第114話 寂しがりとお父さん
真理音が元気になってからまたいつもの日常が戻ってきた。恐れていた、真理音が実家に戻ることになるのでは、ということも今は起こっていない。
しかし、恐れていることというのは近づいてくる気配もなければ音もなく、突如として姿を現すものである。
ある日の帰り道、マンション前にて真理音のお父さんと遭遇した。元気になった真理音を見て、彼は心底安心したようにほっとしていた。
そんな姿を見ると本当に真理音のことが好きなんだという気持ちがあるのだと分かる。いや、むしろ、あるからこそ暴力も振るってしまった、ということだろう。それが、いいこととは絶対に思わない。どういう理由があれ、父親が娘に暴力を振るっていい理由などどこにもないのだから。
不器用なまま、固まる二人。
こういう時、俺はどうするべきなのだろう。間に入って仲介役になるのがいいのか。それとも、何もせず黙って見守るべきなのか。
やがて、彼の方から先に動き出した。
ゆっくりと寄り添うように真理音に近づこうとする。
しかし、真理音はそれを避けて先にマンションに入ってしまった。学園祭に呼んでも来てくれなかった。何度も電話をかけて迷惑をかけたから怒られる。そう、思ってしまったのかもしれない。
落ち込んでいる彼の肩に手を置いた。
「真理音の風邪はもうすっかり治りました」
「元気な姿を見れただけでも良かったです」
「……これで、終わりますか?」
「いいえ、また来ます。避けられる覚悟はしてました。でも、何度も来ます」
そう言い残すと彼は帰っていった。
エレベーターを降りて、家に向かうと真理音が立っていた。
「先に入ってて良かったんだぞ」
「いえ、真人くんを待っていたくて」
どういう気持ちなのか分からないが良くないことだけは、腕を掴んできた手が震えていることから読み取れた。
一緒に中に入り、ソファに座る。
「あのな、真理音」
そして、事情を説明した。
お父さんの考えていることはあえて口にしなかった。それは、俺が言うべきことではないだろう。俺が言うことは……。
「真理音はどうしたい?」
「私は……よく分かりません。今更、ちゃんと話し合えるか不安です」
「嫌なら嫌でもいいと思う。真理音の気持ちが大事だから」
「頑張りたいとは思います。折角、お父さんの方から来てくれましたから」
「そっか……」
もし、このまま上手くことが運べば不安に思っていることが現実になるかもしれない。それでも、真理音が幸せになってくれるのならそっちの方がいい。
「応援してる。少しづつ、頑張れ」
「はい」
俺の事情なんて俺の中でしまっておけばいい。これは、ずっと、誰にも言わない秘密事だ。
それから、真理音のお父さんは何度も真理音に会いに来た。その度に真理音も少しづつ距離を詰めていったがまだ話し合いまではもっていけていなかった。
それが、何度繰り返されただろう。
もうすぐ、十二月に入ってしまう頃、また彼がマンションの前で待っていた。随分と冷え込み始め、世間は冬使用になっている。その為か、冷えた手を息で温めながら待っている。
そんな姿に胸を打たれたのだろう。
真理音はいかにも駆け出したそうにうずうずしていた。それでも、足を動かせないのかじっと苦しそうにしたまま動かない。
俺が出来るのは大したことじゃない。俺にしか出来ないこと、なんてことがない。だから、誰にでも出来ることをするだけだ。
彼女の背中をぽんと押して前に押し出す。
俺に出来ることなんて、それくらいのことなんだ。
「行ってらっしゃい」
振り向かれた彼女にそう言うと迷うことなく駆けていった。
「お、お父さん!」
きっと、二人は大丈夫だろう。不器用だから、お互い自分の気持ちを直接伝えられなかっただけ。他人の俺にはそれを言えることが出来る。だから、後はきっかけさえあればお互いに伝え合うことが出来るはずなんだ。
どんな話をしているのかは聞かなかった。
それは、踏み込んではいけない所だから。
だから、見守っていた。
お父さんの方が頭を下げると真理音も頭を下げた。きっと、真理音の方には下げる理由なんてないのだろうけど、夏休みの時のことで謝っているのだろう。心の中で、同じくらい深々と頭を下げておいた。
やがて、真理音は泣き始めたようだった。
お父さんにずっと甘えたかったように胸の中に飛び込んでいく。
あれが出来るのは女の子だからだろう。
男という生き物はどうしても恥ずかしい思いをして、成長するにつれて親にああやって抱きしめられることを拒んでしまうもの。彼女には抱きしめられることを拒んだりしないのに不思議な生き物だ。
真理音を抱きしめながら彼も泣いていた。
今まで、彼のことを全く尊敬なんて出来なかった。自分でも自分勝手だと分かっているらしいが本当にそう思うから、正直、まだ好きにはなれない。でも、大人になってもああやって泣けることだけは素直に尊敬できる。
大人になるに連れて泣くことが恥ずかしい。誰しもこの世に誕生したその瞬間、泣いているのだから恥ずかしいことでもない当たり前の感情表現なのに嫌になるのだ。
特に、男はそうだと思う。感動したからって素直に泣けない。だから、俺も滅多に泣かないと決めている。
なのに、娘の前でああやって泣けること。それだけは、素直に凄いと思うし羨ましいとも思った。
二人のことを変な目で見る人がいれば睨んだ。
見せ物じゃない。消えろ。
そういうのを含んだ俺の睨みは意外にも効果があるのかいそいそと去っていった。
「ま、真人くん」
追い払うことに徹底しているといつの間にか二人がすぐ傍まで来ていた。二人共、目を赤くしているがどこかすっきりとした顔つきをしている。
「お父さん。こちら、お付き合いしている星宮真人くん」
横に並ばれ、手をとられる。
「知ってるよ。星宮さんには色々とお世話になったから」
「そんなことないですよ」
「いえ、星宮さんには本当に助かりました。真理音の傍にいてあげてくれてありがとうございます」
「好きですから……真理音のこと」
そう答えると繋がれた手の先が熱くなるのを感じた。
「この子のことを好きになってくれてありがとうございます。では、僕はこれで」
「え、もう帰るんですか? 折角ですし、ご飯でも一緒に」
「いえ、いきなり過ぎるのもあれですしまた来ます」
「真理音はそれでいいのか?」
「うん。お父さん、また来てね。今度は、私の手料理食べていってね。美味しく作れるようになったから」
「うん。楽しみにしてるよ」
「ちゃんと、温かくして寝てね。風邪、ひかないでね」
「分かってるよ。真理音こそ、もう風邪ひかないように」
「うん」
元気よく答える真理音。
すると、彼に頭を下げられた。
「真理音のこと、今後もお願いします。色々と迷惑をかけると思いますが」
「いえ、俺の方こそ色々迷惑かけてしまっているので」
むしろ、迷惑しかかけていないのが俺だ。
「あと、世間知らずですので色々と教えてあげてください」
「お、お父さん!」
俺が知らなかった父に対する真理音の一面は幼く、二人のやり取りからは確かな父娘を感じた。
そして、彼は去っていった。今までに見たことないくらい満足気な笑顔を浮かべて。
「真人くん……ありがとう」
「ちゃんと話せた?」
「うん。これからは、大丈夫」
花が咲いたような笑顔を向けられ、思わず目を逸らしそうになってしまった。それは、照れてしまったからなのか。それとも、彼女が少しばかり遠くに行ってしまうことを想像してしまってかは分からなかった。
「そ、それより、さっきから口調変わってるけど」
「あ、そ、そうですね。つい、お父さんと話していたら昔に戻ってしまいました。元に戻します」
「いや、新鮮味があってどっちでもいいと思うけど」
「……考えます。とにかく、真人くんには本当に助けてもらいました。家族の問題だったのになんてお礼を言えば」
「いいんだよ、そんなこと。彼氏なんだから頼ってくれていいし、気持ちだけで十分だから」
「……本当に真人くんはカッコいいです。最高の彼氏です。あ、最高って言っても真人くんしか相手がいないから当然なんだけどね」
ごっちゃになりながら焦る真理音が可愛らしい。
そんなことを思っていると周りから笑い声が聞こえてきた。気づけば数人に見られていて、ニコニコされている。
途端に恥ずかしくなり俺達は手を離した。
「か、帰るか」
「そ、そうだね」
同時に歩き出した。
まだ、もう少しこうしていられるようにと願いながら。
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