③一撃の最強

「フゥウーハハハハハッ!! 実に素ううん晴らしいい戦いであった! どうやら戦士と呼ぶに相応しいぐらいには成長したようであるな。フゥウーハハハハハッ!!」


 真超越人ハイイヴォルヴァーとの決戦の場に突如として現れ、高笑いをするドクター・ワイルド。

 相変わらず癇に障る姿だ。しかし、雄也の通常状態最強クラスの一撃を軽々と防いだ上での何ごともなかったかの如き振る舞いは、逆に底知れない脅威を感じる。

 それを前にして、雄也は警戒を強めながら一歩後退りした。


「だが、足りない。もっと鮮烈な戦いを、その果ての進化を見せてくれ!!」


 自分に酔ったように大仰に両の手を広げながら告げ、ドクター・ワイルドは白衣の懐から歪な形状の物体を取り出した。かろうじてピストンと針らしきものが見て取れることから、注射器のようだが……。


「魔動器ペネトレイトインジェクター。超高濃度の魔力を針に纏わせることによって生命力の壁をぶち抜き、液体の注入、吸引を行うための装置である!」


 雄也の言外の疑問を読み取ったように、頼んでもいないにもかかわらず説明を始めるドクター・ワイルド。


「貴様、何を――?」


 ニヤリと笑った彼は、雄也の問いに答えず、倒れたままのアンタレスの首筋にそれを突き刺した。瞬間、自動でピストンが作動する。

 シリンダー部分が隠れているため中の様子は見えないが、ドクター・ワイルドの言葉が正しければ何らかの液体が注入されているのだろう。

 直後、気を失っていたアンタレスは強心剤を過剰投与されたが如く、砕けた装甲から除く目を限界以上に見開いた。唯一変異が見られなかった目、その瞳孔が過剰に散大し、同時にその肉体が脈動を始める。


真超越人ハイイヴォルヴァー鬼人オーガントロープ。その過剰進化オーバーイヴォルヴ形態。刮目するがいい!!」


 ドクター・ワイルドが愉悦に染まった狂気の笑みを浮かべる間にも、アンタレスの体は変質を続けていた。傷は逆再生を見るように塞がっていき、砕けた装甲は肥大化する肉体によってはがれ落ちていく。


「う、ぎが、がああああああああああアアああアアアアッ!!」


 この世のものとは思えない叫び声を上げ、腫れ上がった顔を苦悶に歪ませるアンタレス。


「くっ」

《Convergence》


 憎き敵とは言え、苦痛を長引かせて楽しむ趣味はない。過剰進化オーバーイヴォルヴして新たな脅威となろうとしているのを黙って見逃す選択肢もあり得ない。

 雄也はグレネードランチャー状の武装を再び構えた。そうしながらドクター・ワイルドを一瞥するが、彼は薄ら笑いを湛えるばかりで今度は邪魔をする素振りを見せない。

 僅かに不審に思いつつも、絶叫を続ける過剰進化オーバーイヴォルヴに視線を戻して照準を定める。


《Final Launcher Assault》

「ヴァーダントアサルトエクスプロード!!」


 魔力収束の完了と同時に、強大な新緑の光弾を解き放った。

 それは何に妨げられることもなく、異常なまでの膨張によって一塊の肉塊のようになったアンタレスに直撃する。しかし――。


「ギャ、ガぐ、ギアああアアアあアッ!!」


 その一瞬のみ悲鳴の質が変わったが、それだけだった。傷を負い、焼け爛れた表面は瞬く間に癒え、何ごともなかったかのようにグロテスクな巨躯を無防備に晒している。


「なっ!?」

「ククク、クハハ、フゥウーハハハハッ!! 真超越人ハイイヴォルヴァーがなす過剰進化オーバーイヴォルヴ。なめて貰っては困るのである!! さあ、本気を出せ。さもなくば完成してしまうぞ?」


(こいつの言う通りにするのは癪だけど……それしかないか)


 心の中で舌打ちをしながら、属性を順々に切り替えて切り札の準備を整える。

 既に短くない時間を経ているが、真超越人ハイイヴォルヴァー過剰進化オーバーイヴォルヴの異常性、その脅威を示すように未だに変異は続いている。単なる超越人イヴォルヴァーのそれと同じと見るべきではないだろう。


《Change Anthrope》


 そうして体内に蓄えた全ての力を今正に解放しようとしたその時、壮絶な叫び声は途絶えた。と、肉塊が表面からはがれ落ちていき、その禍々しい姿が顕となった。


「……鬼」


 思わずポツリと呟く。


 変異を終えた真超越人ハイイヴォルヴァー鬼人オーガントロープの名の相応しく、ファンタジーによく登場するモンスター、オーガの如き姿へとその身を変じていた。

 その体長は優に雄也の三倍以上。筋骨隆々と評される人間すらモヤシにしか見えない程に筋肉質な躯体を持ち、頭部には歪な角が二本存在するのが見える。

 その手には、真超越人ハイイヴォルヴァーとして振るっていた大剣が体格に合わせて巨大化したかのような馬鹿でかい両手剣が握られている。


「ふ、ふフ、ふはハハははハッ!」


 そして、その顔には歪な笑みが張りついていた。


「ちカラ、チかラが溢レてくルよウだ」


 真超越人ハイイヴォルヴァーは己の手を見詰め、喜悦を声に滲ませている。

 人格破壊の魔法〈ブレインクラッシュ〉を受けた超越人イヴォルヴァー過剰進化オーバーイヴォルヴとは異なり、自我を残しつつも狂気に侵されたかのようなその様子は、外見と相まって余りにおぞましい。


「二流の悪党みたいな壊れ方しやがって。後は崩壊を待つだけなんだぞ?」

「おっと、それは誤解であるな。真超越人ハイイヴォルヴァー過剰進化オーバーイヴォルヴは自壊せんよ。永劫醜い化物として増大した破壊衝動と共に生きていくだけだ。故に時間稼ぎは無意味である!」

「……ああ、そうかよ。なら、今、ここで! 叩き潰す!!」

《Gauntlet Assault》《Maximize Potential》

「〈オーバーアクセラレート〉〈エアリアルライド〉〈エクスプローシブブースト〉〈ハイエフィシエントクーラント〉」


 敵が自分自身の変容に意識を取られている隙に攻撃の準備を整える。両手に装備した手甲を構えると同時に大地を蹴って中空を翔け、全力の拳を叩き込む。が――。


「非リきダナ」


 その一撃は真超越人ハイイヴォルヴァーの肥大化した右手によって受け止められていた。


「くっ、おおおおおおおおおおおおっ!!」


 力に劣るならば速さで、と即座に離脱し、そこから巨体の周囲を旋回するようにしながら連続で殴打を繰り出していく。

 真超越人ハイイヴォルヴァーは質量が増加したことで速度が大幅に低下しているようだ。おかげで、こちらの攻撃が防がれる割合は低い。ダメージもない訳ではない。

 しかし、傷がすぐさま修復してしまう。どうやら治癒力が大幅に向上しているらしい。


「うルサいハエめ」


 アンタレスは鬱陶しげに言うと、その膂力を以って巨体に相応しい大剣を振り下ろしてきた。その一撃は力任せとしか言いようがなく、過剰進化オーバーイヴォルヴする前の技巧は見る影もない。

 当然、雄也は難なく斬撃の軌道から退避した。

 眼前を壁のような刃が通り過ぎていく。目標たる雄也が既に回避していても、これだけ質量のある武器による攻撃を今更止めることなどできはしない。隙ができた。


(後、十五秒弱……なら――!!)


《Sledgehammer Assault》


 敵の治癒力を上回るために攻撃力重視の巨大な鉄鎚へと武装を変更。

 雄也はそれを全力で叩き込まんと大きく振りかぶった。

 しかし、この選択は失敗だった。


「〈グらンすトーンあローヘっド〉」


 次の瞬間、真超越人ハイイヴォルヴァーの両手剣の刃が誰もいない大地に落ち、轟音と共に地面を叩き割った。と同時に、その破壊力によって巻き上げられた土に強大な魔力が流れ込んでいく。


「何っ!?」


 瞬時に土の中から石が寄り集まって塊となり、さらに形状を変えて無数の巨大な鏃となって周囲に乱れ飛んだ。攻撃態勢に入っていたがために避けられない。


「う、ああ!? ぐはっ」


 弾雨となって飛来した拳大の鏃の直撃を受け、体勢を大きく崩してしまう。

 それらはオルタネイトの鎧を前に砕け散ったが、その衝撃は装甲を突き抜けて小さくない痛みを雄也の全身に与えていた。


「ぐっ、く…………ちっ」


(攻撃を魔法の予備動作に組み込む……その程度の頭は残ってたのか)


《Gauntlet Assault》


(勝負を焦り過ぎたか。迂闊だった)


 自分自身の浅慮に舌打ちしながら、再度武装を手甲に変えてガードを固める。


(後、十秒もない。有効な手立ては見出せない。こうなれば一旦仕切り直すしかないか)


 尚も飛来してくる鏃を、ミトンガントレットを振るって弾き飛ばす。そうしながら、雄也は急加速によって鬼人オーガントロープから速やかに離れようとした。


「落ちロ、目ザワりダ」


 だが、それを容易く許す程、敵は甘くなかった。

 再び埒外の力と共に振り下ろされた巨大な刃が空気を砕きながら落ちてくる。余程の力が込められているのか、その剣から強大な魔力が周囲に撒き散らされている。


(くっ、斬撃はともかく追撃の魔法は面倒だ。時間切れになったら、恐らく洒落にならないダメージになるはず。もっと距離を取らないと)


 間合いから抜け出すことのみを考えて、さらにスピードを上げる。しかし――。


「〈グラんスとーンブラいンド〉」

「なっ!?」


 最高速に達した直後、突如として目の前に巨大な壁の如き岩石が現れた。

 どうやら剣が放出した魔力によって欺瞞され、発生地点を察知できなかったようだ。


「ぐあああっ――」


 結果、制動をかける間もなく、そこに激突してしまう。

 余程の魔力が込められているのか、壁はビクともしない。自らの速度と相まって衝撃は全て雄也に返り、強制的に意識に刹那の空白ができてしまった。

 我に返った時、雄也の目に映ったのは既に避けようもない位置まで迫る大剣だった。


(やばっ……死……?)


 最悪の可能性が一瞬頭をよぎる。


(く…………っざけるなっ!!)


「こ、な、くそおおおおおおおおおっ!!」

《Towershield Assault》


 咄嗟に左腕に生成した巨大なタワーシールドに右手を添え、雄也を押し潰さんと落とされた巨大な両手剣に斜めにぶち当てる。左腕全体で強引に押し退けようとする形だ。

 しかし、それで勢いを殺せるはずもなく、雄也は刃ごと大地に叩きつけられた。


「う、が、あああああああっ!!」


 そして、盾を主に支える左腕に衝撃が一気に集中し、体の中を通して何かが圧し折れる音が耳に届く。が、その音の正体を考える余裕など雄也にはなかった。


「ぐ、が、ああっ!!」


 未だかつて感じたことのない激痛が全身を苛み、意識を手放しそうになる。

 それでも、盾を斜めに構えていたおかげで斬撃の軌道に僅かなズレが生じたことは、不幸中の幸いだった。完全に真正面から受け止めていたなら、痛みを感じる間もなく車にひかれたカエルのように呆気なく潰されていたことだろう。

 逸れた刃は再び大地に突き刺さり、常識外の力によって地面を破壊し尽くす。

 正にその真横に倒れていた雄也は、その衝撃で人形のように吹き飛ばされてしまった。


「かはっ」


 意図せずして真超越人ハイイヴォルヴァーの間合いから逃れ、しかし、背中から地面に叩きつけられて肺の中の空気を全て吐き出す。それにより、遠退きかけた意識は強制的にハッキリとさせられ、全身の痛みを再び知覚させられた。


「ぐう、うう、う、あ」

《Change Therionthrope》


 そのタイミングで時間切れが来て、四色の属性の光は消え去り、デフォルトの琥珀色のみが残った。体を巡る生命力が大幅に減退し、激痛に加えて気怠さが全身を襲う。


「く、そ……」


 鈍い体に鞭を打ち、雄也は何とか立ち上がろうとした。が、左手が変な方向に曲がったまま全く動かず、うまく体を起こせない。

 その間に真超越人ハイイヴォルヴァーは雄也に止めを刺さんとしてか、草原を激しく踏み荒らしながら近づいてきていた。震える大地がその巨体に宿る力を証明しているかのようだ。


「ふうむ。少々鬼人オーガントロープを強化し過ぎたか? ……まあ、よいのである。これで死ぬようであれば、奴にも届かん。不適格なモルモットは処分して次を作ればよい」


 頭上から振ってきた冷淡な言葉に視線を動かす。と、離れた上空から、ドクター・ワイルドがどこか詰まらなそうにこちらを見下ろしていた。

 その壊れた玩具を見るような様子に苛立ちを覚え、雄也は比較的無事な右手を支えに強引に立ち上がった。足元がおぼつかず、ふらつきながらも、中空の仇敵を睨みつける。


「足掻くか。だが、この状況を前にどう切り抜ける?」


 水中に突き落とした虫を観察する子供の如き悪意のない残酷な笑みを見せる彼は、雄也の目を誘導するように視線をゆっくりと移した。

 その先には、大剣が届く距離で立ち止まった鬼人オーガントロープの姿があった。


(ま、まずい。今は離れないと)


「〈ラピットアップリフト〉」


 足元の地面を急激に隆起させ、その勢いで間合いから脱しようと試みる。しかし――。


(な、魔力の伝わりが遅い? アンタレスの魔力が邪魔をしてるのか!?)


 地面の中で別の魔力との鬩ぎ合いが生じて魔法が発動しない。時間をかければ発動させることは不可能ではないだろうが、そんな余裕はない。

 もたつく雄也を嘲笑うように真超越人ハイイヴォルヴァーは悠然と大剣を大上段に構えた。


「死ネ、オルたネいト!!」


 そして無慈悲な言葉と共に振り下ろされる絶望的な威力を纏った刃。何とか軌道上から逃れようと足を動かそうとするが、反応が鈍く身動きが取れない。


(避けられないっ!?)


 死を予感し、主観的な時間が引き伸ばされる。

 視界の中を刃が迫ってくる。

 脳裏に走馬灯の如く、この世界アリュシーダでの記憶が駆け巡る。この世界アリュシーダで出会った人々の顔が浮かんでは消えていく。

 その中で最も鮮明に甦ったのはアイリスとの指切りだった。


(アイリスとの、約束が――)


 彼女を裏切ってしまうことへの焦燥感が心を埋め尽くしていく。だからなのか、視界の端にアイリスの幻がその右手をこちらに差し出す姿まで見えてしまう。


(……って、違う!! これは本物だ!!)


 ハッと我に返っても、当然その姿が消えることはない。魔動機馬アサルトレイダーを走らせ、こちらに突っ込んでくるアイリスの焦りに満ちた顔が確かに目に映る。

 雄也は咄嗟に彼女の手を掴み、その助けを借りて何とか魔動機馬の背に飛び乗ることに成功した。丁度彼女の真後ろに跨る形だ。同時に周囲に光の膜が発生し出す。

 どうやら、雄也を引き上げるために一時的に結界を解除していたらしい。

 その直後、主観時間の認識が完全に元に戻り、大剣が地面に叩きつけられた。


「〈グらンすトーンあローヘっド〉」


 真超越人ハイイヴォルヴァーの言葉を合図に、再び無数の鏃が周囲に撒き散らされる。と、飛来するそれの内の一つが、結界を突き抜けて雄也の頬の傍を掠めていった。一瞬遅れて肝を冷やす。

 アサルトレイダーは結界で防げる攻撃ではないと理解してか、急激にジグザグに駆けながら鬼人オーガントロープから距離を取り始めた。後ろに目がついているかのように的確な回避だ。

 そして、石の鏃の雨をすり抜けて敵の間合いから大きく離れたところで、魔動機馬は真超越人ハイイヴォルヴァーへと向き直り、ブルルと大きく鼻を鳴らすような音を出した。


「〈ランドヒール〉」


 一先ず自分自身に応急処置を施しておく。が、所詮は応急処置。骨折したらしい左腕は動かないままだ。痛みは感覚遮断で麻痺させておいたが、まともには使えないだろう。

 雄也は小さく息を吐いて目の前の小さな背中に視線を向けた。


「アイリス……」


 その呼びかけに、彼女は片手で手綱を握りながら振り返り、掌の上に文字を作る。


【この子、頑固過ぎ。散々お願いしてやっと言うことを聞いてくれた】


 困ったようにアサルトレイダーに一旦視線を落とすアイリス。しかし、彼(?)には彼女を守るように指示を出していたのだから、その文句は酷というものだろう。


【でも、間に合ってよかった】


 安堵したように僅かに微笑み、彼女は背中を雄也の胸に預けてきた。


「いや、間に合ったからよかったものの何て無茶な真似を――」

【私の命はユウヤにかかってる。ユウヤが死んだら私は生きていけない】


 その内容に雄也は言葉を詰まらせた。確かに、実質的に最もアイリスの命を危険に晒してしまったのは自分自身だったと言える。

【指切りの内容的に後を追わないといけないし】

「お、おいおい」


 さらりとつけ加えられた事実に動揺して思考が大いに乱れる。

 そういう大事なことは先に伝えておいて欲しい。


【それはともかく】


 正直そんな風に軽く流していい話ではないと思うが、現状追及している余裕はない。仕方なく口を噤んで彼女の言葉を待つ。


【今のユウヤじゃアイツには勝てない】


 アイリスは一度遠くに佇む異形の巨人へと強い敵愾心を宿した琥珀色の瞳を向け、しかし、耐えるように眉をひそめながら再びこちらを振り返った。


【業腹だけれど、今は撤退すべき】

「……けどな――」


 ここまでボロボロにされたのだから、実力差は重々承知している。だが、ドクター・ワイルドがそれを許すはずがない。そう反論しようとした雄也の言葉を遮って――。


「フゥウーハハハハハッ!!」


 聞き覚えのある高笑いが間近から響いてきた。うるさいし、腹立たしい。

 アイリス共々素早く顔を上げて声の方向を見据える。果たして、すぐ傍の空中に彼の浮遊する姿があった。

 直前まで気配はなかったはずだが、彼を常識で考えるべきではないだろう。


「アサルトレイダーが指示に従うとはな。力は貧弱なれど想いだけはパートナーに相応しいものがあるようだ。実際、それによって危機を切り抜けたのは見事と言えよう。しかあああっし!! 次の選択が逃亡とは情けない!! 実に情けないのである!!」

「ドクター・ワイルドッ……!!」

「あれを見るがよい」


 冷淡に言って遠くを指差すドクター・ワイルドの指先を辿る。と、真超越人ハイイヴォルヴァーが体の向きを変え、どこかへと歩き出していた。もはや、こちらには興味がないと言わんばかりに。

 その歩みの先にあるのは――。


「街に向かうつもりか!?」

「今のあやつは破壊衝動に魅入られている。周りを飛び交うコバエがいなくなれば、本来無意識下で最も壊したいと思っていたものに向かうのは当然。過剰進化オーバーイヴォルヴ後の頭では、もはや吾輩との取引など忘れておるであろうな」

「ふん。最初から真っ当に取引をするつもりなどなかったろうに」

「いやいや、そんなことはない。しっかりと真基人ハイアントロープに進化させてやるつもりだったのである。……魔法が見せる幸せな夢の中でな」


 口の端を嫌らしく吊り上げるドクター・ワイルド。その姿に雄也は眉をひそめて、彼を厳しく睨みつけた。その視線を受けて彼は尚のこと狂った笑みを深めた。


「何にせよ、逃げると言うのであれば止めはせん。好きにするといい。……貴様らに街の人間達を見捨てられるであればなあ! フゥウーハハハハハッ!!」


 そして、ドクター・ワイルドは哄笑と共に姿を消した。

 その間にも真超越人ハイイヴォルヴァーは街へと近づいていた。その光景に焦燥感が募る。

 街には自分達の帰りを待つ友人達がいる。僅か三週間の間に大切な思い出もできた。

 その街をあのような存在に壊させる訳にはいかない。それに、皆を見捨てて生き延びては、二度と特撮ヒーローへの憧れなど口にできない。選択肢は一つだ。


【ユウヤ】


 振り返ったアイリスの顔は珍しい程にハッキリと心配の色が見て取れた。

 言葉にせずとも雄也がどうするかなど彼女には理解できているのだろう。


真超越人ハイイヴォルヴァー鬼人オーガントロープを街には行かせない。ここで、倒す」


 それでも雄也は宣誓するように自身の選択を口にした。そうしなければ、再び自分自身だけでなくアイリスの命をも危険に晒すことに躊躇しそうだったから。

 もっとも、彼女が懸念しているのは自分の命に関してではないようだが。


【攻撃が効かないのに、どうやって?】

「遠目には分からなかったかもしれないけど、全く効かない訳じゃない。ダメージを与えても、すぐに治癒されるだけだ。なら、一つだけ可能性がある。……だけど――」


 視線を下げた雄也にアイリスは「どうしたの?」という感じに首を傾げた。


「そのためには至近距離まで近づく必要がある。そのためにはアイリスの力が必要だ」


 雄也はそこで言葉を切り、まだ無事な右手で彼女の空いている手を握った。


《Change Anthrope》《Armor Release》


 装甲を排除し、直接肌と肌を触れ合わせる。その温もりを感じながら躊躇を振り切る。

 アイリスは繋がった手と手を見詰め、握り返しながら問うような目を向けてきた。

 その視線を真正面から受け止めて、絞り出すように告げる。


「奴を倒すために、アイリスの命を俺に預けてくれ」

【私の命を?】


 一瞬驚いたように目を開き、繋げた手の上に文字を作ったアイリスにゆっくりと頷く。

 すると、彼女はどうしてか嬉しそうに小さく微笑んだ。


【ユウヤ。指切りをしたあの日から、私の命は貴方に預けてある】


 そして、それを示すように再び背中を預けてくるアイリス。装甲越しではないため、今度はその重さも柔らかさも温かさもダイレクトに伝わってくる。


【私にやれることがあるなら、やらせて欲しい。お荷物のままではいたくない】


 彼女の真っ直ぐな意思の宿った視線に頷き、その策を告げる。そして――。


「行くぞ、アイリス!」

【ん。メルティナ達の仇を取る!】

「ああ。アサルトオン!!」

《Change Therionthrope》《Convergence》


 再び装甲を身に纏い、魔動機馬を走らせて敵の後方から突っ込んでいく。


(十秒)


《Change Ichthrope》《Convergence》

「〈ハイデンシティミスト〉」


 真超越人ハイイヴォルヴァーがこちらに意識を向けたタイミングで属性の変更を行い、それと同時に周辺一帯に魔力を帯びた濃霧を発生させる。効果範囲を広く取ったことによって敵の視界が遮られるだけでなく、内部にいる雄也自身の魔力も隠される。ただし――。


「馬鹿メ。貴様ノ魔力ヲ隠そウト亜人の気配ハ隠せン」


 真超越人ハイイヴォルヴァーの言葉通り、以外を完璧に隠蔽することはできない。

 だが、そんなことは百も承知だ。

 反論はせず、敵に届かぬように小さく「〈ワイドミストサーチ〉」と呟く。


「〈マルちロっクらンス〉」


 アイリスの魔力から察知された雄也達の位置へと石の槍が降り注ぐ。もっとも視認を妨げているため、命中精度は甘い。さらに〈ワイドミストサーチ〉が濃霧を介して槍の軌道を正確に教えてくれる。魔動機馬の機動力が加われば回避は不可能ではない。


(十秒)


「アイリス、勝負をかけるぞ」


 濃霧の中、そう告げながらアイリスの肩に手を置く。と、返事代わりのつもりか、彼女は自身の手をそこに重ねてきた。それを同意と受け取って、気合を入れるように一つ大きく息を吐く。次は火属性だ。


《Change Drakthrope》《Convergence》


 属性を変えたことで濃霧を維持する魔力が消え、少しずつ霧が薄くなっていく。それでも《Maximize Potential》を発動させるまでは持つだろう。

 属性が変わったことで魔力の隠蔽が不可能になったが、これは構わない。元々位置の欺瞞には意味をなしていなかったし、策の布石でもある。


「忌々シいハネむシ共が。消エ失セろ!」


 魔法で作り出した石の槍を回避されたことに苛立ってか、鬼人オーガントロープはその大剣を大きく振りかぶった。刃が最も高い位置に到達し、力の蓄積から放出に切り替わる。

 正にその瞬間を狙って――。


「〈ヒートヘイズマイン〉」


 雄也は魔法を発動させた。

 霧の中に揺らぐ人型の魔力が複数生じ始め、それを確認すると同時に策を開始する。


「同ジ手は食わン。幻ナどニ用はナイ」


 霧の中に揺らぐ火属性の魔力には全く目もくれず、大上段から大剣を振り下ろそうとする真超越人ハイイヴォルヴァー。変わらずアイリスの魔力を標的に位置を割り出しているようだ。


(誰が同じ手だって言った?)


 内心で嘲笑いながら口角を上げ、魔力の揺らぎに対して指示を出す。と、無数のそれらが敵に殺到し始める。だが、前に使った〈ヒートヘイズフィギュア〉と変わらない魔法と思った様子の敵は、それを無視して攻撃動作を継続していた。


(かかったな。食らえ!!)


 直後、敵に接触した魔力の揺らぎは機雷の如く大爆発を起こした。周囲の霧が完全に吹き飛び、周りに砂塵が巻き上がり、上空へと黒煙が立ち上る。しかし――。


「グあアッ!? ……ぐッ、コノ程度で!!」


 爆発は敵の皮膚を僅かに焼いたが、その驚異的な治癒力で即座に回復されてしまう。

 相手からすれば突発的な反撃に多少驚いただけ。目の前で爆竹が弾けた程度にしか思っていないだろう。だが、攻撃を中断させることができただけでも御の字だ。


(十秒)


《Change Phtheranthrope》《Convergence》

「〈ワイドエアリアルサーチ〉〈エアリアルライド〉」


 静かに告げ、敵の様子を窺う。


「オルたネいトおオオおぉッ!!」


 真超越人ハイイヴォルヴァーは激昂したように叫びながら再び両手剣を大上段に構え、全体重を乗せるように切り下ろした。命中すれば人間など破裂しそうな威力と共に。

 しかし、力任せの一撃などアサルトレイダーの機動力があれば回避は容易い。

 技巧なき斬撃は軌道上から対象が消え去っても止まらず、大地に到達することとなる。


「〈グらンすトーンあローヘっド〉おオっ!!」


 石の鏃を撒き散らす鬼人オーガントロープ。馬鹿の一つ覚えのような攻撃だが、地力があるが故に逆に脅威だ。過剰進化オーバーイヴォルヴの影響によって行動パターンは単純になったが、基本スペックが高過ぎて厄介な敵


過剰進化オーバーイヴォルヴした挙句に冷静なままだったら、勝ち目は欠片もなかっただろうな)


 雄也はその姿を微かな同情心と共に

 眼下には囮として真超越人ハイイヴォルヴァーの攻撃を避け続ける魔動機馬の姿がある。

 針の穴を通すようなギリギリの動き。あるいは、何回かは掠っているかもしれない。

 その光景に今すぐアイリスを危険から遠ざけたいと思いつつも、彼女の覚悟を思って耐える。自分の役目を果たさなければ、彼女の想いに報いることができない。


(アイリスが作ってくれた好機、絶対に無駄にはしない)


 雄也の現在位置は敵の直上。鬼人オーガントロープはその事実に気づいていない。

 恐らく、まだアイリスの後ろでアサルトレイダーに跨っていると誤認しているだろう。

 現在、そこには、結界に閉じ込められて未だ拡散できずにいる火属性の魔力の残滓がある。〈ヒートヘイズマイン〉を爆発させたその時に、作り出した魔力の揺らぎの内の一つと入れ替わっていたのだ。

 本来は風属性に変わるまでの時間稼ぎが目的だった。既に霧は晴れているし、よく目を凝らせば既に誰もいないことに気づくはずだ。

 しかし、敵は爆発を受けて頭に血が上ったのか、未だに気づいていない。

 もっとも、それに気づいたところで〈ワイドエアリアルサーチ〉を利用した魔力欺瞞によって居場所を悟らせないつもりだったが。

 おかげでアイリスの危険が増してしまったが、その分リターンは大きく好機は絶好のものとなっていた。

 そして……全ての準備が整う。


(十秒。今度こそ終わりだ。アンタレス!!)


 重力への抵抗をやめ、真下への加速度を味方につけた上で〈エアリアルライド〉による空力制御でさらに速度を上げる。体勢を変え、右の拳を固く握り締める。


「他者の人格を手段としてのみ扱う者に断罪を」

《Change Anthrope》《Maximize Potentia》《Final Arts Assault》


 雄也は小さくブレイブアサルトの台詞を呟きつつ、蓄えた力の全てを一撃に込めるために鬼人オーガントロープと交錯する寸前で《Maximize Potentia》を発動させた。

 瞬間、四色の光の帯が極光の如く溢れ出し、握った拳に絡まっていく。


「うおりゃああああああああっ!!」


 そして、雄也はその力を十全と引き出さんと絶叫を重ねて渾身の殴打を繰り出した。


「ナ――!?」


 ようやく気づいた真超越人ハイイヴォルヴァーが振り返ろうとするも、もはや後の祭り。

 その一撃は何に妨げられることなく、敵の顔面を正確に捉えていた。

 一発に集約された《Maximize Potentia》の力は凄まじい威力を誇り、鬼人オーガントロープの巨躯を地面に叩き伏せる。大地が抉れ、空気が震える。

 拳を介して己の身から捻り出した全ての力を余すことなく伝えた雄也は、最後に残った重力の加速度にのみ囚われて大地に降り立った。


「レゾナントアサルトブレイク……!」


 そして、小さく告げる。ブレイブアサルト最強と謳われる必殺技の名を。


「ガ、ぎ、ギあア、あ」


 それを合図とするように真超越人ハイイヴォルヴァーは苦しみ出し、同時に全身に深い亀裂が走った。そして、そこから四色の光が漏れ出始め、徐々にその輝きが強まっていく。


「ガああアアアぁああァあアアあっ!!」


 眩さが増す程に叫びは大きくなり、やがて鬼人オーガントロープの体表が少しずつ溶け出し始めた。


「ギ、ぐギアああア、アアあ、ア、あぁ……」


 全身が崩れ落ちていき、もはや苦痛を感じる段階を通り過ぎたかのように断末魔の叫びが弱まっていく。そして――。


「我ガ望み……ユめ、ガ。……ナ……ゼ…………」


 限界以上に目を見開き、最後の息を利用したように掠れ切った声が絞り出される。

 それを最後に、アンタレスという存在はこの世から消え去った。


「何故。何故、か。分からないのなら、それ自体が理由だろうな」


 雄也はその様子を最後まで見届けてから、彼の末期の言葉に答えるように呟いた。


「望み、夢。追い求めるのは自由だ。けど、法に背けば法の裁きが、誰かの自由と衝突するならその誰かの反抗が壁となって立ち塞がる。当たり前だ。それを理解せず、覚悟せず享受できる程、自由ってのは安くない。自由には責任が伴う。よく言われることだろ?」


 一部、巨人の形に地面が露出した草原を見下ろしながら静かに告げる。


「要は、自分勝手を貫ける程の覚悟も強さもアンタにゃなかったってことだ」


 あるいは逆に多少の不自由を許容し、他者と折り合いをつけられる寛容さがあれば、そもそも、こんな真似をすることもなかったかもしれない。


(……ま、仮定は無意味だな)


 雄也は一つ深く息を吐いて戦いの跡に背を向けた。


(ドクター・ワイルドは……消えたか)


 周囲を見回すが、その姿はない。過剰進化オーバーイヴォルヴした真超越人ハイイヴォルヴァーとの戦いに十分満足した、というところか。やはり、身勝手さだけを取ってもアンタレスの比ではない。

 それこそ、自分勝手を貫く覚悟と強さを持った格の違う敵、とでも言うべき存在だ。


(いずれ必ず、その思惑を超えて叩き潰してやる)


 そう思い、拳を固く握り締めながらも優先順位を考え、一先ず思考から外してアイリスの姿を探す。と、彼女を乗せたアサルトレイダーが眼前に降り立った。

 鬼人オーガントロープの攻撃の激しさを物語るように、両者共傷だらけだ。アイリスの頬にも傷跡が見て取れ、罪悪感が募る。が、今は飲み込んで雄也は口を開いた。


「アイリス。悪いけど、また助けてくれるか?」


 その言葉に首を傾げるアイリス。時系列的に拉致されていた彼女が状況を完全に把握できる訳もなし、その反応は当然だ。


「今、複数の超越人イヴォルヴァーが街で暴れてる。早く倒さないとまずい」

【そんな状況で私を?】

「気にしなくていい。最も効率がいい手順を取っただけだから。勿論、アイリスを助け出さないとそれどころじゃなかったってのもない訳じゃないけど」


 驚いたように目を見開くアイリスにそう告げると、彼女は僅かに頬を赤く染めた。


【ありがとう、ユウヤ】


 文字を作ってはにかむアイリスに、雄也は一つ頷いてから再び口を開いた。


「話を戻すけど、これ以上の被害を防ぐためにも速やかに超越人イヴォルヴァーを排除しなくちゃいけない…………んだけど、左腕がまともに動かなくて手間取りそうなんだ。右手も攻撃の反動のせいで感覚が少し鈍い。だから、アイリスには俺の手の代わりになって欲しい」

【分かった。何をすればいい?】

「ああ――」


 雄也は言いながら魔動機馬の背に飛び乗り、彼女の後ろに跨った。


《Change Phtheranthrope》《Snipe Assaulet》


 そして、風属性の力を強めると共に武骨な狙撃銃型の武装を生成する。ただし、スナイパーライフルに似ているのは形状だけで、最大射程が伸びる訳ではない。

 他の遠距離用武装に比べて、同じ距離での命中率と貫通力が強化されているだけだ。


「これで敵を撃ってくれ。照準器の中心に目標を入れて引金を引くだけでいい」


 魔力を弾丸とするため、調整なしでも照準器通りに着弾するはずだ。


【ユウヤの武器、私にも使えるの?】

「俺が触れてれば大丈夫だ。魔力も俺が供給する。だから――」


 雄也は動かない左手を乗せた状態で銃を手渡した。代わりに手綱を右手で受け取る。


【ん。任せて】


 銃を手にしたアイリスは撃ち易いように体を動かした。背中が密着する。彼女はそのまま左手を雄也の左手に重ねた上でハンドガードを支え、右手でグリップを握った。


「よし。街に戻ろう。頼んだぞ、アサルトレイダー」


 雄也の言葉にアサルトレイダーは了承を示すように大きく嘶き、地面を蹴った。急発進からの全力疾走に慣性でアイリスの体が押しつけられるのを支える。

 そのまま魔動機馬に空中を駆け上がらせ、雄也達は城壁を飛び越えて街に突入した。


《Convergence》


 そして、魔力の収束を事前に行いながら、戦闘音とアサルトレイダーの持つ超越人イヴォルヴァーに特化した探知能力を頼りに、空を駆けて最も近い戦場に向かう。

 騎士や賞金稼ぎバウンティハンター達は、小鬼人ゴブリントロープの一人一人の強さとそこそこの物量を前に劣勢に立たされていた。満身創痍の様相を呈している彼等を見るに、戦いを長引かせるべきではない。


「アイリス!」

《Final Snipe Assault》


 急降下して敵を射程に入れると同時にアイリスが引金を引く。

 音もなく放たれる新緑の閃光。その一撃は超越人イヴォルヴァーの頭部を正確に撃ち貫き、属性の相性も相まって敵を容易く死に至らしめた。

 お約束の爆発が起こる間に、立ち止まることなくその場から離脱する。その場に留まって再び騎士達から狙われることのないように。


《Convergence》


 そのまま次の小鬼人ゴブリントロープの居場所に向かいつつ、次弾の充填を開始する。

 一発一殺。であれば、理屈の上では十秒ごとに一人ずつ倒すことが可能だ。

 超越人イヴォルヴァーが何人いるかは分からないが、これなら十分に対処できるはずだ。


(このまま幕引きだ)


「アイリス、この調子で超越人イヴォルヴァーを一掃するぞ!」

【ん。了解】


 そうして、雄也は今回の騒動を終わらせるために魔動機馬を走らせたのだった。

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