4章

第69話 好き禁止条約開始直後に破る寂しがり

 早いもので夏休みに入ってもう半分が経とうとしている。大学生以外の学生は残った青春を宿題に費やしたりいているのだろう。中には、遊び呆けて焦って前日の夜に終わらせるタイプもいるだろうがあれは無謀だ。止めた方がいい。疲れるだけだ。宿題はコツコツ毎日進めるか、前半で片づけることが一番である。


 愛奈はちゃんと宿題を終わらせただろうか。

 俺が先生なら終わっていなくてもその可愛さに免じて許してあげるがそうもいかないだろう。最悪、廊下に立たされるパターンもある。

 ま、でも、あの母さんがガミガミ言ってると思うから大丈夫だよな。俺にだって何度も雷を落としたんだ。愛奈にも同じようにしていることだろう。


 愛奈の心配よりも今は目の前のことの方が重要だ。


 俺は机の上に置かれた一枚の紙に目を移す。

 そこには、でかでかとこう書かれていた。

『好き禁止』、と。


「これは、なんでございましょう?」


 また真理音が何かに目覚めたのかと思いながら訪ねると向かいに座る彼女はふふんと鼻をならすかのように得意気な顔になった。


「好き禁止条約を結びましょう」


「好き禁止条約?」


「はい」


 また、変なのが始まった。昨日、あれだけ俺に好きだと言ってきたくせに今日は好き禁止条約とかいう意味の分からないことを提案してくる。

 俺はまだまだ真理音のことを理解できそうにない。


「んで、その好き禁止条約ってのは?」


「はい。昨日、家に帰って改めて考えたんです。好きって言うと真人くんを催促するんじゃないかなと」


「まあ、確かに……それは、一理あるかも」


 人は誰かに早く早くと急かされると焦ってしまうものである。いい例えが食事だろう。寝坊して、親から早く食べなさいと急かされ焦って喉に詰まらせる。これだ。

 特に現代人はバカみたいに時間にうるさい。もっと、ゆっくり生きればいいものの、一分一秒を無駄にしたくないみたいに忙しなく生きている。

 そんな状態で急かしてもかえってミスを起こし余計に時間がかかるというのにだ。


 と、まあ、長々とどこの誰だよと自分に問いながら語ったが真理音の言う通りだ。あまりにも好きだと言われたら、また待たせるのが悪いと感じて前回みたくなってしまうかもしれない。

 だから、好きという言葉を禁止してくれるのは何か感じるものもあるが正直に言うとありがたいことである。

 ただ。


「真理音は守れそうか?」


 俺は大丈夫だろう。真理音に好きだと言ったことなんてこれまでにほんの数回しかない。しかも、友達として、だ。

 だが、真理音はどうだろうか?

 昨日のことを思い返す限り、真理音は堪らなく俺のことが好きらしい。……って、自分で言っててこれは恥ずかしいな。と、とにかくそんな真理音が言わないと本当に言い切れるだろうか。


 猫を見た時、顔はブサイクでも口が勝手に可愛いと言ってしまうようにすぐに破ってぽろりと言ってしまうんじゃなかろうか。


「もちろんです。発案者は私ですよ?」


 まるで、そんなの当然ですと言わんばかりの口ぶりに少し試してみたいことが出来た。


「じゃあ、そういうことにして。一つ、質問してもいいか?」


「どうぞ」


「真理音の好きなもの、教えてくれ」


「真人くんです」


 即答だった。有無も言わせないくらい即答だった。


「……あ」


 真理音の身体がぴたりと固まった。きっと、マンガだったら今は汗がダラダラ流れるシーンだろう。


「ち、違いますよ? 今のはその、なんと言うか――」


 あわあわと手を動かし、必死に言い訳を考えている真理音。まるで、ここまでが一つの筋書きなんじゃないかと思えるほど予想通りの行動で笑うのを我慢するのに精一杯だ。


「クイズ番組だったら頭の上にタライが落ちてたぞ」


「ううっ。で、ですが、今のは真人くんも酷いと思います。好きな、なんて言われたら答えてしまいますよ」


「いや、その場合は好きなって言うだろ、普通」


 まあ、真理音を試すためにあえて微妙なニュアンスにしたことは黙っていよう。


「こういう場合、好きな食べ物とか好きなこととか答えると思うわけなんだが……そこんとこ、どう思う?」


「い、意地悪です。意地悪する真人くんは嫌いです!」


 ふむ、好きの次は真逆の嫌いときたか。でも、どう見ても嫌いなんて思われてないんだよなぁ。すっごい苦しそうな顔してるし……よし、もう一回。


「でも、本当は?」


「好きです。嫌いなはずありません……あ」


 またの即答。数分前に見せられたどや顔はいったい何だったのか。まあ、もうこれ以上は可哀想だし真理音で遊ぶのは止めよう。真っ赤になりながら泣きそうになってるし。


「あー、真理音が難しいなら無理する必要ないんだぞ。その、好きって言われると嬉しいからさ」


「……ですが、あんまり沢山言うと重たくないですか?」


「俺にはそのくらいの方がいいかもしんないけどな。安心するし」


 真理音はむむむと口にしながら顎に手を当てて悩む素振りをみせる。今、頭の中ではすぐに破ってしまった自分と重たくてもいいと言われ破ってしまうならいっそ……と葛藤していることだろう。


「で、ですが、一度決めたことですし……頑張ります!」


「そっか。じゃあ、改めて真理音が好きな食べ物とか教えてくれ」


「食べ物……果物もありですか?」


「うん。なんでもありだ」


「でしたら、ミカンですかね。果物は全般的に好きですけどミカンは特に好きです」


「ミカンか。美味いよな」


「はい。いつか、コタツで丸まりながらミカンを食べるのが一つの夢です」


「そっか」


「あの、急にどうしたんですか?」


「真理音のこと知っていきたいと思ってさ」


「で、でしたら、真人くんの好きな食べ物も教えてください」


「真理音の作ってくれるやつはなんでも好きだぞ?」


「そ、そういうのは嬉しいですけどありきたりで面白くありません。どれが、とか教えてください」


 どれが、か。真理音が作ってくれるやつは基本的に美味いから好きだ。それでも、魚料理とかピーマンとかはどうしても苦手。だとしたら。


「強いて言えばハンバーグ、かな。真理音が作ってくれるのもどこかの店も含めて」


「では、今日の晩ご飯はハンバーグにしましょうか」


「作ってくれるのか?」


「はい。ただ、材料がないので買い物に行かないとですけど」


「それなら、任せてくれ。すぐに買ってくる」


「一緒に行きましょうよ。真人くんのことですからどれを買えばいいのか分かってなさそうですし」


 さっきの仕返しか、と思うように馬鹿にされたが実際問題そうだ。恥ずかしい話、大まかな材料しか分からない。真理音がどうやって作っているのかは知らないんだ。


「それに、一緒に買い物に行く方が楽しいですよ。寂しくないですし」


「ま、そうかもな」


「遂に、真人くんもひとりで買い物が寂しいと……?」


「違う違う。待ってる真理音が寂しがるってことだ。俺はひとり買い物を寂しいと思わない」


「ぶー、中々素直になってくれません」


「素直な気持ちなんだけどな」


 ぶーぶー不満を口にするって小学生までだと思うんだけど、どうしてか真理音には似合うんだよな。可愛い拗ねかたというかなんていうか。笑えるほどに可笑しいんだ。

 俺が笑うと真理音も恥ずかしそうにクスリと笑った。

 それから、俺達は食材を買いに家を出た。

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