第73話 一年越しの約束に指切りを添えて

 駅でうるさくしていると駅員に注意されるかもしれないと駅を出た。そして、そのすぐ近くにあったお店で必要なものを購入した。


 それから、真理音に連れられて田舎道らしき所を歩く。

 車が一切通らない、静かな道。

 時折、聞こえてくる虫の音。

 光が少なく、ちゃんと手を繋いでいないと迷子になるかもしれない。特に俺はこの辺りについての知識が全くない。繋ぐ手を強め、しっかりと離さないようにした。


 真理音は連れてってくれと頼んだ時、首を横に振った。そこを、なんとか頼んでようやく了承してくれた。


 だからこそ、ちゃんと真理音を楽しませないと。

 身体に力が入る。


 どれくらい歩いただろうか。

 人の気配が全くない暗い神社にたどり着いた。一人でいれば、確実にびびって逃げ出してしまいそうだ。


 階段を登り、境内に着くと真理音は手を離した。


「ここです」


「ここか。ちょっと、怖いな」


「ふふ。幽霊は出ませんよ?」


 少しだけ元気を出したように見えるもそんなことはない。やっぱり、どこか落ち込んでいる。


「ここで、花火大会やってたようには思えないんだけど」


「はい、ここでは花火大会はやっていません。開催されているのはこの近くの大きな公園です。ですが、ここは花火を見るのに最適なんです」


 真理音は周囲を見渡して、どこか懐かしむ様子をみせると口を開いた。


「昔はよくここでお母さんとお父さんと花火を見ていました。ですが、お母さんが亡くなりそれからは見に来れなくなりました」


 花火ってひとりで見ても寂しいだけじゃないですか、と弱々しく笑う。


「ですが、今年は真人くんが一緒だから久しぶりにここで見たいな……と思ったんです」


「そっか……」


 俺は真理音ほど花火を見れなかったことを残念には思っていない。でも、真理音はそうじゃない。花火を楽しみしていて……特に、この大切な場所での花火を数年ぶりに見れるんだと期待していた。真理音にとって、花火とは大好きなお母さんとの大切な思い出で特別なんだ。


「真理音。花火大会はもう終わった……だから、今からふたりだけの花火大会を開催したいと思うんだけど付き合ってくれるか?」


「どういう……」


 カバンからあるものを取り出すと真理音は目を丸くした。


「こ、これ……どうしたんですか?」


「なんか、店長から今日のお詫びってことで貰ったんだ」


 店長がくれたのはスーパーで売ってるような安っぽい花火が沢山入った詰め合わせだった。

 正直、今日に限っては絶対に必要のないものだと思った。でも、それは、違った。今日にこそ、絶対に必要なものだった。


「残しててもあれだし、良かったら一緒に減らしてくれると助かるんだけど……手伝ってくれるか?」


 打ち上げ花火なんかに比べたらショボいし感動もこれっぽっちもしない安物だ。でも、こんなものでも真理音を喜ばせてあげれるなら俺は――。


「……真人くんにお願いされると手伝うしかありませんね」


 ただし、ここではダメですので移動しましょう、と真理音に言われ、花火大会が行われていたであろう公園のその横にある小さな水道しかない公園にまで連れていかれた。

 そこで、途中で買った一式を取り出す。

 水、バケツ、ろうそく、マッチ。そして、店長から貰った花火。


「駅の近くに店があって助かったよ」


「ここは、格差が激しいですからね」


「確かにな」


 一歩、道を横にするだけで一気に何もなくなる。

 俺達が住んでいる場所とは大違いだ。


 バケツに水をためる。

 ろうそくに火を灯し、花火を近づける。

 真理音が手にしている花火がばちばちと音を立て輝き始めた。


 俺も一本花火を手にして真理音の隣に立って火花を散らした。


 何も話さず、ただ消えていく光を眺める。

 すると、すぐ近くから、子どもの泣き声や楽しそうに笑う様々な人の声が聞こえてくる。きっと、彼等は大きな花火を満足いくように見たのだろう。夏の終わりの思い出に。


 そんな、彼等からしたら俺達は惨めかもしれない。安っぽい花火を人気のない公園で静かに輝かす。光が消えるとまた輝かす。それを、繰り返すだけ。これが、夏の終わりの思い出だとしたら寂しいものだ。記憶の一ページに残ってもきっとすぐに忘れてしまうようなもの。


 虚しさと静けさだけが続く中、花火だけが減っていく。

 やがて、線香花火だけが残った。


「……線香花火が最後、という風習はあまり好きではありません」


 真理音がポツリと呟いた。


「花火は終わった後、寂しい気持ちになります。あれだけ、騒がしかったはずが一瞬で静かになって……まるで、世界にひとりだけしか存在しないような感覚になります」


 なんだか、分かるような気がした。

 母さんと愛奈が帰る時、俺はそんな気分になる。騒がしい世界からみんな消えて静かな世界に自分だけが取り残される。誰も相手をしてくれることはない。たった、ひとり。自分だけの世界。


 それは、きっと自由で楽しいだろう。自分のしたいことを好きなようにして生きる。夢のような生活。

 でも、それは、寂しさから逃げるために強がっているだけの虚しいこと。本当は誰かに相手をしてもらいたい。自分の存在を認識してほしい。


 ……ああ、俺もそうなのかもしれない。いや、俺だけじゃない。世界中の誰しもがそうなんだ。真理音ほどじゃなくても、きっと俺も寂しがりなんだ。


 真理音はしゃがんで線香花火が小さく一生懸命燃える姿を見つめていた。


「この輝きが終わると楽しかったことも全て終わるような気がします……だから、線香花火は最後、という風習が嫌いです」


「……真理音の気持ち、分かるよ。線香花火は特に静かだから終わると楽しかったことも全て終わるって……たぶん、誰もが思ってるんじゃないかな」


「では、どうしてそうなったのでしょう?」


「それは、きっと次の楽しさを始めるためだと俺は思う。いつまでも、楽しいままでいられたら幸せだ。でも、いつまでも続くなんてことない。必ず、終わるからそれが楽しいと感じられるんだと思う」


「……真人くんは今も楽しいと思ってるんですか?」


「思ってるよ。真理音が一緒だと、何をしててもそう思える。真理音は今、楽しいか?」


「……どうなんでしょう。真人くんといられる嬉しさはあります。でも、楽しいと思ってるんでしょうか?」


 真理音の線香花火の輝きが消え、辺りはまた暗闇に包まれる。


「真理音がどう思ってるかは俺には分からない。それは、真理音が決めることだと思うから」


「……そう、ですよね。すいません、可笑しなことを聞いて困らせてしまいました」


 真理音の声がこの闇と溶け合って、彼女まで消えてしまいそうな気がした。そんな、真理音を消さないために俺は彼女の傍にしゃがんだ。


「真理音がどう思ってるのかは分からないけどさ……俺は真理音が楽しいって思うまで付き合う……ううん、違うな。俺が真理音を笑顔にする」


「真人、くん……?」


「真理音、荷物を持って離れてくれ」


 真理音が離れていった音を聞いて、俺も同じ場所にまで移動した。


「真人くん、どうし――」


 その時、銃声のような音が鳴り響き一発の光の弾が放たれ宙で色鮮やかに爆発した。それに驚いた真理音は呆然とした様子で宙を見上げる。

 それは、さらに九発続いた。


「ま、真人くん、これ……」


「さっき店で買っといたんだ。これなら、真理音も少しは満足してくれるかと思って」


 宙で輝く光に照らされて真理音が驚いていることが分かる。

 俺に出来るのはこれくらいだ。

 もう一度、花火を打ち上げてくれとは頼めない。なら、自分で上げればいい。迫力はなくても誰にも気づかれなくても真理音の目にさえ映ればいい。


「真理音。線香花火が最後だとしても楽しいことは終わらないんだ。楽しいは幾らでも作れるしそこら中に転がってるからな」


「……ふふ、私は真人くんといられるだけで楽しいですよ。でも、そうですよね。今日が全てじゃないですよね。楽しいは幾らでも」


 真理音は最後の一発が輝くのを見届けるとこっちを向いた。真っ直ぐに俺の目を捉え、逃がさないように見つめてくる。


「あの、真人くん。来年、花火を見に行く約束をしてくれませんか?」


「もちろん。俺の方こそ頼む。真理音が絶賛する景色を見たいからな」


「ふふ、度肝を抜かれると思いますよ」


「それは、楽しみだな。じゃあ、ん」


「なんですか?」


 差し出した小指を見て、可愛らしく首を傾げる。どうして察してくれないのだろう。


「指切りだよ。今度こそ、約束を守るための一年越しの指切りをしとこう。その方が楽しみが何倍も膨れるんだろ?」


 すると、どの花火よりも輝かしい笑顔を浮かべた真理音。そのまま、細くて白い小指を絡ませてくる。


 音程が外れた歌が終わり指を離した。


「元気出たか?」


「はい。真人くんのおかげです」


「じゃあ、その元気をもうちょい出してくれ」


「どうしたんですか?」


「とっとと片づけてここから去ろう。警察でも来たら怖いからな」


「そ、そうですね」


 俺達は急いで片付け公園をあとにした。


「では、このまま私の家に案内します」


 そのまま俺は真理音の家に案内されることになった。

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