第135話 寂しがりとそんなに遠くない未来の約束

 新年になり、元旦はふたりで家で過ごした。

 真理音は何やらお節料理を作れないことにたいそう苦しんでいるようだったが気にしない。文句もない。そもそも、作ってもらう立場なんだから。

 それに、完璧なんて求めない。真面目でありながら世間知らずでどこか抜けているように、可愛らしさがある方が同じ人間なんだと思えるからだ。まあ、例えに挙げた人が誰かはいちいち言わないけど。


 そして、日付けが変わり、一月二日。

 俺と真理音は真理音の実家に来ていた。


「明けましておめでとう、お父さん」


「おめでとう、真理音。星宮さんもおめでとうございます」


「あ、はい。おめでとうございます」


 少し……と言うよりも、随分と緊張してしまう。まるで、男友達みたいにふたりで喫茶店に行って、会話までした仲だというのに。


「真人くん緊張してるんですか?」


 隣にいた真理音に見抜かれてしまった。

 お父さんの前であるから、言葉に気を付けつつしょうがないだろと返事して改めて彼に向き直った。


「今日はお呼びいただいてありがとうございます。家族水入らず所を俺まで」


「いえいえ。こちらこそ、朝から遠いところを来ていただいて」


 出来る限り真理音とお父さんが一緒にいられるように、と九時には家を出た。今はもう少しで十一時になる少し前だ。


「いえいえ、すっかり早起きには慣れてしまったので」


 誰かさんのせいで、とは付け加えなかった。

 例年通りなら、今頃は実家のベッドでゴロゴロしてたかまだ夢の世界だった。それが、今では好きな人のお父さんと向かい合って話している。本当に運命とは不思議なものだ。

 と、そんなことを考えていると机の下で足をコツンと蹴られた。どうやら、余計なことを言ってしまったらしい。はい、ほんの少しだけ反省します。


「いえいえ、そんな。こちらこそ。真理音が喜ぶと思って言ったんですが聞き入れて頂けて」


「いえいえ、俺の方こそとても嬉しいです」


 しばらく、いえいえ論争を繰り返した後、彼がお寿司でもとろうと提案し、届いた寿司を口にした。

 正直に言うと寿司もあまり好きではない。回転寿司は良い。あそこはもう寿司屋じゃない。ファミレスだからだ。だが、お取り寄せの寿司には当然寿司が詰められている。文字通り、寿司詰めだ。

 しかし、まあ。これも、試練だと思って頑張った。



 ランチタイムも終了の後、近所の神社へと足を運んだ。折角だから、と三人で初詣だ。因みに、真理音が連れていってくれたあの神社とは違っていて、こっちは何もかもが大きく人もごった返しで賑わっていた。


 はぐれてはいけないと人混みの中でしっかりと真理音と手を繋ぐ。真理音のお父さんは気を利かしてくれたのか、人波に飲まれてしまったのか、気付いた時にはもう時既に遅し状態だった。

 だから、今真理音とはぐれることは絶対にあってはならないのだ。寂しがりが泣いちゃうからな。


「お父さんのこと、探さなくていいのか?」


「はい」


 考える間もなく答える真理音に彼のことが少しだけ可哀想に思えた。今までのことを考えると仕返しなのか反撃のつもりなのかは知らないが、遅い反抗期ということだろうか。


「だって、お父さんがいれば真人くんと仲良く出来ないじゃないですか」


 違った。ずっとこうしていたいけどお父さんの前だと恥ずかしいから、とただの照れ隠しな理由だった。


「……朝、あれだけぎゅうってしただろ」


 ――これから暫くの間、仲良く出来なくなるので今の内に真人くん成分を沢山ください。

 と、誤解されかねないようなことを言われ、俺は言われるがままに彼女を抱きしめた。満足してもらえるように。途中で途切れないように。三分……くらいは、そのままだったと思う。


「もう抜けちゃいました」


「俺の頑張りが……頑張りが……」


「足りなかったんですよ。欲を言えば一時間……いいえ、ずっとあの状態が良かったです」


「それは、流石に無理だ。いや、出来ることは出来るだろうけど色々と無理だ。絵や写真じゃないんだから」


「分かってますよ。理想です、理想。ずっと、真人くんにああやってほしいな、っていう願望ですよ」


 実際にそんなことになれば、すぐに恥ずかしがって赤くなるくせに。今朝だって、三十秒くらいしたら……いや、これは公言しない方が真理音のためだから止めておこう。


「じゃあ、神様に頼んだらいいんじゃないか? 心優しい神様ならきっと叶えてくれると思う」


「私が頼んでもいいんですね?」


「いいよ。それとも、恥ずかしくなったらぴぃぴぃとかぴゃっとか言わないで済むようになれますように、って頼むつもりだった?」


 意地悪っぽく憎たらしい笑みを浮かべると真理音はしゅぽんと真っ赤になった。


「あー、でも、もし神様がそのお願いを叶えちゃうと可愛い真理音が――あたたたた。つねるな。つねらないで」


「い、いいですか。そんなでたらめな嘘言うと神様がお仕置きするんですからね」


「いや、今のは完全に物理攻撃」


「い・い・で・す・ね!」


「……はい」


 しぶしぶ負けてあげた俺の返事を聞くと真理音は繋いでいた手を離してわざわざ腕に回してきた。


「まったくもう。真人くんは嘘つきさんなんですから」


 ぶつぶつと呟かれる文句も気にならないくらい、コート越しにでも分かる感触にドキドキさせられる。この感触を手でしっかりと触ったんだよな、と神様の前で考えるには余りにも不健全なことが頭をよぎる。


 ごめんなさい、神様。でも、これだけは信じてください。俺は嘘つきではありません。



 人波を抜けて、一番前に出た。お金を投げ入れ、うろ覚えの一連の流れを済まし目を閉じる。


 今年も何事もなく過ごせますように。


 大きなことは望まない。こんなにも、大勢の人が一斉にお願いするのだ。来年のお願いをされても神様も迷惑だろう。だから、とりあえず今年はでいい。俺の大事な人達だけでいい。何事もなく、幸せが続いてくれたら満足だ。


 目を開けて、隣を見ると真理音は一生懸命にお願いしていた。真面目な彼女のことだから、色々と頼んでいるのだろう。神様、俺は特別なことを望まないから真理音の願いは出来るだけ叶えてあげてくれ。彼女が幸せなら俺も幸せだから。


「終わったか?」


「はい」


「じゃあ、行こ。邪魔にならないうちに」


 左へと抜けて、階段を降りる。

 先に降りきって、真理音を待っていると彼女が後ろから何かにどんっ、と背中を押されたみたいに落ちてきた。


「だ、大丈夫か?」


 慌てて受け止める。どうやら、大事には至らなかったようだが一体誰だ。真理音にこんなことしたのは。ケガでもしたらどうするつもりだったんだ。


「……真人くん。私、誰かに当たられた感触がないんです。こう、どんって突き落とされたみたいで」


「は、はぁ? 怖いこと言うなよ。新年早々幽霊とか嫌だぞ」


「そ、そうではなくてですね。その、私のお願いが叶ったのかもしれないんです」


「意味が分からん」


「その、ですね。神様に頼んだんですよ。真人くんをこれからも独り占めしたいですって。勿論、他にも色々頼みましたよ。でも、一番は独り占めしたいってことで……」


 なるほど。それで、俺が神様に真理音のお願いは叶えてあげて、なんて言ったから早速気を利かしてくれた、という訳か。なるほどなるほど。


 ……っ、神様のバカ野郎! じゃない。バカ乙女! でもない。バカ神! これだ。神様のバカ神! どうして怒られているのか驚いているならよく考えろ。真理音が危ないだろ。ケガしたらどうするんだ。そういう意味での独り占めじゃねぇよ。真理音はこれからも俺に自分だけを見てほしいって願掛けしてるんだよ。それで、俺もそのつもりだよ。真理音以外、脇目もふる気ねーよ。だから、このお願いは温かく見守ってくれたらそれでいいの! 分かった? アンダースタン?


「……すいません、真人くん。私、重たいですよね」


「物理的にも心情的にも重たくない」


「でも、独り占めなんて」


「俺は真理音に独り占めしてほしいって思ってるよ」


「……嫌いになりませんか?」


「ならないよ。俺だって、真理音のこと独占したいって思ってんだから」


 独占欲なんて、誰もが持っているものだ。憧れの人に抱いたり、好きな人に抱いたり。それが、人間だ。


「……では、私のこと。これからも、真人くんだけの二条真理音にしてくださいね」


「任せろ。真理音のこと、他の誰にも渡さないから……絶対に俺だけの真理音にするから――俺だけの真理音になってくれますか?」


「はい、勿論です」


 恐らく、そんなに遠くない未来にそれは実現することだろう。それでも、今はまだちゃんと言葉にしない。しなくても、お互い分かってるはずだから。


 きっと、空の上から神様は後悔していることだろう。こんなにも仲睦まじいふたりの姿を見て血の涙を流していることだろう。

 俺達はさっきの仕返しだ、と言わんばかりにふたりで可笑しそうに笑い合った。

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