第88話 噴水の前で伝説を
朝のちょっとした事件の後、宣言通り真理音は後悔しているようだった。目を合わせば赤くなった頬を手で隠しながら小走りで逃げていく。
「真理音ちゃんに何かしたの?」
「……何も」
母さんから聞かれ、一度跳ねた心臓を落ち着かせながら誤魔化した。あんなことを生みの親に馬鹿正直に話す馬鹿なんてどこにもいないだろう。……いや、真理音は言いそう。嬉しそうに一言一句報告しそうだ。
「嘘つくんじゃないわ。あんたが失礼なことしたから真理音ちゃん逃げてるんでしょ?」
「……何もしてない」
原因を作ったのは俺だとしても逃げてる理由に関しては自爆なのだから俺のせいではない。
「明日には帰るんだから真理音ちゃんとどっか出かけてきなさいよ。それで、機嫌なおしてもらいなさい」
ほんとに機嫌が悪いとかじゃないんだけどなぁ……。
「どっかってどこだよ? 何もないだろ」
「あそこがあるでしょ。ほら、さっさと声かけて出かけてきなさい」
「……分かった」
あそこ、と言われて思い当たる場所は一つだけだ。
「真理音」
「ひゃい!」
体育座りをしながら、腕の中に顔を埋めていた真理音に声をかけると分かりやすいようにびくっと反応する。その様子はちょっと面白い。
「ちょっと、出かけないか?」
「お出かけ、ですか?」
「そう。嫌ならそうやって座ってても――」
「行きます。行きます!」
少しも考えることなく即答だった。
すっかり、気分を良くして前を歩く真理音のお尻には犬の尻尾がついていて、激しく横に振っている幻が見える。
「あ、真理音ちゃん。ちょっと、いい?」
廊下を歩いていると母さんに真理音が連れていかれた。
どうしたことか、と待っていると少ししてから戻ってきた。少しばかり、ガチガチになりながら。
母さんが何をしたのか不安なまま、家を出て近くのバス停からバスに乗り込んだ。目的地まではそう遠くない。二十分ほどバスに揺られながら到着した。
「ここは、結構な都会ですね」
「まあ、都会ではないけどな。賑わってるのは賑わってるな」
「それで、何をするんですか?」
「そうだな……真理音はどうしたい? て言っても、買い物かご飯かぶらぶらと散策の三つくらいしか出来ないんだけど」
「そうですね……全部、と言うのは欲張りですか?」
「いいや。じゃ、行こう」
スマホで位置を調べながら真理音と巡る。
俺自身、そこまでここに詳しくない。一番の有名所は知ってはいるが来たことは数回程度しかなく、日々変わりゆく景色を覚えてなどいないのだ。
「ほんとに何も買わなくてよかったのか?」
少し遅めの昼食を済ませ、デザートにケーキを幸せそうに頬張る真理音にたずねる。ペロリと端についたクリームを舐めとると彼女は肯定した。
「でも、あの髪飾りも似合ってると思うんだけどなぁ……プレゼントするぞ?」
「いいですよ、私には真人くんから頂いた大切なコレがありますから」
そう言いながら、以前プレゼントした髪飾りを大切そうに触れる。
「それに、真人くんから頂くとどうしても身につけたくなってしまうので私の頭がお花畑になってしまいます」
ある意味もうお花畑、なんだけどなぁ……ピンクのお花が耐えず咲いているというかなんというか。
「そうなってしまえば真人くんに気持ちよく撫でてもらえませんし」
ほら、いきなりお花畑だ。
「……後、お返しも出来ていませんし……まだ」
「ん、なんか言ったか?」
「い、いえ!」
焦ったようにケーキを口に運ぶ姿が不思議に思えた。
「ここが一番有名のハート噴水」
「見た目は普通の噴水ですね」
真理音の言う通り、目の前の噴水には透明の管がハートの形状に備えられているだけでどこにでもあるような噴水だ。
「まあな。運が良くないと水が管を通ってハートの形にならないし」
「今日はどうなんでしょう?」
「夕方五時に一回通るか通らないか、だからな。後、五分の辛抱だ」
五分はカップラーメンを作るよりも長い。
真理音もそわそわとしていて落ち着きがない。
「あ、あの。周り、男女の組み合わせ多くないですか?」
「そう、だな」
その理由を知っていた。簡単なことだ。水が管を通り、ハートが目に見えている間、想い人に触れると結ばれる、という伝説があるのだ。
都会でもないのにこの周辺が賑わっているのは紛れもなくこの伝説のおかげだろう。
「みなさん、友達、なんですかね?」
恐らくは、友達なのだろう。結ばれてはいない。けど、お互い気にはなっているから見に来ている、といった感じだろう。
それか、俺と真理音みたいに――
「それとも、私達みたいな……ものなんですかね?」
どちらかがどちらかの想いを知ってはいるが上手く結ばれていないからこそ後押ししてほしい、という願いを抱いているのかもしれない。
「どう、なんだろうな……」
その時、周りから歓声が上がった。
同時に噴水の方を見るとハートの形をした水が宙に浮いていた。
どうやら、今日は運が良いらしい……いや、優しい行為をした真理音への神様からのご褒美なのかもしれない。
母さんから話を聞き、何度か遊びに来たこともあったがいつもこの光景を見ることは出来なかった。
想像でしかなかったものを実際に目にして思わず気分が高まる。
何も言えないまま、その光景に目を奪われていると不意に左手に温かいものが触れた。真理音の右手だった。指先を握られたまま、じっとこっちを見られる。
「えっと、どうした……?」
真理音は伝説を知らないはず。じゃあ、偶然、手を握ってきたということだろうか?
◆◆◆◆
真理音は知っていた。伝説について、真人の母親から出かける前に教えられていたのだ。
聞かされた時は思わず赤くなってしまったがいざ実際に現物を目にすると背中を押されたような気がした。
これで、私達の関係が少しでも良いものになって真人くんの記憶に皐月さんよりも私が深く刻み込まれるのなら――。
真人の手を引っ張り身体が傾くと真理音は背伸びをした。
そして、真人の頬に唇を押し当てた。
「ま、真理音!? 何して……」
唇を離し、地に足をつけると上目遣いになりながら真人を見上げる。恥ずかしい思いでどうにかなってしまいそうになるのを堪えながら口を開いた。
「お、お返しです……」
「お、お返しって……今朝のか?」
「それも、あります。ですが、この夏休み真人くんはたくさん私に良くしてくれましたから……この旅行だってそうですし。だから、そのお返しというかお礼です……」
「随分と豪華なお礼だな……」
「それくらい、感謝しているということです」
――それに、真人くんと結ばれたいですし。あまり、言うのは負担になってしまうといけないので言えませんけど。私は待っているだけで諦めた訳ではないんですよ!
「……まあ、その、ありがと」
頬を赤くし、そっぽを向きながら呟く真人を見て真理音は笑顔を浮かべた。
まだ、二人がもう一度恋人になるには時間がかかるかもしれない。だが、必ず結ばれるようになるだろう。何故ならば、この伝説は真人の両親が現在進行形で証明しているのだから。
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