幕間

第101話 閑話 独占したい寂しがり

「真人くん」


「……んん」


「ふふ、寝ちゃいましたか」


 お酒を飲み、子どものように泣き続けた真人はどこかスッキリとした表情で頬を底にして眠っていた。

 天井に向けられている頬に真理音は人差し指をそーっともっていき、ぷにっと感触を味わう。

 もちろん、触れたかった気持ちがないわけではないが、起こすためである。触れたい欲望だけでやったことではない。しかし、真人が起きることはなかった。


 どうしましょう……。


 困っていると店員から大丈夫かと聞かれる。それに大丈夫と答えると真人を支えながら店を出た。


 真人の体型は標準だ。太っていなければ、痩せてもいない。どこにでもいる至って普通の標準タイプ。

 だが、真理音との身長差を考慮すると支えながら家まで帰ることはやや難しい。


 仕方なくタクシーを捕まえることにし、乗り込んだ。

 マンションまでの道のりをタクシーが走る中、真理音はずっと膝に乗せた真人の頭を撫で続けた。


 今だけはずっと真人くんを独占出来ます。


 そんな、考えが頭の中を巡りながら。


 しかし、幸せな時間はそう長くは続かなかった。タクシーはすぐにマンション前に到着し、降りることになってしまった。


「着きましたよ、真人くん」


 真人の家の前で声をかける。

 だが、真人の眠りは深く起きる気配がない。


 真理音は真人から貰った大切な合鍵で扉を開けようとしてぴたっと止まった。


 今ならもっと真人くんと一緒にいられるんじゃ?


 そんな考えが頭に浮かんでしまったのだ。


 真人を家に寝かせたら、合鍵があるためそのまま帰らなければならなくなる。そうしたら、もう真人とはいられない。この可愛い真人を見ることが出来なくなってしまう。


「ま、真人くん……」


 一応、もう一度起こしてみる。

 しかし、これといった反応はない。


 真理音の全身をいけないことをこれからするのだ、という背徳感が包んだ。


「ま、真人くん……起きないとお持ち帰りしちゃいますよ?」


 反応はない。


「ほ、本当にいいんですか?」


 反応はない。


「お持ち帰りしちゃいますね」


 真理音の最後の良心が真人の首が縦に振るように動かせた。そして、真人も同意してくれたから、と自分に言い聞かせ真理音は自分の家に向かった。


 自分のベッドに真人を横にならす。

 音がない静かな部屋ですやすやと眠る真人の寝顔を見ていると真理音の中にいた悪魔が囁いた。


 今なら普段我慢して出来ないことを思う存分出来る、と。抱きしめて、顔をくっつけて、キスまで出来る、と。それをしても全て夢の中の出来事だと言い張れる、と。


 欲に忠実な悪魔とは本音を晒す自分の姿。

 どれだけ優しい心を持っていても必ずそうではない部分が人間の心にはある。真理音にもだ。


 悪魔を止めるために存在しているはずの天使の声が今の真理音には届いていない。緊張と興奮で気分が高揚していく。


 触れる。触れる。触れる。


 恐る恐る、伸ばした手で真人の頬に触れると身体に電流が走り、動けなくなった。


「わ、私はなんて変態で破廉恥なことを……真人くんは何度も何度も耐えてくれたのに私は……」


 真人の頬に触れていた手を急いで離すと自分の頬をつねりあげた。ぎゅうっと力強く自分を戒める。


「さっきの電流は神様からのお叱りだったんですね……お風呂に入って汚れを落とさないと」


 汚れきった心を洗い流すため真理音は風呂に入った。湯船に浸かってぼーっと考えていると真人の言葉が頭に浮かぶ。


 ――ずっと琴夏のことを好きなままだったんだ。


「……分かってはいました。真人くんが皐月さんのことをまだ好きだということは」


 ――それでも、あんなにもはっきりと言われてしまうと心にきてしまいます。


 真理音は湯船の水で何度も顔を洗った。誰に見られる訳でもないのに出てくる涙を隠すために。それでも、涙は止まらなかった。だから、湯船の中に潜り込んだ。


 耐えられると思ってたんですけど……辛いことは辛いですね……。


 息が続く限り、真理音は湯船に潜ったままだった。



 真人の前で泣いてしまわないように頬を二回叩いてからベッドへと向かう。真理音の気持ちも知らず、真人は気持ち良さそうに眠ったままだった。


「もう、泣いて食べてぐっすり眠るなんて子どもじゃないですか」


 真理音はベッドに腕を乗せ、それを枕代わりに頬を乗せるとじーっと真人を見つめた。


「……まだ、皐月さんのことが好きなんですか? まだ、私には言ってくれないんですか?」


 指でツンツンと頬をつつくと風呂上がりの良い香りを感じたのか真人の顔が綻ぶ。


「もう、笑ってないで答えてほしいんですよ。分かってるんですか?」


 連続でつつくと苦しんだ真人が身体を動かし向かい合う形になった。こんなにも近い距離にいるのにドキドキしているのは自分だけ。それが、真理音は悔しく思えた。


「私が真人くんと一旦をつけて別れている意味、分かってますか? 真人くんを誰にも渡さないためなんですよ。真人くんとお付き合いしたいからなんですよ。分かりました?」


 真理音は意思疎通するために自らの額を真人の頬に当てた。真人を起こさないように優しくそっと触れる。


「私は待ちますよ。でも、負けを待つつもりはないんです。あまり遅いとこれまで以上に頑張ってしまうかもしれないんですよ。覚悟、してますか?」


 そのまま、真人の額に唇を当てる。

 以前、真人がしてくれたように。


 そして、部屋の明かりを消すとベッドに潜り込み真人の隣で横になった。顔を見つめ合わせ、真人をそっと抱きしめる。愛や保護欲等ではなく、真人を誰にも渡したくないという独占欲からの行動。


「私は真人くんがだいだいだい大好きですよ」


 そう耳元で囁くと真人を胸に抱えて目を閉じた。



「ん……」


 朝、目を覚ました真理音は身体が石のように固まった。目の前に真人の顔があったのだ。思考すら止めてしまった頭を必死に働かせると色々と思い出してきた。


 わ、わ、わた、わた、私はなんてこと……途中から、意識が曖昧だったからってこんな……こんな……。


 真理音は急いで飛び退いた。

 酔った勢いで色々とやらかしてしまったせいで顔は既に真っ赤になっていた。


 私はなんて破廉恥な……真人くんは起きてませんよね!? ませんよね!?


 激しく後悔している真理音の傍で真人は眠ったままだった。一先ず、真人は何も知らないと悟り胸を撫で下ろした。


 あ、朝ご飯。朝ご飯を作らないと!


 同じ空間にいることが耐えられなくなり、真理音は逃げるようにリビングへと小走りで退散した。


 野菜を斬りながら、ベーコンを焼きながら、味噌汁を作りながら心臓を落ち着かせていると真人の声が届いた。びくっと一度跳ねた心臓を息を吐いて静かにさせると部屋に向かった。


 真人はやはり何も覚えていなかった。

 その事に笑顔の裏で心底安心していると当然のようにどうしてここにいるのかを問われた。

 ドキッとした真理音。


 よ、酔っていたとは言え……私はあんなに頑張ったのに真人くんは気持ちよく寝てて何も覚えていないなんて……なんだか、納得いきません。少し、困ってください。


 真理音は嘘をついた。この状況は真人が自分に離れてほしくないから、一緒にいてほしいと言ったのだ、と言われたい言葉を込めて嘘をついた。

 そして、思惑通りに真人はすぐに土下座して謝った。


 それが、面白くて可笑しくて真理音は心の底から笑いが込み上げてきた。不安そうにする真人に何もなかったと伝えると安心したようにほっとされ、少しだけもやっとした。


 むっ……あんなにも安心されるのは心外です。少しくらい、真人くんで楽しめば良かったです。……でも、やっぱり、真人くんは真人くんのままですね。


 すぐに自分のために土下座してくれた真人のことを真理音は改めて好きだと感じた。

 そして、強く思った。


 私はこれからも真人くんのことを独り占めしたい……誰にも渡したくありません。ずっとずっとずっと。真人くんは私だけの好きな人です。


 真理音の真人に対する気持ち――独占欲はこれまで以上に強くなった。

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