第五話 戦士

①恐怖を凌駕するもの

    ***


 真超越人ハイイヴォルヴァーによる襲撃から数日後。

 魔法学院からラディア宅に真っ直ぐ帰ったアイリスは、メイドの一人メルティナに教わりながらユウヤのために夕食を作っていた。


「アイリス様、いいですか? 繰り返しますが、家庭レベルの料理の才能とはレシピ通りに作って、しっかり味見できることです。少なくとも自分が食べて美味しいと思えないものを出すなんて言語道断ですからね」


 そう言って、人差し指を立てながら微笑むメルティナ。

 彼女は水棲人イクトロープだが、パッと見では分からない。

 精々青い髪を見て、水属性の傾向が強い基人アントロープ水棲人イクトロープのどちらか、と絞れる程度だ。

 随分と面倒見がいい性格らしく、何でもアイリスとユウヤの世話係のような役目を率先して引き受けてくれているのだとか。

 ユウヤより二つか三つ年上で、メイドと言うよりも姉という感じが強い。

 そんな彼女の指導のおかげで、全く料理の経験がなかったアイリスだったが、最近では随分と上達していた。


【分かってる。私もつまみ食いが楽しくない料理は作りたくない】


 そこは割と切実に思う。

 無駄に真剣な気持ちが顔に出ていたのか、メルティナは苦笑してから一つ嘆息した。


「……はあ。生命力が強い人はいいですよね。いくら食べても太らないから」

【それはそうだけれど、逆に食べないとまともに活動できなくなるのがデメリット】


 それに絶対に太らない訳ではない。

 消費カロリーが大きいだけで、それを上回る量食べれば横に大きくなっていくのは必然だ。とは言え、確かに生命力が高いにもかかわらず太っている人は見たことがないが。


「っと、そろそろソソシゲの葉を取り除いて味を調えましょう」

【分かった】


 今作っているのはパスタ用のソースだ。しばらく前、ユウヤが「ミートソースか」と心なしか嬉しそうに食べていたため、その作り方を学んでいるのだ。

 メルティナに言われた通り、味を見ながら調味料を加えて再び味見。

 いい具合になったので一つ頷いて彼女に視線を向ける。と、彼女は完成したソースを一舐めしてアイリスの感覚を保証するように親指と人差し指で丸を作った。

 安堵して胸を撫で下ろす。


「ユウヤ様も幸せ者ですね。アイリス様のように一生懸命な恋人ができて」


 そんなメルティナの突然の言葉に、頬が瞬間的に熱くなる。恐らく顔が真っ赤になっているに違いない。

 アイリスはそれを隠すように間髪容れず文字を作り始めた。が、慌てたせいで、ちょっと字が乱れてしまう。動揺がバレバレだ。


【まだそういう関係じゃない】


 少なくともユウヤが呪いを解いてくれるまでは。

 ちゃんと気持ちを伝えるのはそれからだ。


「まだ、ですか。ふふ」


 しかし、メルティナは訳知り顔で微笑み、その穏やかな視線に尚のこと恥ずかしくなってアイリスは視線を逸らした。ユウヤと繋げた小指を意識しながら。


「初めていらした時より、随分と可愛らしくなられて。何だか自分のことのように嬉しいです。やっぱり恋はいいものですね」


 可愛くなったかどうかは分からない。が、以前よりも感情が表情に出るようになったとは自分自身でも思う。

 そんな初めての恋心の切っかけは、多分ユウヤからの指切りだ。

 あの日の真剣な彼の顔を思い起こすと心臓がドキドキする。

 正直それまでは、興味本位と言うか結構打算的な部分が大きかった。

 強い者の血を取り入れる。一族に伝わるそんな家訓に従っての。


(それで意識してたところも、切っかけとして少し関係あるかもしれないけれど)


 だが、とどめは召喚の影響を取り払われた後の弱った姿を見た時だ。

 一人ぼっちになったと呟いた彼にもの凄く腹が立った。だから、今度はこちらから指切りをしたのだが……実のところ本当はもう少し柔らかい内容を伝えるつもりだった。

 しかし、実際に文字となって現れたのはプロポーズ染みたもの。そんな自分に驚き戸惑いながらも何故かしっくりきて、彼と共に歩むのが自分の運命だと確信した。

 そんな自分の言葉で彼が落ち着きを取り戻してくれた時は、心がとても温かくなった。

 多分、それこそが人との繋がりを得た感覚だったのだろう。


「異性の心を掴むにはまず胃袋から、です。頑張っていきましょうね、アイリス様」

【ん。いつもありがとう、メルティナ】

「いいんですよ。私も楽しんでますから。お二人がうまくいくと私も嬉しいです」


 メルティナはほとんど事情を知らない。ユウヤの力もアイリスの呪いの詳細も。

 だからこその若干能天気な会話だが、正直そんな彼女と接する時間を尊く思う。

 願わくは、彼女とはこれからも姉妹のように――。


「きゃっ、な、何ごとですか?」


 突然屋敷にけたたましい音が鳴り響き、メルティナが小さく悲鳴を上げた。

 これはラディアが備えた防犯ブザーの警報音だ。


【侵入者!?】


 咄嗟に窓際に駆け寄って外の様子を探る。と、表門から堂々と入ってこようとしている見知らぬ基人アントロープの男の姿が目に映った。大胆不敵にも程がある。


【メルティナ、学院長に通信!!】

「は、はい。…………だ、駄目です! 繋がり、いえ、作動してません!」


 そうこうしている間に警備担当のメイド達が正面の庭に駆けつけてくる。

 並の暴漢如きには負けない実力を持つ彼女達の登場に安堵するが、心の奥底で通信機が動作しなくなっている事実に不安を抱く。

 それを裏づけるように男は緩やかに何かを握った右手を前に突き出し――。


「あ、え?」


 直後、繰り広げられた光景に、隣でメルティナが戸惑いの声を上げた。それだけ非現実的で、何よりも身の毛もよだつような出来事だった。

 侵入者の前に立ち塞がったメイド達が瞬く間に異様な姿へと変わっていき、やがて人型の醜悪な何かに成り果ててしまったのだ。


(な、あれは……超越人イヴォルヴァー?)


 見知った生物の特徴があったこれまでの超越人イヴォルヴァー達とは雰囲気が違うが、間違いない。しかし、ドクター・ワイルドでもない素性の知れぬ男が何故――。


「ひ、あ……」


 メルティナの上擦った声に、急転した事態に混乱して内側に入り込もうとしていた思考が浮上する。何はともあれ、今は全てを棚に上げて自分達の安全を確保するべきだ。

 そう考え、アイリスは彼女のエプロンドレスを引っ張って注意を引こうとした。

 正にその瞬間、男の視線がこちらを射抜き、その手が再び振りかざされる。

 同時に魔力の高まりを感じ、反射的にアイリスはほとんどタックルするような勢いでメルティナを押し倒して魔法で盾を作り出した。

 それとほぼ同時に無数の礫が飛来し、立ちどころに台所を破壊し尽くしてしまう。


「きゃああああっ!!」


 四方八方から鳴り響く破壊音に悲鳴を上げるメルティナを地面に押さえ、盾の隙間から降り注ぐ破片に耐えながら、必死に逃走ルートを頭の中で思い描く。


(魔法で地中から逃げるべき? それとも――)


 思考が大きく乱れ、即座に判断できない。そんな迷いを嘲笑うかのように直近で魔力の気配が生じ、それに対処しようとした時には盾を容易く砕かれてしまっていた。


「貴様がアイリスか」


 嫌悪を感じる見下すような声に顔を上げ、周囲を見渡す。と、既に超越人イヴォルヴァーと化したメイド達と侵入者に包囲されていた。

 咄嗟にメルティナを庇うようにしながら、その男を睨みつける。


「ドクター・ワイルドによると呪いで口が利けないという話だったが……これだけでは確証を得られんな。身代わりの可能性もある。やはり、彼の言う通りにすべきか」


 こちらの反応など欠片も意に介さずに独り言ちた男は、銃のような何かを握った右手を向けてきた。それは拳銃と呼ぶには銃口が巨大で、全体的に無骨なフォルムだった。


(銃? 何故、そんな使いものにならない武器を……)


 高い生命力を有するが故の、遠距離武器への侮り。

 それがアイリスの反応を一瞬鈍らせてしまった。


「〈アトラクト〉」


 男はそう呟くと同時に、その引き金を二度引く。何かが連続して高速で撃ち出される。

 獣人テリオントロープの優れた動体視力で、それが注射器であることに気づいた時には遅かった。


(まさか、メイド達が超越人イヴォルヴァーになったのは――)


 もはや回避も迎撃もできず、迫り来るそれを見ていることしかできない。訓練していた自由魔法も、心が乱れた現状では使用できるはずもなかった。


「アイリス様っ!!」


 刹那の合間に耳に届いたのはメルティナの声。

 それを認識した時には、いつの間にか我を取り戻していた彼女に体を入れ替えられ、迫り来る注射器状の弾丸はアイリスには届かなかった。

 代わりにメルティナの背中に両方共が突き刺さり、同時に自動的にピストンが動いて中の液体が彼女に注入されていく。

 思わず「メルティナ!」と叫ぼうとして声を出せず、そんな我が身を呪う。


「余計な真似を。これでは過剰進化オーバーイヴォルヴして、使える木偶人形が一つ減ってしまうではないか」


 忌々しげに男が言う中、メルティナが目を限界まで見開き、ガクガクと痙攣を始めた。


「う、あ、ああ」


 そして、先程のメイド達と同じように、その肉体が変異していく。優しく美しかった顔が無残にも歪に変化していく。透き通るようだった声が低く歪んでいく。


「あああああああああああああっ!!」


 それだけに留まらず、メルティナの体はボコボコとグロテスクに脈動を始め、他のメイド達と同じ姿からさらに大きく逸脱していった。


(メ、メル……ティ、ナ?)


 ようやく変化が終わった時、そこにいたのは人外の何か。二足歩行ではあるものの四肢と顔が肥大化し、全体のバランスが奇妙な異形の存在だった。


「醜悪な化物め。……ふん、まあいい。今度こそ確認させて貰うぞ」


 男はメルティナの成れの果てを侮蔑するように一瞥し、それから再び視線と銃口をこちらに向けた。そして〈アトラクト〉を発動させながら、引き金に指をかける。

 それを前にして尚、アイリスはメルティナが異形と化した衝撃から立ち直れずにいた。


(メルティナ、メルティナが……)


 つい先程まで一緒に料理をしていた彼女。その姿はもはや見る影もない。そのことが受け入れられない。そうやって呆けている間にも再び引き金は引かれ――。


(え?)


 そのことに気づいた時にはメルティナだった存在がアイリスの前に立ち、再度その身に注射器状の弾丸を受けていた。


(メルティナ?)


 そうしながら僅かに振り返ったその異形の目、僅かに彼女の名残のある青い瞳には、アイリスを気遣ういつもの彼女の気配が感じ取れた。


「ア……リ………ま」


(もしかして……まだメルティナの人格が残ってるの?)


 そう考え、ハッとする。他のメイド達は分からないが、少なくとも彼女は〈ブレインクラッシュ〉を受けていない。であれば、メルティナの心はまだそこにあるはずだ。

 だから、アイリスは縋るようにその背中に手を伸ばした。

 しかし、その手が彼女に届くことはなかった。……永遠に。


「邪魔をするな。もはや崩れ去るのを待つだけの忌々しい亜人めが」


 次の瞬間、吐き捨てるように告げた男がメルティナを蹴りつけ、彼女は低い呻き声を上げながら地面を転がり倒れ伏してしまった。

 慌てて駆け寄ろうとするが、超越人イヴォルヴァーに囲まれて身動きが取れない。


基人アントロープこそ世界を統べるに相応しい存在であることを知るがいい」


 そして彼は冷淡にそう告げると左手を天高く掲げた。すると、その手首に腕輪が突如として生成された。その意匠はユウヤのMPドライバーと似通った部分があって――。


「アサルト……オン」

《Change Organthrope》《Greatsword Assault》《Convergence》


(な、え?)


 ユウヤのそれよりも低く歪んだ音が腕輪から発せられると同時に、男の姿が変質を始める。龍人ドラクトロープとも異なる鋭い角と魔人サタナントロープに通ずるような浅黒い肌を持つ存在へと。

 だが、それが露出していたのは刹那のことだった。

 瞬時に漆黒の装甲が男の体を包み込んでいく。その表面には、闇だけでなく土の属性をも持つことを示すかのように琥珀色の紋様が刻まれていた。

 そして右手には男の体程もある巨大な両手剣が握られている。


(オルタネイト……違う。これは、真超越人ハイイヴォルヴァー……!?)


 次々と展開される目の前の事態に、理解が追いつかない。

 それでも、その存在の脅威は嫌と言う程知っている。

 だから今は、脳裏に渦巻く疑問を無理矢理抑えつける。周りの超越人イヴォルヴァーなど顧みず、今度こそメルティナのもとへと駆け出す。しかし――。


「消え失せろ」

《Final Greatsword Assault》


 いつの間にか上段に構えられていた巨大な両手剣が、黒色と琥珀色の入り混じった禍々しい光を放ち出す。そして、そこに蓄えられた力を解放するように、その剣は恐るべき膂力を以って振り下ろされた。


(やめ、やめて!!)


 アイリスの懇願など届くはずもなく、その一撃は容赦なくメルティナに叩きつけられてしまった。結果、異形と化した彼女の体躯が千切れ飛び、その上半身がアイリスの目の前に転がり落ちてきた。その瞳から命の気配が急激に消え去っていく。


「ア……さ、ま……逃げ…………」


 それが彼女の最後の行動だった。アイリスを気遣う言葉を口にすることが。

 その直後、命の全てを失った体は、瞬時に風化してしまったかの如く崩れ去っていく。


(あ、あ……こんな……こんな、酷い)


 彼女の死を目の当たりにしながら、叫び声の一つも上げられないことが悔しくてたまらない。唇を噛み切らんばかりに噛み締める。涙が滲む。

 今程この呪いを憎らしく思ったことはない。


(この男だけは……許さないっ!)


 その憎悪に近い激しい怒りの感情を込めるように、アイリスは太腿のホルダーから取り外した短剣を固く握り締め、真超越人ハイイヴォルヴァーへと襲いかかった。しかし――。


「かしましい雑魚が」


 突如として視界から真超越人ハイイヴォルヴァーの姿が消え去り、そう思った時には首筋に刺すような痛みを感じる。と同時に全身が焼けつくような熱さに包まれ、思考に靄がかかっていく。


(な、にが……)


 アイリスはその場に倒れ込んでしまった。

 その衝撃で首から外れたらしい注射器が眼前に転がってくる。


(……まさか)


 自分も超越人イヴォルヴァーに成り果ててしまったのか、と一瞬思うが、霞んでいく視界に映る自身の手に変化はない。しかし、根本的な部分で何かが変わっていくような感覚があった。


「変異の兆候は見られないか。やはり、この亜人で間違いないようだな。……呪いに変異に対するレジストをつけるとは、益があるのかどうかは知らんが奴の力は凄まじいな」


 言葉は耳に入るが、意味の理解ができない。意識が遠退いていく。そして――。


「木偶人形共、そいつを運べ。行くぞ」


 何かに担ぎ上げられたような浮遊感を覚えたのを最後に、アイリスは気を失った。


    ***


「うん。これは使える。間違いなく。だけど、かなり準備に手間取るし、本当に『最後の切り札』って感じだから使いどころには注意しないとだね」


 真超越人ハイイヴォルヴァーとの戦いから数日後。出揃った材料を色々と組み合わせて試行錯誤してみた結果、ようやく対真超越人ハイイヴォルヴァー戦に光明が見えてきた。


「それと、あくまでもユウヤが恐怖心を乗り越えることが前提条件だってこと、忘れちゃ駄目だよ? それを使える状況まで持っていかなきゃならないんだからさ」

「ああ。分かってる」


 それでも、一つ選択肢を得られたことは多少なり心に余裕を作ってくれるはずだ。ゲーム的に言えば、恐怖の許容値の上限を増やすぐらいの効果はあるだろう。


「うん、じゃあ、今日はここまでにして帰ろっか。〈テレポート〉」


 いつも通りに雄也の手を握り、魔法を発動させるフォーティア。しかし、これまでとは違い、視界は変わらず場所は修練場のまま。これでは単に手を繋いだだけだ。


「あれ? おっかしいな。何か先生の家に〈テレポート〉できないんだけど……」

「え? それ、どういうことだ?」


 フォーティアと顔を見合わせ、互いに首を傾げる。

 やや視線を下げて頭の中でそれが意味するところを考える。


(……っ! まさか、真超越人ハイイヴォルヴァーの襲撃!?)


 ハッとして顔を上げると再びフォーティアと視線が合う。その目に宿る焦りの感情を見る限り、どうやら彼女もまた雄也と同じ可能性に思い至ったようだ。


「通信……通信も駄目か。協会への〈テレポート〉は……できる? 先生の家だけ……いや、今は考えてる場合じゃないね。一先ず協会に戻るよ。〈テレポート〉」


 冷静を装うように抑揚を抑えた声でフォーティアが告げ、視界が移り変わる。

 そのまますぐにポータルルームを後にして、急ぎラディア宅に帰るために協会のエントランスを駆け抜けようとする。だが――。


「え? な、何でここに!?」


 正面入口の前に立ち塞がる存在があり、フォーティアが目を見開いて立ち止まった。

 雄也もまた足を止めた。禍々しい漆黒の鎧を纏ったそれを見間違えるはずがない。

 真超越人ハイイヴォルヴァーだ。


「くっ」


 手も足も出なかったあの日の戦いがフラッシュバックし、瞬間的に恐怖が湧き上がる。

 その感情を何とか抑え込もうとして、しかし、抑え込み切れずに雄也はやや逃げ腰気味に身構えた。そうしながら、平然としている周囲の人々を見て戸惑いを抱く。

 通常の超越人イヴォルヴァーとは違い、真超越人ハイイヴォルヴァーは奇抜なデザインの全身鎧を着た人間と言われても納得する姿だ。

 初見で襲われたからこそ敵という認識を雄也達は持っているが、そうでなければ単なる賞金稼ぎバウンティハンターの一人と思われても不思議ではない。


(けど、周りがどう見ていようと敵は敵。俺の命を狙う敵だ。それも生身では決して勝てない相手。周囲を気にして変身を躊躇えば殺される)


「アサルト――」

「待て、ユウヤ」


 覚悟を決めて変身しようとした正にその時、横から制止の言葉をかけられた。

 その声の主はフォーティアの祖父にして賞金稼ぎバウンティハンター協会の長、ランドだった。


「火急の事態だ。何も言わず、こちらに来い」


 簡潔に告げて踵を返すランド。その有無を言わせぬ迫力を持つ言葉と大人しく彼に追従する真超越人ハイイヴォルヴァーの姿に、雄也は困惑を強めながらフォーティア共々従った。


(家に〈テレポート〉できないことと言い、一体何が起きてるんだ)


 真超越人ハイイヴォルヴァーによる襲撃かと思えば、目の前に当の真超越人ハイイヴォルヴァーがいる。挙句、その真超越人ハイイヴォルヴァーはランドに従っている。

 その背中を見据えながらも大人しくついていくが、内心では混乱と疑問が強まるばかりだ。そのまま以前訪れた応接室に入ったところで――。


《Change Anthrope》《Armor Release》


 やや低く歪んだ電子音と共に真超越人ハイイヴォルヴァーは鎧を解き放ち、中の人が姿を現した。


「な!?」


 思わず驚愕の声を上げてしまう。真超越人ハイイヴォルヴァーがオルタネイトの如く普通に変身を解除できることもそうだが、驚きの対象の最たるものはその正体だ。


「ア、アレス!?」


 そこにいたのは魔法学院のクラスメイト、アレス・スタバーン・カレッジだった。

 思わず問い詰めようと身を乗り出しかける。が、ランドの威圧気味の視線を向けてきたため、雄也は慌てて姿勢を戻した。


「ユウヤ、まずはアレスの話を聞け。……アレス、頼む」


 ランドの呼びかけにアレスは「はい」と頷いて口を開いた。


「秘密結社ストイケイオ。この名前は聞いたことがあると思う」


 小さく首を縦に振る。手配書でも見たし、あの日の戦いの中でも耳にした名前だ。


「俺の先祖がその創設に関わっていた関係で俺と兄のアンタレスはそこに属していた。もっとも、俺が子供の頃のストイケイオは単なる老人会みたいなものだったんだが……」


 続く話をまとめると次のようになる。

 彼の兄アンタレスが秘密結社ストイケイオの代表となって以来、組織は大きく様変わりし、手配書にあったような犯罪組織と成り果てた。

 アレスは兄に切り捨てられたメンバーと共にストイケイオを脱退し、以後は組織から距離を取りつつもアンタレスを言葉で諌めてきたそうだ。だが、家族として彼が考えを改めることを期待し、それ以上のことはできずにいた。

 そんなある日、久し振りに顔を合わせた兄と口論しているところへドクター・ワイルドが現れ、取引を持ちかけてきたらしい。ストイケイオの目的である真基人ハイアントロープとなる術を教える代わりにオルタネイトを排除しろ、と。

 そして、そのためにと真超越人ハイイヴォルヴァーの力を得る魔動器を与えられたとのことだ。


「結局、またアイツが関わってる訳か。……そもそも、真基人ハイアントロープって何なんだ?」

「過去に滅びたとされる基人アントロープの進化した姿のことだね。他の種族にもそれぞれ似た進化形態があったけど、その中でも真基人ハイアントロープは全ての属性を操り、最強だったって聞いてる」


 雄也の問いに対するフォーティアの答えに、アレスが頷いて言葉を引き継ぐ。


「伝え聞く真基人ハイアントロープの強さとは裏腹に、通常の基人アントロープはお世辞にも強者とは言えない。兄は自分が望んだ未来を掴めずに抱いた閉塞感をそこに転嫁し、真基人ハイアントロープに固執しているんだ」

「……だったら、真超越人ハイイヴォルヴァーになった時点で目的は達成されたんじゃないかい?」


 そのフォーティアの問いに、ランドが「恐らくだが」と前置きして答える。


「転嫁し続け、体のいいお題目を語っている内に、自己暗示気味に目的が入れ替わってしまったのだろう。あるいは、単純に真超越人ハイイヴォルヴァーレベルの強さでは満足できないか」


(自己暗示、か)


 取り繕うように言い訳をして、しかし、理屈が通っているが故に本心からそう考えているかのように思い込む。頭でっかちが自己弁護をする時、往々にしてあることだ。


「代償がないならともかく、それは友人を犠牲にしてまで望むものじゃない。何のつもりかドクター・ワイルドは俺にも力を与えたが、俺は兄を止めるつもりだった」


 語られた内容だけから判断すると、ドクター・ワイルドの行動は一見不合理に思える。

 だが、これも恐らく彼自身の真の目的に必要なことなのだろう。

 秘密結社ストイケイオも単なる駒として、いいように使われているだけに違いない。


「しかし、兄は俺よりも優秀な人間だ。正面切って敵対することはできなかった」

「優秀、ねえ。まあ、実力と性根が一致するとは限らないからね」


 フォーティアがフンと鼻を鳴らす。


「……ともかく、俺は一先ず表向き兄の邪魔をせず情報収集に努めることにした。その傍らで学院長に情報を流し、対策を立ててきた。協会長とも共に」

「ってことは……あの日の襲撃は茶番だったって訳かい。ちっ、先生も人が悪い」

「そう言うな。あれがなければ、いずれユウヤはアンタレスに襲われ、そのままなす術もなく殺されていたはずだ。必要なことだった」

「けど、せめてアタシにくらい教えてくれたっていいのにさ」

「お前は演技などできないだろう? 真剣な戦いでなければ効果がない」


 フォーティアは「ぐぬぬ」と呻いた。確かに彼女にそういう芝居は似合わない。


「……で? それが何で今になってそういう事情を明らかにしたんだい?」


 諦めたように溜息をついてからフォーティアが尋ねる。


「兄がオルタネイトを殺すために本格的に動き出したからだ。それも人質を取るなどという卑怯な手段を用いようとしてな。いくら何でも、そんな卑劣な真似は見過ごせない。だから、俺は兄を止めるために戦いを挑んだ。しかし――」


(人質?)


 アレスの言葉に雄也が引っかかりを覚えている間にも彼の話は続く。


「情けなくも返り討ちに遭って拘束された上、魔動器によって通信と魔法を封じられてしまった。万が一の時のためにと学院長から借りた魔動器を使って逃げ出してきたが……」


 アレスは胸元に揺れる大きな飾りのついたペンダントに視線を落とした。


「魔動器マジカリパルサー。蓄えた魔力を瞬時に放出し、周囲の魔動器を一時的に機能停止させる魔動器か。それを使った上で〈テレポート〉で逃げてきたってところかい?」


 フォーティアの確認にアレスが首肯する。

 その一連の様子は視界に入っていたが、雄也の意識は別にあった。


(人質……家への〈テレポート〉ができない……)


「っ!! アレス! 人質ってまさかアイリスかっ!?」


 頭の中で出した結論に思わず声を荒げる。話の腰を折ったためか再びランドに押し潰すような視線を向けられるが、無視してアレスに詰め寄る。


「ああ、そうだ」


 彼の肯定を聞き、雄也は即座に部屋を出ようと扉へと進み出た。

 アイリスが狙われているとあっては、いても立ってもいられない。あの二度目の指切り以来、雄也にとって彼女はこの世界での心のよりどころのような存在となったのだから。


(ふ、ざけるなよ。俺の命を狙うだけならまだしもっ!)


 我知らず、皮膚を破らんばかりに拳を固く握り締める。


真超越人ハイイヴォルヴァー、アンタレス。何があろうと絶対に許さない)


 際限なく湧き上がる怒りが身を焦がし、思考が一つに収束していく。


「待て、ユウヤ! 落ち着け!」


 ランドの制止を無視して、扉に手をかける。と、フォーティアに肩を握り潰さんばかりに強い力で掴まれ、無理矢理引き止められた。


「放せ、ティア」


 初めて出すような低い声と共に睨みつける。彼女は一瞬気圧されたように肩を掴む力を僅かに弱めたが、すぐに睨み返してきて再び手に力を込めてきた。


「どこに行くつもりだい?」

「家に決まってるだろ」

「冷静になれ、ユウヤ。敵がまだそこにいる可能性があるなら、悠長に説明の時間を取るはずがない。そうだろ? じーちゃん」

「当然だ。アレスの報告を受けて今し方、儂自ら学院長殿の家を確認してきたが、既にもぬけの殻だった。襲撃の痕跡を残すのみで、家にいた者達は行方不明だ。もはや相手からの接触を待つしかない」

「……捜索は?」


 雄也は振り返って彼を鋭く見据えながら問うた。


「悪いが、現在別の問題で捜索に裂ける人員がいない。一応アイリス嬢の魔力パターンで探知をかけたが、魔動器で妨害されているらしく居場所を特定できなかった」

「……別の問題?」

「ああ。今正にSクラス級の超越人イヴォルヴァーが三十体以上、街で暴れている。高クラスの賞金稼ぎバウンティハンターや騎士は皆その対応に追われているのだ。低クラスの人間は街をうろつける状況にない」

「Sクラスが三十体以上だって!? そ、それじゃあ、もう――」

「ああ。既に数十名の犠牲者が出ている」


 ランドの返答にフォーティアが愕然と目を見開く。

 個人的な感情を排除すれば、確かに女の子一人の捜索に時間をかけていられる状況にはなさそうだ。が、納得できるかは別の話だ。人の命の価値は相対的なものだから。


「それはドクター・ワイルドの仕業ですか?」

「大本はそうだが、直接的にはアンタレスが生み出して使役しているものらしい。ワイルド・エクステンドから人を超越人イヴォルヴァーに変化させるための魔動器を受け取っていたそうだ」


 その事実を耳にして雄也は片眉を上げた。

 だが、何にせよ、かく乱が目的なのは間違いないか。


「思うところはあるだろうが、今アイリス嬢を助け出すためにできることはない。三人にはまず超越人イヴォルヴァーの討伐に参加して貰いたい。勿論儂も共に出る」


 ランドの要請に頷くフォーティアとアレス。そんな二人に対し、雄也は――。


「すみませんが、俺はアイリスを優先させて下さい。彼女を助け出し、アンタレスを無力化し次第、残る超越人イヴォルヴァーの討伐に参加します」

「な、話を聞いていたのか!?」

「勿論です。この場合、優先すべきはアンタレスの排除でしょう。彼を野放しにしたままでは増援が来る可能性がある。加えて、敵の準備が整った後ではアイリスを盾にされ、なす術もありません。奇襲をかけてアイリスを解放し、叩き潰すしかない」

「そんなことは理解している! だが、居場所が分からなければ砂上の楼閣だ!」


 冷静さを欠いた餓鬼の馬鹿な発言と思ってか、少し苛立ったように言葉を返すランド。


「居場所は分かります。方法が、あります」


 逆に淡々と告げると彼は絶句し、身を乗り出しつつあった体を戻した。


「魔動器によって魔力が完全に遮断されている。アイリス嬢を探知するのは不可能だぞ」

「探知するのはアイリスじゃありません。勿論アンタレスでもない。探すべきは――」


 続けた内容に、フォーティアが「そ、そんなことが可能なのかい?」と問うてきた。その疑問はランド達も同じようで訝しげな視線をこちらに向けている。


「切り札を切れば」


 雄也の返答にフォーティアはハッとしたような顔をして、それから一度目を閉じた。ひそめられた眉に彼女の心の中の葛藤が垣間見える。


「ユウヤ、本当に真超越人ハイイヴォルヴァーと戦う覚悟はあるかい? 勝つ自信は?」


 瞼を開けて、そう問いながら真っ直ぐに見詰めてきたフォーティアと視線を交わす。


「ああ。ある」


 決して目は逸らさず簡潔に答える。と、彼女は大きく息を吐き、ランドに向き直った。


「じーちゃん。確かにユウヤならやれるかもしれない。行かせてやってくれないか?」

「フォーティア。しかしだな――」

「ユウヤの分までアタシが超越人イヴォルヴァーを抑えてやるからさ。頼むよ。この通りだ」


 真剣な様子で頭を深々と下げるフォーティア。そんな孫の姿にランドは折れた。


「………………分かった。パートナーのお前が言うのだ。了解しよう」

「ありがとうございます、協会長。それと、ティアも」


 雄也はランドとフォーティアに頭を下げ、それからアレスに体を向けた。


「アレス。悪いけど、俺の実力じゃ殺さずに真超越人ハイイヴォルヴァーを止められる自信がない。そもそも超越人イヴォルヴァーを生み出し、人の尊厳を穢した以上、アンタレスは人類の自由の敵。命を奪わずに済ますつもりもない」

「分かっている。是非もない。本来なら俺がやるべきことなんだ。恨むつもりはない。だが、お前にできるのか? お前のいた世界では動物を殺すことすら稀だったんだろう?」

「拒否感はある。罪悪感もある。でも、やるさ。そういったものから目を逸らしてきたとは言え、もう何人も超越人イヴォルヴァーを殺してきたんだ。必要があるならやる」


 人類の自由のために人殺しの罪を背負ってでも戦い続ける。それこそが雄也の憧れたヒーロー達の、テレビ的なフィルターを取り払った真実の姿だから。

 もはや己の手を血に濡らしてしまった以上、その道を辿っていくしかない。

 倒錯的な視野狭窄なのかもしれない。アンタレスに対する怒りで一時的に良心が麻痺しているだけなのかもしれない。それでも雄也は今ここで覚悟を決めることにした。

 その道がドクター・ワイルドの望み通り、この異世界で正に特撮ヒーローの代理人オルタネイトとして生きていくことだと理解しながらも。


「……そうか。なら、兄を止めてやってくれ。力及ばぬ俺の代わりに」

「ああ。分かった」

「はあ……ユウヤはぶちキレると論理的になってくタイプみたいだねえ。怖い怖い」


 その様子を見ていたフォーティアが呆れ気味に苦笑を浮かべる。

 今まで本気でキレた経験はなかったが、確かに煮え滾った怒りで逆に余計な思考が削ぎ落されている感じがする。あれ程心を満たしていた恐怖心さえ溶かし尽くすように。


「いいかい? 必ずアイリスと一緒に帰ってきな。怒りに塗れても判断は間違うなよ。倒せるなら潰せ。無理なら逃げろ。いいね?」

「分かってる」


 そうして雄也は賞金稼ぎバウンティハンター協会の外に出た。外の雰囲気は普段とは明らかに違っている。

 協会の入口には屈強な賞金稼ぎバウンティハンターが二人立っており、目の前に道には歩行者の姿はない。

 遠くからは戦闘の音と思しき炸裂音や破壊音が響いてきている。

 そんな中、純白の装甲を纏った巨大な馬が大きな嘶きと共に雄也の眼前に降り立った。


「アサルトレイダー!?」


 家の方角からではない。修練場の方角から飛んできたようだ。タイミング的に家が襲われた段階でこちらに向かったが、〈テレポート〉のせいで入れ違ったという感じか。


「何にせよ、助かる。……行くぞ、アサルトレイダー!!」


 その背に飛び乗り、真上に跳躍させる。空間を踏み場にして魔動機馬を滞空させ、上空から街を見渡す。と同時に――。


「アサルトオン!」

《Change Phtheranthrope》


 雄也は己が身を鷲の特徴を持つ異形へと変化させた。


「さあ、アイリスを返して貰うぞ、真超越人ハイイヴォルヴァー!!」


 脳裏を渦巻き続ける怒りを吐き出すように呟きつつ、視界の全てを見渡す。

 そうしながら、雄也はアイリスの居場所を特定する方法を実行に移した。

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