第100話 愛に溺れ、ようやく気づいた本当の気持ち
何かを刻む音。
何かを焼く音。
何かを煮込む音。
聞き慣れた音がどこからか聞こえてくる。
何かの匂いが鼻に届き目を覚ました。
えっと、あれから、どうしたんだっけ?
身体を起こし、周囲を見渡す。
そこは、俺の部屋でなく真理音の部屋だった。
何も分からないまま、どういう状況なのかを考えてみる。
「いった」
しかし、考えることを止めさせるかのように頭痛が起こった。
俺が漏らした声が聞こえたのか足音が近づいてくる。
「あ、真人くん。起きたんですね。おはようございます」
真理音だった。
ひょこっと登場した真理音はエプロンを身につけていた。
何も言えず、呆然としていると近づいてきた真理音の手が頬に触れる。
「聞こえてますか?」
「うん」
「それなら、一安心です」
いつものように優しい笑みを浮かべながら離れていく。
「……えっと、真理音。俺、全然覚えてないんだけど……あれからどうした?」
「お酒の飲みすぎなのか泣き疲れたのか真人くん寝ちゃったんです」
どうりで記憶が曖昧なはずだ。一気飲みは危ないからしちゃダメとあれだけ母さんに何度も言われてたのに。頭痛程度で済んで良かった。
「どこか痛い部分や気分が悪かったりしませんか?」
「頭がちょっと痛いだけでそれ以外はなんともない」
「では、水をお持ちしますね」
真理音が持ってきてくれた水を身体に入れると少し冷静になることが出来た。
「それで、俺はなんで真理音のベッドで寝てたんだ?」
「覚えてないんですか? 昨日、あんなにも私から離れたくない、一緒にいてくれと言ってくれたのに」
少し冷静になったばかりの頭がすぐまた冷静さを失った。
え、う、嘘だよな? 酔ってたせいで全然覚えてないけどそんなこと言ったのか? え、じゃあ、そのままの勢いで何か真理音にしてしまったんじゃ――。
「ご、ごめん!」
全身から血の気が引いて、俺はすぐに土下座した。もし、何かしでかしているのなら真理音の悪酔いよりも比じゃないくらいに俺の方が酷い。
すると、真理音はクスクスと楽しそうに笑いだした。
心配になって顔を上げる。真理音はとても素敵な笑顔を浮かべていた。
「だ、大丈夫ですよ、真人くんが心配しているようなことは何もありません。すやすや眠っていただけでしたから」
「そ、そっか……その、良かった」
何か問題が起こった、訳ではないらしい。酔った勢いで、なんて、最低だからな。本当に良かった。
「それでは、朝ご飯にしましょうか」
真理音は特に何かを言うことはなく部屋を出ていこうとした。
「……真理音はさ、俺のこと何とも思わないのか? 情けない。弱い。ヘタレ。優柔不断。バカみたいなやつだって」
「……確かに、昨日の真人くんやこれまでの真人くんといて、少し思う時はありました」
「……それなのにさ、まだ一緒にいてくれるのか?」
いつまで経っても返事をしない。あまつさえ、琴夏のことが好きなままだった。そんな俺なのに真理音はずっと傍にいてくれる。今も昨日も。
「そう思うから一緒にいないのではなく、そう思うから一緒にいたいんです。ほら、真人くんってカッコいい時とカッコ悪い時の差が激しいじゃないですか」
「俺にカッコいい時なんてない」
「ありますよ。沢山、あります。真人くんが気付いてないだけで私にはそう見えているんです」
真理音には悪いけど、今までの行動を振り返ってみてもそんなことは絶対にない。非難されることばかりだ。
「だから、弱っている時には私が傍にいてあげたいんです。それに、真人くんを一人占めしたいですから。知ってますか? 私って、結構欲張りなんですよ」
頬を赤らめながら、舌を出す真理音。
その姿を見て、心臓が大きく跳ねた。
可笑しいだろ、昨日終わったばっかでいきなりこんな……それに、真理音はいつもみたいに自分の気持ちを伝えてくれただけ。変わらない笑顔を向けてくれてるだけ。だから、熱くなるな。うるさくなるな。こんなこと、前にもあっただろ。
「それよりも、朝ご飯にしましょう。真人くんの好きなもの、用意しましたから」
まるで、この心音が真理音にまで聞こえてしまっているんじゃないかと思えるくらい胸の中が騒いでいる。
その騒ぎを聞かれたくなくて、とっさに目を逸らした。
「真人くん?」
「な、なんでもない」
「そうですか? ご飯よそうので早く来てくださいね」
「わ、分かった」
胸に手を当ててみる。ドクンドクンと脈打つ音が聞こえてくる。しかも、それは、どんどん大きくなっていく。
この感覚を俺は知っている。でも、昨日の今日でだ。節操がなさすぎる。それに、これは以前も真理音に感じたやつで違うと判断したやつだ。だから、これもきっと――。
真理音の催促する声が聞こえ、リビングに向かった。
向かい合って座り、味噌汁を口にする。
「どうですか?」
「あったかい……美味しいよ」
「良かったです。二日酔いにはお味噌汁だ、って書いてあったので作ったんですけど本当なんですね」
俺のために味噌汁を作ってくれたのだと思うとまた顔が熱くなった。真理音がご飯を作ってくれることが今はもう当たり前のことのようになってきている。もちろん、感謝の気持ちを忘れたことはない。でも、それが、当たり前なんだと思い込んで最初のような感謝はしなくなってきていた。
なのに、なんで今になってまたこんなにも嬉しくて温かくてありがたい気持ちになるんだ。可笑しい……。
「どうしました?」
「え?」
「お箸が進んでいないので不味かったですか?」
「そ、そんなことない。美味い。美味いよ。あっつ!」
焦ったせいで味噌汁が跳ねて指に落ちた。
「だ、大丈夫ですか?」
席を立って、心配しにくる真理音。
「だ、だいじょ――っ!?」
真理音は指を何も言わず口の中に入れた。
突然のことで少しだけ心臓が弱まった。
が、すぐさま再び加速して騒ぎ始める。
「な、何して――」
真理音は一旦、口から指を出すと、
「火傷対策です」
短く告げてから再び口の中へと指を入れた。
ちゅーっと吸う意味が分からないことをされ、ぞくぞくと背筋から妙なものが登ってくる。
魂が抜けたようにぼーっとしているといつの間にか指に冷たいものが当てられていた。
「はい。これで、大丈夫です」
「ちょっと、大袈裟過ぎないか?」
「そんなことないですよ。それよりも、次からは気をつけてくださいね」
真理音の笑顔を見ているとまた心臓が大きく跳ねた。さっきからうさぎみたいに跳ねすぎてもう口から飛び出してしまいそうだ。
顔も熱く、身体も熱い。真理音と一緒にいるだけで動機が激しくなって、心臓が高鳴って、緊張して、顔を見ることが難しい。
ああ、もう、誤魔化せない。この気持ちだけはどう頑張っても消せない。
俺は真理音のことが好きなんだ。
いつも、こんな俺の傍にいてくれて支えてくれる真理音のことが好きなんだ。
以前、真理音は俺に溺れていると言った。
その時はあまり意味が分からなかった。でも、今なら分かる。彼女がもたらしてくれる沢山の愛に溺れて、ようやく理解できた。
「真人くん。この後、どう過ごしましょうか。今日はお休みですし――」
真理音が何か言っているが全て耳を通り抜けていく。
ぽっかりと空いた胸の大穴が真理音で埋め尽くされていく。
無意識のまま、彼女を見つめ顔が熱い。
ここまできて、ようやく気づいた。真理音に対して抱いている好意がどういうものなのかを。
ああ、そうだ。これだけは絶対に間違いじゃない。間違えない。
恋だ。紛れもない、恋だ。
俺は彼女に恋をしているんだ。
四章完
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