第77話 寂しがりヒロインが寂しがりになった訳
「落ち着いたか?」
真理音は返事こそしなかったが、泣くことは止んでいた。変わりに鼻水をぐずぐずとすする音が聞こえる。
俺達は階段に横並びで座っていた。
真理音は片手で目についた涙を拭い、もう片手で俺の袖を弱々しく握っている。
その手から離したくない、離れたくないという強い意思が伝わってくる。
「……耳は大丈夫ですか?」
こんな時にまで他人の心配を出来る真理音のことを俺は単純に凄いと思った。もし、俺が真理音の立場なら絶対に無理だ。泣いて、どうしようもない気持ちをどうにも出来ないことを知ってまた泣いて……最後にはふて寝する。
俺と彼女には決定的な差があった。
あれだけ子どもっぽいと思っていた俺の方がよっぽどの子どもで彼女がどれだけ大人なのかを思い知らされた気がした。
「真理音の声はどれだけ聞いてても飽きないからな」
「……ふふ、なんですか、それ」
「真理音の声には癒し効果があるってこと」
「……では、少し話を聞いてくれますか?」
「ああ、どれだけだって聞くぞ」
真理音は小さな笑みを浮かべると話し始めた。
どうして、寂しがりになったのかを――。
◆◆◆◆
真理音が寂しがりになったのは母親が亡くなってからだ。
それまでの彼女は寂しがりではなかった。
むしろ、引っ込み思案な性格といじめられていたせいで他人と関わることが嫌だった。
それ故に、ひとりの方が楽で寂しいという感情すら湧かなかった。
そんな真理音が寂しいと感じるようになったのは小学四年生の時だ。大好きだった母親が亡くなり、今まで相手をしてくれていた存在が消えて巨大な虚無感に襲われた。
だが、それだけではここまでの寂しがりにはならなかった。
真理音がここまでの寂しがりになったのは父親との関係が崩れてしまったからだった。
「……お母さんが亡くなってからお父さんはまるで別人になったかのように仕事人間になってしまいました。それは、かつての優しかった面影が全てなくなったみたいに……」
優しかった父親。
母親と共に自分の相手をしてくれていた唯一無二の存在である父親。
そんな大好きだった父親が変わってしまったことが大きな原因だった。
「私はお父さんが相手をしてくれるだけで辛い状況だとしても寂しくなかったと思います。でも、お父さんは毎日夜遅くまで働いて家に帰ってこない日が段々と増えてきました。そうなるとあの広い家で私はいつもひとりぼっちになったんです」
友達が誰ひとりとしていない当時の真理音は学校でも家でもいつもひとりだった。誰とも会話をせず、ただ生きていくために必要な人としての行動を繰り返していく毎日。
「改めて、お母さんの存在の大きさに気づきました。そして、今まではお母さんがいたから寂しくなかっただけで……本当はとんでもない寂しがりだということも分かりました」
その事を知り、真理音は毎日泣いた。
母親が眠る仏壇の前で春も夏も秋も冬も泣き続けた。
だが、何も変わることはなかった。
「私、馬鹿でしたから色々なことを頑張ったらお父さんが相手をしてくれるかもと思ったんです。勉強を頑張ってテストで百点を取ったり、家事を覚えたり、お父さんのためにご飯を作ってみたり……最初は失敗だらけでしたけど、それでもお父さんに見てほしくて頑張りました。全部、無駄でしたけどね」
真理音の目から一粒の涙が流れ落ちる。
これ以上は泣きたくないです……真人くんを困らせたくありません。
真理音はグッと堪えた。
「テストで百点を取っても見てくれない、ご飯を作っても食べてくれない、話しかけても『忙しいから早く』と言われて何を言おうかと悩んでいる間に去られてしまいました」
ほんと、ダメダメな私ですね――と、真理音はぎこちない笑顔で呟く。
「ですが、そんなダメダメな私にもようやく友達が出来たんです。九々瑠ちゃんという、私を見てくれる大切な友達が」
中学に入って出来た初めての友達。
九々瑠が真理音に救われていたように、真理音も九々瑠に救われていたのだ。一緒にいるだけで幸せを覚えられたのだ。
だが――。
「学校が辛くなくなると余計に家にいることが辛くなりました。他の家からは明るく楽しい笑い声が聞こえてくるのに私はポツンとひとり……とても、寂しい毎日でした」
九々瑠のおかげでましになった学校生活。
それでも、家に帰ればひとりなのは変わらない。
真理音はどんどんどんどん寂しがりになっていった。
「そして、最後の手段として進路の話をしている時に一人暮らしをするとお父さんに言ったんです。止めてほしかった。一緒に住もうと言ってほしかった。ですが、お父さんは分かったと……ただ一言だけ言って難しいことを引き受けてくれただけでした」
その日を境にふたりの溝は深まった。
親子なのに一緒に住んでいるだけのまるで赤の他人のような関係。
そして、その関係は真理音が引っ越すまで続き今も変わっていない。
◆◆◆◆
「――と言うのが、私が寂しいと感じるようになった理由です」
何も言えなかった。
真理音にかける言葉が見つからなかった。
今まで俺はひとりが寂しいと感じることなんてないと心のどこかで真理音のことを理解出来ないでいた。それが、昨日、ようやく少しだけ分かった気がした。だから、今なら真理音のことを理解できる。
けど、これは、あまりにも重すぎる。
大切な人が亡くなって、本当に辛い時に傍にいてほしい人がいないというのは想像も出来ない。
今の俺が想像できないのだから当時の真理音にとってはもっと受け止めきれないものだろう。
「真人くんに話せてすっきりしました。ずっと、誰かに話したくても言えませんでしたから……すいません、気分が悪くなるような話をしてしまって」
それを、ずっと胸の内に秘めて誰にも言わず耐えることなんて俺に出来るだろうか。考えるまでもない。無理だ。そんなに出来た人間じゃない。
「……ごめん。何も言えなくて」
「真人くんが謝ることなんてないです。話を聞いてくれただけで嬉しいですし……これでまた、頑張れますから」
立ち上がり手を差し伸べる真理音の手を俺は掴むのに躊躇ってしまった。だが、どういう意味でかは分からず結局掴んだ。ここは、俺がそうするべきだというのに。
「頬っぺた、大丈夫か?」
赤く腫れた頬に手を伸ばすとビクッと目を閉じられる。
「ご、ごめん!」
「い、いいえ。私の方こそすいません」
俺は本当に馬鹿だ。さっきのことを思えば誰かに手を伸ばされたら怖くなるに決まってるってのに気遣えなくて。今だって真理音に無理やり笑わせて……本当に良い所がない。
「帰りましょうか」
その言葉を最後に真理音は何も言わなくなった。俺も何も言えず、押し黙った。とぼとぼと駅までの道を静かに歩き、やって来た電車に乗り込む。ドアの近くに向かい合いながら立ち、外の景色が変わることを黙って見続けた。
電車が進むに連れて、チラホラだった乗客がどんどん増え人口密度が増していく。
「ごめんな」
真理音に謝ってから、彼女の後頭部に手をやって顔を胸に埋めさせる。
つつけば壊れてしまいそうなもろい真理音を誰にも見られたくない、ただのエゴからの行動だった。
すると、真理音はまた静かに泣き始めた。
弱々しく、身体を震わせ服に涙を染み込ませてくる。
俺は真理音を隠すことに努めた。
周りからはどう思われようがどうでもよかった。
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