第48話 寂しがりは名前を覚えられていないことを寂しいと感じる

「テニスの試合、ですか?」


「うん、そう。夏休み、結構大きめの試合があるんだけど二条さん応援に来てよ」


 へぇ、こうやってナンパするのか。ま、俺には人がいる前でやる度胸もナンパしたい気持ちも一切ないからどうでもいいけど。


 隣に座る真理音が同じゼミのどっちが田中でどっちが林だったかは忘れたが、ナンパみたいなものをされているのを横目で見ていた。

 すると、くるりと姿勢を反転させる真理音。嫌な予感しかしない。


「真人くんはテニスのルールって分かりますか?」


「なんで、俺に聞くんだよ……まあ、多少なりには分かるけど」


「凄いです。私はさっぱりでして」


「へぇー。教えてもらったらいいんじゃないか?」


「そうだよ。俺達が教えるよ」


 ノリノリの田中と林。

 しかし、そんな二人に対して真理音はあまり見たことないような笑顔で答えた。


「ありがたいですけど、お気持ちだけで十分です。私、素人ですので完璧なお二人に教えてもらっても理解するの難しいと思いますから」


 早口で必要最低限のことだけを伝えるとまたこちらに向き直る。


「それよりも、真人くん。テニスの試合観戦って私、初めてです。だから、真人くんが隣で解説してください」


「あーっと、一応言っとくぞ? この応援に俺は誘われてないからな?」


「えっ、なら、私も行かないです。すいません、二人とも。そういうことですので応援には行けません。他をあたってください」


 いやいやいや。即決過ぎるだろ。別にこの二人からどう思われようがどうでもいいけど、理不尽に俺への好感度をこれ以上下げる行為はやめてくれ。ただでさえ、親睦会の二次会に参加しなかったってだけでも浮いてんだから。


 しかも、まるで、俺が一緒だと参加するようなことまで言って……そんなの変な誤解をされるじゃないか。


「いっやー、実は星野宮くんも誘おうと思ってたんだ。な!」


「そ……っそう。星野宮くんも応援来てくれよ!」


 ダサっ。滅茶苦茶下手な演技して大嘘ついてまで真理音に応援に来てほしいのかね。まぁ、真理音みたいな可愛い子が応援に来てくれたら士気が上がるってのは分かるけど……つーか、俺の名前間違えてるし。


「あの、星野宮くんって誰ですか? 星宮くんなんですけど?」


「あれ? そ、そうだっけ? ごめん、星宮くん」


「別にいい。で、俺も応援に行けばいいんだな」


 別に、コイツらの夢がどうなろうが知ったこっちゃない。叶うも叶わないのもどうでもいい。

 ただ、真理音がテニスの試合を見たそうにしてたからそれを叶えるだけ。二人のことなんて心底どうでもいい。


「おう。サンキューな、星宮くん」


「それで、二条さん。一つ、お願いがあるんだけどさ。レモンのはちみつ漬け作ってきてくれないかな?」


「レモンのはちみつ漬けですか?」


 気のせいだろうか。何事もなく振る舞っているが真理音の声音が少し重たくなっている気がする。


「そう。二条さん、料理得意って言ってたしお願い」


「すいません。私、レモンのはちみつ漬けって作ったことないので難しいです」


「そこをなんとか!」


 両手を合わせて頭を下げる二人に真理音は困惑したような表情を見せた。

 ここは、俺がどうにかしないと。


「そんなに食いたいなら俺が――」

「そんなに食べたいなら私が買っていってあげるよ!」


 同じようなことを言おうとして衛藤さんに先を越された。てか、衛藤さん話し聞いてたんだ。


「てゆーか、応援に来てほしいならみんなを誘いなよー。応援は沢山あった方が力も出るでしょー」


 ぐうの音も出ない衛藤さんの正論に黙ってしまう二人。

 本当は真理音だけに来てほしかったのだろう。もしかしたら、格好いい姿でも披露して真理音に好きになってもらおうとしていたのかもしれない。

 男として、そういう考えをするのも分かる。でも、状況が悪かった。それを、実行するならゼミ終わりでなく真理音がひとりでいるとこを狙うべきだったのだ。まあ、真理音がひとりになる瞬間なんてない時点で詰んでんだけど。


「あ、じゃあ、みんなに来てほしいなー」


 結局、衛藤さんの正論をぶち破る突破口が見つからなかったのか、二人はそんなことを悲しそうに言っていた。



「おーい、真理音。どうしたんだ?」


「……何がですか?」


「頬っぺた膨らませて機嫌悪いだろ?」


 帰り道。いつもは隣を歩く真理音がずんずんと先を歩いていた。その様はさながら……さながら……例えが思いつかないほど普通だった。


「俺のせいなら謝るけど……今日、なんかしちゃったか?」


「ち、違います。真人くんのせいじゃありません」


 立ち止まり、急いで訂正するようにこちらに戻ってくる。その表情は少し悲しそうにしていて胸がきゅっとなるのを感じた。


「じゃあ、どうしたんだ?」


「真人くんの名前を間違えられたのが悲しくて……」


「なんだ、そんなことか」


「そんなことじゃありません。名前はその人だけの特別なものです。覚えていないなら仕方ありません。間違えるのも……嫌ですけど、譲ります。でも、間違えたならもっとちゃんと誠意を込めて謝るべきなんです! なのに、あの二人は適当に謝るだけで……それが、悲しくて……少し、ムカッとしたと言いますか」


「……真理音って心の底から良いやつなんだって思うよ。俺なんかのためにそこまで怒ってくれるなんてさ」


「俺なんか、ではありません。真人くんだから、です」


「そっか。ありがとな。でもな、俺としては覚えられてなかろうが間違えられようがどうでもいいんだ。俺だってあの二人のことあんま覚えてないし」


「ですが……私は悲しいです。覚えられてないのはひとりになった気がして寂しいです」


「大丈夫なんだよ。あの二人に覚えられてなくても真理音は覚えててくれるだろ?」


「もちろんです。真人くんのことを忘れた日なんてありません」


「なら、俺はひとりじゃないな。どうでもいい人にも覚えてもらうより仲良くしたい人にだけ覚えてもらえばいい。それが、俺の考えなんだ。だから、真理音がそこまで怒る必要ないんだよ。嬉しいけどな」


 笑いかけると真理音は納得していないことを示すようなぎこちない笑みを向けてくる。

 どうしたら納得してくれんだろう。

 考えた挙げ句、頭を二回ぽんぽんとすると照れたような笑顔を浮かべ俯いてしまった。


「……なんか、ごめん」


「いえ……。あの、私は絶対に真人くんのことを忘れませんからね! これから先、何があっても忘れませんから!」


「ああ。俺だって忘れねーよ」


 これからは、な。


「ふふ。ふふふ。では、帰りましょうか」


「そうだな」


 何はともあれ、真理音の機嫌が良くなって一安心だ。


「そう言えば、真理音にも作ったことない料理とかあるんだな」


「当然ですよ。シェフじゃないんですから」


「てっきり、真理音のことだから当日までに練習すると思ってたよ」


「真人くんが食べたいって言うなら練習しますよ?」


 さぞかして当然だと言わんばかりの返答に思わず足が止まってしまう。


「私が練習しようと思うのは真人くんや九々瑠ちゃんみたいに特別な人だけであって、それ以外の方のために練習しようとは思いません……って、どうしたんですか?」


「あ、いや……な、なんでもねーよ」


 今度は俺が足早になって真理音を追い越してしまった。後ろから真理音の「ま、待ってください。急にどうしたんですか?」という声が聞こえるが止まれそうにない。

 そう思うほどに口角が上がりきっているのが分かった。


 見られたくない。その一心でどんどん進む。だが、信号に足止めされ追い付いた真理音に見られくすりと笑われた。恥ずかしい。

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