④与えられた力

 誰も目の前の出来事に理解が追いつかず、何の行動も起こせずにいた。


(これは、あの夜の?)


 蝙蝠の如き翼を持ち、尚且つ黒光りする皮膚を持つが、確かに人の形をした存在。見覚えがあるが故に驚き、身動きできずにいるのは雄也だけだろう。


「一体何だ、これは。敵意どころか意思と呼べるものが、何も、感じられない……」


 呆然としたようにラディアが呟く。


「まさか〈ブレインクラッシュ〉が使われているのか?」

『フゥウーハハハハハッ!! その通おおおりっ!! さすがは王立魔法学院最強、ラディア・フォン・アルトヴァルトであるな!!』


 彼女の自問の言葉に答えるように、どこかで聞いた馬鹿でかい声が響く。


「ドクター・ワイルド!? そうか……これは貴様の仕業か!!」

『ご明察。紹介しよう!! 我が実験体超越人イヴォルヴァーが第二号、蝙蝠人バットロープである!』

「ギギ、ギャギャアアアァァーッ!!」


 ドクター・ワイルドの言葉に応じるように、蝙蝠人バットロープが蝙蝠の鳴き声とも人間の悲鳴とも取れない音を発する。それに対し、ラディアは不快そうに眉をひそめた。


超越人イヴォルヴァー? 蝙蝠人バットロープだと? 貴様は何を言っている!? これは何だ!?」

『ふっ、いかに聡明な貴様とは言え、一見しただけでは理解できぬか。だが、責めはすまい。この強制進化の偉業、真に理解できる者などいないであろうからな』

「強制……? ……っ! まさか、元は人間か!?」

『正解である』


 愕然と目を見開いて問うたラディアに対し、ドクター・ワイルドが愉悦に満ち溢れた声で答え、さらに言葉を続ける。


『この蝙蝠人バットロープの素体は、掃いて捨てる程いる平凡な基人アントロープの男に過ぎん。だが、我が実験によって、これ程までに素晴らしい力を得たのだ!』

「き、貴様……! 一般人を拉致し、人体実験を行ったと言うのか!? 〈ブレインクラッシュ〉といい、こうも容易く人道にもとる行為を!」


 声を荒げるラディアの瞳には明確な怒りが見て取れた。

 特に、〈ブレインクラッシュ〉と口にした時の表情を見る限り、彼女はその魔法には憎悪とでも呼ぶべき感情を抱いているようだ。


「ラディアさん。〈ブレインクラッシュ〉というのは――?」

「……人格を破壊する禁呪指定の闇属性魔法だ。人に用いれば廃人同然となり、操り人形と化す。しかも、一度破壊された人格を修復することはできん。もっとも、ある程度の生命力と魔力があれば抵抗することは不可能ではないが……」

『フゥウーハハハハハッ!! 単なる一般人にそれ程の力がある訳がなかろう! いとも容易く人格を失いおったわ!』


 ドクター・ワイルドの嘲りにラディアは奥歯を噛み締め、鋭い視線を彼に向けた。


「そ、それじゃあ、この人は――」

『意思のない人間など生きているだけの人形に過ぎん。否、今となっては吾輩の道具か』


 雄也の問いに対し、さして重大なことでもないかのように簡単に答えるドクター・ワイルド。そんな彼の態度に雄也は我知らず拳を固く握り締めた。


(道具……だと!?)


 昨日の話が本当ならば、蝙蝠人バットロープの素体となった男性はもう元に戻れない。その上、人格を破壊され、挙句の果てに道具扱い。人間に対して許される仕打ちではない。


(ふざけたことをっ!!)


 余りに身勝手なドクター・ワイルドの言動に、思考が怒りで埋め尽くされそうになる。


「貴様という奴は……人間を何だと思っているのだ!!」


 それはラディアも同じようで、彼女はその感情のままに新たな魔法を発動させようとしてか右手を高く掲げた。しかし――。


『おおっと、残念だが、蝙蝠人バットロープの相手は貴様ではないのである』


 そうドクター・ワイルドが告げた正にその瞬間、超音波染みた甲高い振動音がグラウンドに響き渡った。


「な、く、ぐああっ!」


 ラディアを含め、その場にいたほとんどが耳を押さえて膝をつく。当然、彼女が行使しようとしていた魔法は発現せず、光の障壁もまた形を保てず霧散してしまった。


『一先ず邪魔者には退場して貰おう』


 音の嵐の中でも何故かハッキリ聞こえる彼の言葉を合図に、さらに一段階振動音の強さが増した。それにより、グラウンドにいた者は一人また一人と気絶して倒れ伏していく。


「く、ぐう……」


 雄也もまた不快な音に脳を激しく揺さぶられ、意識をかき乱されていた。

 だが、それは気持ちを強く持つだけで耐えられる程度のもので、逆に激情にかられつつあった思考に冷静さを取り戻してくれた。


『この攻撃の中で立ち続けるか。さすがは被召喚者。苦痛への耐性は人一倍であるな』


 周囲に目を向けると、既に雄也以外に意識をまだ保っているのはラディアとアイリスだけだった。その二人にしても表情は苦悶に染まり、膝をついている。

 すぐ近くにいたイクティナは、多分に漏れず目を回して仰向けに倒れていた。


(位置の問題、じゃないか。俺は耐性があるとして二人は――)


 よく見るとラディアは全身に薄ぼんやりとした白銀の光を纏っており、アイリスは四つの耳全てが琥珀色に淡く輝いている。魔法か何かの効果で身を守っているようだ。


(とは言え、完全に防げる訳じゃないっぽいな。学院最強とか言われてたラディアさんでこれなら、他の人は望むべくもない。アイリスが特殊なんだろう)


 そのアイリスの耳を包む光は徐々に輝きを増していた。

 それに伴って少しずつ彼女の表情から苦しみが抜けていく。それに従って彼女の眼は獲物を狙う猟犬のように鋭く細められ、膝をつく体勢も少し変わっていた。

 まるで、そう、短距離走の選手がスタートする時のような――。


(アイリス!?)


 次の瞬間、アイリスは弾かれるように駆け出した。


『ま、待て! アイリス!!』


 ラディアの制止を振り切って速度を上げたアイリスは、いつの間にか両手に構えていた短剣で蝙蝠人バットロープに襲いかかった。

 高速で振るわれた二振りの短剣が連続で美しい軌跡を描いていく。


『ほう。聴覚遮断か。中々生きのいい素体である。だが――』


 蝙蝠人バットロープは、迫り来る白銀の煌きを全て容易く回避してしまった。

 それでも、さらに短剣による攻撃を重ねていくアイリス。その動きは実に洗練されており、雄也では目で追うのもやっとだった。

 しかし、やはり蝙蝠人バットロープには届かず、尽く空を切ってしまう。


『感覚を一つ潰した状態では十全に力を発揮できまい』


 ドクター・ワイルドは詰まらなそうに言い、それを合図としたように蝙蝠人バットロープは最小の動きでアイリスの一閃を避けると、彼女の鳩尾を蹴り飛ばした。

 その勢いにより、彼女は雄也達の前まで転がってくる。


「ア、アイリス!!」


 思わず彼女に駆け寄ると、ラディアもまた覚束ない足取りで近づいてくる。

 アイリスは両手で腹部を押さえ、うずくまりながら咳き込んでいた。


『今、貴様らに用はないのである』

『何だと?』


 その言葉に引っかかりを覚えたらしく、ラディアがハッとしたように顔を上げる。


『…………まさか、狙いはユウヤか!?』


 そんな彼女の問いを無視し、ドクター・ワイルドが歪んだ狂喜を滲ませた声を発した。


『さあ! ユウヤ・ロクマよ! 吾輩が与えた力、見せるがいい!! さもなくば、この場にいる全ての者の命はないぞ!! フゥウーハハハハハッ!!』


 どこまでも自分勝手なその言動に、音の衝撃によって沈静化していた怒りの感情が沸々と甦ってくる。しかし、雄也は同時に困惑もしていた。


(分からない。コイツは一体何がしたいんだ?)


 目的が人類の進化だということは、彼自身の口から聞いている。

 だが、何故雄也に力を与えたのか。どうして態々敵を作ったのか。全く理解できない。


(……けど、分かってることはある)


 それは、言う通りにしなければ彼は何の躊躇もなく、この場にいる全員を本当に殺しかねないことだ。それだけの狂気を彼はその身に宿している。

 まだ誰も命を奪われていないのは、脅迫の材料として価値があるからだろう。その脅迫の内容に関しては、全く以て意味が分からないが。


『どうした? 何を躊躇している?』


 不思議そうにドクター・ワイルドは問うが、躊躇いもするだろう。

 そもそも、敵に与えられた力を軽々しく信用して行使できる訳がない。今の今まで試してみようとも思わなかったのは、一種の罠である可能性を考えてのことだ。

 変身した途端、目の前の存在のように意思を奪われてラディア達に襲いかかっては目も当てられない。しかし――。


『まさか、蝙蝠人バットロープの命を奪うことに忌避感を抱いているのであるか? 人格なき人形など死体も同然。単なる肉の塊に等しいであろうに』


 その言葉を耳にして、雄也は力を行使することを決意した。

 元より選択肢は一つしかない。今、心を満たす思いも一つだ。方法も分かっている。


「……その言動を以って、貴様を人類の自由の敵と認識する」


 雄也はブレイブアサルトの台詞を告げて、腹部に手を当てながら歩み出た。


『ユウヤ!?』


 ラディアの戸惑いの声を背に受けながら、彼女とアイリスを庇うように蝙蝠人バットロープと対峙する。その時には、昨夜与えられたMPドライバーが雄也の腰に現れていた。


『何をするつもりだ! ユウヤ、下がれ!!』


 彼女の言葉を黙殺し、何度真似したか知れない構えを取る。そして――。


「アサルトオンッ!!」

《Change Therionthrope》


 雄也の叫びに合わせて電子音が鳴り響き、体が変質を始めた。

 全身に狼の如き特徴が現れ、元の世界の伝説に謳われる狼男ウェアウルフのような姿となる。

 しかし、変化した姿が顕になっていたのは一瞬だった。何故なら、瞬く間に雄也の全身を、純白を基調に琥珀色の紋様が描かれた装甲が覆い隠したからだ。


『ユウヤ……お前、一体……』


 呆然とした声に僅かに振り向くと、ラディアが目を見開いていた。隣でうずくまっていたアイリスもまた無表情を崩して瞳を驚愕の色に染めている。


『フゥウーハハハハッ!! それでよい。それでよいぞ! ユウヤ・ロクマ!! さあ、始めようではないか。我々の闘争ゲームを!!』


 その言葉を合図に蝙蝠人バットロープが再び動き出す。その動きはアイリスの攻撃をいなしていた時と比べ、一段と速くなっていた。

 しかし、雄也には蝙蝠人バットロープの行動を何とか捉えることができていた。変身したことによって動体視力が向上しているようだ。


「そこだっ!」


 数瞬先の位置を予測し、拳を放つ。だが、所詮は素人の非効率な攻撃。

 避けて下さいと言わんばかりに無駄だらけで、難なく回避されてしまう。

 空振ってしまえば隙だらけの姿を晒すことになるのは当然で、結果、雄也はカウンター気味に放たれた蝙蝠人バットロープによる爪の一撃を無防備に受けてしまった。


「ぐっ、く……」


 蝙蝠人バットロープの攻撃は装甲に阻まれ、衝撃だけが体を貫く。

 鈍い痛みは続いているが、しかし、耐えられない程のものではない。


「このっ!」


 仕返しとばかりに拳を叩きつけようとするが、それもまた避けられてしまった。


(やっぱり喧嘩もロクにしたことがない俺が、いきなりステゴロで相手を圧倒するのは無理か。……せめて武器があれば――)


 そう思うや否や、再び電子音が響く。


《Sword Assault》


 次の瞬間、雄也の手には程よい大きさの片手剣が生み出されていた。

 装飾はシンプルながら琥珀色の輝きを纏うそれは、素人目にも底知れぬ力を持つのが分かる。当たれば、蝙蝠人バットロープに致命傷を負わせることも可能だろう。


(これなら多少はっ!)


 だが、結局は当たればの話だ。

 素手よりは遥かにマシなのは確かだが、素人剣法では命中させることはできなかった。


(くっ……現実はこんなもんか)


 力任せの速さしかない一撃を繰り返すが、やはり予備動作が大き過ぎるらしく容易く避けられてしまう。剣でも、いや、近接武器では無理だと早々に見切りをつける。


(近接が駄目なら――)


《Bullet Assault》


 三度電子音が鳴り、雄也の望みに従って片手剣が琥珀色のハンドガンへと変化する。

 雄也はそれを速やかに構え、そのまま引き金を引き絞った。と同時に、銃口からは反動もなく琥珀色の光球が射出され、蝙蝠人バットロープに吸い込まれる。


「グギャ、ギャアアッ!」


 命中と同時に音波の嵐が止まり、蝙蝠人バットロープから悲鳴が上がった。その声の中には人間の名残が確かに感じられたが、雄也は引き金を引く指を止めたりはしなかった。


「ギャア、ギャ、グギャッ」


 二度、三度と攻撃が命中し、蝙蝠人バットロープの浅黒い肌を抉り、鮮血が舞う。

 当然、蝙蝠人バットロープは素早い動きで回避行動を取っているが、この距離で反動がなければ数を撃てば雄也でも十分に当てることが可能だった。

 光球が空気抵抗など関係ないかのように真っ直ぐ飛んでくれるおかげで、ゲームセンターのガンシューティングゲームでの経験が役に立っているのだろう。

 よくよく見れば、ハンドガンは拳銃よりもガンコントローラーに近い形状だ。正直こちらの方が剣などよりも余程手に馴染む。それを示すように命中率は上がり続けている。


(このまま押し切ることができればっ!!)


 恐らく、けりがつくだろう。僅かにだが、彼の動きは鈍ってきている。しかし――。


「ギャ、ギャ、ギャギャギャッ!!」


 撃ち出された光球をその身に何度も受けて弱った様子を見せていた蝙蝠人バットロープは突如その場で跳躍し、そのまま雄也の攻撃から逃れるように空に舞い上がった。


(飛んだ!?)


 慌てて照準を合わせながら何度か発砲するが、縦横無尽に空を翔ける蝙蝠人バットロープの動きは地上の比ではなく、光球は空の彼方へと消えていく。


「ユウヤ! 後ろだ!」


 ラディアの叫びにハッとして倒れ込むようにして横に避ける。直後、先程までいた空間を蝙蝠人バットロープが恐るべき速度で通過していった。

 必死に立ち上がって狙いを定めるが、既にそこに姿はない。周囲を見回すと、かなり離れた空にその影が見えた。かと思えば、素早い動きで旋回し、視界から外れてしまう。


(くっ、どうする……?)


 銃口が敵を追いかける速度より、飛翔速度の方が明らかに速い。そうなると相手の進路を予測して撃つ必要があるが、蝙蝠人バットロープはかなり変則的な動きをしており、距離があると当たるとは思えない。

 ゲーセンレベルなどではなく、最低でもクレー射撃レベルの腕が必要だろう。

 となると、近づいてきたところに一撃を叩き込むしかないが、そこまでの反射神経があるかと問われれば疑問だ。位置を正確に把握し続けられれば不可能ではないのだが……。


(どうすれば――)


「ユウヤ! もっと意識を集中しろ!」


 雄也の内心を見抜いたかのようにラディアが叫ぶ。


「もし獣人テリオントロープに変化しているのなら五感に優れているはずだ! その力を引き出せ!」


 当然だが、彼女が雄也の力の全てを把握している訳がない。

 それは今正に目の当たりにした事実を根拠にした仮定と彼女の知識を照らし合わせただけの、推論の域を出ないアドバイスに過ぎなかった。

 それでも、一つ判断材料が増えたのは確かだった。

 獣人テリオントロープは五感に優れている。

 その事実を前提に置けば、雄也の結論もまた彼女と同じものになる。


(集中、集中しろ……)


 著しく向上した動体視力でも対応できないなら、と目を瞑って視覚は捨てる。

 必ず聞こえるはず、と遠くの空で風を切る音にのみ意識を集中させる。


(この一撃に全ての力を込める!!)


《Convergence》


 その思いを受けたように電子音が鳴り、強大な力がハンドガンに収束していく。それに伴い、雄也の集中力もまた上限なく高まり続け――。


(…………捉えた!!)


 微かながらも確かな音が耳に届く。

 それはやがて雄也の死角に回り込むように動き、徐々に、徐々に大きくなっていく。そして、限界まで大きくなった正にその瞬間――。


「今だっ!!」


 カッと目を見開いて再び背後から襲いかかってきた蝙蝠人バットロープを全力で横に飛んで回避し、それが通り抜ける位置に照準を合わせる。


《Final Bullet Assault》

「アンバーアサルトシュートッ!!」


 雄也は蓄えられた力を爆発させ、琥珀色に煌く弾丸をタイミングよく解き放った。その恐るべき力の証明の如く輝きが視界を埋め尽くし、一瞬蝙蝠人バットロープの姿を見失ってしまう。

「ギャギ、ギャアアァァァ…………」

 しかし、その強大な一撃は間違いなく直撃し、蝙蝠人バットロープはまともな飛行を保つことができず、慣性によって少し先の地面に頭から突っ込んでいった。

 力を失ったその体は土埃を立てながら地面を滑り、摩擦によってようやく止まる。

 ピクリとも動かなくなった蝙蝠人バットロープは、やがて琥珀色の光を放ち始めた。

 その輝きは明滅しつつ、少しずつ強くなっていく。


(これは、まさか――)


 やがて限界を迎えたように一際眩い閃光を発したかと思うと、蝙蝠人バットロープは突然爆散してしまった。飛び散った肉片は地面に落ちると共に、溶けるように跡形もなく消え去っていく。


(お約束……いや、証拠隠滅か?)


 そんなことを考えつつも一先ず緊張感から解放された雄也は、深く息を吐くと共にハンドガンを下ろしたのだった。

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