第三章 わたしは人間ですか?

第十一話 姉妹

①悪魔のいざない

    ***


 七星ヘプタステリ王国王立魔法研究所。その名の通り、魔法に関わる全てを研究する国家機関だ。

 しかし、大きな成果を上げることができず魔動器の生産に終始しているため、魔動器工場などと揶揄されている。

 その傾向は、名誉魔法技師にして特別研究員だったドクター・ワイルドことワイルド・エクステンドが離脱して以降、より顕著になっていた。と言うよりも、そもそも彼以外では誰一人として新規性のある技術開発を成し遂げられずにいる。

 そうしたこともあり、王立魔法研究所所長たる水棲人イクトロープカエナ・ストレイト・ブルークは鬱屈した感情を日々募らせていた。


『異世界のとある発明家は、天才とは一のひらめきと九九の努力と言ったそうである』


 王立魔法研究所の所長室。そこに突然、カエナ以外の者の声が響き渡る。

 その声色を彼女はよく知っていた。


「ワイルド・エクステンド……」


 カエナの呟きに応じるように彼の虚像が現れる。

 二つの王国を混乱に陥れた国賊を前に、しかし、彼女は静かに視線を向けた。

 その目に敵意はなく、むしろ羨望の色が濃く見て取れる。


『だが、どうにも勘違いしている者が多過ぎる。一の閃きなくば、九九の努力を重ねようと何の意味もないと言うのに』

「それは私達、魔法技師への当てつけですか?」

『別にお前達に限った話ではない。進化の因子を持たぬ者に閃きは決して訪れないからな』


 そう言ってドクター・ワイルドは嗤う。

 しかし、それはカエナのみを見下している訳ではない。

 進化の因子。その有無のみを絶対の指標とし、持たざる者を人間と認めていないのだ。

 その視線は、さながらモルモットを前にしているかのようだ。

 対するカエナはドクター・ワイルドの虚像を、唇の端を噛みながら見上げていた。生殺与奪の権限すらを持つ天上の存在を仰ぎ見るように。

 そんなカエナを見て、彼は悪魔のように歪んだ笑みを見せた。


『カエナ・ストレイト・ブルーク。貴様が望むならば進化の因子を与えてやろうか?』


 そして発せられた言葉に、カエナは一瞬理解が追いつかず思考が止まってしまった。

 何故なら、進化の因子なきこの千年の歴史において、それを成し遂げた者など誰一人として存在しなかったからだ。否、それを試みようとした者すらいない。


「そ、そんなことが、可能なのですか?」


 信じられずに、しかし、どこか縋るようにカエナは身を乗り出した。


『当然である。吾輩を誰だと思っている』


 それに対し、ドクター・ワイルドはさらに唇の端を吊り上げる。と同時に、所長室に強大な魔力の気配が急激に発生し――。


「さあ、どうする?」


 ドクター・ワイルドのハッキリとした問いが耳に届く。

 彼は虚像に重なるように実体を持った姿を現していた。

 口を三日月状に歪めてカエナの答えを待つ彼の様子は、おぞましい契約を迫る悪魔のようだった。確実に相手に利するだけの申し出ではない。

 しかし、それに対するカエナの答えは決まり切っていた。


「私に、進化の因子を与えて下さい。それがあれば私とて……」


 固く手を握り締めながら言い、カエナは奥歯を噛み締めた。

 王立魔法研究所所長として他の組織に侮られないように毅然と外面を取り繕ってきたものの、魔動器工場という揶揄に誰よりも苛立っていたのはカエナ自身だったから。


「よかろう。だが、吾輩は可能性を与えるだけである。そこから先は貴様次第だ。一の閃きがあろうと九九の努力なき者が大成できんというのもまた真理だからな」


 ドクター・ワイルドはどこか自戒するように言いながら手を伸ばしてきた。

 そして、その掌がカエナの頭頂に触れる。


「〈オーバーヘキサディスペル〉」


 次の瞬間、強大な魔力が体を駆け巡っていった。魂の奥底に潜む枷を解き放つように。

 直後、認識が開いていくかのような感覚がカエナを襲った。

 その余りに急激な変化を前に意識が遠ざかっていく。


「さあ、新たな闘争ゲームを始めようか」


 カエナの薄れゆく感覚の中、そんなドクター・ワイルドの声が僅かに耳に届いた。


「今回の趣向はまた一段と違う。貴様の選択を楽しみにしているぞ、オルタネイト」


 己の知る彼とは全く異なる口調。しかし、朦朧とした中ではそのことに疑問を抱けないままに、カエナは完全に意識を手放したのだった。


    ***


『オルタネイトと共に戦わんと欲するならば、これを手に取るのである』


 テーブルの上に置かれた箱。宿敵ドクター・ワイルドから送られてきたそれが発した彼の音声を最後に、しばらく静けさが場を支配する。

 誰もが身動きも取れずに、箱の中に視線を縫いつけられていた。

 そこにはそれぞれ色の異なる腕輪が六つ。

 真紅、群青、新緑、琥珀、白銀、漆黒と属性を象徴する色を有している。

 その形状には見覚えがあった。

 真超越人ハイイヴォルヴァーが身につけていたMPリング。恐らく、雄也の体内に埋め込まれたMPドライバーに似た機能を持つ魔動器だ。そこまでは分かる。

 だが、それがドクター・ワイルドから送られ、今この場にある意味は分からない。

 故に誰もが戸惑い、行動の選択を行えずにいるのだろう。


(敵からパワーアップアイテム、か。ブレイブアサルトでも何度かあったな。……そう言えば、何故か唐突に宅配されてきたこともあったっけ)


 しかし、実際にこのような形で与えられては怪しいことこの上ない。

 番組ならぬ現実では、当惑してしまうのも無理もないことだ。

 そんな中、全員の虚を突くようにアイリスがスッと歩み出た。そのまま彼女は琥珀色の腕輪を躊躇いなく掴み取って自身の腕にはめる。


《Now Activating……Complete》


 そして、そう電子音が鳴るまで誰も反応できなかった。


「ア、アイリス! 何をやっている!!」


 既に完了してしまった行動に対し、ラディアが慌てたように叫ぶ。


「何の罠があるか分からないのだぞ!? 不用心過ぎる!!」


 そうやって彼女が諌める間に、琥珀色の腕輪はアイリスの手首に吸い込まれて消えてしまった。それを見て、ラディアが目を見開いて息を呑む。


「だ、大丈夫なのかい? それ」


 次いでフォーティアが心配そうに尋ねる。

 内心の戸惑いを顕にするように、手を伸ばしかけて彷徨わせながら。


【問題ない】

「問題ないって貴方……」


 簡潔に文字を作ったアイリスに対し、呆れと困惑の入り混じった口調と表情でプルトナが言う。確かに、見た目アイリスに異常はなさそうだが……。


「ほ、本当に大丈夫か?」


 雄也はアイリスの傍に寄り、両手で彼女の手を取った。

 腕輪が消えた手首の部分を観察し、さすったりしながら調べる。


【ユウヤ、くすぐったい】


 すると、アイリスはどことなく嬉しそうにはにかみながら文字を作った。

 心配から出た行動故に恥ずかしさなどなかったが、そんな態度を取られては無意味に意識させられてしまう。が、今はそれどころではない。


「真面目に聞いてるんだ」


 アイリスの目を真っ直ぐに見て告げる。と、彼女は一度微かな笑みを浮かべてから表情を引き締め、もう一方の手を雄也の手に重ねた。


【大丈夫。変な感じはない】

「……本当か?」

【本当】


 意図せず手を握り合った状態のままで見詰め合う。

 その顔を見る限り、少なくともアイリスの言葉に嘘はなさそうだ。しかし――。


「アイリスの感覚で問題なかろうと、何があるか分からないのだぞ」


 ラディアの言う通り、ドクター・ワイルドが何を仕込んでいるとも知れない。

 もっとも、それは雄也自身のMPドライバーにも言えることだが。


【私はユウヤと共に戦える力が得られるのなら、多少のリスクは受け入れる】

「多少で済む問題かすらハッキリとしないだろう!」


 アイリスが新たに作った文字を受け、ラディアが声を荒げる。


【心配してくれるのは嬉しいけれど、既にやってしまったことだから。それに、こと闘争ゲームの公平性に限って言えば、ドクター・ワイルドは一貫してると思う】

「何を――」

【まずは真魔人ハイサタナントロープスケレトス。残るは真獣人ハイテリオントロープリュカ、真水棲人ハイイクトロープパラエナ、真龍人ハイドラクトロープラケルトゥス、真翼人ハイプテラントロープコルウス、真妖精人ハイテオトロープビブロス。間違いなく六大英雄は復活させられる。そして、ここにある魔動器は六つ】


 ラディアはハッとしたように箱の中へと視線を戻した。


「まさか……」


 その符合を読み解くならば、それは「六大英雄に対抗できる仲間を作れ」というドクター・ワイルドからのメッセージである可能性が高い。

 あくまでも彼が公平性に拘っている前提で解釈するならば、だが。


【ドクター・ワイルドが望む駒として不適当なら、私達は私達の意思に関係なく消されるだけ。メルティナ達がそうだったように】

「だからと言って……」


 アイリスが展開する論を前に、ラディアの口調が弱まる。


【そもそも私達は最初から詰んでる。絶対的強者たるドクター・ワイルドの望みに不都合でないから、国も社会も保つことができてるだけ】


 実際に一国をいとも容易く掌握した彼だ。

 全力を出せば、世界の支配者となることぐらい訳もないはずだ。

 だが、そうはしていない。

 それは偏にそうすることが己の目的に合致していない、あるいは彼にとってどうでもいい事柄に過ぎないからだろう。


【私達にできることは、闘争ゲームの駒として道化を演じ、耐えて耐えて、いつか彼の想定を上回って盤面をぶち壊すことだけ。そのためなら、この程度はリスク以前の問題】

「だ、だが、お前がそこまでする必要はないのではないか?」


 その問いにアイリスは首を横に振り、再び文字を作る。


【私はユウヤと同じ運命を生きたい。それだけ】


 それから彼女はラディアを真っ直ぐに見据えた。


「お前は……そこまで……」


 その視線の強さに気圧されたようにラディアは口を噤んだ。

 そうやって彼女が呆然としていると――。


「そーいうことなら遅れを取る訳にはいかないね」

「ですわ」


 アイリスに対抗するように、フォーティアとプルトナまでもが腕輪を手に取る。

 ラディアはアイリスと向き合っていたが故に、雄也もまたアイリスと手を重ねたままだったため、それに反応できなかった。


「お前達まで!? 何故――」

「二度の事件。どちらも私は一番大事なところでユウヤの助けになれませんでした。特に前回は目の前でユウヤ達が消えて、心配しかできなくて……本当に自分が情けなかった。私は無能なままでいたくないんです」

「ワタクシも……二度とあのような思いをしないためにも、ユウヤに相応しくあるためにも、もっと力が必要なのですわ」


 二人はそう告げると、それぞれ真紅と漆黒の腕輪を手首にはめようとした。


「ま、待て!」


 ラディアは慌てたように身を乗り出したが、その制止は間に合わず、二人はそれを身につけてしまう。正にその瞬間――。


《《Now Activating……Error. Start Adding a Factor of Evolution》》

「え?」「あ……」


 二つの電子音が重なり、一瞬遅れてフォーティアとプルトナがガクッと膝をつく。


「ティア!? プルトナ!?」

「だ、大丈夫。大丈夫です」

「問題、ありませんわ」

「強がるな! 明らかに顔色が悪いではないか! くそ、言わんことじゃない」


 ラディアが二人に駆け寄り、様子を確認し始める。


「〈シャインヒーリング〉」


 そして彼女は表情を険しくしながら、応急処置としてか光属性の回復魔法をかけた。


「見たところ魔力の乱れ以外はなさそうだが……上辺の診断だけでは心許ないな。それに魔動器自体の分析も必要だろう」

「先生?」

「信頼できる魔法技師を呼ぶ。ティアとプルトナはそこで少し休んでいろ。ユウヤ、アイリス、二人に肩を貸してやってくれ」

「は、はい」


 ラディアに言葉と共に視線で促され、雄也はアイリスと共に二人をソファに座らせた。とは言っても、その時には二人共、ほとんど復調していたようだが。

 いつの間にか手首から腕輪が消えていたため、それこそ何ごともなかったかのようだ。


「……しかし、何故アイリスは何ごともなく二人だけ」


 ラディアはそう疑問を呟きながら、懐から通信機を取り出して談話室を出ていった。

 それを見送ってからフォーティアとプルトナを振り返る。


「二人共、本当に大丈夫か?」

「うん。立ち眩みみたいなものじゃないかな」


 フォーティアの答えにプルトナも同意するように頷く。

 顔色も表情も全くいつも通りで、本当に問題なさそうだ。少し安心する。


「アイリスの後塵を拝したペナルティかもしれませんわ」


 雄也の心配をさらに和らげようとするかのように、プルトナが冗談っぽく言った。


「ま、実際後追いみたいなものだったしねえ。ちょっと間抜けだったかもね」


 続いてフォーティアがばつが悪そうに苦笑する。


【でも、多分必要なことだったと思う】

「……そうだね」


 アイリスが作った文字に同意するフォーティア。理屈ではなく感覚的に何かしらの確信を得たのかもしれない。プルトナの表情も同様だった。

 そうこうしている内に、談話室にラディアが戻ってくる。


「すぐに来るそうだ。……っと、言っている間に来たな」


 言葉の途中で庭の方から魔力の気配がして、彼女はその方向に顔を向けた。

 どうやら〈テレポート〉ですぐに転移してきたようだ。随分と行動が早い。


(着の身着のままで来たって感じかな)


 それから、出迎えのためにか再び部屋を出たラディアの後に全員で続く。


「よく来てくれたな、お前達」


 ラディアは自ら玄関を開け、身内に向けるような優しげな笑みを浮かべた。


「先生! お邪魔します!」

「姉さん、あんまりはしゃがないの」


 訪れたのは、二人の愛らしい少女だった。

 海のように鮮やかな青さを持つ髪と瞳が印象的な女の子達だ。

 顔立ちは瓜二つで、まず間違いなく双子だろう。

 一目見た限りでは、ツインテールかセミショートかの違いぐらいしか分からない。

 小柄なラディアと同じぐらいの背丈だが、幼い表情から普通に彼女よりも年下だと分かる。アイリスよりもさらに下なのも確実だ。小学校高学年ぐらいか。


「あの、ラディアさん。この子達が?」


 その幼さに戸惑いながら問いかける。


「うむ。双子の魔動技師、メル・ストレイト・ブルークとクリア・ストレイト・ブルークだ。よろしくしてやってくれ」

「「皆さん、よろしくお願いします」!」


 そうしてラディアの紹介に合わせて挨拶したメルとクリアは、可愛らしくお辞儀をしたのだった。

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