第136話 いつの時代も些細な出来事がきっかけだったりする
お参りの後、おみくじを引こうということになり、引いた結果。俺は大凶、真理音は大吉だった。……うん、まあ。何となく分かってたから気にしない。きっと、神様に怒ったから罰が当たったのだろう。
「だ、大丈夫ですよ。ほら、お正月は大凶が少ないと言いますし、それを引くなんてある意味大吉ですよ」
「いやいや、気にしてないから」
「それに、私と真人くんで半分こすれば小吉になりますから!」
お優しい、真理音様だ。神様よりよっぽど優しいんじゃないだろうか。
「ありがと、真理音様」
お礼を言って手を合わすと困ったようにして両手を振っている姿が面白かった。
おみくじをくくりつけてから、やっと観念してくれたのか真理音のお父さん探しに突入した。
連絡をして、待ち合わせ場所に向かうと彼は大量の食べ物を手にしていた。どうやら、はぐれてから買い込んでいたらしい。
「はい、真理音。ここのカステラ、好きだったでしょ?」
「お、お父さん……私もう子どもじゃ」
「昔はよく食べてたじゃないか。カステラ~カステラ~って。食べ過ぎだよって怒られて泣いてたじゃないか」
ほうほう。そんな、可愛らしい幼少時代があったのか。これは、良いことを聞いた。
そんなことを思っていると真理音が俺を見て睨んできた。怖くはないが、笑ってたことに腹を立てて精一杯威嚇しているのだろう。
「真理音。お父さんの厚意を無駄にするような悪いことは出来ないんじゃないか?」
「……いただきます」
しぶしぶ受け取った真理音はカステラを口に入れた瞬間、顔を綻ばせた。なんだ、やっぱり、まだまだ子どもじゃないか、と俺と彼は顔を見合わせて笑った。
「あ、お父さんはちょっと待ってて」
初詣を終えて、家へと戻ってきた。
真理音だけが先に中に入り、俺と彼が取り残される。顔を見合わせて首を傾げていると玄関がガチャリと開いた。
「おかえりなさい」
ああ、なるほど。これを、言いたかったのか。
真理音がお父さんと会話をしなくなってからはこういうこともなかったのだろう。俺も彼女に教えてもらうまで知らなかった。いってらっしゃいとおかえりなさいを言われる嬉しさを。いってきますとただいまを言える嬉しさを。
だから、ずっと真理音は言いたくて言われたかったのだろう。大好きなお父さんに。
「ただいま」
少し涙を浮かべながら答えた彼に真理音も同じようにして笑った。
真理音の手料理を食べ終えた後、疲れたのか真理音は少し居眠りしていた。腕を枕にして机の上ですやすや眠る。そんな姿を彼はどこか懐かしむような様子で優しく見守っていた。
「こうやって見ているとどんどん妻に似てきているように思います」
「奥さんに、ですか?」
「ええ」
確かに、見せてもらった遺影と夢の中に現れた女性は真理音をさらに大人にして綺麗にしたような女性だった。他人の俺ですらそう思うのだから実の父親である彼は余計にだろう。
「妻とは高校生の時に出会ったんです。妻は当時から周囲に噂されるほど綺麗なのに、いつもどこか寂しげな表情を浮かべてぽつんといるような女性でした。対して僕は教室にいるかいないかも分からない存在でした。彼女ともこの先絶対に関わらないだろうな、ってずっと思っていました」
「でも、愛してしまったんですよね?」
真理音がここにいる、ということがふたりが何かしらの縁で繋がり、惹かれ合い、愛するようになった、ということだろう。
「ええ。きっかけは今でも覚えています。ほんと笑っちゃうくらいの些細な出来事でした。ある日、美術の授業中に僕が彼女が描いた絵のあまりの上手さに驚いてついつい褒めてしまったんです。それが、全ての始まりでした」
……なんか、どこかで聞いたような話だな。うん、心当たりが凄い。
「翌日から、それまで一切関わってこなかったのに彼女が毎日絵を見せてくるようになったんです。幼い頃から今まで描き続けた絵をこれでもかと。最初は戸惑ってよく分からない対応をしていました。でも、段々と彼女と一緒にいることが楽しくてしょうがないようになっていったんです。
彼女はいつもひとりでいるからてっきりひとりが好きなんだと思っていました。でも、実はすっごく寂しがり屋でふとしたことでも悲しくなる、そんな女性でした。
そんな姿にも気付いたら惹かれていたんでしょうね。段々、彼女のことが気になりだしていつの間にか好きになっていました。で、思いきって想いを伝えたんです。あなたが好きです、と」
「それで、今に至ったんですね」
「いえ」
「えっ!?」
そのあまりにも信じられない返答に思わず声を出してしまった。彼はイタズラが成功した時に笑う真理音と同じ笑顔を浮かべながら恥ずかしそうに頭をかいている。……って、冷静に解説してないで! え、フラれたの?
「いやぁ、見事に玉砕しましたよ。自分で言うのもなんですけど、結構仲良かったしいけるかな、と思ったんですけどね。即答で無理でした」
あはは、と当時を思い出して呑気に笑っているけど、それどころではないでしょう。続きが気になる。
「そ、それで。どうなったんですか?」
「諦めようと思いました。でも、彼女の方から言ってくれたんです。病弱だから、誰ともそういう関係になりたくないって。誰かを悲しませるからって」
「奥さんは生まれつきだったんですか?」
「はい、そのようでした。激しい運動もあまり出来なくて、小さい頃から周りについていけなくてずっとひとりで絵を描いていたんだって」
「そうだったんですか……」
そういうドラマみたいな展開は本当の現実には存在しないものだと思ってた。だって、もしそうなら学校なんて通わず、家で大人しくしてた方がずっと長く生きられるはずだから。
でも、俺が知らないだけで前向きに生きている人はこの世に沢山いるのかもしれない。目の前の彼が愛した人がそのように。
「それを聞いてやっぱり諦めたくないな、って思ったんです。だから、彼女が離れていこうとするのを少々無理に引き止めました。嫌われてもいいから、彼女をひとりにしたくない、って思って。
そして、何度も想いを伝えました。それでも、好きです、と。当時の僕は自分がこんな人間なんだって初めて思い知らされるくらいしつこかったと思います。それでも、少しずつ彼女が折れてくれてようやく受け入れてもらえました。
子どもも初めは望んでいませんでした。出産するのも身体に負担がかかるだろうからって。ふたりで生きていこう、と。でも、彼女は望んだんです。多分、僕をひとりにさせないためだったんだと思います。そして、ありがたいことに真理音を授けてもらえました。
僕は最後まで不安でした。これでもし、彼女の身に何かあれば、と考えていてもたってもいられませんでした。でも、彼女が言ったんです。私のせいでこの子の可能性を奪いたくないって。本当に彼女は強かったです。無事に真理音を産んでくれた時は膝をついてボロボロ泣きました。男って不思議な生き物で娘が産まれたら可愛くて可愛くてしょうがないんですよね」
彼は本当に真理音のことが可愛くて可愛くてしょうがなかったのだろう。真理音のお母さんが亡くなって十年。十年もの間、疎遠になっていた娘が初詣で何を食べ、どのように過ごしていたのかをずっと覚えていたのが何よりもの証拠だ。
「僕は覚悟しました。妻と真理音をどんなことがあっても守り続けようと。世界を敵にまわしてもふたりだけは守り愛し続けようと。
なのに、結局果たせませんでした。
真理音を産んでから妻の体調は少しづつ悪くなっていきました。やっぱり、無理がたたったんです。だから、僕は彼女のために何が出来るのか沢山考えました。のどかな町で大きな家でのんびりと暮らせれば多少はましになるんじゃないか。そう思ってこの家を買いました。無茶でしたけど、僕が頑張ればいいだけでしたから。
それでも、少しづつ悪化していき遂には入院するようになってしまったんです。その頃くらいからでした。妻が度々いなくなった後のことをお願いしてくるようになったのは。きっと、分かっていたんだと思います。自分がどうなってしまうのかを。なのに、弱音は一つも吐かず、真理音の前ではいつも笑顔で……誤魔化していました。
僕は信じられませんでした。いつも、一緒にいた彼女が僕を残して遠くへいくことが。彼女は言ってくれていたのに心のどこかでは夢物語なんだと。そんなことはないんだと。しかし、そんなことほど現実に起こるもので僕の世界から光が消えたんです」
「……それで、真理音まで見えなくなったと」
「……恥ずかしながら。彼女から真理音のことを頼まれていたのに、僕は彼女がいた証を少しでも多く残したくてずっと働きっぱなしでした。そして、真理音をどうやって愛していたかも分からなくなったんです。彼女がいた一番の証が真理音だと言うのに」
「そうだったんですか……」
それを聞いて俺は何も言えなかった。何を言えばいいかも分からず、無神経に言うのは一番失礼だから。
「……って、すいません。いきなり、こんな話されても困りますよね」
「いえ、何だかその……言葉には出来ませんけど、奥さんのこと本当に愛していたんだなと感服しました。今の俺に真理音をそこまで愛しているのかって言われると少し自信がありません」
「星宮さんと真理音はこれからですよ。これから、ゆっくり自分達のペースで歩んでいけばいいんだと思います。だから、今後とも真理音のことをお願いしてもいいですか? 真理音は星宮さんのこと大好きですから」
今の俺が彼が奥さんを愛したほどの愛で真理音を愛しているのかは分からない。でも、やがてはそうなりたいしそうなっていきたい。
だから――
「はい。任せてください」
今度は覚悟をもって力強く答えた。
彼女に託されたこの場所で今度は彼に託されたから。
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