第113話 寂しがりに抱きしめられ、寂しがりを抱きしめる

 朝、目が覚めたら天井ではなく、真理音の顔が目に飛び込んできた。あり得なくもないが、受け入れ難い現実に一瞬ドキッと恐怖を覚えてしまう。

 そんな彼女は俺の呆然とした反応を見て、期待通りだったのかにっこりと微笑むと口を開いた。


「おはようございます」


「……おはよう」


 少し躊躇ってから同じ言葉を返し、身体を起こす。季節が秋から冬へと変わり始めている今、誰かみたいに風邪をひかないようと身体を温めるために乗せていた毛布を退けるとポトッとあるものが床に落ちて姿を現した。


「ち、違っ。これは、違うからな」


 それを、拾う真理音に向かって慌ただしく手を振って訂正してみるが嬉しそうにこちらを向かれ無意味なことだと悟った。


「真人くん。私に会えなくてそんなに寂しくなってくれたんですか?」


 いかにも答えたくない質問をされ、声を出せない。


「ねーねー、真人くん。答えてくださいよー」


 俯く俺の周りを彼女は小刻みにステップしながら踊る。どうやら、風邪はすっかり治ったようだ。マスク越しだったとはいえ、おまじないの力とは凄まじい。


「……別に、毛布だけだと心もとなかったから温かそうなものを傍に置いてただけ」


「そんなこと言って、本当は違うんですよね。マリネちゃんを抱きしめながらさみしいよーって言ってくれてたんですよね?」


「言うか、そんなこと。それに、抱きしめたりなんかしてない」


「ぶー、相変わらず真人くんは強がってばっかりです」


 ぬいぐるみと一緒に寝る、という成人を迎えた男がやっていいのか分からないことはしたが本当にそれまでだ。抱きしめたり、弱音を吐いたりはしていない。


「そ、それより、どうしてここにいるんだよ。寝起きでびっくりしたぞ」


「びっくりしたのは昨日の私も同じですよ。起きたらすっかり熱も下がっていたので真人くんのご飯を作らないと、と思ったんです」


 大事そうに見せられた合鍵を揺らしてこれで入りました、とアピールされる。


「この前も言ったけどさ、起こしてくれていいからな?」


「この前も言いましたけど、寝ている真人くんを見ているのが好きなんです」


 そんなに俺の寝顔は見ていて面白いのだろうか。叶うなら、一度拝見したいものだ。そうだ。今度、写真でも撮ってもらって見せてもらおう。


「あと、病み上がりなんだから無茶するな」


「そうは言われてもゴミ箱の中、カップラーメンやお弁当箱ばかりです。心配させないようにしたいならもう少しましな食事をしてください」


 そう言われたら返す言葉もない。


「ごもっともで」


「本当に真人くんは傍にいないと心配になります」


「……じゃあ、これからも――」


 そこまで言いかけて口を閉じた。

 もし、真理音がお父さんとのわだかまりがなくなり、家に帰ることになればそれを引き止める権利など俺にはない。それで、真理音と別れることなんてないだろうがこれまで通り、ずっと一緒にいることはしばらくの間は減ってしまうだろう。


 黙り込んだ俺に真理音は特に詳しく言うことはせず話題を変えてきた。


「朝ご飯についてですが、病み上がりですので量を減らすためにも雑炊だけにしようかと思うんですけどいいですか?」


「作ってもらう立場なんだ。文句ない」


 最後に見たエプロン姿は斑目だった。彼女も似合っていなくはなかったがやはり最も似合うと感じるのは真理音だった。久しぶりに台所に立つ真理音のことを目に焼きつけるように見ていた。



 洗い物を済ませた後、ソファから真理音に呼ばれ向かう。そこに立ってください、と言われて直立していると正面から抱きしめられた。突然のことで、反応できずにいると胸辺りに顔を埋められぐりぐりと額を擦り付けられる。


「好きです、真人くん」


「きゅ、急にどうしたんだ?」


「ここ数日、真人くんに会えませんでしたから」


「昨日、会っただろ」


「あれだけだと足りないです……それに、条約も私から破ってしまいました。言い出したのは私なのに」


 条約のことなんて気にもしていなかった。

 でも、真理音は随分と気にしているようだった。だから、頭に手を置いた。


「気にしないでいい。風邪で会えなかったんだし」


「ですが……」


「それでも、気になるってなら一つお願い聞いてくれるか?」



「――あの、真人くん。確かに、お願いは聞くと言いました。でも、これは……」


「恥ずかしい?」


 問いに頷かれる。顔を見ていないので分からないが耳が赤くなっているから同じようになっていることだろう。


「でも、一度乗ってるだろ?」


「そ、そうですけど……寝込んでいたので重たくなっているはずですし」


「そんなことねーよ」


 膝に感じる真理音の重たさに変わりはないどころか少し痩せたんじゃないかと感じるくらい軽い。


「寝込んでたからきっと軽くなったんだな」


「く、口に出さなくていいです」


 まあ、真理音に恥ずかしい思いをさせてしまっていることに関しては素直に謝罪しておこう。心の中でだけど。


「ま、真人くん!?」


 突然、後ろから抱きしめられたからだろう。驚きと照れ隠しからなのか、暴れられたが逃げられないように腕に少しだけ力を込める。


「あの……何か、ありました?」


 右肩にアゴを乗せると暴れなくなり、心配するような声音で問われる。


 真理音がこの家に来て、まだ二時間も経っていない。なのに、俺はその事が随分と嬉しく感じて胸の奥が温かくなっていた。やっぱり、この幸せを手放したくないと思ってしまった。

 けど、それを言うのはなんだかずるいような気がして言えなかった。だから、せめて、気持ちが伝わってくれることを願いながら、どこにも行かせないように腕の中で捕まえておくことしか努めることが出来なかった。


 俺って結構、束縛しちゃうような重たい男だったんだな……斑目に言われた時、そんなことないって言ったけど十分に素質があるじゃないか。


「大丈夫……なんでもない」


 彼女の温もりを感じるため身体を背に密着させる。


「……髪、伸びたな」


「そ、そうですね。ま、真人くんは短い方がお好きなんでしたっけ?」


「うーん、特に好みってのはないんだ。でも、真理音みたいなさらさらな髪を切るのは勿体ないっては思う。手入れの手間とかを考えると短い方がいいんだろうけどさ」


 ロングヘアーの真理音もセミロングの真理音もどちらも真理音であることに変わりはない。


「俺に言えることはどっちも似合ってて可愛いってことだけ」


 彼女の身体が段々羞恥に耐えられなくなったのか小刻みに震え始める。それでも、解放してあげる気はなかった。

 まだ伝えていないのだ。あの言葉を。条約を守れていなかったのは俺も同じなのだ。


「真理音、好きだよ」


 耳元で囁くと一際大きく、身体が反応したことが分かった。


「好き。好き。好き。好き。好き」


 今日の分も含めて言うとその度に彼女が大きな反応を見せるのでもしやと思い聞いてみる。


「真理音って耳、弱いの?」


 以前も、耳元で囁いた時、過剰な反応をしていた。その時はてっきり恥ずかしさからなのかと思っていたがこう何度も同じだと違う考えを浮かべてしまう。


 返答こそなかったが恐らく答えたくないということはその通りなのだろう。


「真理音の耳、白くて小さくてぷにぷにで可愛い」


「や、やめ……もう、限界です」


 力強く腕から逃れた真理音は真っ赤で目には少し涙が浮かんでいた。それを見て、我に返った。


「ご、ごめん。泣かすつもりはなかった」


 自分勝手な不安で真理音を悲しませるとか最低だ。これだと、逃げられてしまっても何も言えない。引き止める資格もない。


 しかし、真理音は逃げずに隣に座った。


「きょ、今日の真人くんは可笑しいです……ぐ、グイグイきすぎです。対応に困ります」


 俯いているからどういう感情で言われているのかが分からずに困ってしまう。


「久しぶりに真理音が来てくれてテンション上がってるのかも……あんなに密着するとか嫌、だよな?」


「い、嫌ではありません……ただ、普段の真人くんと様子が違うから不安になっただけです。もしかしたら、私の風邪がうつったのかもしれないと」


「それなら、心配しなくていい。なんなら、確認するか?」


 昨日、俺が確認したように額に何かを当てることが一番だろうと思い、髪をかき上げる。すると、こちらを向いた真理音は俺の目をじっと見つめた。


「……やめておきます。これで、もし。真人くんが本当に風邪だった場合、またお預けになってしまいますから」


「……そうだな」


 条約は一日最低一回、という条件があるためどれだけ守れなかった分を含めたとしても守れなかったことは変わらない。でも、昨日交わした約束は真理音が元気になってから、というものだ。破るわけにはいかないのだ。


 俺達は互いに寄り添い、唇を重ねた。

 マスク越しだとマスクの感触が邪魔をして満足じゃなかった。やっぱり、直接の方がいい。


「これで、ようやく完全復活出来た気がします……」


「そっか。もっと、元気になるためにもう一回しとく?」


「……や、やっぱり、今日の真人くんは可笑しいです」


 不満を溢しつつ、彼女は目を閉じた。

 確かに、今日の俺は可笑しい。知らない間に真理音の風邪がうつって頭をピンク一色で埋め尽くされているのかもしれない。


 それでもいいやと思い、彼女の唇にそっと自らのものを重ねた。

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