第105話 月明かりの中、ふたりの距離はゼロへ
晩ご飯までに先に温泉に入ろうということになり、出た所で待ち合わせの約束をして少しの間、離れた。
ようやく、ひとりになれたが頭の中は真理音のことでいっぱいいっぱいだった。意味のないことだろうけど、いつもより念入りに身体を洗った。
用意されていた浴衣に着替え、待ち合わせ場所に向かうと真理音はまだいなかった。壁にもたれながら待っている間も俺はずっとそわそわしっぱなしで心ここにあらずだった。
「あ、真人くん」
真理音の声が聞こえ、顔を上げると思わず彼女の姿に見惚れてしまう。着ている浴衣は俺と同じなのに真理音が着るとより一層輝いて見える。
「すいません、待たせちゃいましたか?」
僅かながらに火照った頬、少しばかり伸びた髪を綺麗に編み込み片側に垂らしながら問われる。
「だ、大丈夫……さっき、出たばっかだから」
まともに直視出来ないまま答える。
「よかったです。着つけに少し戸惑ったので真人くんを待たせてしまったかなと思いました」
くるっと一回転して、下から見上げるような姿勢の真理音。
「どうですか?」
実家に泊まりにきてもらった時、真理音はいつも自分のパジャマで寝ていて浴衣姿を拝んだことがなかった。初めて見る彼女の姿は当然、可愛くてしょうがない。
「に、似合ってる……可愛い」
「ふふ、ありがとうございます。真人くんもカッコいいです」
カッコよくもない俺はそういうことに慣れてないから胸の奥がこそばゆい。
「あ、少しじっとしててくださいね」
そう言いながら真理音は俺の浴衣を手で引っ張り、不格好になっていた部分を綺麗に正してくれた。
「はい、これで完璧です」
微笑まれ、顔が熱くなったのを感じた。
「うーん、真人くんのカッコよさが増してしまいました。誰にもちょっかい出されないように手を繋ぎましょう」
悩んだ様子を見せてから、するりと手を握られる。すべすべで柔らかく、小さくて温かい手。俺の左手はその手を掴みたいはずなのに石のように固まって動かない。
「……あの、真人くんは返してくれないんですか?」
甘えるような声で言われ、左手に動けと命令を下した。壊れかけたロボットのようにぎこちなく動かし、真理音の手を包み込む。すると、彼女はこそばゆそうに口角を上げた。
「美味しかったですね」
「だな」
温泉の後、晩ご飯を済ませて部屋に戻ってきた。可能な限り変わらずの振る舞いを心得るがどうしても不安になってしまう。ちゃんと、上手く笑えてるだろうか? 何も変なこと言っていないだろうか?
部屋の鍵を開けて、俺達は呆然と立ち尽くした。視線は互いに一点に釘付けになっていて眼球を動かせない。
部屋の真ん中に二人用の布団が敷かれていた。二人分ではない。二人で一枚、用意されている。
その布団の上に正座で向かい合う。
お互いに目が合えばすぐに逸らすのに気になってどうしても見てしまう。
「こ、これからどうする? 早いけどもう寝るか?」
明日の朝を迎えたらこの緊張も少しは和らいでいるはず。本当はゲームとかして楽しみたい。折角、ふたりきりになれたんだから良い雰囲気を作って好きだと伝えたい。でも、今伝えると下心から言ったと思われたりしないだろうか、と考えて結局、言えないまま。
琴夏とのことで散々理解したはずなのにその一歩を中々踏み出せない。
「ぶっ!?」
俯きかけていた顔に突然枕を投げつけられる。
「な、何するんだ?」
「枕投げでもしようかと思いまして」
「こういうのは大勢でやるから楽しいんであってふたりでやってもつまらんだろ」
「そう言って負けるのが怖いんですね?」
「はあ? そんなわけないだろ」
「ですが、現に真人くんは逃げています」
「俺が本気だしたら真理音が泣く羽目になるから遠慮してんだよ」
「では、本気でかかってきてください」
真理音に枕を投げつけようとして狙いを定める。顔はダメだ。頭もダメ。手足もダメ。俺は静かに枕を布団に置いた。
「遊びの分際で何言ってんだって思うけど俺には真理音を傷つけることは出来ない」
真理音の言う通り、俺は逃げてばっかだ。
そんな自分が嫌なのに結局、また偽りを言って逃げようとしてしまう。
「受け止めてください」
突然、真理音が体当たりをしてきて俺は倒されてしまった。彼女に馬乗りにされ、見下ろされる。
「いきなり、何するんだ」
「真理音ちゃんアタックです……って、そんなことはどうでもいいんです。真人くんに元気がなさそうに見えたので元気になってもらおうと思ったんです」
そう言いながら真理音の手が優しく頬に触れる。
「ふふ、熱くなりました。こっちは――」
俺の上に乗るような形で胸の辺りに耳を当てられる。
「ドクンドクン鳴ってます」
身体を起こすともう一度見下ろされる。
「元気になってくれました?」
声を出せずに頷くと満足いったのか退かれ、身体が軽くなった。
「……もう、寝ましょうか?」
「布団は真理音だけで寝てくれ……俺は床で寝るから」
電気を消しに立ち上がると腕を掴まれる。
「真人くんも一緒に布団じゃないとダメです」
「いいから。俺のことは気にしないでいい」
「気にします。まだ十月です。でも、風邪をひいてしまうかもしれません。だから、布団で寝ないといけません」
「……怖いんだよ。このままだと真理音に手を出してしまいそうで。今も触れたいってずっと思ってる」
「……私は少し期待しています。それに、今日はいつも一緒に寝ているマナトくんがいなくて寂しいです。だから、真人くんには寂しさを埋めてほしいと思います。ひとりで寝るのは寂しいです」
久しぶりに聞いた、真理音のひとりで何かをするのは寂しいという言葉。その言葉には不思議な力でもあるかのように言われると俺は真理音の寂しさを埋めないといけない気持ちになる。
電気を消してふたりで布団に潜る。
出来るだけ距離をとるために端に寄って背中を向けていると真理音が近づいてくる気配を感じた。ぴたっと背中にくっつきながら微動だにしない。
ずっと、うるさく騒いでいる心臓の音だけがはっきりと耳に聞こえる。
「……こうしていると修学旅行みたいですね。ふたりきりの」
「……目的も何もないけどな」
「何もなくなんてないですよ。私の胸の中にはずっと残り続ける素敵な時間です。真人くんと紡ぐ大切な……」
そう言うと真理音は離れた。
背中に触れていた温もりが遠退いてなんとも言えない寂しさが沸き上がる。
時計の音だけが部屋に響く。
もう、真理音は寝たのかと気になり身体を反転させる。
月明かりに照らされる中、真理音は起きていた。静かに音も立てず、じいっと俺を見つめたまま動かない。
「……寝てなかったのか?」
真理音は答えなかった。
その代わり、微笑むと静かに目を閉じた。遊園地に行った日、俺が拒んだものを望むかのように。
怖かった。好きだと伝える前にそれをしていいのか不安だった。それでも、拒めなかった。逃げたくなかった。ちゃんと、向き合いたかった。
理性だの本能だの考えず、衝動に駆られるがまま真理音に寄り添う。彼女の頬に触れると一瞬、身体を震わせたのが分かったが逃げられなかった。変わらず、目を閉じたままじっと動かず、頬だけが朱に染まっていく。
そんな真理音に顔を近づかせ、そっと唇を重ねた。柔らかくて気持ちよくて温かい。心の中にあった余計なものが全て消え、変わりに幸福で満たされていく。
きっと、こんなにも嬉しくて幸せを感じるのは相手が真理音だから。真理音だからこそこんなにも気持ちいいんだ……。
唇を離すと真理音は静かに目を開けた。
恥ずかしさからか、目をキョロキョロと動かせるがやがて俺を捉えると微笑んだ。それから、優しく俺の手を握るともう一度目を閉じた。
俺は味わったばかりの幸福を望んでもう一度真理音に顔を近づけ、彼女の唇と口付けを交わした。
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