第47話 寂しがりは強がりと過ごせる夏休みが楽しみらしい
「真人くん、プリント出してください」
「怒るなよ?」
「それは、真人くん次第です。渋ってないで早くしてください」
「はい」
真理音に命令され、講義で今までに貰ったプリントを机に広げる。すると、真理音は呆れたように深い息を吐いた。
「真っ白じゃないですか」
「真理音の肌みたいだな」
はは、と場を和ませるように言うと背筋が凍るような鋭い目で睨まれた。今日の真理音は怖い。折角、美味しい晩ご飯を食べ終えたばっかりなんだからもう少しいつものような優しい眼差しを向けてほしいものだ。
と、抗議すると怒られそうだし黙っとこ。
「これ、どうするんですか?」
「…………」
「黙ってないで答えてください」
「どうしたら真理音に怒られないで済むか悩んでんだ」
「そんなことを考えるよりも素直に答えてくれた方が怒りません」
「じゃあ、答えるけど。どうにかする」
「どうやってですか?」
その質問に答えられず黙っているともう一度呆れたように真理音は息を吐いた。
「だから、毎回言ったじゃないですか。板書しなくてもいいんですかって」
「……はい。確かに、言われました」
「でも、真人くんは大丈夫大丈夫って根拠もないのにスマートフォンばかりいじっていました」
「……はい。その通りです。僕は真理音様のありがたいお言葉を無視していました。その結果がこれです。反省しています」
「テスト、どうするんですか? 来週の途中から始まるんですよ? 補習、免れるんですか? 愛奈ちゃんとの約束、守ってあげられるんですか?」
「止めて。そんなに責めないで。分かってる。分かってるんだよ。自分でもどうしようもない馬鹿だって。でも、せめてぐうの音も出ないような追撃はもう止めて!」
「泣きながら訴えられても止めません。どうせ、演技でしょうし」
「酷いな。真理音の鬼!」
「おっ……い、良いですよ。今日の私は鬼です。だから、今から真人くんにみっちり勉強してもらいます」
「今から!? もう時間も遅いし明日からにしないか?」
「まだ、九時ですよ。時間はたっぷりです」
「でも、明日も学校あるし……」
「明日ももちろん勉強ですよ?」
「バイトもあるんだけど……」
「終わってからで良いですから」
言い逃れが出来ないと悟った俺は黙って真理音の言うことをきくようにした。このまま、口答えしても鬼状態の真理音には勝てない。
「わーったよ。するよ、勉強。すればいいんだろ?」
「はい。という訳で、私のプリントをどうぞ」
真理音からびっしりと文字で埋まったプリントが渡される。同じプリントのはずなのに俺のとは随分と違っている。
「とにかく、私のを見て空白を埋めてください。話はそこからです」
「真理音の気持ちはありがたい。けど、それは、出来ない。馬鹿みたいに空白を埋めなかったのは俺の責任。だから、俺はこのまま挑戦しないといけないんだ」
「真人くんってどうしてそう借りを作りたくないんですか?」
「借りを作りたくないっていうか……今回の場合はさ、確実に俺に責任があるわけ。テスト前になってさ賢いやつにノート貸してってやつがいるだろ? そういうやつに限って授業中は別のことをしてる訳よ。なのに、テスト前になると不安になって真面目に授業受けてるやつのノートを借りようとするわけ。鬱陶しいだろ? 努力してるやつのものをさぞかし当然のように借りようとするんだ。図々しいだろ? 俺はそんな図々しいやつになりたくない訳よ」
図々しいやつになった結果、合コンで元カノに遭遇するような愚かな存在が誕生してしまうんだ。
「過去に何かあったんですか? 私としては真人くんに補習を受けてほしくないので是非とも私のプリントを丸写ししてほしいんですけど」
「逆に真理音は利用するだけ利用されていいのか? 悔しいだろ? 努力したのは自分。なのに、その努力を踏みにじられるような行為は」
「確かに、それは悔しいんだろうと思います。私にはそんな機会なかったので分かりませんけど」
「あっ……その、なんか、ごめん」
「良いですよ、気にしてません。私には九々瑠ちゃんという大切な友達がいますから」
俺が察したように真理音も察したように口にする。
「それに、今は真人くんとも友達ですから。そんな、友達の真人くんに私は補習を受けてほしくないんです」
「母さんから面倒を頼まれたからってそこまでしてくれなくていいんだぞ」
「いえ、お母様に頼まれたからってのもありますけど……単純に私が夏休み真人くんと沢山遊びたいだけで……」
今まで、夏休みの思い出なんて大したものがない。友達と遊ぶことはなく、家族でどこかに出かけることすら少なかった。琴夏とも、浮気を知ったのが夏休み前ということもあり一度も出かけたりもしなかった。
夏休みなんてただの宿題を消化して、クーラーの効いた部屋で一日中惰眠を貪るだけの日々だと思ってた。
けど――
そっか。今年は真理音と過ごすのか。
友達と過ごす夏休み。それが、どういうものなのかはまだ想像すら出来ない。けど、楽しい場面を浮かべるだけでより待ち遠しくなる。
「だ、だから、私のわがままなので真人くんには深く考えずに利用してほしいと言いますか」
「勉強するためには何を勉強するのかを知っとかないと勉強にならないもんな」
「そ、そうです。何を勉強すればいいかも分からずに勉強するのは無駄になってしまうかもしれません」
「頑張っても無駄になるのは嫌だな。じゃ、悪いけど真理音のプリント見せてくれるか?」
「もちろんです。どーんと見てください。隅々まで事細かに!」
真理音から渡されたプリントを見ながら自分の空白だったプリントに文字を埋めていく。綺麗な字で書かれている文字。ワンポイントらしき箇所まで書き逃さずしっかり纏められている。真理音らしい。
「分からない所はありませんか?」
「今のところは。写してるだけだからな」
「もしあればいつでも聞いてくださいね」
「真理音は勉強しなくていいのか?」
「私、記憶力には自信がありますので」
「お約束のパターンだな」
「それに、一生懸命勉強している真人くんを見ている方が楽しいので」
正面に座る真理音は口角を上げながら優しい眼差しを向けてくる。勉強してる俺なんかのどこを見て楽しいと思っているのか検討もつかない。
「もしかして、馬鹿にしてるのか?」
「そ、そんなことないですよ! ただ、一生懸命に取り組む姿が素敵だなぁって……」
「そんなの普段の真理音もだろ? 料理とかスゲー頑張ってくれてるし」
「そうですけど、そうじゃないんですよ!」
「よく分からんな」
「ふふ、いいんです。私が幸せですので」
「そうですか」
組んだ腕を机に置き、その中に顔を埋めるような形のまま俺のことを眺めている。だらけている姿もなんだか可愛らしく見える。
「ありがとな」
「いえ。夏休み楽しみにしていてもいいですか?」
「……いいよ。俺もちょっと楽しみだから」
「そこは、スゴくって言ってくださいよ。真人くんの意地悪」
ぶすっとした様子で「私はスゴく楽しみなのに……」と漏らす真理音。
「ふっ、真理音は知らないからそう言うんだ。俺のちょっとの規模は真理音のスゴくってのと同じだ」
「そうなんですか?」
「そうそう。だから、もし俺がスゴくとか言い出したら地球が崩壊するかもな」
「ぷっ。なんなんですか、それ」
「ま、要するに俺も楽しみってことだよ。スゴくな」
他ならぬ真理音が相手。そう考えるとどうしてか不思議と嫌いな勉強も頑張ろうと思えてくる。
「お腹空いたら言ってくださいね。お夜食、作りますか」
真理音に見守られながら、勉強を頑張るという珍しいことをして夜は更けていく。
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