④現状認識と狂気の胎動

 時刻は真超越人ハイイヴォルヴァーに襲撃された翌日の昼前。

 場所は賞金稼ぎバウンティハンター協会の修練場。

 現在、ラディアやランドの伝手で複数ある修練場の内の一つを借り切って、雄也はフォーティアから特訓を受けていた。雄也の命を狙う真超越人ハイイヴォルヴァーのことがあるので、彼女が十分と判断するまでは魔法学院を休むことになっている。


「だああああっ!! 駄目だよ! 駄目駄目っ!! 前みたいにダメージに無頓着なのも駄目だけど、痛みを恐れ過ぎるのも駄目だってば!」


 しかし、合格を貰えるのは当分先の話になるかもしれない。

 と言うのも、初っ端の模擬戦で一発いいのを貰って痛い目を見たせいか(それでもフォーティア的にはかなり手加減していたそうだが)、情けないことに攻撃を前にすると無意識に怯むようになってしまったからだ。


「い、いや、そうは言うけど痛みを嫌うのは生物の本能な訳で……」


 自覚できる程に腰が引けた状態で言い訳をする。正直、自分で自分が情けない。


「まあ、そりゃ、アタシだって好んで痛みを感じたいとは思ってないけどさ。それで動きを鈍らせて回避に失敗したら本末転倒だよ」

「それは……そうだけど」

「勿論、一朝一夕でできることじゃないとは思うけどさ。できないならできないなりに工夫しなよ。そもそも相手に攻撃をさせないとか。魔法で牽制して機先を制したりしてさ」


 そこまで言って、フォーティアは「んん?」と何か引っかかりを覚えたように首を傾げた。それから彼女は何故かこちらにジトッとした半眼を向けてくる。


「……ってか、モルキオラとかディノスプレンドルとかの時は割とできてたじゃないか。何で真超越人ハイイヴォルヴァー相手だとあんな戦い方になったんだい?」


 そんな指摘と問いを受けて、雄也は今までの戦いを思い返した。

 言われてみれば確かに、魔物や魔獣の時はうまい具合に魔法を使って柔軟に戦っていた気がする。当然「比較的」と枕詞がつくだろうが。


(うーん、何でだ?)


 腕を組みながら自問して思考を巡らし、短くない時間の後おぼろげに答えを出す。


「あー……もしかしたら、人型だったから、かも」

「人型だから?」

「特撮ヒーロー対怪人のイメージに引きずられるというか何と言うか」


 怪人側ならいざ知らず、主人公は正々堂々真っ向勝負が基本中の基本。卑怯なことは以ての外だし、小細工に走るのは負けフラグ。ヒーローのお約束だ。

 敵が人型の場合、無意識にそのイメージを当て嵌めてしまっていたのかもしれない。


(けど、見栄え重視の戦い方を真似しちゃ駄目だよなあ……)


 映像的な美しさと現実的な泥臭さ。これから先の戦いに重要なのは、間違いなく後者だ。


「特撮? 怪人?」


 怪訝な顔をして首を傾げるフォーティア。この世界には特撮ヒーロー番組などないのだから当然だ。この世界で通じる言い方をするとなると――。


「えーっと、勇者は常に正々堂々、みたいな?」

「んー……言いたいことは理解したけど、勇者は正々堂々戦うタイプじゃないよ?」


 今度は雄也が首を傾ける。と、フォーティアは疑問に答えるように再び口を開いた。


「だって、相手は基本的に人知を超えた化物だよ? 特に、勇者が活躍した頃は規定がなくて百年以上生きた魔物とかが普通にいた訳だし。人間がそんなのと正々堂々真正面から戦ったら即死だよ、即死」

「あー、そりゃそうか……」


 感情やら形式やら余計なものが関わってくる対人戦ならいざ知らず、魔物を相手取るなら正々堂々戦う意味もない。そもそも害獣駆除は戦いではなく狩りの一種だ。


「アタシらが謳う勇者ってのは、自分よりも遥かに強大な相手に怯えず戦いを挑み、知恵と機転で勝利する者のことさ」


 その言葉だけを聞くと元の世界の勇者と余り変わらない印象だ。結局この概念にも、物語的な美しさや演出上の制約などで妙なイメージがついてしまっているのかもしれない。


「ちなみに、この前アタシが使った〈インコンプリートコンバッション〉は、千年前に活躍した最強の勇者ユスティアが創った魔法なんだよ。他にも〈ヒートヘイズフィギュア〉や〈ハイデンシティミスト〉みたいな特殊な効果の魔法もそうだね」

「へえ」


 勇者ユスティア。

 指切りを広めた人物であることを考えると、日本人である可能性が高い。フォーティアが彼と言ったことからして男性のようだ。


(なのに、そんな名前とか、中二病罹患者か?)


 それはともかく、彼女が例に挙げた三つの魔法の効果から、彼が雄也とそう変わらない教育を受けていたことも推測できる。しかし、活躍した時期は千年前。とすると――。


(世界によって時間の流れが違うのか、あるいは召喚魔法は時間に干渉されないのか)


 正直、判断材料が少な過ぎて考えても分からない。とりあえず思考を止める。


「今度ユスティア英雄物語を読んでみるといいよ。彼が創った魔法が他にも色々と載ってるからさ。そんで参考にするといい」

「……うん。それもいいかも」


 実際、彼が創ったその辺の魔法は非常に使い勝手がよかった。

 彼の戦い方は方向性として合っているかもしれない。


「さて、そろそろ特訓再開! ……と行きたいところだけど、こうなるとユウヤは一旦自分の、オルタネイトの力の把握に努めた方がいいかもしれないね」

「……確かに」


 今までは大分フィーリングで戦ってきた。それで十分だったし、当初はオルタネイトになることをラディアに反対されてもいた。

 アイリスが呪いを受けてからは、なし崩し的に変身して戦ってきたが、オルタネイトの限界を正確に理解しているかと問われれば否と言わざるを得ない。

 常識的に考えて、そんな状態は危うい。


「んじゃ、まずはこれから。〈アトラクト〉」


 フォーティアがとある魔動器を魔法で引き寄せ、それを手渡してくる。

 携帯型接触式アナライザー。無属性魔法〈アナライズ〉が発動する魔動器だ。

 この魔法自体は魔力Eクラス程度で使用できる簡単な魔法なのだが、使用者の属性で魔力関係の分析にノイズが入るため、魔動器を使用しているのだとか。

 ちなみに、非接触式も存在する。ラディアが使っていたのはそっちだ。

 気づかれずに相手の力を把握したい。そんなニーズもあるのだろう。


「お。生命力も魔力もBクラスか。曲がりなりにも経験積んで成長してたみたいだね」


 魔動器を起動して表示された結果を覗き込みながら、フォーティアが言う。

 精神的な成長はなくとも、特訓や実戦の経験は全く無駄という訳ではなかったようだ。


「よしよし。そんじゃ次は一通り変身してみな」

「ん、了解。アサルトオン」


 フォーティアに言われるがまま、現在選択可能な四属性全てに変身する。

 携帯型接触式アナライザーでの測定結果は全ての属性でダブルSだ。

 それ以上の細かい計測はできないとのことなので、実際に全力で体を動かしたり、本気で魔法を使ってみたりする。

 こうして意識しながら代わる代わる試してみると、意外と感覚に違いがあった。


「うん。大体分かったよ」


 それをジッと観察していたフォーティアが頷き、さらに言葉を続ける。


「どうも種族特性に近い偏りがあるみたいだね」

「えっと、例えば?」

「まず火属性だけど……これは生命力と魔力のバランスがいいアタシら龍人ドラクトロープの特徴が出てるね。素の肉体の強さのおかげで他より力に優れてるところもね」

「成程」

「土属性も同じように獣人テリオントロープに準じて生命力に優れ、逆に魔力は少し劣る感じだね。スピードが際立ってるけどパワーも龍人ドラクトロープに次いで高いし、総合的な身体能力は随一だね」

「そう言えば、アイリスもそういう傾向があったっけ」

「うん。あの子は獣人テリオントロープだからね。潜在能力が高いから、いずれはアタシに近いレベルまでは強くなれるはずだよ。……っと、話が逸れたね。えっと、次に風属性。これは魔力寄りで、飛行能力が最大の特徴。機動性に優れるよ」


 フォーティアの言葉に頷く。それは飛蝗人ローカストロープとの戦いで実感したことだ。


「最後に、水属性は魔力特化だね。水中では自由自在に行動することができるけど、陸地だと微妙かな。魔法はかなりのものだよ」


 モルキオラ戦で無様な姿を晒したのは種族特性のせい……と言うのは、さすがに酷い言い訳か。まあ、その辺はともかく、確かに魔法の規模は一番大きかった気がする。


「パワーの火属性、スピードの土属性、機動力の風属性、魔力の水属性か」


 これに加えて敵の属性との相性も考えなくてはならない訳だ。結構難しい。


「ところでユウヤがいつも使ってる武器だけど、あれって片手剣と銃しかないのかい?」

「え? あ……そう言えば、最初の戦いの時とりあえず近距離なら剣、遠距離なら銃でイメージしたら出てきて、そのままだったっけ」


 どうやら固定観念化していたらしい。

 迂闊と言うか何と言うか、あるいは、こういうところも召喚の影響に引っ張られて主体的に戦っていなかった証かもしれない。


「んー……となると、もしかしたら他の武器も作れるかもしれないな」

「なら、属性の特徴に見合った武器を考えた方がいいね。と言うか、たとえ不釣り合いでも色々な武器を使えるのは強みだよ」


 大剣とか二刀流とか二丁拳銃とか。ありかもしれない。中二マインドがくすぐられる。


「何か、強くなるための材料が結構揃ってきた気がするな」

「こらこら、調子に乗っちゃ駄目だよ。あくまでも、それはこれから強くなる材料であって、今いきなり強くなれる訳じゃないんだからさ」


 それはその通りだ。材料には手を加えなければ意味がない。


「注意しないといけないところも分かったしね。決め技の発動に必要な魔力を蓄えるのに十秒かかることとかさ。その上、減衰なしに維持できるのは二分だけだし、そこから先は急激に減衰して三分で完全に消失する。しかも、使い切らないと再充填できない」


 フォーティアの言う通り、これは要注意だ。しっかり戦況を見極めて魔力の収束を開始しないと、本当に必要な時に決め技を撃てなくなりかねない。


「一応、その魔力は普通の魔法にも転用可能なことも分かったけど、結局その時の種族の属性に対応した魔力しか扱えないみたいだし、事前に蓄えておくメリットは余りないね」


 技術的に無理だったのか、わざとしなかったのか。

 この残念な仕様についてドクター・ワイルドを問い詰めてやりたいところだ。が、こういう方面で不満を持つのは、彼の思惑に積極的に乗っているようで何だか癪だ。


「大体こんなところかな。この辺を念頭に置いて戦い方を考えないとね」

「……そうだな」


 もし今再び真超越人ハイイヴォルヴァーに襲われ、かつ逃げられない状況に陥ったら。

 その時は今ある材料で相手を上回る力を引き出さなければならない。しかし、一朝一夕であのレベルの技量に至ることは不可能だ。そうするとどうすべきか……。


「じゃあ、特訓を再開――」


 雄也の思考が内側に入り込もうとなるのを打ち破るように、フォーティアがそう言いかけたタイミングで彼女のお腹が「ぐうぅ」と自己主張を始めた。


「ティア……」


 真面目な空気が一瞬にして霧散してしまい、フォーティアにジト目を向ける。と、彼女は「あ、はは」と人差し指で頬を軽くかきながらはにかんだ。


「えっと、一先ずお昼にしよっか」


 雄也は一つ軽く息を吐き、それから呆れ気味に苦笑しながら頷いた。


「んじゃ、〈アトラクト〉っと」


 フォーティアの言葉を合図に目の前にテーブルと二つの椅子が現れた。

 テーブルの丸い天板の上には、雄也が預けておいた弁当と彼女の――。


「って、な、何だ、それ」


 雄也の弁当箱の隣には、その五倍程の生肉と生野菜が皿に山盛りになっていた。


「何って昼飯さ。ユウヤもどうだい? 〈グリル〉」


 そう言うとフォーティアは魔法で肉と野菜を焼き始めた。よく見ると脇にタレのような液体が入った小皿が置かれている。どうやら彼女の昼食は焼肉のようだ。豪快なことだ。

 辺りに焼けた肉の香ばしい匂いが漂い、食欲が刺激される。雄也は無意識に出てくる生唾に急かされるまま弁当箱を引き寄せ、手早く蓋を開けた。

 ありがたいことに、ピクニックに続いて今回もアイリス作だ。

 しかも今日のメニューは何と、おにぎり。

 そう。この世界アリュシーダには米が普通に流通しているのだ。

 何でも龍星ドラカステリ王国付近では稲作が盛んなのだとか。それを輸入しているため、七星ヘプタステリ王国でも普通に米を購入することが可能なのだ。

 ちなみに、この世界アリュシーダでの稲の名はサギグ草。米はサギグ草の実。……だったのだが、勇者ユスティアによって改名され、現在では一般的には稲、米と呼ばれているとか。

 龍星ドラカステリ王国近辺に稲作を根づかせたのも彼の仕業らしい。付随して、かの国の文化は和のテイストが強くなったそうだ。気候が日本に近かったからかもしれない。

 フォーティアの装備である薙刀や剣道着はその一例だが、これは余談だろう。


「いただきます」


 手を合わせてから早速口に運ぶ。しっかり味わうために長めに噛む。


(塩がきいててうまいなあ。日本人にはやっぱり米だな。……ああ、何かまた元の世界が懐かしくなってきた)


 食べながら、ほんのりと望郷の念を抱いていると――。


「どうだい? 愛しのアイリスのでギュッと握られたおにぎりの味は」


 感傷的な気分をぶち壊しにする酷い物言いに、雄也は思わず吹き出しそうになりながらも口元を押さえて必死に耐えた。折角アイリスが作ってくれたのに勿体ない。

 何とか全部飲み込んでから抗議するようにフォーティアの顔を見る。と、何故か彼女の方もまた非難の視線をこちらに向けてきていた。


「ティア?」

「……折角の食事中に寂しそうな顔なんてしないで欲しいね。ったく。甲斐甲斐しく弁当を作ってくれたアイリスの存在を忘れて郷愁に浸るなんて随分じゃないか」


 不満の色を声に滲ませたフォーティアは、さらに唇を少し尖らせながら続けた。


「それに今一緒にいるアタシにも失礼じゃないか。アタシなんかいてもいなくても同じって言われてるみたいで気分が悪いよ」

「う……そ、そうだな、ごめん」


 雄也がそう言って頭を下げると、フォーティアはフッと表情を和らげて口を開いた。


「……まあ、そうは言ってもすぐに割り切れるもんでもないとは思うけどさ。それならそれで抱え込まないで正直にアタシらに言いなよ。力になるからさ」

 それから歯茎を出して気のいい笑顔を見せるフォーティア。相変わらず親しみ易い空気を作るのが上手な子だ。飾らずに済んで気が安らぐ。

 確かに、こんな友人が傍にいてくれるにもかかわらず、戻れない元の世界に意識を囚われ続けるのは不義理というものだろう。


「ま、とりあえず今は――」


 真面目な話はおしまいとばかりに、フォーティアはいつの間にか持っていた箸でいい感じに焼けた肉を摘むと、タレにつけてこちらに差し出してきた。

 見た目カルビっぽいそれの香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。


「ほら、食べなよ」

「え? えーっと……?」


 全くそんな感じはしないが、これは一応「あーん」という奴だろうか。

 そう思い至っても相手が相手だからか恥ずかしさは余りない。しかし、戸惑いがない訳ではなく、思考と行動に空白が生まれてしまった。


「何だい。アタシの肉が食べられないってのかい?」


 それを躊躇いと見てかフォーティアが不機嫌そうな声を出す。


「いやいや、そういう訳じゃないけど……」

「なら、ほら、あーん、しなよ」


 慌てて否定した雄也に対し、彼女はさらに箸を近づけてきた。覚悟を決めて口を開けて首を伸ばす。と、一瞬の内に二枚、三枚と肉を放り込まれた。


「むぐ、ぐ、んぐ」

「どうだい? 焼き加減には自信があるんだけど」

「っ!!」


 口の中に広がる味に、雄也は思わず目を見開いた。


「う、うまい!! こんなにうまい肉、初めてだ!」


 恐らくは牛肉のカルビに近い何かの肉の部位。その味はかつて焼き肉屋で食べた特上ですら全く比べものにならない衝撃的なものだった。何せ、舌の上で溶けるという正直単なる誇張表現だと思っていた現象が現実に起こっているのだから。


「ふふん。魔法で瞬間的に焼き上げるから、うまみを全く逃がさずに仕上げられるって訳さ。最高の肉に最適な焼き加減。これでうまくない訳がないってね」

「な、成程」


 ドヤ顔なフォーティアの解説に納得する。確かに、魔法があれば焼き加減を自由自在に操ることができるだろう。それこそブロック肉全体に均等に熱を入れたり、逆にピンポイントに焦がしを入れたりすることすら可能に違いない。


「ま、アタシレベルの魔法制御力あってこその技だけどね。ちなみに、焼き魚や野菜の素焼きも得意中の得意だよ。じーちゃんのサバイバル特訓で散々焼いて食ったからさ」


 フォーティアが若干遠い目をする。何かトラウマ染みた経験があるのかもしれない。

 それはともかく。雄也の意識は彼女の言葉よりも昼食に向いていた。

 試食程度の半端な量の肉を口に入れたせいで食欲を刺激され、舌に残る肉の味との相乗効果によって尚のこと白いおにぎりが美味しそうに見える。我知らず生唾を飲み込む。

 その雄也の様子に気づいてかニヤリと笑うフォーティア。


「ん。いい傾向だね。アタシのも分けて上げるからしっかり食べなよ」


 彼女は紙の皿を取り出すと焼き上がった肉を置き、それをこちらに寄越してきた。


「よく食べて、よく運動して、よく眠る。規則正しい健全な生活は陰鬱な気持ちを吹き飛ばしてくれるからね」


 そう言うとフォーティアは肉と野菜を頬張り始める。その姿は実に豪快だ。

 確かに彼女の言葉は正しい。整った生活をしていれば心も安定する。だが、今はそれよりもフォーティアという友人がいると再認識できたことが雄也にとっては大切だった。


(アイリスだけじゃなく……恵まれてるな、俺は)


 改めてそう思うと微かに目頭が熱くなる。それを誤魔化すように、雄也はアイリス作のおにぎりに再び手を伸ばした。そして、フォーティアに倣って豪快にかぶりつく。


「お、いい食べっぷりだね」


 合間に極上の焼き肉を食べ、再びおにぎりへ。相性バッチリで食が進むことこの上ない。


「うんうん。それだけ食欲があるなら午後はもっと激しくしてもよさそうだね。恐怖心や寂しさなんて感じないぐらいに扱いてあげるから、覚悟しなよ」

「お、お手柔らかに」


 パチリと片目を閉じて楽しげに言うフォーティアの存在に心の中で感謝しつつ、その傍らで午後の訓練を思って戦々恐々としながら頷く。


(午後に備えてエネルギー補給しないとまずいかも)


 この後少し食べ過ぎて、二人共一時間近く食休みが必要になったのは内緒だ。


    ***


 青年にとってアンタレスは兄であると同時に師でもあった。

 剣の技も魔法の知識も全て彼に学んだ。おかげで、その二点に関しては彼に及ばずとも世界でもトップクラスにあると自負している。

 他種族を上回る身体能力を得た今、世界最強と謳われたランド・イクス・ドラコーンにも勝るとも劣らない強さを得たはずだ。しかし――。


「無様な姿だな。弟よ」

「く、に、兄、さん」


 青年は今、兄の前で地面に這いつくばっていた。

 その見上げた目に映るのは漆黒の鎧。青年と同じ、かのオルタネイトと似て非なる歪な黒き装甲を身に纏ったアンタレスの姿だった。


「同じ真超越人ハイイヴォルヴァーならば後は技量の勝負だ。そうなれば、所詮俺の劣悪な模造品に過ぎん貴様が俺に勝てる道理はない」


 彼は抑揚なくそう告げると、青年の腹を蹴り上げた。


「ぐ、かはっ」


 その勢いそのままに転がると共に強制的に肺の中の空気を吐き出され、青年は息を荒くしながらうずくまった。それをアンタレスは冷淡に見下ろす。


「自ら学費を稼いでまで魔法学院に通っても無意味だったな。何の成長も見られない。いや、むしろ甘くなったか? どちらにせよ、俺が忠告した通りだな」


 王立魔法学院に学ぶべきところはない。正にその学院出身であるアンタレスは、かつて青年にそう言い放ち、学院に通うことを許さなかった。

 しかし、青年は兄と己との差をそこでの経験の有無だと考えた。そして、賞金稼ぎバウンティハンターとして金を稼ぎ、入学金と授業料を捻出して魔法学院に通い始めたのだった。


「所詮定型通りの教育。才を剥奪されし基人アントロープが通ったところで惨めに思うだけだ」


 遠き過去を射抜くように虚空を睨みつけ、しかし、アンタレスはフッと力を抜いた。


「だが、それも変わる。オルタネイトを殺せば変わる。基人アントロープ真基人ハイアントロープとなり、世界は再び基人アントロープのものとなるのだ」

「そのために何の罪もない少女を人質に取ると言うのか!?」

「俺の劣化コピーとは言え、真超越人ハイイヴォルヴァーとなった貴様が敗走した相手だ。念には念を入れるべきだろう。それに罪はある。基人アントロープではないという罪がな!」


 その嘲るような言葉に、青年は奥歯を噛み締めた。

 あの選択が正しかったのか分からなくなる。かと言って、あのままであれば彼はなすすべもなく命を落としていたはずだ。彼女もそれを予想したからこそ許容したのだ。

 だが、そのせいで彼の周囲に危険が及ぶとまでは想像できなかった。兄がそこまで卑怯な真似をするとは考えられなかった。家族故に盲目になっていたのだ。

 そして、兄に卑劣な行為をさせまいと明確な形で彼と敵対した結果がこのざまだった。

 情けなさに唇を噛みながら、地面に手をついて立ち上がろうとする。しかし――。


「〈インテンシブバインド〉」


 アンタレスの無感情な声と共に鎖が生み出され、それに拘束されて青年は身動きができなくなってしまった。真超越人ハイイヴォルヴァーの強化された身体能力を用いてさえビクともしない。

 的確に力が入らないように縛られているようだ。


「ソーサリージャマー起動」


 ならば魔法で、という考えを読んだように魔法発動を妨害する指輪型魔動器ソーサリージャマーを装着させられる。結果、魔力を取り込めなくなってしまった。

 これではもはや時間経過で機能停止するのを待つしか術はない。普通ならば。


「でき損ないとは言え弟。殺しはすまい。世界が変われば貴様も理解できるはずだ」


 うつ伏せのまま顔を上げる。既に無力化したと思ってかアンタレスは背を向けていた。


「通信も別の魔動器で封じてある。全てが終わるまで、そこで転がっていることだな」


 僅かに振り返って見下す兄の視線に、青年は身じろぎした。その動きに合わせて事前に彼女から借り受けたタリスマンが装甲の内側、胸元で僅かに揺れる。


「さあ、起きろ。木偶人形共。変革の始まりだ。くく、く、はははははっ!!」


 哄笑に促されるように、部屋の影に控えていた幾体もの異形が現れ出てくる。その様子は虚ろで〈ブレインクラッシュ〉の影響が見て取れる。

 超越人イヴォルヴァー。人間の尊厳を奪われし命の成れの果て。

 その姿は一様に醜悪だ。他の超越人イヴォルヴァーのように現存する生物の特徴が見て取れる訳でもない。元が人間であるにもかかわらず、まるで人間のなり損ないの如き歪な外見。特に琥珀色を盛大に穢したような小汚い肌の色は不快感を煽る。

 ワイルド・エクステンドはそれを小鬼人ゴブリントロープタイプと呼んでいた。


「そ、そいつらまで引き連れて何をするつもりだ!?」

「街で暴れさせて時間稼ぎをする。オルタネイトが執心の亜人を人質にするまでのな」

「なっ!?」


 彼と親しい者どころか、全く何の関係のない人々まで平然と巻き込もうとする兄に愕然とする。更には誰もが忌避して使われなくなった蔑称まで軽々しく口にした姿に、青年の心は急速に冷めていった。

 もはや家族であろうと許容できない。


「そこまで堕ちたか!!」

「全ては真基人ハイアントロープを取り戻すためだ。……行くぞ」

 アンタレスは青年の叫びにそう冷たく返し、小鬼人ゴブリントロープ達と共に去っていく。

 その場に残るのは床に転がったまま拳を握り締める青年のみ。


「もはや是非もない」


 保険として渡されたタリスマンを意識しながら呟いた青年の言葉は、静けさの中に消えていった。


    ***

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