第112話 おまじないのちゅー
真理音と会えないまま、五日目を迎えた。
俺は自分が自分じゃない誰かのように寂しさを覚えていた。たった、五日。真理音と会わないでいるだけなのにものすごく寂しい。
それは、きっと真理音が近くにいすぎたからだ。俺は真理音が作ってくれるご飯に依存しているのではなく、真理音自身に依存してしまっているのだ。すっかりと。
それでも、五日会ってないだけでここまで寂しいと思ってしまうだろうか? いいや、そこまで俺は重症じゃない。確かに、寂しいとは感じている。会いたいとも思っている。でも、それを尋常なものに変えているのはきっと昨日のことがあったから。
「なぁ、真理音にはまだ会えないのか?」
「我慢しなさい」
「もう限界なんだよ。お前は毎日会ってるけど俺は声すら聞けてないんだぞ」
「しょうがないでしょ。風邪なんだから」
「分かってるよ……でも、一目だけでもいいから真理音を見たいんだ」
「……はあ。いいわ。私が許可してあげる」
「いいのか!?」
「いいわよ。もう、熱は下がってるし。今日休ませたのは大事をとってのことだから」
本当は嫌なのだろう。顔がすごく嫌そうにしている。
「その代わり、私が買い物から戻ってくるまでだからね」
「それでいい。ありがとう」
渋々渡してもらった真理音の家の合鍵を持って、急いで彼女の家へと向かった。
なんか、泥棒みたいな気がする……いや、後で謝ろう。だから、気にするな。真理音に会いたい。ごめんな、真理音。
おもいきって玄関を開けて、中に入る。
寝ているのだろうと思って彼女の部屋の扉を静かに開けた。
「く、九々瑠ちゃん……今日もすいません」
真理音は横になったままで俺だと気づいていない。
「あー、ま、真理音。俺だ」
久し振りに話すからか、少しばかり緊張を感じながら声を出すと真理音は勢いよく身体を起こした。
「ま、真人く――ゲホゲホ」
慌てたからだろう。
俺は急いで駆け寄って真理音の背中を擦った。
真理音が落ち着いたのを見て謝った。
「ごめん。急に驚かしたりして」
「い、いえ……は、離れてください」
真理音に手で追い払われるような動きをされ、少し傷ついている自分がいた。
「風邪をうつす心配なら必要ない。馬鹿は風邪をひかないから」
「そ、そうではありません。……その、真人くんに汗臭いって思われたくなくて」
「思わねーよ。そんなこと」
「ですが、汚いですし……」
「汚くない」
「……後、恥ずかしいです」
真理音は壁に背中を当てると布団を手にして、俺から隠れるようにアゴまで持っていく。
「そこに関してはごめん。自分勝手だよな」
真理音が俺を避けていたのは見られたくなかったから。なのに、俺は会いたいという欲求だけで勝手に家に上がった。よくよく考えれば嫌われる案件でしかない。
「もう、帰るよ。しっかり、休んで早く元気になってくれよ」
立ち上がって嫌われる前にとっとと逃げようとしたら腕を掴まれた。
「……真理音?」
「……か、帰らないでください。一緒にいてください」
「でも、嫌なんじゃ」
真理音はふるふると首を横に振ってそれを否定した。
「……何かしてほしいこととかある?」
「……身体、拭いてほしいです」
答えられないでいると急かすように真理音は俺に背を向けて服を少し上にずらした。
「……背中は自分だと拭きづらいんです。お願いします」
「わ、分かった」
斑目も真理音のことを拭いてあげてたのだろう。すぐ側に置かれてあった洗面器に水を汲み、タオルを濡らしてから真っ白い背中に当てた。
「んっ……」
びくっと身体を震わせられ、艶かしい声を出されると条件反射のようにこちらまで身体を震わせてしまう。
「す、すいません」
「だ、大丈夫だから。それより、痛いとことかないか?」
「はい。優しく拭いてくれていますので」
背中を拭き終わるとタオルを真理音に渡して立場が逆転したように背中を向けた。
「他に何かしてほしいことはないか?」
「真人くんが買ってきてくれた缶詰めのミカンを食べたいです」
「分かった」
真理音が身体を拭いている間にリビングに向かってミカンを用意した。これも、斑目が準備していてくれたからすぐに皿に移すことが出来た。
「もう、大丈夫か?」
「はい」
確認をとってから部屋に戻る。
「食べさせてもらってもいいですか?」
「いいよ」
小さな口にミカンを一粒入れると美味しそうに頬を緩ませる。お腹が空いていたのか。それとも、よっぽどミカンが好きなのかは分からないがあっという間に完食した。
「熱は下がったって聞いたけど辛くないか?」
「はい。もう、元気ですよ」
横になりながら元気よく言う真理音。
だが、彼女は心配させまいと嘘をつく節がある。だから、確認のため額を彼女の額に当てた。
「うん、下がってるみたいだな。良かった」
すると、どういう訳か額が茹でられたように熱を増す。やっぱり、治ってないんじゃないだろうか。
額を離すと真理音は耳まで赤くして拗ねたようにそっぽを向いてしまった。
「そ、それより、真人くんはどうして来たんですか? あれだけ、来ないようにと九々瑠ちゃんにも言っていたのに……」
「斑目は悪くないんだ。俺がわがまま言ったせいなんだ。だから、アイツを怒らないでやってくれ」
「怒りませんよ……それより、どうして真人くんはわがまま言ってまで私に会いに来てくれたんですか?」
「寂しかったんだ。真理音に会いたくて仕方なかった」
素直に白状すると真理音の身体が小刻みに震え始めた。
「ど、どうした?」
「嬉しいんです。真人くんの中で私がそれくらい大きな存在になれていることが」
こちらを向き直って真っ直ぐに見られ、思わず視線を逸らしてしまった。何故だか、真理音に素直に寂しいと言うのはまだ気が引けてしまうのだ。
「……なってるに決まってるだろ」
「実は、少し不安だったんです。しばらく会わない内に真人くんは私のことを忘れてしまうんじゃないかって」
「忘れるわけないだろ。真理音のこと、ずっと考えてたよ」
弱々しく笑いながら袖をくいくいと引っ張られ視線を合わせる。
「……あの、真人くん。おまじないをかけてもらってもいいですか?」
「おまじない?」
「は、はい。その、ちゅ、ちゅーってしてくれると早く治るというかなんというか……あ、でも、そうしたら真人くんまで風邪をひいてしまうかも……す、すいません。今のは忘れて――」
真理音の言葉を遮るように唇を当てた。
風邪ならひかないだろう。もし、ひいたとしてもそれは真理音のせいじゃない。俺の身体が病原菌に負けただけのこと。何故なら、真理音はマスクをして予防してくれているのだから。
「これでも、おまじないになる?」
「は、はい……ですが、欲を言えば直接が良かったというか口が良かったというか邪魔がない方が嬉しいというか……」
ゴニョゴニョと布団で鼻まで隠し、目を泳がせる真理音が微笑ましい。
「それは、真理音が元気になってからな」
「い、いつまでも、風邪になんてやられていられません。早く、元気になるためにも寝ます」
「うん。俺もそろそろ帰るよ」
「嫌です。真人くんは私が寝るまでここにいてください」
「気が散らないか?」
「いてくれると安心します。風邪をひいてるのでいつも以上にひとりが寂しいんです」
「そっか。じゃあ、いるよ」
ベッドの傍に座り直すと真理音から手を握られる。それを、痛みを感じさせない程度の強さで握り返した。
しばらくして、寝息が聞こえてきた。
真理音を見るとすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。
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