第72話 無駄になったとしても無駄にしたくない

「真人くん、今日の花火ですけどお泊まりですから」


「……は?」


 さらりと言う真理音のせいで反応が鈍くなったが間抜けた声だけはなんとか出せた。

 え、今なんて? お泊まり? 真理音と?


「ちょ、ちょちょちょっと待ってくれ……耳が可笑しくなったらしい」


「何か、幻聴でも聞こえたんですか?」


「そうらしい。どこかから、お泊まりとか聞こえた」


「もう、私の声は幻聴なんかじゃないですよ。耳、失礼します」


 真理音は不意に近づき、耳元で小声ながらもしっかりと聞き取れるようにはっきりと言った。お泊まりしましょう、と。


 ぞわわわっと背筋から凍っていくような悪寒が走り驚いて距離をとるとクスクス笑われる。


「お、お泊まりとか……ダメだろ」


「どうしてですか? 九々瑠ちゃんとはよくしますよ?」


「それはよくても俺とはアウトだろ……だいたい、ホテルの予約だって」


「あの、真人くん。お泊まりと言っても私の実家にですよ?」


「……は?」


 またまた、すっとんきょうな声が出た。


「結構、遠出になりますし電車も遅い時間になると出ていないんです。ですので、私の実家に泊まっていってもらおうかと思いまして」


 一息つくと真理音はたまに見せる悲しそうな表情になった。


「それに、久し振りに実家に寄りたくて……ダメですか?」


 俺は自分を殴りたくなった。お泊まりという単語を聞いただけで邪な考えをして、それを否定しようとした。真理音はそんなつもりじゃなく、実家に寄りたいだけなのだ。時間が遅くなって危ないから心配して言ってくれただけなのだ。

 なのに、俺ときたら……情けない。


「えっと、一応聞くけど泊まっても大丈夫なのか?」


「はい、うぇるかむです。むしろ、私をひとりにしないためにも泊まってくれるとありがたいです」


「……なら、お邪魔しようかな」


「是非、そうしてくれると嬉しいです」


 この前、欲望に負けないと決意したばかり。俺の決意がどれだけのものかを証明するいい機会じゃないか。今日を乗り越えたら俺は色々な意味で確実に成長出来るだろう。


 その時、スマホが震動した。

 確認すると店長からの電話だった。


「はい」


「あ、もしもし星宮くん!?」


 向こうから届く声が焦っていた時点で何を言われるか分かった。こういう場合はいつも急にシフトに入ってと言われるのだ。

 だが、今日は真理音との約束がある。

 いつもなら、二つ返事で了承するが断ろう。


「今日ってこれからシフトに入れるかな?」


「今日は無理です。悪いですけど他を――」


「星宮くんしかいないんだよー。夕方まででいいから。お願い!」


 泣きつかれ、とりあえず詳しく聞くことにした。

 店長が言うには今日バイトに入っていた内の一人が急に事故って腕を骨折したらしい。それで、代わりに誰かを探した所、皆休暇を貰っていて無理だというそうだ。


「給料も上げるし十九時まででいいから!」


「……一度、考えます」


「ありがとう。もし、大丈夫ならすぐに来てね!」


 電話を切ると真理音が不安そうにしながら待っていた。そんな、真理音になんて言えばいいのだろう。


「どうしたんですか?」


「……実は」


 ここで、嘘をペラペラと並べても意味がない。それなら、正直に話して真理音に判断してもらった方がいい。真理音が嫌なら断る。

 しかし、話し終わると同時に真理音はバイトの方を優先してください、と言った。


「いいのか? 真理音が嫌なら断るぞ」


「はい、私は大丈夫です。それに、真人くんがしてくれたように困っている人には手を差し伸ばすべきですから」


 なんてことのないように振る舞ってはいるが内心は残念だと思っているに違いない。俺にだって、真理音の笑い方の違いくらいもう分かるようになってる。

 でも、だからってここまで言ってもらってやっぱり断ると言った方が真理音は遠慮することになるだろう。


「本当に悪い。花火までには間に合うようにするから真理音は先に行って待っててくれ」


「では、後で場所と時間。それと、乗る電車の詳細を送っておきますね」


「ああ。急速で向かう」


「あの、無茶だけはしないでくださいね。事故に遭われたりする方が悲しいですから」


「気をつける」


 俺達はそのまま一旦、別行動へと移った。俺はすぐにバイト先に向かい、真理音は家に戻った。


 バイト先に着くと店長からものすごい感謝されたが正直どうでもいい。俺がやるべきことはただ一つ。少しでも業務を速く終わらせて真理音の元へと向かうこと。それだけだ。


 これまでにこんなにも真剣に働いたことがあるだろうかと思えるくらいてきぱきと動いた。途中、店長からどうしたのかと聞かれたが花火の約束がある、とだけ答えた。誰とかは言わない。言えば店長はきっと気を遣う。

 そういうことはお金を貰っている身としては遠慮しておきたい。


 結局、バイトは言われた時間通りには終わらなかった。今日に限って客が多く、三十分も延長してしまった。


 店長から泣きながら感謝されるのを聞き流し急いで駅に向かう。駅で真理音から送られてきていた情報を確認し乗る電車に飛び乗った。


 電車に乗りさえすればどうにかなる。息を整えて、他の情報も確認する。確かに、降りるべき駅は普段降りることのない駅でよく分からなかった。花火の開始時刻は二十時らしい。それから一時間、打ち上がり続けるとのことだ。


 これなら、なんとか間に合うな。乗車時間は三十分らしいし花火丁度には間に合わなくても見ることが出来る。そうだ。今の内に真理音に連絡を入れておこう。


【今、向かってる】


 すると、すぐに既読の文字がつき、返事が送られてきた。


【駅で待ってますね】


 きっと、スマホを持ちながらじっと構えていたのだろう。そんな姿が目に浮かび口角が上がる。


 真理音との花火か……屋台で買ったものでも分け合いながら「綺麗ですね……」と呟く姿を見てドキッとさせられたりするんだろうな。


 そんな光景が頭の中ではっきりと上映され、自然と身体の疲れも消えていく気がした。


 そうだ。店長から何を貰ったんだろう。帰る前に「ごめんね、これお詫びに」って言われたけど、見ないままカバンの中に詰めたから……って、これは。


「……今日一番いらないやつですよ」


 そのまま、カバンの奥へと詰め込み俺は指定駅に着くのを今か今かと待ち続けた。


 だが、その指定駅に着くのは随分と遅く三十分をとうに過ぎても一向にたどり着く気配がなかった。


 どういうことだ? もしかして、乗る電車を間違えたんじゃ……いや、電車はあってる。このまま乗ってたら指定されてる駅には着く。じゃあ、真理音が間違えた?


 疑問が残る中、結局駅に着いたのはさらに三十分が経過してからだった。


 電車を降りる人は俺しかいなく、また駅にも人はいなかった。だから、椅子に座って俯いている真理音のことをすぐに見つけることが出来た。


 足音で誰かが来たと感じとり顔を上げたのだろう。


「真人くん……」


 いつもは、嬉しそうに駆け寄ってきてくれる真理音が悲しそうにしたままその場を動かない。


 近くまで行くと少し申し訳なさそうにしたまま「お疲れ様です」と口にされる。


「花火は?」


「すいません……とっくに、終わってしまいました」


「え、終わった? 時間はまだ」


 三十分は残っているはず。間に合うためなら真理音を背負ってでも走るつもりだ。


「すいません……嘘をつきました。本当は花火は十九時から一時間なんです」


「それって……」


「……はい」


 十九時から一時間。つまり、バイトに行った時点でどう頑張っても花火は間に合わなかったということだ。


「ごめん! あれだけ楽しみにさせて……指切りまでしたのに約束守れなかった」


「ま、真人くんが謝ることじゃないですから頭を上げてください。私が優先してと言いましたし」


 改めて、真理音がどういう女の子なのかを分からされた気がする。真理音は優しい。そんな彼女が他の誰かが自分のせいで迷惑になると考えたら自分のことを諦めて他人を優先することくらい分かってたはず。


 俺が申し訳ないと感じないようにその場では全然そんな素振りも見せないで我慢して。


 なのに、俺は真理音がどうしたいかとか真理音に任せて……終わる時間を聞いた時の気持ちを考えたら顔を見れない。


「ううん、違う。俺が店長に無理だって言えばよかったんだ。なのに、真理音に……」


「もう、いいですよ。花火は残念でしたけど……真人くんがここまで来てくれたことが嬉しいですから」


 顔を上げれば優しく微笑んでいる真理音。

 その瞳は笑えていない。今なら分かる気がする。どうして、一分一秒を無駄にしないために急いでいるのかが。


 きっと、こうやって後悔しないためだ。


「それより、私の方こそすいません。無駄になると分かっていてわざとこんな遠い所まで来てもらいました。今からならまだ電車の時間もありますし帰りましょう」


 もう、花火は見れない。ここまで来たのも約束も楽しみにしていたのも全部無駄。

 例え、そうだとしても無駄にしたくない。

 何かないか。何か何か……そうだ!


「真理音。俺を連れていこうとしてくれた場所に案内してくれ」


 今日はまだ終わってない。

 あの時の真理音の笑顔を消したりしない。

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