第三話 呪詛

①ドクター・ワイルドの呪縛

    ***


 今日はイクティナにとって、いい一日になるはずだった。

 朝の爽やかな風に乗せられるまま、言い訳染みた理屈を捏ねて約束を取りつけ、初めて同級生と放課後に遊びに行くことができたからだ。

友達……とまではいかないかもしれないが、大分親しくなれたような気もする。それが何よりも嬉しかった。

 イクティナには友達がいなかった。

 理由は一つ。魔力制御、特に放出に難のあるイクティナは、よく魔法を暴走させるからだ。ランプに火を点けるような簡単な魔法ですら時々そうなる。

 原因は分かっている。既にSクラスを誇る膨大な魔力のせいだ。しかも、まだ成長中。

 このまま制御できずにいると、いずれ致命的な魔法の暴走を引き起こしかねない。

 いや、既に異世界から人間を召喚するという重大な事故を起こしているのだが、それ以外は備品の破損が精々で、幸い誰かに傷を負わせたことはない。

 とは言え、それを踏まえればイクティナと仲よくなるのに二の足を踏むのは当然で、クラスでも浮いた存在に成り果てているのだった。

 もっとも、アイリスのように恐れられている訳ではない。

 クラスの皆とも挨拶ぐらいはする。

 生来のおっちょこちょい風味の性格のおかげか、皆の認識はドジッ娘(ただし、大惨事を起こす)という感じで、かなり距離を取って生温かく見守られている感じだ。

 ただ、これでは友達とはとてもとても言えないだろう。

 そんな関係しかない中で、折角今日はクラスメイト二人(しかも自分よりもレベルの高いボッチであるアイリスと、召喚事故で呼び出してしまった男の人!)と街を巡ることができたのに。喫茶店で一緒に大好きなガムムスの実のパイを食べていたのに――。


「……イーナ、気がついた?」


 今、イクティナはアイリスに背負われて惨劇の場から逃げていた。意識を取り戻したばかりの頭でその理由を理解し直すのに、一日を振り返る必要があった。


「夢じゃ、ないんですよね?」

「……現実」


 喫茶店のオープンテラスから見えた光景がフラッシュバックし、思わず口元を抑える。

 授業の中で人間の解剖写真やそれなりに酷く欠損した魔獣の遺体ぐらいは見たことがあった。血塗れの光景も女の子として多少耐性はある。

 しかし、理不尽な暴力によって無残に、一方的に命が奪われる瞬間を目の当たりにしたのは初めてのことで、その事実の恐ろしさに意識を手放してしまったようだった。


「アレって、この前学校を襲った奴と……」

「……恐らく、同類」


 アイリスの簡潔な肯定に、今更ながらにあの日の自分が命の危機の只中にあったことを厳然たる事実として知る。あの時は早々に気を失って相手の本当の強さを目にしていなかったため、今の今まで現実味がなかったが……。


(もしかしたら、今日殺されたあの人達みたいに…………今日だって)


 惨たらしく殺されていたかもしれない。そう考えると体の震えを抑えられない。


「……もうすぐ学院の女子寮」


 僅かに気遣うような色を含んだアイリスの言葉に、ほんの僅かながら心に余裕が戻ってくる。そうなると…………何か大事なことを忘れているような気がしてきた。


「っ!! そうです! ユウヤさんは!?」

「……………………大丈夫。先に学院長の家に送っておいた」

「そうですか……よかった」


 いつもより言葉を発するまでの合間が妙に長かったのは気になるところだが、一先ず彼の無事を知って少し安堵する。


「…………私とイーナを心配して寮まで送ると言われたけれど断った。ユウヤには悪いけれど私の方が素の生命力は強いし、最短距離」


 広場から学院長の家までは広場から学院までよりも近い。そして、恐らくユウヤよりもイクティナを背負ったアイリスの方が移動スピードは速い。合理的だと思う。


(……って、あれ?)


 一部分だけ切り取ると理に適っている気がしたが、よくよく考えると一度学院長の家に行ったのであれば、そこで待機するべきだったのではないだろうか。


「あの、アイリスさ――」

「…………このまま何ごともなく、と思ったけれど、そううまくはいかないみたい」


 疑問を口にしようとしたが、アイリスの忌々しげな呟きに遮られた。


「……〈バインド〉〈アクセラレート〉」

「え? きゃああっ!」


 突然何かで体をアイリスの背中にガッチリと固定され、身体強化魔法による急加速の慣性がかかった。固定された部分に力がかかって痛い。

 一瞬の負荷から解放された時、アイリスとイクティナは寮への道に背を向けていた。

 視界には先程歩いていた位置の地面が抉れ、その奥には悠然と立つ異形の姿がある。

 飛蝗のような特徴を持った人型の何か、確か超越人イヴォルヴァーとか呼ばれていた存在。


「……イーナ、寮へ逃げて」


 眼前の脅威から視線を外さずにイクティナをその場に降ろしたアイリスは、余裕の欠片もない緊張した声でそう促した。


「そ、そんなっ! アイリスさんを置いては――」

「……今のイーナに戦う力はない。足手纏い」

『フゥウーハハハハハッ!!』


 アイリスに反論できずに口を噤んだイクティナを嘲笑うように、哄笑が響き渡る。


獣人テリオントロープの娘よ。貴様とて我が超越人イヴォルヴァー飛蝗人ローカストロープを前にすれば塵芥に等しき力しか持たぬ癖に、よく言えたものであるな』


 それは国宝の窃盗犯にして、一週間前の学院襲撃の黒幕たるドクター・ワイルドの声だった。今回の事件もまた彼の仕業だったようだ。


「……オルタネイトはどうなったの?」


 彼の言葉を黙殺し、アイリスが強い口調で問う。


(オルタネイト……学院を襲撃したあの化物から私達を守ってくれた人)


 気絶していたイクティナはその姿を見ることはできなかったが、あの日現れた怪物がオルタネイトを名乗る全身鎧の騎士に倒されたことはラディアから聞いていた。


(もしかして今回も助けてくれた?)


 そう内心で問う間にドクター・ワイルドがアイリスの質問に答える。


『さてなあ。止めの直前に態々横槍を入れて飛蝗人ローカストロープを助けてくれた愚かな騎士共に、足止めを食らっているのではないか?』

「……騎士……余計な真似を」

『気持ちは分かるのである。そのせいで貴様達はここで命を落とすのだからなっ!!』


 次の瞬間、飛蝗人ローカストロープが動き出した。それに先んじてアイリスがスカートの内側、太腿のホルダーから短剣を取り出しつつ魔法を発動させる。


「……〈フルアクセラレート〉ッ!!」


 小さくも力強い声と同時に、アイリスはイクティナの知る彼女を遥かに上回るスピードで飛蝗人ローカストロープに突っ込んだ。


「ア、アイリスさん、無茶です!!」


 生命力はEクラスに過ぎないイクティナの反射神経では捉えるのも難しい速度。にもかかわらず無謀に思い、イクティナは咄嗟に叫んだ。

 何故なら身体強化魔法〈フルアクセラレート〉は大きな欠陥を持つ魔法だからだ。

 そもそも〈フルアクセラレート〉は土属性、光属性、闇属性の魔力でしか発動することができない魔法だ。と言うのも、魔力はものに宿し続けにくい性質を持つだからだ。

 ものの性質に沿った属性なら緩和されるが、普通はすぐに拡散してしまうのだ。

 そのため、火や風は気体、水は液体、土は固体以外には宿しにくい。

 光と闇は若干特殊で、生命力に近しい性質を持つために命ある存在に宿し易い。その関係で、この二つの属性は治癒魔法や精神干渉魔法を使いこなすことができる。

 これらの要因から〈アクセラレート〉を超える〈フルアクセラレート〉を使用するためには、前提として先述の三つの属性のいずれかでなければならないのだ。

 大きな欠陥はここからだ。〈フルアクセラレート〉を使用すると一時的に己の限界を遥かに超えた速度を得ることができる。だが、それ故に負荷が大きく、生命力Sクラスでなければ制御できないのだ。

 Aクラス以下が使用すれば負荷に耐えられず、よくて筋断裂。骨折。

 万が一通常の〈アクセラレート〉ですら体に負担がかかるイクティナレベルの生命力で使おうものなら(それなりに魔力が必要だし、そもそもイクティナは風属性なので使えないが)、発動させた瞬間に全身がバラバラになって命を落とすだろう。

 そんな魔法を初手から使うなど、戦闘経験皆無のイクティナでも悪手だと分かる。

 アイリスがそれを分かっていないはずがない。

 つまり敵はそうせざるを得ない遥かに格上の相手で――。


「ぐっ……かは……ごほっ、ごほっ」


 瞬く間にアイリスは吹き飛ばされて壁に叩きつけられてしまった。その衝撃に肺の空気を強制的に吐き出させられたのか、彼女は苦しげに咳き込む。


「アイリスさん!!」


 その姿を見て、イクティナは状況を忘れてアイリスに駆け寄った。


「……イーナ……早く、逃げ、て」


 飛蝗人ローカストロープの攻撃と〈フルアクセラレート〉の副作用により、全身を激痛が苛んでいるのだろう。アイリスの声は掠れ、表情は歪んでいる。

 それでも彼女は鋭い目に戦意を湛え、何とか立ち上がろうとしている。


『フゥウーハハハハハッ!! 逃げられると思っているのであるか!? 状況を理解できていない愚か者め!!』


 イクティナを守ろうとするアイリスの意思を愚弄するような馬鹿笑いに、イクティナは飛蝗人ローカストロープを睨みつけた。恐怖に震える体を怒りで抑え込むように、破けんばかりに己の唇を噛みながら。

 その痛みのおかげか、僅かながら冷静さを保って彼我の戦力差を考えることができる。


(身体能力に劣る私じゃ……確かに逃げ切れません。通信も妨害されてて助けも呼べないみたいですし。ここでアイリスさんを見捨てようと身捨てまいと……け、結果……は、変わ、変わらない、でしょう)


 結果。死。一瞬想像して体が大きく震えてしまう。歯の根が合わない。

 怒りでは誤魔化せない恐れを抱き、目に涙が溜まって視界が滲む。しかし――。


(変わらないの、なら……せめて)


 イクティナはアイリスに背中を向けて飛蝗人ローカストロープの前に立ちはだかった。恐怖と諦観とある種の倒錯がもたらす歪な覚悟と共に。


(と、友達を見捨てずに――)


『ふん。自殺志願者であるか。ならば、望み通り死ぬがよい。やれ! 飛蝗人ローカストロープ!!』


 視界の中の飛蝗人ローカストロープの姿がぶれ、イクティナは身を竦めながら目を固く瞑った。

 次の瞬間、大きな衝突音が二度連続して響く。それを聞きながら、イクティナは「死ぬ時って意外と痛くないんですね」と思った。


(……って、何でそう思えるんでしょう)


 少しの間の後、そんな疑問が脳裏に渦巻く。


「……オルタネイト」


 さらに背後からそんなアイリスの呟きが耳に届き、イクティナは飛蝗人ローカストロープの攻撃が己に届いていないことを知った。そして、恐る恐る目を開ける。

 瞼に過剰に力を込めていたせいか、視界がぼやけて咄嗟に目の前の光景を把握できない。


『ククク、フハハ、フゥウーハハハハハッ!! 素うううん晴らしいいいいっ!! 正にヒーローのようではないか!! オルタネエイトよ!! フゥウーハハハハハッ!!』


 ドクター・ワイルドの馬鹿でかい叫びの合間にようやく焦点が合う。

 そしてイクティナの目に映ったのは、純白の装甲を纏った馬に跨る騎士の姿だった。


    ***


 間一髪だった。

 あの直後、どこからともなく(と言うか学院長宅からだろうが)空を駆けて魔動機馬アサルトレイダーが現れ、背に乗るように促してきた。

 手がかりを何一つ持っていなかった雄也は迷わず背中に飛び乗り、そうして彼(?)の意思のままに走らせた結果、二人の危機に間に合ったのだ。

 どうやらアサルトレイダーには超越人イヴォルヴァーの位置を把握する能力があるらしい。恐らく、表立って活動中の、という枕詞が上につきそうだが。

 ともかくギリギリのところで魔動機馬の体当たりが飛蝗人ローカストロープに炸裂し、アイリスとイクティナは九死に一生を得たのだった。


『ククク、フハハ、フゥウーハハハハハッ!! 素うううん晴らしいいいいっ!! 正にヒーローのようではないか!! オルタネエイトよ!! フゥウーハハハハハッ!!』

「黙れ。よくも二人を……!」


 心底愉快そうに馬鹿笑いをするドクター・ワイルドに強い怒りを押し殺すように言いながら、アサルトレイダーが二人の盾となる位置取りで地面に降り立つ。

 背後では色々と限界だったのか、イクティナはペタンとその場にへたり込んだ。

 怯えを隠せない彼女の姿に雄也は固く握った拳にさらに力を込めつつ、何ごともなかったかのように立ち上がった飛蝗人ローカストロープを見据えた。


『さあて、第二ラウンドと行こうか。と言いたいところであるが、先の戦いを見るに、この状態では貴様にはもはや敵うまい』

「っ! 貴様、まさか!!」


 その言葉の意味に気づいた時には、飛蝗人ローカストロープはその異形の姿をさらに歪めつつあった。


『そう。過剰進化オーバーイヴォルヴである』


 これまでは飛蝗の特徴を多分に持った人間という印象だったものが、飛蝗が二足歩行に進化したかのような禍々しい姿へと変質していく。


「ガアアアアッ!!」


 最も変化したのは足だ。いや、腹部に生えた二本の小さな手も中々に衝撃的だが、正に飛蝗のような逆関節となった足は、ようやく飛蝗としての運動能力を十全に発揮できるようになったことを示しているようで恐ろしい。

 そして、過剰進化オーバーイヴォルヴした飛蝗人ローカストロープはその脚部をバネのように沈み込ませた。


(まずい!)


《Bullet Assault》


 飛蝗人ローカストロープが蓄えた力を開放する前に、雄也は再び手に取ったハンドガンの引き金を引いた。

 銃口から琥珀色の光球が撃ち出され、一直線に敵を目指す。しかし――。


(あのタイミングから避けられた!?)


 飛蝗人ローカストロープは先程までの最高速度を優に超えたスピードで真上に飛び、かと思えば突然ベクトルの向きが変わったかの如く、ほぼ減速なく雄也へと上空から突っ込んできた。


(これは……〈スツール〉かっ!?)


 方向転換をした際、アイリスとの訓練で見た足場のようなものが彼方へと飛んでいくのが視界に映った。恐らく、それによって急激な方向転換を成し遂げたのだろう。


(最低でも決め技二発。出し惜しみすべきじゃない)


《Convergence》


 内心で忌々しく舌打ちしながら迫り来る飛蝗人ローカストロープを待ち構え、獣人テリオントロープの感覚を用いてその動きを捉える。いかに速くとも、折れ曲がるように進行方向を変えようとも軌道はあくまでも直線的。捕捉は不可能ではない。


(ここだ!)


《Final Bullet Assault》

「アンバーアサルトシュートッ!!」


 突っ込んできた飛蝗人ローカストロープをギリギリで回避し、予測通過地点へと光球を解き放つ。雄也の脳内におけるシミュレーションでは、己の攻撃のみが命中するはずだった。

 勿論交錯する刹那、飛蝗人ローカストロープが攻撃されるがままでいるとは思わない。とは言え、これは蝙蝠人バットロープの時に経験したパターンだ。故に飛蝗人ローカストロープの反撃は避けられると甘く見ていた。

 実際、二本の腕であれば問題なかっただろう。しかし、過剰進化オーバーイヴォルヴと共に追加された三本目、四本目の腕は飾りではなく、雄也が纏う装甲を捉える。


「ぐっ」

「グガッ!?」


 一先ずの攻防が決着した時、飛蝗人ローカストロープだけでなく雄也もまた体勢を大きく崩していた。


「くそっ」


 銃口を敵に向け、牽制のために琥珀色の弾丸を放ちながら体を立て直す。

 光球は確かに飛蝗人ローカストロープに命中したが、彼はそれを意に介さず再び飛びかかってきた。


(決め技でさえ大してダメージがない。広場の時よりも随分と硬くなったな。…………いや、それにしたって異常だ。異常と言えば、今俺がくらった攻撃も特に痛みは――)


 自問する間にも飛蝗人ローカストロープは迫り、雄也はハンドガンを構えた。

 しかし、銃口が敵を捕らえた瞬間、飛蝗人ローカストロープは右にほぼ直角に方向を変える。

 咄嗟に照準を合わせようとするが、その時には既に相手は背後に回り込んでいて背中から攻撃を食らってしまった。が、こちらもダメージはほぼない。

 反作用によって速度を減じられた飛蝗人ローカストロープに対し、即座に琥珀色の弾丸を叩き込んで反撃するが、それも僅かに相手をひるませただけだ。


(千日手、か。一応アイリス達が回復するまでの時間稼ぎにはなるけど……)


 時間をかければ、また横槍が入りかねない。そのせいで再び飛蝗人ローカストロープを取り逃がすようなことがあれば、新たな犠牲者が出るのは確実だ。

 是が非でも、この場で速やかに倒さなければならない。焦りが鎌首をもたげる。


(けど、どうすれば――)


『ユウヤ、属性の相性!』


 アイリスの声にハッとして彼女を見る。

 彼女の前でへたり込むイクティナが何の反応も示していないところを見るに〈クローズテレパス〉で伝えてくれたのだろう。いつもの一呼吸分の間がない辺り、確定的だ。

 そうアイリスへと意識を逸らしたのを隙と見て、飛蝗人ローカストロープが再び襲いかかってきた。その動きはさらなる加速を見せ、雄也を囲い封じ込めるかのように〈スツール〉によるものらしき足場を用いて全方位から連続して突っ込んでくる。


(属性……相性か……)


 その四本の腕による攻撃を何とか回避しつつ、彼女の言葉から訓練の中で教わったことを記憶から拾い集めて咀嚼する。

 魔力には火、水、土、風、光、闇の属性がある。そして火と水、土と風、光と闇は反発し合う性質を持ち、互いが互いの弱点となるのだ。

 逆に同じ属性の魔力であれば親和性が強く、例えば火属性の相手に火属性の魔法を放っても威力が大きく軽減されてしまう。


(そうか。つまり――)


 土属性特化の獣人テリオントロープ形態に変身した今の状態でハンドガン本来の威力が出ないということは、飛蝗人ローカストロープもまた土属性ということになる。

 騎士達が風属性の魔法で攻撃していたのも、相手の属性を何らかの方法で既に知っていたからだろう。そして、弱点故にダメージを与えることができていた、と。


(属性の選択ミスか。俺の失敗だな)


 このままでは恐らく負けることはないだろうが、同様に勝つことも不可能だ。

 となれば、取るべき方法は一つだけだ。


(そして、これで終わりだ)


「アルターアサルト!!」

《Change Phtheranthrope》


 風が体を取り巻き、全身が鷲の特徴を持った異形の姿へと変じる。同時にそれを覆う装甲の琥珀色だった部分が新緑の輝きを帯び始めた。


「〈グラントルネード〉」


 土属性とは反発し合う風属性特化の翼人プテラントロープ。こちらの属性があちらの弱点であると同時に、あちらの属性もまたこちらの弱点となるが故に、雄也は攻撃を受ける前に魔法を発動させた。


《Convergence》


 同時に決め技を放つ準備を整えるため、MPドライバーに魔力の収束を開始させる。


「吹き飛べ!!」


 先んじて使用した魔法は、雄也を中心に飛蝗人ローカストロープが動き回っていた範囲にのみ激しい風を巻き起こし、己以外の囚われた全てを空中へと巻き上げる。

 さすがは魔法と言うべきか、上手く制御すれば範囲外にいるアイリスやイクティナに影響は出ないようだ。


「ガアアアアッ!?」


 一方、激しく逆巻く風の範囲内にいた飛蝗人ローカストロープは、全身を深く切り刻まれながら軽々と上空へと舞い上がった。足掻くように羽を広げるが、それも風によってズタズタに引き裂かれていく。もはや、そこから脱する術はない。


「今度こそ……終わりです。安らかに眠って下さい」

《Final Arts Assault》


 電子音が鳴り響いた瞬間、雄也の背中に新緑色の光が翼の形となって展開される。イクティナ達が言っていた翼人プテラントロープが持つ飛行補助器官が作動したのだ。

 それによって浮力を得た体が緩やかに浮かび上がり、風の檻に囚われて無防備に浮遊する飛蝗人ローカストロープの高さに迫る。やがて雄也はその姿を正面に捉え、同時に右足を突き出し――。


「ヴァーダントアサルトブラストッ!!」


 技の名を叫んだ刹那、背後で爆発的に気流が生まれ、前方へと急激に加速される。

 未だ〈グラントルネード〉が作り出し続けている流れを切り裂き、そこに満ちる風の魔力を全て右足に取り込みながら、真っ直ぐに飛蝗人ローカストロープへと空を翔け抜ける。


「うおりゃあああああっ!!」


 そして、膨大な力を宿した右足が、体勢を立て直すこともままならない飛蝗人ローカストロープに突き刺さった。それと共に蓄えた力が破壊のエネルギーとなって彼に流れ込んでいく。

 次の瞬間、周囲の浮力が全て消え去り、雄也は大地に降り立った。

 対照的に、蹴りの衝撃を全て受け止めた飛蝗人ローカストロープは重力に逆らうように空を水平に飛んでいき、そのまま地に落ちることなく爆散してしまった。


「ふう」


 その様を見届けてから一つ大きく息を吐き、アイリス達に歩み寄ろうとする。と――。


「フゥウーハハハハハッ!! 随分と慣れてきたようであるな!!」


 再びドクター・ワイルドの声が響いてきた。

 それに対して強い不快感と共に舌打ちをしながら、ふと気づく。〈テレパス〉のように無駄にクリアな音ではないし、声が発せられている方向がハッキリと分かる。


「っ! まさか――」


 振り返り、そこに魔法が見せる虚像ではない実体のドクター・ワイルドを視認した正にその直後、全身に強烈な下向きの力を受けて雄也は地面に押しつけられてしまった。


「ぐっ、な、何、が?」

「六属性混合魔法〈ポイントグラビティ〉。重力操作と言えば、理解できるのではないか?」

「貴、様の、仕業か!!」


 心に狂気を孕んだ敵を前に、身動きのできない状況に甘んじるなど危険極まりない。地面に手をつき、歯を食い縛って何とか立ち上がろうとする。


「く、そ」


 しかし、体にかかる圧力は力を込めれば込める程に強くなり、体は僅かたりとも起き上がらない。動くのは視線が精々だ。


「貴様が予想よりも労せず飛蝗人ローカストロープを倒してしまったのでな。この程度で己の強さに満足しないように、ちょっとした目標を与えに来てやったのである」

「な、何を、言ってる?」


 僅かに見えたドクター・ワイルドの歪んだ笑みに、正体の分からない焦燥感が募る。

 その視線の先にあるものに気づき、意味を持った焦りは一気に限界を超える。


「二人には手を出すなっ!!」

「なあに、命までは取らん。今のところはな」


 雄也の叫びに一瞬ドクター・ワイルドの意識が二人からこちらに移る。

 アイリスはそれを隙と見て、かつ好機と判断したようだった。

 彼女は再び両手にナイフを構えながら駆け出し、彼に襲いかかる。しかし――。


「さすがは生命力に長けた獣人テリオントロープか。超越人イヴォルヴァーの攻撃を受けただろうに、もうこれだけ動けるとはな。だが……まだまだ甘い」


 振るわれたナイフはドクター・ワイルドに届かない。

 アイリスの片腕は魔法で生み出されたものらしき鎖に囚われ、もう片方は単純に手首を掴まれて強引に止められていた。


「丁度いいのである。このまま貴様を、オルタネイトがさらなる進化を自ら求める理由としてやろうではないか」


 ドクター・ワイルドがそう告げた瞬間、彼のもとに強大な魔力が集まっていく。その代わりに雄也を縛る重力の枷が少しずつ弱まる。

 恐らく、並列使用できない程の高レベルの魔法を発動させようとしているのだろう。そんなものをアイリスに向けて使わせる訳にはいかない。


「さ、せるかっ!!」

《Change Therionthrope》《Convergence》

「〈ラピッドアップリフト〉ッ!」


 装甲の新緑色が琥珀色に変わると同時に、雄也は魔法を発動させた。

 その効果によって急激に隆起させた石畳に己の体を運ばせて、無理矢理ドクター・ワイルドの頭上へと持っていく。


「ぐ、おおおおっ!!」


 未だに残る重力に慣性が加わり、全身を押し潰さんばかりに増した圧迫感に必死に耐えながらも、決して敵からは目を離さない。そして――。


「人の命をもてあそぶ外道! その罪、命で贖え!」

《Final Arts Assault》

「アンバーアサルトクラッシュッ!!」


 Γの形に隆起させた地面を消し去り、魔法の重力を加算してドクター・ワイルドへと落ながら拳を繰り出す。直後、肉を押し潰すような嫌な手応えを右手に感じ、思わず顔を歪めながらも確かに直撃したことを知る。

 並の人間ならば、確実に命を狩り取られるだけの威力は有していたはずだ。


「〈ヘキサカース〉」


 にもかかわらず、魔法は発動してしまった。超越人イヴォルヴァーすら容易く屠れる程の威力を持つ一撃は、ドクター・ワイルドの左手を完膚なきまでに砕きながらも受け止められていた。

 彼の右手から禍々しい魔力がアイリスへと伝わっていく。


「……く……あ、ああ……」


 苦しげに呻き声を上げたアイリスは、普段の無表情からは想像もつかない程に顔を苦悶に歪めていた。それだけで彼女がどれ程の苦痛を受けているか分かる。

 やがてドクター・ワイルドは手を離し、アイリスは立っていることもできず膝をついた。


「彼女に何をしたっ!?」

「ふっ、呪いを与えただけである。何、心配する必要はない。吾輩は優しいのでな。解呪の方法も用意してある」

「貴、様……」


 嘲るような声に思わず拳を振り上げるが、言葉の続きを聞くために何とか耐える。


「懸命であるな。解呪方法は一つ。六属性の魔力を用いた解呪魔法〈ヘキサディスペル〉を使用すること。そして、それをなせるのは貴様だけである」

「どういう、ことだ」

「この魔法を扱うには、最低でも魔力が六属性全てにおいてSクラスである必要がある。現時点では吾輩しかこの世におらん。勿論、吾輩は解呪するつもりなどない」


 この場で暴力に訴えて脅す選択肢が脳裏によぎる。だが、もはや無残に潰れてくっついているだけの彼の左手を見て取り消す。この狂人に脅しは無意味だろう。


「だが、貴様ならば魔力吸石を集め、MPドライバーに取り込むことによってそのレベルへと進化できる可能性があるのである」


 その言葉に雄也はMPドライバーに視線を向けた。何もかもドクター・ワイルドのシナリオ通り、ということか。奥歯を噛み締め、拳を固く握り締める。


「ああ。呪いの効果を言い忘れていたな。この呪いは進行性だ。最初は沈黙。発声と〈テレパス〉の使用が不可能となる。それから一年毎に新たな呪いが加わり、まず嗅覚と味覚が、次に聴覚、視覚、触覚と失われていく」

「な……んだと?」


 その余りに惨たらしい内容に戦慄する。

 真綿で首を締めるような悪辣な苦しみの与え方を容易く選択することのできる、その歪んだ精神性。改めてドクター・ワイルドは己と相容れぬ絶対の敵だと知る。


「そして……五年目に死に至る」


 狂気の笑みと共に告げられた言葉に、視界の端でアイリスがビクリと震えた。

 自分よりも強大な敵に迷わず立ち向かえる程に強い彼女も、さすがにその残酷な内容に恐怖を抱いたようだ。彼女も十五歳の女の子なのだ。当然だろう。


「故にダラダラとするのは推奨しないのである。特に光と闇の魔力吸石については国宝級と同等以上の量と品質が必要となるのだからな」

「そんなもの、どうやって――」

「そこまで吾輩は面倒を見切れないのである。精々頑張りたまえ」


 馬鹿にするように肩を竦めながら、ドクター・ワイルドは雄也に背を向けた。


「では、さらばである。フゥウーハハハハハッ!!」

「待――」


 咄嗟に伸ばした手は、しかし、何も掴むことはなかった。既に彼の姿はどこにも存在しない。どうやら〈テレポート〉してしまったらしい。


「くっ」


 そうして残ったのは虚空に彷徨わせた手を握り締めて下ろした雄也と、目の前の展開についていけずに呆然としているイクティナ。苦しみに耐え続けるアイリスだけだった。

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