第74話 お嬢様のような寂しがりはお嬢様ではない

「うっわ……でっか」


 真理音の家を見た時、心の底からそんな感想を抱き、気づけば口にしていた。それほどまでに真理音の家は大きい。正直、周りにある家が霞んで見えるくらいには断トツに群を抜いている。


「真理音ってお嬢様だったのか……」


「違いますよ」


「前々から思ってたけどその喋り方も丁寧だしお嬢様なんだろ?」


「違いますよ。この話し方はお嬢様だから、とかではありません。だいたい、私がお嬢様なら本物のお嬢様に失礼です」


「そんなことないと思うけどなぁ」


「い、いいですから……どうぞ」


 門扉から玄関までに道がある時点で十分お嬢様な気がするんだけど……ただの金持ち?


「本当に何も必要なかったのか? 今からでも何か買ってきたほうが」


「大丈夫です」


「でも、お父さんいるんじゃ」


「……お父さんはあまり帰ってきませんから」


 大きな家はどこにも明かりがなく、まるで誰も住んでいそうにない。


「さ、どうぞ」


 俺は寂しく思えた家に足を踏み入れた。



「すいません、こんなものしか出せなくて」


 リビングに通され、真理音が淹れてくれた麦茶を口にする。真理音はあっちへいったりこっちへいったりと忙しない。


 リビングは綺麗にされている、と言えばそうだが生活感は見受けられない。ただ、広い空間が存在している。といった感じだ。


 ……って、何を冷静にしているんだ。これから、一晩真理音と一緒なんだぞ! 一晩中朝まで真理音と一緒なんだぞ! やば、改めてそう考えると緊張してきた。


「真人くん」


 扉からひょこっと顔を出した真理音。


「は、はいっ?」


 緊張して、思わず変な声が出た。真理音にどう思われただろうか……変に思われてないといいけど。

 しかし、そんなこと気にする素振りもなく真理音は手招きする。


「真人くん、お風呂入ってください」


「えっ、や、それは、いい……」


「ダメです。真人くん、働いて汗をかいています。臭い真人くんは嫌です」


「……臭いか、俺?」


「はい、もうぷんぷんです」


 うっ、真理音からそう言われるとショックがデカイ。しかも、鼻を摘まむほど匂うらしい。


「ですので、お風呂入ってください」


「でも、着替え、ない」


 最後の抵抗として言ってみるも、


「私が用意しますので安心してください」


 無駄なだけだった。


 これは、いったいどういう状況なんだろうか。初めて連れてこられた女の子の家でお風呂に入らされる……こんなこと、普通は起こらないだろう。


「真人くん」


 扉の向こうから呼ぶ真理音。


「な、何?」


 たった一枚の薄い扉の向こうに真理音がいる。

 その事実が妙に心臓に悪い。


「着替え、置いておきますね」


「あ、ありがと」


「布団、しいておくので着替えたら二階に来てください」


「そ、それくらいは自分でやる」


「真人くんはお客様ですからおもてなしさせてください。ゆっくり浸かって身体を休めてくださいね」


 そのまま、真理音は去っていった。

 俺は宙を向いて、はぁと白い息を吐いた。

 心臓に悪すぎる……。



 ◆◆◆◆


 真理音は赤くなった頬を両手で隠しながら懐かしい階段をパタパタと駆け上がる。


 たった一枚の薄い扉の向こうに裸の真人がいるといてもたってもいられなかった。何かをして気を紛らわせていないと落ち着けなかった。


 ううっ、今日が楽しみすぎて真人くんを実家に誘えた……までは良かったですが、とことん上手くいきません。予定にないことは起こるし私の心臓はいつまでも落ち着いてくれませんし……不調です。


 でも、それは仕方のないことだった。


 真理音の脳裏に浮かぶのは真人が言った様々な言葉。

 その中でも特に嬉しかったのは。


『俺が真理音を笑顔にする』


「……もう、あれはダメですよ~えへへ。えへへへ」


 真理音は顔の筋肉全てが崩れたようにへにゃりと頬を緩ませると身体をくねくねと揺らした。


 本当は、とてもショックだった。

 今日は絶対に楽しい一日になるはずと思い込んでいたのに突如割り込んできたバイトに対して腹を立てていた。


 でも、自分を優先してほしいと言って真人に嫌われたくないと思ってしまった。勿論、真人が嫌うはずがないと信じている。だが、まだ甘えることに抵抗があった。

 だから、小さな子どものように拗ねていた。花火は来年も行われる。今年は無理でも来年がある。それなのに、今日が楽しみ過ぎて拗ねてしまった。


 結果、真人くんを困らせてしまいました。それなら、最初から私を選んでもらえばよかったものを……。


「なのに、そんな私にも真人くんは優しくて……」


 真理音が思い返すのは真人とした花火。

 見たかったものとは随分と違い、しょぼくて安っぽい花火。だが、真人が自分のために一生懸命頑張ってくれたことでそれはかけがえのないものになった。


 真人がくれた沢山の言葉と自分のためだけにしてくれた花火大会は真理音を笑顔にし、心にずっと残り続けるものになったのだ。


「真人くんはズルいです。あんなの言われると勘違いしちゃうじゃないですか……えへ、えへへ」


 真人が寝る布団の上で真人が頭を乗せる枕を胸に抱えてごろごろと何往復も転がる。


「真人くん。真人くん。真人くん」


 真人の名前を何度も呼びながら転がる様は異様な光景だ。だが、真理音は夢中になっていて気づいていない。扉が開いていること。自分がどれだけ大きな声を出しているのか。真人にその光景を見られていることにも、気づいていない。


「……あーっと、何してるんだ?」


 真人の声が聞こえ、ピタリと固まる。

 おそるおそる、顔を上げると引きつった真人がいた。


 身体から血の気が引き、背中から押されたように跳び跳ねると真人の近くにまで駆け寄る。


「ち、違いますから! 温めていただけですから!」


「う、うん? そっか?」


 まともな思考能力が残っていない真理音は真人が納得してくれたと勘違いしほっと胸を撫で下ろす。


「しっかり、休めましたか?」


「あ、あー、うん。ありがとな」


「ふふ、どういたしま……して」


 そこで、真理音はハッと気づいた。真人が風呂上がりだということを。濡れた髪のせいでいつもの何割増しにもカッコよく見えてしまうことに。


「あうっ……こ、これ」


「え、ちょっ……」


「わ、私もお風呂に入ってきます!」


 胸に抱えていた枕を真人に押しつけて真理音は逃げるように退散した。



 ◆◆◆◆


「なんだったんだ……?」


 真理音がどこにいるのか分からず探すために二階に来たら、やたらと呼ばれているから何事かと思ってゆっくり覗いてみて異様な光景に直面した。


 布団を温めてただけって言ってたけど……正直、季節を考えてほしい。夏の終わりだとしてもまだまだ暑い。どっちかと言うと冷やしてほしいくらいだ。まあ、冷房のおかげで暑くはないけど。



「……あの、真人くん」


 一応、真理音が出てくるまで起きていようとスマホを弄っていると扉から顔だけを覗かせて呼ばれた。


「どうした?」


「ちょっと、こっちに来てもらってもいいですか?」


 扉を全開にして姿を現す。思わずドキッとした。今までに見たことがない真理音のパジャマ姿。可愛らしい女の子っぽい服に身を包み、生足は露出が大きく大胆に出ている。


 もじもじとしている真理音にどぎまぎしながら近づき、ある部屋に連れていかれる。

 そこには、仏壇が置かれていた。

 きっと、真理音のお母さんのものだろう。


「私のお母さんを紹介しようかと思いまして」


 見せられた遺影。真理音とよく似ていて美しい雰囲気。元気だと周りに知らしめるように満面の笑みで笑っている。病気があったとは到底思えない。


「元気そうな人だな」


「……実際とても元気でした」


「そっか……手を合わせていいか?」


「もちろんです。お母さんも喜びます」


 正座して、真理音のお母さんに向かって手を合わせる。

 俺はあなたのことを何も知りません。

 でも、これだけは言わせてください。


 真理音と出会わせてくれてありがとうございます。


「真人くんは何を言っていたんですか?」


「ん、真理音に出会わせくれてありがとうって感謝してた。って、なんかこれはくすぐったいな」


「ふふ、そうですね。私もお母さんに感謝しないとです」


 一生懸命手を合わせ、目を閉じる真理音のことを黙って見ていた。


「真人くんはもう眠たいですか? 大丈夫でしたら私の部屋でお話ししたいです」


 廊下にて、真理音からのお誘い。


「ちょ、ちょっとだけなら」


 真理音は何も考えていないんだろうけど、今の格好のままで一緒にいるのは危険だ。風呂上がりだからなのか頬は火照ってるし、一緒のシャンプーを使ったから香りは当然同じだし……この前みたいになれば正直耐えるのに神経をすり減らさないといけない。


 余裕ぶってたけど全然余裕なんてない。


「どうぞ」


「し、失礼します」


 一線を越えないように……不安なまま真理音の部屋に足を踏み入れた。

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