④始まりの終わり

    ***


 突然の避難勧告で学院の講堂に詰め込まれてから、どれぐらい時間が経っただろうか。

 時折遠くから聞こえてくる破裂音に、同じく避難してきた寮生達は不安げに周囲を見回している。その様子を視界の端に入れながら、イクティナは口を一文字に閉じていた。


(ユウヤさんとアイリスさん、無事でしょうか……)


 静かに立ち上がって窓際に寄り、外の様子を見る。


(はあ……情けないなあ、私)


 もしもSクラスを誇る魔力を自由自在に操ることができたなら、すぐさま友達の安否を確認しに行けるのに。悔しくて唇を噛む。


(もっと、ちゃんと強くならないと)


 遠くには騎士や賞金稼ぎバウンティハンター達が人型の異形と戦う小さな姿が見えた。一体を取り囲んで四方八方から魔法を撃ち込んでいる。

 そこまでされては超越人イヴォルヴァーとてなす術もなく、やがて力尽きて爆散した。しかし――。


(あ、危ない!!)


 別の方向から二体の超越人イヴォルヴァーが現れ、容易く陣形を乱されてしまう。一人の騎士が体勢を崩し、そこへ超越人イヴォルヴァーが襲いかかった。他の騎士達のフォローは間に合わない。

 結果を予想して思わず目を瞑る。


(あ……)


 だが、次の瞬間、覚えのある風属性の強大な魔力を感じてイクティナは目を開いた。

 直後、一筋の新緑の光が天から降り注く。縦一文字の軌跡を残した輝きは超越人イヴォルヴァーを一瞬にして貫き、その命を奪い尽くして四散させてしまった。

 窓に張りついて視線を空に向ける。遥か遠く光の発生源には非生物の馬の影があった。


(オルタネイト……)


 馬影は少しの間その付近を旋回し、約十秒後に再び新緑の閃光を放って去っていく。

 いつかイクティナの命を助けてくれた恩人は、たった二発で状況を変えてしまった。


(けど……)


 そんなイクティナに比べれば桁違いの強さを持つ彼でさえ、この騒動の首謀者だろうドクター・ワイルドには敵わなかった事実を思い出す。

 それでも尚、渦中に飛び込み、誰かを救わんとする姿にイクティナは胸が熱くなった。


(強い人……)


 小さくなっていく馬影を見送りながら目を閉じる。


(いつか私もあの人と肩を並べられるぐらいに強く)


 心の中に遥かな強さの高みを思い浮かべながら、イクティナは強くそう思った。


    ***


 王立魔法学院屋上にある、荘厳な時計塔のさらに上。尖塔の先端にラディアは立っていた。ここに登ることができる仕かけがあることは学院長しか知らないことだ。


「〈マジックライトソナー〉」


 そこから不可視の光を全方位に放ち、その反射によって学院周辺の状況を正確に把握する。建物の死角になる部分に関しても、周囲に浮かぶ鏡状の魔動器フロートリフレクターを介して探知しているため抜かりはない。そして――。


「見つけたぞ。〈コンバージェントグランレーザー〉」


 静かな言葉と共に、ラディアは極限まで収束した光を解き放った。

 強烈な輝きがハッキリと線になって空間を貫いていく。彼方まで突き進むのに何の障害にもならないと言わんばかりに、一体の超越人イヴォルヴァーの頭にいとも容易く穴を開けて。

 属性の相性と魔法自体に込められた魔力の強さがもたらしたのは、敵を屠るには余りに過剰な威力だった。このままでは石畳の道や建物を完膚なきまでに破壊しかねない。

 しかし、魔法故の出鱈目さとラディアの針の穴を通すような魔力制御があれば、散乱のコントロールも不可能ではない。それを示すように、魔法の光線は僅かな距離の間に一気に減衰して周りへの影響力を失った。


「ふう」


 精密な魔力の操作を終え、一つ息を吐いてから空を見上げる。


「……見ての通りだ。学院周辺は私に任せて事態の収拾に努めろ」


 そこにはアサルトレイダーに乗ったユウヤとアイリスの姿があった。何故かアイリスがユウヤのものと思しき武器を持ち、ユウヤは彼女を抱き締めるようにしながら。

 その姿に内心微妙に呆れつつも、すぐに気を取り直してラディアは続けた。


「散々情けないところを見せたからな。こういう場面でくらい格好をつけさせてくれ」

「……分かりました」


 ユウヤ達はラディアの言葉に一瞬躊躇いながらも頷いてくれた。と言うか、二人が安心できるように派手気味に魔法を使ったのだから、頷いて貰わないと正直困るが。


「では、ここはお願いします」

「ああ。任せておけ。お前達も、頼んだぞ」


 ユウヤとアイリスは「はい」と返事をして、魔動機馬に空を走らせて去っていった。


(…………結局またお前に重荷を背負わせてしまったな)


 その後ろ姿を見送りながら、心の中で悔やむ。何が学院長だと思う。

 だが、そこで腐って立ち止まる程つまらない人間であるつもりはない。


「お前達の保護者として、私ももっと強くあらねばならんな」


 誰にも聞かれぬように、しかし、自分自身にしかと言い聞かせるように口の中で呟く。


「む?」


 そんな中、ラディアは新たな反応を感知してその方向に体を向けた。


「……超越人イヴォルヴァー。お前達もまた憐れな被害者だ。同情はしよう。だが、我が学院に仇なすならば、容赦はしない。〈コンバージェントグランレーザー〉!」


 掲げた手の先から躊躇いなく放たれた輝きが再び敵を穿つ。

 ラディアは己の攻撃によって爆散した超越人イヴォルヴァーを複雑な感情と共に見下ろした。


(躊躇するつもりはないが、気分のいいものではないな)


「……せめて禁忌の魔法を使う外道の思惑を妨害することで、お前達への手向けとしよう。これ以上罪を犯さず、潔く散ってくれ」


    ***


「くそっ! 攻撃が通らない。これが過剰進化オーバーイヴォルヴか」


 歪んだ絶叫を繰り返しながら立ち塞がる超越人イヴォルヴァーを前に、フォーティアは忌々しさと共に吐き捨てた。既に何発もの魔法を命中させているが、堪えた様子はない。


「落ち着け、フォーティア。分かっていたことだろう」


 窘める声は祖父であるランドのもの。

 彼もまた武骨で巨大な戦斧を手に、隙をついて打撃を叩き込んでいた。が、祖父の一撃でさえ相手に僅かな傷を負わせるだけだった。その掠り傷にしても次に攻撃を繰り出すまでに癒えてしまっている。

 しかし、フォーティアが忌々しく思う一番の理由はそれではない。

 全身を醜く肥大化させた超越人イヴォルヴァーのグロテスクな姿への嫌悪感。

 そんな感情を被害者と言うべき相手に抱いたことへの罪悪感。

 何よりも、人間を根本から変えてしまう忌むべき技術を生み出したドクター・ワイルドへの怒りが最も大きい。


「くっ、〈グランフレイムミサイル〉!!」


 持て余し気味の複雑な感情を解放するように、フォーティアは超高密度の炎の塊を作り出して高速で射出した。それを巧みに操って超越人イヴォルヴァーの背後へと誘導する。直後――。


「ギ、ギガ、ガアアアアアアアアッ!!」


 フォーティアの攻撃は容易く直撃し、超越人イヴォルヴァーは悲鳴を上げた。だが、やはり外見的には効果があるように見えなかった。それでも今は攻撃し続けるしかない。

 ランドの言う通り、これは予想できていたことなのだから。


(やっぱり、決め手に欠ける、か)


 超越人イヴォルヴァーの真正面では真超越人ハイイヴォルヴァー化したアレスが盾役として敵の猛攻を防いでいる。

 彼もまた何度かその巨大な両手剣による斬撃を叩き込んでいるが、これもまた敵の治癒力を前にして成果を無に帰せられていた。

 闇属性の治癒力の高さが、過剰進化オーバーイヴォルヴによって正に過剰に高められている。その上、三人の中で最も地力のあるアレスは相手との属性の相性が最悪。これも過剰進化オーバーイヴォルヴによって、より顕著になっている。残る二人の攻撃力も高が知れている。

 以上の理由から、どう足掻いても回復を上回るダメージを作り出せないのだ。

 そこだけを見ると、詰んでいるとしか言いようがない。

 にもかかわらず撤退せずに戦い続けているのは、そういう作戦だからだ。

 勿論、街の中にいる超越人イヴォルヴァーは全て排除しなければならない、という使命感もあるが、勝算もなく実行する訳がない。


「……ってか、過剰進化オーバーイヴォルヴした超越人イヴォルヴァーはいずれ自壊するとは聞いたけど、どのタイミングかはハッキリと分かんないんだよねえ」

「愚痴るな。根競べに負けるように鍛えたつもりはないぞ」

「はいはい。分かってるよ。けど、時間稼ぎは性に合わないんだよね」


 均衡も先が見えなければ、苛立ちが募るばかりだ。


(あー、もう。ユウヤ、早く戻ってきなよ! アイリスを助けてさ!)


 そして、風属性特化の状態で一撃してくれれば一瞬で終わるのに。

 そんな少々怠惰とも取れる願いは…………容易く聞き届けられてしまった。


「って、ちょっ!」


 上空で強大な風属性の魔力が巻き起こる。咄嗟にアレスが超越人イヴォルヴァーから離れる。


《Final Launcher Assault》


 既に聞き慣れつつある抑揚のない声が場に響き、空を見上げたフォーティアの視界を馬影が駆け下りていく。それが超越人イヴォルヴァーと交差した刹那、新緑の輝きが視界を埋め尽くした。


「うわっとと!」


 その光が収束した時、敵の姿は既に消滅し、視界に中心には魔動機馬に跨るユウヤとアイリスの姿があった。


(ほ、本当に一瞬で終わっちゃったよ)


 その事実に半ば呆れつつも、二人の無事な姿に安堵する。


「ったく、遅いよ」

「悪い。けど、街の超越人イヴォルヴァーは粗方片づけたからさ」

「ほ、本当かい?」

「ああ……ちょっと四十秒ぐらい待ってくれ。確認する」


 そう言うとユウヤは約十秒ごとに属性を変え、《Maximize Potential》を発動させた。

 瞬間、戦闘時でもないのに恐ろしい程の圧迫感を受けて冷や汗をかく。


(な、何か訓練の時よりも強くなってないかい? ま、参ったね、こりゃ)


 見ると、ランド達もその力の片鱗を感じ取ったのか驚愕を顕にしている。


「〈ワイドエアリアルサーチ〉」


 そんなフォーティア達を余所に、ユウヤは探知の魔法を使用した。


「……うん。少なくとも旧城壁までの地上には、もう超越人イヴォルヴァーはいないみたいだ」


 言い終えたところで三十秒経ったらしく、ユウヤは風属性の形態に戻った。全身を押し潰さんばかりの圧力も同時に消える。フォーティアは一つ深く息を吐いた。

 何はともあれ、これで超越人イヴォルヴァーに関しては一段落したと見てよさそうだ。


「……ユウヤ」


 と、アレスがそう呼びかけながらユウヤへとゆっくりと歩み寄っていく。


「お前がここにいるということは……」


 省略された問いを含んだ視線を受けて、ユウヤは静かに頷いた。


「そうか…………すまない。ありがとう」


 深々と頭を下げるアレス。そこにユウヤを仇と見るような感情はない。

 ユウヤが戦いに赴く前にアレス自身が言った通り、本来なら弟である彼の手でなすべきことを肩代わりした形だからだろう。さすがに声色には複雑な感情が滲んでいるが、それは仕方がないことだ。人の道を外れようと家族は家族なのだから。

 二人は友人同士と聞いているので、このことで互いに引け目を感じて歪な関係にならないように祈るばかりだ。まあ、その辺の分別はある二人だから大丈夫だろうが。


【ところで何故、ここにだけ過剰進化オーバーイヴォルヴした超越人イヴォルヴァーが?】


 少し湿っぽくなった空気を変えようとしてか、アイリスが文字を作る。


「恐らく、ここにある通信妨害の魔動器を守るためだろう」


 その問いに、アレスが目の前の建物に視線を向けながら答えた。そこは彼の実家。即ちアンタレスの実家であり、秘密結社ストイケイオの拠点の一つだ。


「全く大変だったよ。ここだけで超越人イヴォルヴァーが十人ぐらいいてさ。で、やっと最後の一人を追い詰めたかと思ったら過剰進化オーバーイヴォルヴするし。アレスがいなかったらヤバかったね」

「……なら、その魔動器を破壊すれば終わりか」

「事件全体の解明には他の拠点も探さなければならんがな」


 祖父の言葉にユウヤは思い出したように「ああ」と声を発した。


「そう言えば、アンタレスは〈テレポート〉も使わずにアネモイ平原から旧城壁の外へ向かおうとしてました。あの付近に本命の拠点があるかもしれません」


 そう告げてから、彼は「何で〈テレポート〉を使わなかったんだ?」と首を傾げた。


(それは多分――)


 探知妨害の魔動器を使っていたからだ。あの手の魔動器は周囲に魔力の断絶した空間を作り出す。その影響で〈テレポート〉の目的地設定も行えなくなるのだ。

後で教えてあげよう。


「ふむ。郊外の拠点については後程、大規模に調査隊を組んで探索することとして、一先ず今はここの調査を行うとしよう」


 そう結論してランドが先導するように一歩踏み出した正にその時――。


「なっ!?」


 突如として、先程のユウヤなど比較にならない程の強大な魔力の気配が立ち上った。直後、直近に落ちた雷よりも激しい轟音が響き渡った。

 ややあって、その音が静まったかと思えば、今度は一筋と言うには太過ぎる柱の如き六色の光が天空を刺し貫く。魔力の気配は一層強くなる。

 その方角は東。見た感じ旧城壁より先のどこかから放たれているようだ。


「何だ……あれは」


 歴戦の勇士たるランドすら我を忘れて空を見上げる中、光が徐々に形を変えていった。

 やがて、光は文字の如き線の集まりとなって縦に配置されていく。初めて見る形……いや、本か何かで見たことのある形だ。確かあれは――。


「日本語……?」


 ユウヤがポツリと呟く。


(ニホン語って勇者ユスティアの母国語……)


「第一ステージクリアおめでとう、だと?」


 ユウヤの怒気を押し殺した声に驚き、フォーティアは一瞬内に向いた思考を打ち切って彼を見た。その固く握り締められた手は過剰な力が込められているのか、ブルブルと震えている。仮面に隠れた顔に浮かぶ憤怒が容易に想像できる。


「ふっ……ざけたことを!!」


 次の瞬間、ユウヤはその文が描かれた空に向かって吼えた。


「どこまでも……どこまでもお遊びのつもりかっ!! ドクター・ワイルドッ!!」


    ***


「かくてオルタネイトは戦士として目覚め、仲間達はを求めるに至った、か。ク、クク、フハハ、フゥウーハハハハハッ!! 上々であるな!! ……おっと――」


 自身がアンタレスに与えた郊外の施設。その薄暗い廊下に高笑いを響かせたドクター・ワイルドことワイルド・エクステンドは、そんな己を自嘲して溜息をついた。


「ここにはしかいないのだから、演技も嘘も必要ないか。全く。長いことマッドサイエンティストの真似ごとをしているせいで半ば癖になってしまっているな」


 ワイルドは、わざとらしい高笑いとは程遠い静かな苦笑を浮かべながら歩みを進めた。

 やがて一つの扉の前で立ち止まり、そのドアを一気に開け放つ。

 その途端、左右から二体の小鬼人ゴブリントロープが襲いかかってきた。


「っと」


 アンタレスが侵入者を排除するために配置しておいたのだろう。しかし、当の侵入者たるワイルドは容易く身をかわすとそれらに軽く触れた。

 すると、突然小鬼人ゴブリントロープ達は何かに押し潰されたかのように床に這い蹲る。

 傍目には相手が勝手に倒れ込んだようにしか見えないかもしれない。が、間近にいれば即座にその認識は間違いだと気づくだろう。

 超越人イヴォルヴァーの体がギシギシと軋むような不快な音を立てているのだから。

 抵抗するように小鬼人ゴブリントロープ達は過剰進化オーバーイヴォルヴするが、拘束からは抜け出せず声も上げられない。


「ふん。躾のなっていないモルモットだな。に手向かうとはいい度胸だ。喜べ。少しばかり遊んでやる」


 酷薄な笑みを浮かべ、蔑むように見下ろしながら言ったワイルドは、続けて世界に対して宣言するように呟いた。


「……アサルトオン」

《Evolve High-Anthrope》


 明瞭な電子音が鳴ると共に、ワイルドの全身が六色の輝きに包まれた。ほぼ同時に金色の輝きを湛え、六色に輝く紋様を宿した装甲がその身を覆う。

 極光の如き神々しさを宿した立ち姿と吹き上がる魔力。それを前にして、床に倒れ伏して苦しんでいた小鬼人ゴブリントロープ達は泡を吹いて白目をむき、気絶してしまった。


「自ら意思を放棄し、玩具に成り下がるか。モルモットに相応しい姿だな」


 嘲笑いながら、ワイルドはもはや虫の息と成り果てた超越人イヴォルヴァーに手を向けた。


「〈ディストーション〉」


 その魔法を発動させた瞬間、小鬼人ゴブリントロープの小汚い土色の四肢が蠢き始め、その先端から急激に捻じれていく。さらには関節もあり得ない形に曲がっていき、やがて軟体の大道芸人にすら愕然とするような歪な体勢となってしまった。

 二体の超越人イヴォルヴァーだったものの真下には、捻じれて漏れ出した体液が溜まりつつある。


「ふっ、中々に芸術的なオブジェができたな。しかし、少々見苦しいか?」


 興醒めしたように言ったワイルドは直後、それらに向けていた手を一気に握り締めた。


「〈ディスアピアランス〉」


 瞬間、超越人イヴォルヴァーだったものは端から蒸発するように消えていく。やがて床の体液すらも消失し、まるで最初から存在していなかったかのように塵一つ残さず消滅してしまった。

 それと共に興味も一片残さず消え失せ、ワイルドはそれらがいた場所に一瞥もせずに部屋に入った。


「全く。悪の組織ならば己の死に連動して基地を破壊し、証拠隠滅を図るのが様式美というものだろうに。これだからモルモットは使えない」


 施設の中央の大広間。空になったカプセルが立ち並ぶ部屋の中央に立つ。


「悪たる者が己が欲望を貫かんとすれば妨害があるのは道理。美しい散り際を用意しておかないようでは悪党としては二流だ。……栄枯盛衰。滅びぬ者などいないのだから。もっとも、想像力なきモルモットには難題かもしれないがな」


 ワイルドは呟きながら、指揮者のように両手を振り上げた。


「〈オーバーローカルオシレーション〉」


 そう告げると共に、一気に全身の魔力を解放する。

 直後、六色の光がオーロラの如く空間を覆いつくし、周囲の全てを震わせ始めた。その振動は急激に激しくなり、大地をも揺り動かして巨大な地鳴りを響かせる。

 やがて、その揺れに耐えきれなくなり、施設は崩れ始めた。

 瓦礫が落ち、柱が折れ、カプセルが叩き割られる。


「さて、第一の試練をクリアしたオルタネイトに祝辞を送るとしようか」


 崩壊の中心にあって周囲の状況を気にせず、ワイルドは静かに告げた。そして、天を指すように手を掲げ――。


「〈オーバーノーザンライト〉」


 魔法が発動した刹那、遥か天空、宇宙すらも貫かんばかりに六色の光の柱が立ち上った。

 それによってワイルドの上方にある全てが、極光の中に分解されていく。


「オルタネイト、一先ずはおめでとうと言っておこう。だが――」


 呟きながら、光を魔力によってコントロールしつつ空に文字を描く。彼のみが理解できるように日本語を用いて。その文面を読んだ相手の反応を想像し、口角を歪める。


「ここからのパワーインフレはこれまでの比ではない。オルタネイトはどこまで生き残れるかな? 精々足掻いて俺のもとに辿り着いてくれよ」


 そして十二分に光の文字を晒した後、ワイルドは締め括るように告げた。


「そう。全ては人類の自由のために。世界の破壊者となれ! オルタネイト!」


 その言葉は終息した魔法と共に、世界に溶けて消えていった。


    ***


 あの光は秘密結社ストイケイオの拠点と思しき施設から放たれたものだった。

 アイリスを拉致したアンタレスが向かっていた先がそこだったのだろう。

 施設は魔法によって完膚なきまでに破壊されていたそうだ。超越人イヴォルヴァーに関する情報を消し去るために、ドクター・ワイルドがなしたことに違いない。

 ただ、一ヶ所だけ。どういう訳か〈テレポート〉用のポータルルームだけが無事に残っていたそうだ。

 調査した魔法技師の話をランドから又聞きしたところによると、超越人イヴォルヴァーの大部分は魔動器によってここから転送されてきたのだろう、とのことだった。

 転送先は、秘密結社ストイケイオの構成員宅の地下に設置された非合法のポータルルーム。そこから街の各地に超越人イヴォルヴァーが現れたのだ。

 何でもアンタレスが緊急時用に〈テレポート〉による連絡網を作っていたらしい。

 軒並み捕らえられた構成員の証言によって明らかになった。

 彼らは今回の事件には直接関わっていないとのことなので、これまで積み重ねた罪のみで罰せられることになるだろう。が、そこは割とどうでもいい。

 後はこの国の法律の問題だ。

 雄也にとって、今一番の重大な事実はアイリスが目の前で悲しげに佇んでいることだ。


【メルティナと一緒に作ったソースが】


 賞金稼ぎバウンティハンター協会で調査隊の第一報を聞いてから、雄也達はラディア宅に戻った。

 そこで見たのは破壊されたキッチンとその床に散らばるミートソースの残骸。それを目の当たりにしたアイリスは、今にも泣き出しそうに表情を歪めながら立ち尽くしていた。


「アイリス……」


 名前を呼びかけながら傍に寄り、その肩に右手を置く。と、アイリスは振り返りながら雄也の胸に飛び込んできた。堪え切れずに涙をこぼしながら。

 そんな彼女に安易な慰めの言葉をかけられる訳もなく、雄也は静かに右手だけで抱き締めた。彼女と同じように深く悲しめずにいることに罪悪感を抱きながら。

 勿論悲しくない訳ではないし、悼む気持ちもある。しかし、雄也はアイリスと違い、メルティナが殺される様を直接見ていた訳ではない。遺体も残っていない。それ故に、現実味が乏しくてアイリスと温度差があるのだ。

 心のどこかで、メルティナや他のメイド達がひょっこり帰ってくるのではないか、と無意識に事実から目を背けてしまっている部分がある。

 それでも今正にアイリスが悲嘆に暮れている姿に共感を起こし、また彼女が涙を流している事実に悲しみが募る。彼女を抱く右手に力がこもる。


【ごめんなさい、ユウヤ】


 しばらくして落ち着いたのか、体を離してスンと軽く鼻をすすりながらアイリスは文字を作った。しかし、まだ目は潤んでおり、目元は赤い。


【私がもっと強ければ、メルティナも死なずに済んだのかな】


 新たに字を作りながらアイリスは自分を責めるように視線を下げた。


「……分からない。確かにそれも一つの要因だったのかもしれない。だけど、それを言うなら俺だって、誰よりも何よりも強ければ全てを守れたかもしれない。あるいは、もっと国がしっかりと体制を整えていれば、そもそも事件は起きなかったかもしれない」


 おためごかし染みた慰めはせず、事実を告げるようにしつつも遠回しな慰撫を試みる。

 アイリスはその言葉を噛み締めるように少しの間目を瞑った。それから目を開き、決意のこもった視線をこちらに向けてきた。


【ユウヤ。私、強くなりたい。もっと、強く】


 そんなアイリスの真摯な瞳を見詰め返しながら、雄也は頷いて口を開いた。


「アイリス。また約束しよう」


 そして、小指を差し出す。

 彼女は一瞬それをジッと見詰め、それからおずおずと指を絡めてきた。


「俺はアイリスも、アイリスが大切に思うものも全て守れるように強くなる」


 そう告げた雄也に応じるように、小指にかかるアイリスの力が増した。


【私はユウヤを、大事な人を皆守れるように強くなる】


 彼女は絡めた指の上に文字を作り、その覚悟を示すように見上げてくる。

 損壊の跡が色濃い部屋の中、真っ直ぐに視線を交わし合う。

 そうして互いの誓いを深く心に刻むように、雄也とアイリスは小指を絡め続けた。


(そうだ。強くなるんだ。ドクター・ワイルドの企みも打ち破れるぐらいに)

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