閑話
⑤私は貴方の手
秘密結社ストイケイオによる事件の翌日。
珍しく(?)いつもなら目覚めて最初に視界に入るはずのアイリスの顔がなかった。
軽く体を起して周囲を見回しても彼女の姿はない。やはり姉妹のように親しくなっていたメルティナの死が相当にこたえたのだろう。昨日の今日なのだから当然だ。
雄也自身、半日メイド達のいない静かな家で過ごし、少しずつ彼女達の死を実感してきているところだ。だが、恐らくアイリス程深く悲しむことはないだろう。
何故なら、メイドの大半の命を奪ったのは雄也だからだ。
いくら心を殺したのはアンタレスとは言え。
もしメルティナが〈ブレインクラッシュ〉を受けた
(それが俺なりの悼み方……なんて格好つけだな)
少し気持ちを沈ませながらベッドから降りようとする。が、左手がうまく動かず、手間取ってしまった。
寝ている間に圧迫され、痺れて感覚がなくなった時みたいな感じだ。
(全治三日、だったっけ)
ラディアの診断によると既に骨はくっついて治癒しているそうだが、生命力の流れが不安定になっているため、そんな状態にあるのだとか。
生命力の乱れは左手だけでなく全身に及んでいて、少々気だるい。
(けど、肉体的には完治してるんだから、改めて魔法の規格外さが知れるなあ)
力なく苦笑しながら何とか立ち上がり、雄也は部屋を出た。
屋敷を包む静寂に取り残されたような感覚を抱きながら一階に下りると、キッチンの方から何やら物音がする。他が静かだから余計に響いてきていた。
(……アイリスか?)
ラディアは事件の事後処理のために朝早くから学院に出向いているはずなので、現在屋敷には雄也とアイリスしかいない。ちなみに学院は休みだ。
音に誘われるようにダイニング経由でキッチンに向かうと、棚の整理を行っているらしいアイリスの後ろ姿が見えた。襲撃で破壊された部分に関しては、昨日彼女と共に土属性の魔法で応急処置を施したので上辺は整っている。
「アイリス、おは――」
よう、と続けようとして雄也は言葉に詰まってしまった。
近づいてよくよく見ると、彼女はいつもと違う服装をしていた。普段家にいる時は、昼の間は魔法学院の制服をそのまま着ているのだが――。
「な、何故にメイド服」
今日のアイリスは、どことなく屋敷のメイド達が着用していたメイド服の名残のあるサブカルチャー的なミニスカートのエプロンドレス姿だった。
【おはよう。ユウヤ】
手を止めて振り返り、小さく微笑んだアイリスに、尚のこと雄也は衝撃を受けた。
(い、犬耳美少女メイド、だと)
犬。従順さが売りの人間のパートナー。
メイド。主人に絶対服従(オタク的超偏見)の従者。
アイリスのような美少女にこの二つの要素がかけ合わされば、究極的な愛らしさを生むのは至極当然だ。正に三位一体。完璧だ。
「え、えっと、アイリス? その服は?」
【メルティナの予備のを貰って動き易いようにアレンジした】
「あ……」
その返答を耳にし、不埒なことを考えていた自分を恥じる。
メルティナの遺品であるメイド服を改造して普段着に。
どうやら、これは彼女なりの追悼の仕方だったようだ。
【それより朝御飯、食べる?】
一瞬沈んだ空気を変えるようにアイリスが問うてきた。
その問いに意識を胃に向けさせられて空腹を感じ始める。雄也は素直に彼女に頷いた。
【オートミールしかないけれど、今用意するから座って待ってて?】
アイリスに言われた通り、ダイニングに戻って食卓に着く。
(メルティナさんの服……か)
しんみりとした気持ちを抱きながら待っていると、彼女は一つの大きな深皿にこれでもかと言うぐらいにオートミールをよそって現れた。
「うええっ!?」
余りの大盛り具合に呆然として、沈鬱な感情が吹っ飛んでしまった。
「あ、あの、アイリスさん? 俺、朝からそんなに食べらんないかと……」
【大丈夫。問題ない】
初めて会った頃のような要点の乏しい言葉。これは何か隠しているに違いない。
アイリスは何故か雄也が座っている椅子から一個ずれた席の前に深皿を置き、その席に着いた。椅子を動かして、こちらとの間隔を詰めながら。
そして、彼女はオートミールの山に刺さったスプーンを手に取った。
「ええっと?」
疑問を込めた視線を送るが、アイリスは気にせずマイペースにオートミールを掬う。そして、こぼさないように片手を添えながら先端を差し出してきた。これは――。
(まさか、あーん、か?)
案の定と言うべきか、アイリスの口が「あーん」と発音するように動いている。
(って、こぼれるこぼれる!)
掬った量が多過ぎて、下手に躊躇っているとスプーンの下に添えられたアイリスの手がべたべたになりそうだったので、慌てて身を乗り出して口に入れる。
ほとんど噛まずに飲み込んでしまって味わう余裕はなかった。
【ユウヤ、ちゃんと噛まないと体に悪い】
そんな文字を出しながら、アイリスは既に第二陣の用意をしていた。彼女も恥ずかしくはあるのか、頬が大分赤くなっている。
それでもやめる気はないようで、再びオートミールをたっぷりと掬っている。
「いやいや、待て待て。何で急に、あーん、なんか」
【ユウヤの調子が戻るまで私は貴方の手だから】
「……あー」
昨日の事件の最終局面で、そんなようなことを頼んだ気がする。
「えっと、右手は大丈夫なんだけど……」
アイリスは反論を黙殺し、スプーンを深皿の上から動かした。やはりこぼれそうだ。
(よ、汚すとまずいから仕方がない。仕方がないんだ。うん)
内心で言い訳をして二口目を食べさせて貰う。忠告通り、よく噛んで。
いつもと変わらぬオートミール。ちょっと甘く感じるのは気のせいだろう。
とりあえず、しっかり三十秒。念入りに咀嚼する。悪足掻き気味の時間稼ぎも兼ねて。
そうしながら、ふとアイリスを見る。と、彼女は普通に同じスプーンを口に運んで自分もオートミールを食べていた。
自然を装っているが、顔の血色がさらによくなっている。
「って、おいおい。何やって……」
【私も朝食まだだったから】
(ああ、だから、この量……って、そうじゃなくて)
「いや、あのスプーン……」
【気にしない。はい、次】
再度ルーチンワークのように差し出してくるアイリス。しかし、先程までとは状況が全然違う。そのせいで何だか妙に顔が熱いし、変な汗が出てきた。
【私が口をつけたの、そんなに嫌?】
雄也の僅かな逡巡に、アイリスが表情を曇らせる。彼女にそんな顔をさせるのは全く本意ではない。なので――。
(え、ええい、ままよ!)
雄也は躊躇いを振り切ってスプーンを口に含んだ。
甘みが増しているように感じるのは気のせいに違いない。違いないったら違いない。
【そこまで気にすることじゃないと思うけれど】
またもや同じスプーンでオートミールを頬張り、そんな文字を作りながら小首を傾げるアイリス。おかしいのは雄也だと言わんばかりだ。しかし、そんな文の内容や態度とは裏腹に、彼女の顔は湯気が出そうなくらいに紅潮していた。
「いや、一番気にしてるのはアイリスじゃ、むぐっんぐ」
丁度口を開けたところに素早く一口分放り込まれて黙らされる。
口にしてしまったものは仕方がないので、しっかり噛んで飲み込む。
「ってか、アイリス。何だか、テンションがおかしくないか?」
そう尋ねてから、雄也は「当たり前か」と思い直した。
それこそ昨日の今日なのだから。いわゆる空元気という奴かもしれない。
【メルティナ、私達がうまくいくと嬉しいって言ってたから】
その言葉を聞いて「やっぱりか」と納得する。これもまたアイリスなりの悼み方だったのだろう。ならば、彼女の好きにさせてあげたい。
死ぬ程恥ずかしいが、嫌ではないし。死ぬ程恥ずかしいが。
「えっと、アイリス。その、次を……」
顔から火が出そうになりながら催促する。と、アイリスは安堵と喜びと羞恥が入り混じったような表情で小さく頷き、椅子を動かしてさらに体を寄せてきた。それから、再び口を「あーん」と言うように動かしながら、スプーンを雄也の口元に持ってくる。
雄也はそれを今度は躊躇わずに口を開けて待ち構えた。そして、すんなりと入ってきたオートミールを咀嚼しながらアイリスを見る。
丁度彼女がスプーンを口に含んだところでバッチリ目が合った。
しかし、恥ずかしさのピークは過ぎたのか、アイリスは仄かに頬を朱に染めながらも幾分か落ち着いた様子で微笑みを浮かべた。
彼女のそんな表情に何となく満たされた気分になり、雄也もまた微かな笑みを返した。
そこからは特別な会話もなく、一つのスプーンで大量のオートミールを分け合い続けることとなった。途中からは、こうするのが自然な気がしてきて少し危険だった。
そうして最後の一口もアイリスに食べさせて貰う。
結局のところ、彼女は最後の最後までスプーンを手放すことはなかったのだった。
(よく噛んで、っと。……これで終わりか。何だか安心したような残念なような――)
「お。食べ終わったかい?」
思考を遮るように突然そんな言葉をかけられ、雄也は思わず口の中のものを噴出しそうになった。が、そこは何とか耐え切って飲み込み、慌てて振り返る。
すると、いつの間にかダイニングの端の方の席にフォーティアが座っていて、こちらを見ながらニヤニヤと嫌らしい笑顔を浮かべていた。
「二人きりだからってイチャイチャし過ぎじゃないかねえ」
「ティアッ!? い、いつ、から?」
「最初から、かな。面白そうだったから気配を消して見てたけど、どんどん距離が近くなって動作が自然になってく感じが、何て言うか、こっちまで恥ずかしくなったよ」
意地の悪いフォーティアの言葉に、顔が瞬間沸騰したみたいに熱くなる。
それはアイリスも同じようだったが――。
【片づけてくる】
肌を真っ赤にした彼女は、深皿を持ってキッチンに逃げ込んでしまった。
(え、ちょ!? 行っちゃうんですか!?)
足早に去っていくアイリスの背をポカンと見送って、それからギギギと錆びた機械のように首を戻す。と、いつの間にかフォーティアはすぐ傍まで来ていて、嫌らしい顔を浮かべながら雄也の肩に手を回してきた。
男友達か、という感じだ。
「いやー、もう、アイリスは完全に落ちたね。やっぱり白馬の王子よろしく危機を救ったから好感度が一気に上がったのかな? もう確定的から確定になったって感じ?」
「そ、それで俺に何と答えろと。ってか、何でここにいるんだよ」
半分話題を逸らすためにそう尋ねると、彼女は体を離して真面目な顔で口を開いた。
「今回の事件で屋敷の警備担当のメイドも…………だろ? だから、用心棒代わりにアタシもここに住むことになったのさ」
「は? ……ええっと、マジで?」
「勿論。大マジさ。先生発案だから聞いてみるといいよ。多分、自分がいない時この広い屋敷に二人きりじゃ寂しいんじゃないかって、先生も気遣ってくれたんじゃないかね」
「あー……」
確かに、この屋敷は三人では余りに広過ぎる。ラディアが忙しくて帰ってこられなければ尚更だ。これから管理をどうするのか心配だ。
「それに、男女二人きりってのもまずいだろ?」
「俺、信用ないのか?」
「いや、そんなことはないよ。どっちかって言うとアイリスの方さ」
「ちょっと意味が分からないんだけど……」
「
こちらの背後に視線を向けるフォーティアに、雄也は後ろを振り返った。と、皿を置いて戻ってきたアイリスがいて、抗議するような不満顔で文字を作り始める。
【私は暴走なんかしない】
「今正に全力で突っ走ってた奴が言うことかい」
フォーティアの突っ込みに、アイリスは誤魔化すように視線を逸らした。
「私はユウヤの手、だったっけ? まさか、あーん、だけで終わるつもりじゃなかったんだろ? ほら、何をするつもりだったか言ってごらんよ」
【とくになにも】
妙に乱れた文字が宙に浮かぶ。完全に動揺しているようで目が泳いでいる。
「へえ? ……正直に言わないと、ユウヤにキスするよ?」
そう言いながら雄也の頬を両手で挟み、顔を近づけてくるフォーティア。
ちょっとこれは、いくら何でも度が過ぎている。
「おい、こら、ティア。悪ふざけも大概に、って、う、動かない」
抵抗を試みるが、素の力ではフォーティアに敵うはずもなくビクともしない。
気安過ぎて余り意識してこなかったとは言え、彼女も顔立ちはかなり整っている。そのどアップは精神衛生上よろしくない。
「俺、初めてだぞ!」
何とか逃れようとする余り、情けない告白をしてしまう。
特撮オタクを拗らせた結果がこの有様だ。
「アタシも初めてだから問題ない。イーブンだよ」
「逆に問題大ありだろ!? アイリスをからかうために初キスを犠牲にするつもりか!」
「別に犠牲とは思わないよ」
「それはどういう意味――」
言い終える前にフォーティアが顔をさらに近づけてきて、雄也は思わず口を噤んだ。
(え、ちょ、マジでか!?)
なす術もなく目を固く瞑る。
次の瞬間、唇に温かで柔らかな感触が伝わってきた。
(ああ。俺の初めてが……)
嘆けばいいのか喜べばいいのか分からない複雑な気持ちを抱きながら、恐る恐る目を開ける。と、眼前にあったのはフォーティアの顔…………ではなかった。
彼女は少し離れた位置で意地の悪い笑みを浮かべている。
(じゃあ、この感触は?)
視線を下げると、ぼんやりと横合いから伸びた掌が見える。腕の方向に目をやると、手を伸ばすアイリスの姿が見えた。どうやら彼女の掌に口づけているらしい。
「言うつもりになったかい?」
【いってるいみがわからない】
「そうかい。じゃあ、しばらくユウヤに安寧の時はないね」
「どういう脅し方だよ!」
一歩下がってアイリスの手から離れながら叫ぶ。
字面は脅し文句だが、文脈を追ってくると何だか違和感満載だ。
しかし、どうもアイリスには十分効果があったらしく、彼女は難しい顔をしていた。
「観念したかい?」
【卑怯。そんなこと言われたら是非もない】
「それじゃあ、教えて貰おうか。ユウヤの手として何をするつもりだったのか」
勝ち誇ったようなフォーティアに、アイリスは尚躊躇うように視線を背けた。その状態で掌の上に文字を作り始める。逡巡を示すように途中で何度か消して書き直してを繰り返してから、ようやく文ができる。
「って、おい!」
完成した文章を見て雄也は頭痛がする思いだった。内容は次の通りだった。
【三食あーんして、後はお風呂のお世話とかトイレのお世話とか色々】
「あ、あーんとかお風呂は、まあ、いいとしてトイレは…………」
問い詰めていたフォーティアがドン引きしていた。正直こればかりは同意だ。
「と、ともかく、アタシがいないと大変なことになってたって分かるだろ?」
「い、いや、ほら、アイリスも昨日の今日で一杯一杯になってるから……」
震え声でフォローする。彼女には意外とヤンデレの素質があるのかもしれない。
冗談はそこまでにしてアイリスと向き合う。
「アイリス、さすがにそれは行き過ぎだと思うぞ」
【メルティナがユウヤの場合は押して押して押しまくるのがいいって言ってたから】
「や、理屈は分かるけど、結論がおかしい」
(と言うか、メルティナさんにそういう風に見られてたのか……)
「ともかく! ちゃんと呪いを解くまでは自重すること! そういう話だっただろ?」
そうアイリスに言い聞かせながら、何故男の自分が女の子に自重を促しているのか、と頭を抱える。世界に意思があるのなら、小一時間程問い詰めたいところだ。
【分かった。それまでは我慢する】
とりあえずアイリスは納得してくれたようだ。ホッと一息つく。
「本当に大丈夫だろうねえ。指切りでもしといたら?」
フォーティアが冗談っぽく言うと、アイリスは右手を隠すようにしながら距離を取った。
「……割と本気で指切りさせた方がいい気がしてきたよ」
「ま、まあまあ。アイリスなら大丈夫だって。な? アイリス」
【大丈夫。問題ない】
自信満々に平らな胸を張って頷くアイリス。
その姿にやれやれと言わんばかりに肩を竦めるフォーティア。
これが事件の翌日の出来事。
以後アイリスがメイド服を普段着にするようになった発端であり、フォーティアが居候することとなった時に起きたちょっとした騒動の顛末だった。
余談だが、その後雄也が完治するまでの三日間、アイリスはフォローを必要最低限に留め、ちゃんと自重していたことを追記しておく。
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