてきてくれてありがとう。いつまでもいつまでも愛してるよ。成人おめでとう。お母さんより』


 真人はほとんど前が見えない状態のまま、手紙が濡れないように閉じた。


「……どうして真人くんが泣いているんですか?」


「……何でだろうな。涙が止まらないんだ」


 真人は自分が泣いていたら真理音が満足気に泣けないだろうと彼女に見せないようにして呟いた。


「悪い。途中から上手く読めなかった」


「……では、責任をとってくれると許してあげます」


「おいで」


 真理音は真人の胸に飛び込んだ。

 そして、そのまま大きな声で泣いた。


「お母さん……私、すっごく幸せだよ。お母さんと過ごした日はずっと消えない大切な思い出だよ。だから。だからね。これからも、ずっと傍で見守っててね。お母さん」


 真理音の感謝を込めた号泣は真人に抱きしめられながら泣き疲れて眠るまで続いた。

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