第76話 泣いた寂しがり
「真人くん。真人くん」
誰かに身体を揺さぶられ、目を覚ました。
なんだか、夢の中で誰かと会ってた気がする。名前も分からないけど、すごく綺麗で優しそうで……そう、今の真理音みたいに。
「おはようございます」
朝日が差し込む部屋でうっすらと笑みを浮かべる姿はさながら天使のように美しく、いつまでも見ていたいと思えた。
だが、今はそれよりも先にするべきことがある。
「……おはよう。昨日の夜はごめん。変なことして……怖かったよな?」
開口一番謝罪した。変わらずに接してくれるからこそ俺もいつもの調子でいるために。
「ど、ドキドキはしましたけど真人くんだから怖くはなかったです。それに、変なことしないために釘をさしてくれたんですよね?」
「でも、正直、ちょっと楽しんでた……真理音の反応見て……ごめん」
「わ、若気の至りということで……それに、私が色香?というやつをぷんぷん出してしまったことにも責任があると思いますし」
昨夜の真理音と今の真理音は笑えるほどに違っていた。色香という言葉が彼女の口から出てきてもただの単語の一つにしか聞こえない。きっと、昨夜の俺は知らず知らずの内に真理音の色香にやられていた。そう処理することが誰も傷つかない唯一の方法だった。
「結論は男はみんな狼、それでいいか?」
「はい。狼さんなら仕方ありません」
俺達は謎の握手を交わした。
これから先、この話題になることは二度とないだろう。お互いにそう確信しながら。
真理音の実家にはとにかく生活力というやつが見受けられない。俺が真理音と出会うまでに行っていた食事の方がまだましなんかじゃないと思えるほどにだ。
たまたま残っていたカップラーメンを拝借し食べ終えると早々に家を出ることにした。
その際、真理音は一枚の置き手紙を残していた。きっと、父親に宛てたものだろう。内容を覗き込むことはしなかった。
「お待たせしました」
玄関で待っていると戸締まりの確認を終えた真理音がやってくる。
「もう、いいのか?」
昨夜、真理音は泣いていた。しかし、それは俺が見ていた夢だったんじゃないかと間違えるほどにけろっとしている。
あれだけ泣いてたはずが、目が腫れてすらいないのはきっと知られたくないから、だよな。
わざわざ話題にすることはしない。泣いていた女の子に「泣いてたな」と言うほど腐ってはいない。
「はい。帰りましょう」
「分かった」
本当はいつまでも大好きな母親と暮らしたここにいたいはず。でも、どういう訳か真理音は一人暮らしを選んだ。あの場所で。だから、それは出来ないと自分でも分かっているのだろう。
「荷物、持つよ。お嬢様に荷物持ちはさせられないからな」
「もう、私はお嬢様じゃ――」
「いーから、甘えとけ」
半ば、強引に真理音から荷物を奪った。
俺には、このくらいのことしか出来ない。出来ないなら、出来る精一杯のことをする。真理音への恩返しも込めて。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
その時、ガチャっと鍵が開く音がした。
玄関が開き、スーツに身を包んだ一人の男性が入ってくる。
いかにも真面目そうな彼は俺達に一瞬驚いた後、その顔立ちからは信じられないほど鋭い目になり真理音を睨んだ。
そして、そのまま真理音の頬を思い切り叩いた。
「お前はいつからそんな子になったんだ!」
そう、怒鳴りながら。
「ち、違っ……」
真理音は勢いよく飛び出していった。
その一瞬の出来事に俺はただただ呆然としていて何も出来なかった。
彼――真理音のお父さんに会った時にしようとあれだけ考えていた挨拶も一瞬で抜け、今では何を言おうとしていたのかも覚えていない。
人間は基本的に馬鹿だ。
その場その時に目にしたことで感情が大きく揺れ動く。
俺もその一人に過ぎなかった。
真理音を守れなかった自分と真理音をぶった彼に対してどうしようもない怒りが沸いてくる。
一時の感情だけで動くのは後に後悔することになる。
でも、それを分かってはいても抑えれるほど俺は大人じゃなかった。
思わず掴みかかろうとして我に返った。
さっきとは比べ物にならないほど彼が酷く悲しく寂しげな表情を浮かべていた。
それは、よく真理音に似ていてそんなものを見せられたら何も出来なかった。
彼を残して俺は家を飛び出た。
真理音のことが心配だった。だが、当然のようにどこにも姿はなかった。門扉が開いたままのことからどこかに行ってしまったのだろう。
全身からサーッと血の気が引いていく。
俺はこの土地について詳しくない。真理音が行きそうな場所も分からない。もしかしたら、このまま二度と会えないんじゃ……そう思うととてつもない恐怖が襲ってくる。
右に行ったのか左に行ったのかさえ分からない。
電話をかけても出てくれない。
「どうするどうするどうする……」
焦燥感に参ってしまいそうになった時、誰かに呼ばれた。
「えっ……」
見回してみても誰もいない。
なのに、「こっちだよ」という声だけがはっきりと聞こえてくる。
俺はその声に従って走り出した。声はことあるごとに案内してくれる。曲がって、真っ直ぐ、こっちだよ……不思議にもその声は俺を真理音に会わせてくれる気がした。
どれだけ、走っただろう。全身から汗が止まらない。息が苦しくて足も疲れてきた。それでも、その声が「もう少しだよ、頑張って」と言ってくれる度に足を走らせた。
真理音に会わなきゃいけない。
真理音を見つけなきゃいけない。
真理音を抱きしめなきゃいけない。
「ここ」
そこは、昨日真理音が連れてきてくれた神社の前だった。それまで、聞こえていた謎の声が嘘のようにそこで止んだ。
「登れってことか……」
階段を前にして、誰かに背中を優しく押された。
そのまま、階段を駆け上がる。
登った先には真理音がいた。
いてくれた……良かった。
「真理音」
声をかけるとビクッとした真理音が見上げてくる。頬は赤く腫れて、目には大粒の涙。
「ま、真人くんどうして……?」
「俺にもレーダーがあるみたいだ」
笑いかけると同時に真理音が胸に飛び込んできた。
情けないことにここまでの疲れと突然のことで受け止めるだけの力が足には残ってなく尻もちをついてしまった。
その際、真理音が痛い思いをしないようにだけ気をつけた。
真理音は細くて震える腕を弱々しく背中に回し胸に顔を埋めたまま動かない。
「言っただろ……かくれんぼで負けたことがないって」
「……はい」
「だから、真理音がどこに逃げようと俺が必ず探し出すからさ……理由を聞くのはもうなしな」
「……はい」
「じゃあ、もう我慢しなくていいぞ」
すると、
「……耳が痛くなるかもしれません」
「いいよ」
「……服が汚れてしまうかも」
「もう、汗で汚れてる」
「…………」
泣くのを我慢する理由が見つからなくなったのだろう。何も言わなくなり、小さな嗚咽らしきものが聞こえてくる。そして、それは段々大きな泣き声に変わり、真理音は小さな子どものように泣き始めた。
すがりつくように背中に回された手に力が入り体重を預けられる。俺はそんな真理音を抱きしめた。友達だからとか恋人だからとかは関係なくただ俺の意思で優しく抱きしめた。真理音が寂しさを感じないように。
真理音は何年もずっと自由に泣くことを我慢していたかのように本当の彼女として泣き続けた。
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