第63話 強がりと寂しがりは恋人になった

 ……ちょっと、待て。

 冷静になって、自分の言ったことを頭の中で整理した。

 付き合おうかと言った……よな? てか、付き合おうかってなんだよ。付き合ってください、だろ。しかも、こんな誰が聞いてるかも分からない場所で……俺は本当に馬鹿か。


「ま、真理音っ!」


 すると、糸が切れたように真理音は足に力が入らなくなったのかぶくぶくと沈んでいってしまった。

 溺れたら危ないと咄嗟に繋いでいた手に力を込めて引っ張りあげる。上がってきた真理音はげほげほと咳き込むと俺から離れた。


 真っ赤になりながら、背を向けている姿は本当に可愛く思えた。そんな真理音にゆっくりと近づくと危険を察知したかのように水をかけられる。


「こ、来ないでください」


「なんでだよ」


「い、今、来られると……来られると困るんです――!」


 そう言い残して真理音は泳いでいってしまった。俺が追いつけない速度で距離が出来てしまう。

 このままじゃ、さっきのことがうやむやに終わってしまうんじゃないかと思えた。


 真理音が逃げたのは俺が予告もなしで言ってしまったからだ。楽しい空気を壊してしまったからだ。それは、分かってる。でも、ちゃんと伝えたい。


 真理音とどうなりたいのかが詳しく明確に分かっている訳じゃない。そんなんで真っ直ぐ気持ちを伝えてくれた真理音と付き合うのはいけないのかもしれない。それでも、俺は思う。付き合うことでどういう気持ちを抱いているのかを知っていくこともあるんじゃないかって。


 だから、真理音を追おう。


 身体を動かそうとした瞬間、足を滑らせてしまい水の中に沈んだ。冷静を失うとこのまま溺れてしまう。慎重に腕を伸ばして水面に浮かび上がろうとしたところで誰かに身体を引っ張りあげられた。


「ま、真人くん!」


 真っ青になった真理音だった。


「だ、大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫だ。ちょっと、滑っただけだから」


「よ、よかった……てっきり、九々瑠ちゃんみたいに足がつって溺れたのかと」


「心配かけて悪かった」


「本当によかったです。……で、では、私はこれで」


 逃げることを思い出したかのように離れていこうとした真理音の腕を咄嗟に掴んだ。


「捕まえた」


「は、離してください」


「嫌だよ。折角、真理音を誘き寄せるために腕を伸ばしたんだから」


 足が滑ったのは偶然だが、その後のことは全て作戦だ。真理音を追いかけるより、誘き寄せる方がよっぽど簡単なんじゃないかと考えたのだ。そして、まんまと成功した。自分でも思ってた以上にすんなりといった。


「ま、真人くんの馬鹿!」


 すると、今までに聞いたことのないような声で怒られた。

 身体を震わせながら、睨んでくる。

 その姿から本気で怒っていることが分かった。でも、その理由がどうしてなのか分からず焦るしかなかった。


「ど、どうしたんだ?」


「真人くんが馬鹿なことしたからです。私は本気で心配したんです。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」


 背中を叩きながら連続で馬鹿だと言ってくる。

 確かに、俺の行動が悪かったのかもしれない。でも、それは真理音のせいでもある。


「だって、真理音が逃げるからだろ」


「そ、それは、真人くんが突然冗談言うからで……」


「冗談なんかじゃねーよ……その、さらっと言ったけど。それに、突然ってことに関しては真理音だってそうだし……」


「そ、そうですけど……」


 俺だって真理音に告白された時は逃げ出したい気持ちだった。でも、逃げなかった。あの時の真理音からは絶対に逃げられない気持ちの方が強かった。


「で、ど、どうする?」


「どうするとは……?」


「分かるだろ。付き合うか付き合わないか、だよ……」


「真人くんはお辛くないですか? その、私とそういう関係になっても」


「真理音となら辛くないな」


 少なからず、何かしらの好意を抱いていることは確かだ。それに、いつまでも返事を待たせるのも悪い。返事をする方も待つ方も時間が経てば経つほど、怖くなってしまうのだ。


「で、では、真人くんさえ良ければ私は真人くんとお付き合いしたいです」


「俺さえって言うか真理音の方こそ……こんな俺でいいなら付き合ってくれると嬉しい」


「で、では、たった今から私と真人くんはそういう関係ということで……」


「あ、ああ……その、よろしく」


「は、はい……」


 俺達は何をしていいのか分からず、プールから出た。

 その後のことはあまり覚えていない。

 斑目の所に戻り、そろそろいい時間だからと帰ることになった。その際、俺と真理音の様子を見て斑目は察したかもしれない。


 マンションに帰ってきてからもいつも通りの生活だったがやはりどこか緊張していてぎこちない俺達だった。


 真理音が作ってくれた晩ご飯を一緒に食べて適当に話した。ただ、何を食べたかも何を話していたかも覚えていない。


「あの、真人くん。今日はありがとうございました。プール、楽しかったです」


 真理音が家の前でペコリと頭を下げる。


「俺も楽しかったよ。誘ってくれてありがとな」


「その、気分転換になりましたか?」


「十分な程に」


「あと、その、えっと、えっと……ああ言ってくれて嬉しかったです。多分、暫くの間はこんな感じになると思いますけど……嫌いにならないでくれるとありがたいです」


「だ、大丈夫だ。真理音のペースでいいし、その……俺だってぎこちないと思うから」


「そ、そうですね……私達のペースで」


 そう言うと頬を赤らめながら儚げに笑った真理音。

 その姿を見ているだけで胸が温かくなる。

 この子を守ってあげたい。大事にしよう。

 そんな気持ちでいっぱいだった。


「あ、明日も同じ時間に伺いますね」


「いっぱい遊んで疲れてるだろ? だから、無理しないでいいぞ」


「あ、明日だけは無理します。付き合って一日目ですし……一緒に過ごしたいですから」


「わ、分かった……じゃあ、待ってるな」


 笑いかけると真理音も笑い返してくれる。

 まだ、恋愛することに抵抗がないかと言えば嘘になる。でも、真理音となら大丈夫。そう思える確かなものが感じられた。


「おやすみ」


「おやすみなさい」


 真理音と別れて、家までの短い距離をぼーっと歩く。

 夜だというのにまだ随分と暑い。

 遠くからはセミの鳴く声が聞こえてくる。


 そう言えば、今日は一番の暑さだって朝テレビで言ってたっけ。


 いつもはあまり信じない天気予報。

 だけど、今日だけは素直に信じられた。信じてしまうほど身体は熱を感じ続けていた。


 寝る用意を済ませベッドに倒れ込む。頭と身体は疲れているのに目を閉じても眠れない。目を閉じると自然と脳裏に真理音の姿が浮かんでくる。


 ふと、何をしているのだろうと思った時、スマホが震えた。確認すると真理音からの着信だった。少し緊張している呼吸を落ち着かせ電話に出る。


「も、もしもし」


「あ、ま、真人くん。まだ、起きてたんですね?」


「もう、寝るところだけどな。どうした?」


「あの、中々寝つけなくて真人くんともう少しお話したいなと思いまして」


「……実は、俺も寝れなくてさ。お話、するか?」


「はい。ふふ、真人くんと私は以心伝心なのかもしれませんね」


「俺には真理音が何を考えてるのか分からない時があるけどな」


「もう、そこは甘い言葉を吐いてくださいよ。そうしたら、私はすぐに眠れると思うんです」


「甘い言葉ってのが分からねーよ。なんだよ。ハチミツとでも言えばいいのか?」


「真人くんの言うスイーツと一緒ですよ。折角、ふたりきりですし存分にあんなことしても……すいません、訂正させてください。早々からあれは耐えれないです」


「真理音。半分、寝てないか? 暴走してるぞ」


「寝てないですよ。ちょっと……眠たくはなってきましたけど」


 可愛らしいあくびが耳に届く。目をごしごしとこする音も一緒に。


「切りたくなったら言ってくれよ」


「だい、じょう、ぶ、れす。寝る直前まで真人くんの声を聞いていたいので」


「そっか」


 それから、俺達は他愛のない話を続けた。真理音が先に眠るまでしょうもないことで盛り上がり笑った。


「おやすみ」


 真理音の寝息を確認し起こさないように呟いてから電話を切った。俺も目を閉じると寝れなかったはずがすぐに眠れた。


 今日、俺と真理音は恋人になった。

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