第111話 寂しがりのお父さん

 真理音が風邪をひいて三日が経った。

 順調に回復しているようだがまだ完全に熱は下がりきっていないようでずっと会えないままだった。

 斑目が真理音の身の回りのことはしてくれているから不安はない。だが、やはり、会えないのは不安だった。


「今日も何か買ってくるつもり?」


「今日は桃の缶詰め買ってくる」


「あんたねぇ……そろそろ、真理音ん家の冷蔵庫に入りきらないわよ」


「大丈夫。俺の家で保管しとくから」


「真理音馬鹿なんだから」


「お前だって真理音馬鹿だろ」


 他人が聞くと馬鹿な会話だと思うだろうが俺達は真剣だ。真理音のために何かしてあげたい。その気持ちが同調しているのだ。


「ねえ、あれ……」


 マンションを前にして斑目が立ち止まって呟いた。


 明らかに挙動不審のスーツを着た男の人がウロウロとしていたのだ。後ろ姿で誰かは分からないが怪しい。


「警察に連絡した方がいいよね。真理音のためにも」


 その時、俺達の声に気づいたのか彼が振り返った。


「いや、いい。そのまま真理音の所に行ってくれ。この事はくれぐれも真理音には言わずに」


「あんたはどうすんのよ?」


「俺はあの人と話してくる。一応、知り合いだから」


 振り返った彼は真理音のお父さんだった。

 彼も俺のことを覚えていたのかじっと見つめたまま動かない。斑目は俺達を見てから何も言わず真理音の家に向かった。


「どうも」


 頭を下げながら近づくと同じように頭を下げられる。


 俺が考えていた挨拶はなんだっただろう。

 そんなこと、とうに忘れてしまった。


「……真理音に何か用ですか?」


 そう聞くとばつの悪そうな表情を浮かべられ困った。特に何かを言ってくる訳でもないのにその場を動こうとしない。


「……喫茶店にでも行きますか? ここじゃ、あれですし」


 提案すると首を縦に振られたので身近な喫茶店に移動した。


 互いにコーヒーを注文し待つ。

 待っている間、ずっと俯かれたままで気まずい。


 本当に何をしに来たのだろう?


 そんな疑問を浮かべていると小さな声を発せられた。


「真理音は今、どこにいるんですか?」


 その声は一度聞いた、真理音にぶつけた怒鳴り声などではなく、驚くほどに弱々しいものだった。


「風邪をひいて寝込んでます」


 答えるとすぐさま席を立ちながら、


「大丈夫なんですか!?」


 と、食い入るように聞かれた。

 その様子からして心の底から心配しているのだということが分かった。


「大丈夫です。ただ、熱が下がらないようで寝ています」


「そ、そうですか……」


 腰が抜けたようにストンと座り直す。

 その時、少し気まずそうに店員さんがコーヒーを持ってきてくれた。コーヒーを一口飲んで喉を潤わせると今度は俺の方から口を開いた。


「真理音に会いに来たんですか?」


 すると、びくっと肩を震わせて答えられなくともどういう目的なのかが分かった。


「……これ、見てください」


 そう言われてカバンの中から取り出されたのは先日行われた学園祭の招待状だった。ただし、通常のものとは違い、随分と手の込んだ手作り感満載の不格好なものだ。


 それを作ったのが誰かはすぐに分かった。真理音だ。彼女はこそこそと何かしていた。それに、気づいてはいたが隠れてやることだから見られたくないのだろうと思い、触れはしなかった。招待状を作っていたとは思いもしなかったが。


 俺は知らなかった。真理音が俺が言った、真理音から歩み寄ってみればいいんじゃないか、ということを実行していたことを。


 真理音は行動に移していた。今でも嫌いじゃないお父さんのために。なのに、この人は来なかった。少なくとも、俺が接客をしていた間は見かけもしなかった。


「とっくに終わってますよ」


 子どもみたいに怒りを隠せず、声に混ぜてしまった。


「分かってます。仕事がありましたから」


 また、仕事。真理音が本当に傍にいてほしい時も仕事。なのに、この前は真理音のことをいきなり叩いたりした。


「……ちょっとは真理音の気持ちを考えてくださいよ。こんなにも頑張って招待状作って……あなたに来てほしかったんですよ」


「分かってます。電話も沢山かかってきていましたから」


「一度でも出てあげたんですか?」


 答えないことが答えだった。


「父親ならもっと娘をかまってやってくださいよ……仕事よりも真理音のことを優先してくださいよ……」


「……返す言葉もありません。だから、今日こうやって――」


「遅いんですよ。真理音はもっと早くあなたに傍にいてほしかったんです。それ、ちゃんと分かってるんですか?」


「でも、あの子から家を出ていくと言ったし真理音も僕といたくないんじゃないかと思って……」


「違いますよ。あなたに引き止めてほしかったんですよ。あなたにかまってほしくて言ったんですよ」


 この人と話しているとどんどん腹が立ってくる。自分のことばかりで真理音のことは考えない。でも、そうやって苛立ちを覚えてしまうのはきっと俺もそうだったから。真理音のためをと言いながら結局は自分のことしか考えていなかったから。だから、この人を見ていると自分の嫌な部分を見ているみたいで腹が立つ。


「……どうしたらいいのか分からなかったんです。妻が亡くなって目の前が真っ暗になりました。真理音がいたのに、真理音のことを見れなくなったんです。ただ、仕事だけはしないといけないと思いました。生きていくためにも」


「確かに、生きるのは大事です。でも、何より真理音のことの方が大事なはずです」


「今はそう思います。でも、あの時は無理でした。真理音も大事です。愛しています。でも、真理音以上に僕は妻のことを愛していました。いつも明るくて僕をひとりにしなかった妻が亡くなって何も考えられなくなりました。そして、気づいた時には随分と時間が経っていてこれまで真理音のことをどう愛していたかも分からなくなったんです」


 そのことに何も言えなかった。心から愛した人を早くに亡くす経験をしていない。だから、どういう気持ちだったのかを想像することなんて出来ないし軽々しく言えることでもないと思った。


 人にはその人なりの事情がある。それは、分かってる。それでも、俺は彼に真理音の傍にいてほしかったと思う。例え、今の生活がなかったとしても真理音が幸せだったならそれで良かった。


「真理音は特別なことをしてほしかった訳じゃないと思います。あなたが傍にいてくれるだけで良かったんだと」


「……今からでも間に合うと思いますか? 自分勝手なことだとは分かってます。でも、あの子に謝りたいんです」


「真理音とちゃんと話し合ってください」


「会ってくれると思いますか?」


「真理音なら大丈夫です。あなたは知らないでしょうけど真理音は強くなったんです。さっき一緒にいた女の子、覚えてますか?」


「はい」


「彼女は真理音の友達です」


 すると、信じられないとでもいうような表情になった。当然だろう。昔のままの真理音しか知らないのなら友達がいるとは思わないはずだ。

 でも、真理音は変わった。そのことをちゃんと彼にも知ってもらいたい。


「しかも、真理音から友達になりにいったんですよ」


「そんな……信じられないです」


「ですよね。でも、真理音は頑張ったんです。俺がこうしてあなたと話しているのも真理音が頑張ってくれたからなんですよ」


 本当にその通りだ。真理音がいなかったら、今みたいな幸せを感じることなんて絶対になかった。


「そう言えば、まだあなたのことを名前も知りませんでしたね」


「そうでしたね。すいません。先に言わないといけないのに」


 彼に会った時にしようと考えていた挨拶なんて覚えていない。でも、焦る必要はない。今はもう、はっきりとした言葉が存在しているのだから。


「星宮真人と申します。真理音さんとお付き合いさせていただいています」


 言い切ってから頭を下げた。

 夏休みの時のように怒るのかと思った。だが、出てきた言葉は意外なものだった。


「良かった……」


「良かった?」


 顔を上げると彼は心底安心している様子だった。


「あの日、あなたといる所を見てついカッとなってしまったんです。あの子に恋人が出来るなんて思いもしませんでした。だから、つい不純な考えをしてしまい、叩いてしまいました。でも、すぐ後悔したんです。もう、いい年頃なんだから恋人がいても可笑しくないと……あなたがちゃんと真理音のことを想ってくれている方で安心しました」


 ……い、言えない。あの時はまだ付き合っていませんでしたって。もちろん、不純異性交遊はしてないけどまだ付き合ってはいなかった、なんてあんなにも信頼された笑顔を向けられると口が裂けても言えない。


「……ちゃんと大事にします。真理音の傍にいます。寂しいと思わせないようにずっと」


「あなた……いいえ、星宮さんのような方が真理音の傍にいてくれると安心します。なんだか、胸につっかえていたものが少しだけ消えたような気がします」


「それ、ほんの少しだけにしてください。ちゃんと、真理音に寄り添ってあげてください。どうなろうとめげずに」


「分かっています。だから、また来ます。真理音に避けられても会いに来ます。それまで、真理音のことをお願いします」


「安心してください、って言えるほど俺はあなたに知られていませんし自信もまだ足りないかもしれません。それでも、真理音の傍には居続けます。何があっても。だから、真理音のためにも会いに来てあげてください」


「はい」


 彼はそう約束して喫茶店を出ていった。


 お互い不器用だ。嫌いじゃないのにどう接したらいいのか分からず拗れてより状況を悪くさせる。


「……人のことを言えた口じゃないけどな」


 それでも、二人は大丈夫だろう。

 確証も保証もないがそう思えた。


 ケンカしている訳ではないが仲直りすれば真理音はどうするのだろう。実家に帰るのだろうか。帰るだろうな。家を出ている必要がなくなるのだから。


「……それは、嫌だな」


 二人には仲良くしてほしい。けども、心のどこかでそれはもっと後でもいいと思ってしまう自分がいる。


 自分の幸せを優先して、真理音の幸せを後回しに考えている。そんな自分が嫌に思えてしまった。

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