③登校初日に迫る狂気の影

「実は昨日、王城にドクター・ワイルドが侵入して国宝の魔力吸石を盗み出したらしいのだ。それで現場検証の応援として緊急に呼び出されて、ろくに眠ることができていなくてな。ああ、魔力吸石というのはだな――」


 朝食の際、疲れ果てた様子で現れたラディアに対して開口一番どうしたのか尋ねたところ、そんなことを教えられて雄也は愕然とした。


(その魔力吸石って多分、アレに使われてる奴、だよな……)


 昨夜のことを思い出しながら心の中で呟く。


(ラディアさんに相談しようかと思ったけど、やめといた方がいいかもしれない。お世話になる人に申し訳ないけど……)


 しかし、ドクター・ワイルドは国宝級とか言っていたが、モノホンの国宝だったとは。

 これでは、もしMPドライバーとやらに使用されて雄也の体内にあると知られれば、殺してでも奪い返す、となるかもしれない。くわばらくわばら。


(それにしても、昨日の今日で、思ったより落ち着いてるな、俺)


 誤魔化しようのない人の死を目撃した上、己の体が異形と化すところまでも目の当たりにしたにもかかわらず、冷静に受け止めている自分がいる。


(これも召喚の影響って奴なのかな)


 あるいは、目が覚めたら自室にいたことを理由に、現実逃避的に夢だとでも思い込もうとしているのか。……残念ながら、MPドライバーの存在を確かに感じるので夢ではないことは明らかだが。起きがけには全身に強烈な違和感もあったし。

 ちなみに、その違和感は身嗜みを整えている間に薄れてなくなってしまった。


(まあ、変に動揺するよりはマシってことにしとこう)


 そんなようなことを考えていると、ラディアの魔力吸石に関する説明が終わる。内容としてはドクター・ワイルドと同程度の簡単なものだった。


「それにしても王城の警備、ざる過ぎやしないですか?」

「いや、そもそも警備は魔動器に頼り切りだからな。それを作った本人からすれば、侵入など赤子の手を捻るようなものだろう」

「はあ、成程。……じゃあ、この家はどうなんです?」

「私は奴を信用していなかったからな。その手の魔動器は全て自作だ。腹立たしいことに奴の作ったものに比べて大分性能は落ちてしまうが、それでも私が敷地内にいれば鼠の一匹まで居場所を把握できる」


(ああ。つまり、俺がドクター・ワイルドに拉致られたのはラディアさんが緊急の呼び出しで家を離れた後か。国宝の窃盗は一石二鳥の手だったんだな)


「で、ドクター・ワイルドの行方は――」

「分からん。研究室ももぬけの殻だ。研究資料などは残っていたが……」


 恐らくそれは、本命の研究ではなかったが故に放置されたものに過ぎないだろう。あの手術室染みた部屋もそうだろうが、本命は彼のみが知る秘密の場所にあるに違いない。

 当然ラディアもその辺は理解しているようで表情は苦い。


「まあ、その辺の調査は騎士達の仕事だ。ユウヤが気にする必要はない」


 ラディアはそう言うが、さすがに完全に無関係とは思えず複雑な気持ちを抱く。とは言え、現状対処できる問題ではないので静観するしかないが。


「さて、と。そろそろ学院に向かうとしようか」


 オートミールが主体の朝食を終え、食後の小休憩を挟んでからラディアが言う。


「了解です」


 何にせよ、今優先すべきは異世界で生きる地盤を固めることだ。そう思いながら同意を示すと、彼女は「うむ」と頷きながら近づいてきて雄也の手を取った。

 どうやら、この場から学院に飛ぶつもりらしい。


「では、行くぞ。〈テレポート〉」


 その言葉を合図に食堂から王立魔法学院のポータルルームに一瞬で移動する。瞬く間に目の前の光景が移り変わる様にはまだ戸惑いがあるが、少しは慣れた気がする。


(しっかし便利だなあ。この魔法)


 出現先に若干の制限があるとは言え、移動時間を短縮できるのは素晴らしい。人生において移動するだけの時間程無駄なものはないし。


「さあ、こっちだ」


 一先ず職員室に向かうらしいラディアの後に続きながら、雄也は「この魔法を会得できたらいいなあ」と呑気に思ったのだった。


    ***


(緊張しているのか?)


 朝食中、視線が揺れに揺れていたユウヤを見て、ラディアはそう思った。

 妖精人テオトロープの特性として常時発動している光属性の魔法〈シンパシー〉を通じて、今も彼の戸惑いのような感情が伝わってきている。下ろし立ての制服が馴染まないのだろうか。


(いや、これは罪悪感、か?)


 この〈シンパシー〉は相手の感情を感じ取ることしか能のない魔法だ。

 思考まで読める訳ではないし、感情にしても正確とは言いがたい。悪意などの負の感情であれば、こちらも不快な気持ちになるため、かなり分かり易いのだが。


(世話になって心苦しい、というところか)


 そう考えたラディアは「やはり悪い人間ではないな」とユウヤの評価を高めた。

 少なくとも昨日の応対の中で負の感情を向けられたことはなかったし、最も多く感じたのは感謝だった。ドクター・ワイルドに対してはかなり苛立っていたようだが、そこはむしろ共感シンパシーを抱く部分だ。極普通の善良な青年と見ていいだろう。


(何にせよ、この家での生活にはいずれ慣れるだろう)


 ラディアは若干苦笑しつつ「そろそろ学院に向かうとしようか」と告げた。それからユウヤの「了解です」という返事に頷き、特に深く考えずに彼の手を握る。


「では、行くぞ。〈テレポート〉」


 使用者の属性に関わらず使用できる無属性の空間移動魔法を行使する傍ら、懐の魔動器が自動で起動する。昨日も使用した〈アナライズ〉という魔法が組み込まれたものだ。

 効果は触れた相手の能力を計測するというもの。基本、他人に直接触れる機会はそれこそ〈アナライズ〉を行う時ぐらいなので、接触をキーに作動するようにしてあるのだ。

 何かしら訓練をした訳でもなし、一日で大きな変動がある訳がないのだが――。


(な、こ、これは!?)


 その結果を感じ取ったラディアは、驚きを隠すので精一杯だった。幸いユウヤは目の前の光景の移り変わりに気を取られ、気づいていないようだったが。


(生命力、魔力共にCクラス、だと!? しかも、属性が土に加えて火、水、風が増えている。昨日の今日で、どういうことだ!?)


 内心の動揺を顔に出さないようにしながら自問する。

 昨日の時点では生命力がGクラス、魔力はFクラスに過ぎなかったはずだ。


(あり得ない)


 百歩譲って一つクラスが上がる程度ならばないとは言えない。勿論、それにしたって相当の鍛錬を積まなければ不可能だが。

 にもかかわらず、特に何もしていないはずのユウヤが、それぞれ三段階のクラスの上昇を見せている。これは赤ん坊がいきなり大人になるぐらい常識の埒外にある話だ。


(まさか、ドクター・ワイルドが何か――)


 国宝の盗難事件から一日経っていない状況で、つい二つの出来事を結びつけて考えてしまうのは無理もないことだろう。とは言え、正解がどうあれ、そのまま推測を鵜呑みにする程、よくも悪くもラディアは愚かではない。


(いや、証拠はない。決めつけは早計か)


 いずれしても、ドクター・ワイルドの事件に続く新たな悩みの種が生じてしまったのは確かなことだ。生来の真面目な性格のせいで、気づかなかったことにはできない。

 そうしてラディアは頭を抱えたくなるのを我慢しながら、ユウヤを引き連れて職員室を目指すのだった。


    ***


 七星ヘプタステリ王国が誇る王立魔法学院はその名の通り、魔法や魔動器に関する知識を学ぶための機関だそうだ。広く門戸を開いており、年配の人々も時折入学してくるらしい。

 授業内容や期間によって色々とコースが設定されており、入学金や授業料は選んだコースによって変動する。その金額を用意できるかどうかが唯一の条件と言っていい。

 今回雄也は、最も一般的なコースである三年コースの一年A組に入ることになっていた。

 理由は召喚事故を起こした張本人、イクティナがいるからだそうだ。

 担任が昨日の年増な女教師、ファリスであることも要因の一つかもしれない。


「異世界から来ました六間雄也です。二十歳です。よろしくお願いします」


 そんなこんなで三年コース一年A組の教室にて。雄也はそう簡易な自己紹介をして頭を下げた。それから顔を上げて教室全体を見渡す。


(……二十世紀初めのヨーロッパ風の学校、って感じかな)


 支柱まで木製の机と椅子は当たり前。勿論、校舎は石造り。現代日本の教室と比べると微妙に薄暗い辺りも逆に雰囲気が出ている。


(ってか、もうあれだな。イギリスの魔法学校)


 そんな身も蓋もない評価を下しながら「あ、雄也の方が名前です」と最後につけ加えておく。続いて、態々教室までついてきてくれたラディアが一歩前に出て口を開いた。


「召喚魔法の授業を選択していた者は既に知っているだろうが、昨日イクティナが事故で召喚してしまった異世界人だ。この世界に適応するために、お前達と共に学ぶことになった。よくしてやってくれ。特にイクティナは責任を持ってサポートするように」


 そんな言葉と共にラディアから視線を向けられたイクティナは、過剰な程に背筋を正した。無駄に肩に力が入っているのが見て取れる。


「イクティナさん、分かりましたか?」

「ひゃ、ひゃい! が、頑張りましゅ!」


 ファリスの問いに噛み噛みの返事をするイクティナ。

 この子のサポートを受けるのか、と思うと不安しか感じない。

 その感想はラディアも同じようで、呆れるような半眼を彼女に向けた。


「はあ。やはり不安だな。イクティナ一人では。……仕方がない。アイリス、すまないがお前もユウヤを気にかけてやってくれ。と言うか、お前が主に世話をしてやってくれ」

「………………分かりました」


 ラディアの言葉に一人の少女が抑揚のない声で返事をする。

 アイリスと呼ばれた彼女は、さすがにラディアよりは大人びているが、それでも他の生徒に比べると色々と幼い女の子だった。髪の毛は琥珀色のセミショートで、顔立ちは整っていて、怖いくらいの無表情を差し引いても美少女と言って差し支えない。

 しかし、何と言っても目を引くのは――。


(獣耳美少女キターーーーッ!)


 人間らしい普通の耳の少し上の方に、狼のような耳がピコピコと動いている。

 まず間違いなく獣人テリオントロープだろう。


(……って、耳が四つ?)


 小さく首を傾げる。常識で言えば聴覚器官としての耳は普通二つだが。


(いや、でも、二次元イラストとかだと四つ耳派とかもいたしな……)


 やはり異世界では、元の世界の常識は投げ捨てた方がいいのかもしれない。

 理由を推測するなら、この世界の獣人は基人アントロープの進化形だからか。猿以外の哺乳類からの進化形ではなく、あくまでも人間+αなのだろう。


(まあ、何でもいいか。可愛ければ問題ない。可愛いは正義だ!)


 そう結論しつつアイリスを見詰めていると、彼女は全くの無表情と共に睨むような、ジト目のような半眼で見詰め返してきた。結構威圧感がある。

 何となく目を逸らしたら負けのような気がして視線を外さずにいると、彼女は根負けしたように僅かに目線を下げた。……勝った。


「アイリスは優秀な生徒だ。何かあれば頼るといい。ついでにイクティナにもな」

「ついで……わたし、ついで……」


 落ち込んだ様子のイクティナは完全に黙殺された。

 そんな彼女に向けられるクラスメイトからの生温かい視線。何となく、彼女のクラスでの立ち位置が透けて見える。動物園の檻の中にいる見た目可愛い系の動物みたいだ。

 雄也は思わずイクティナに憐れみの視線を送ってしまった。


「では、その辺りも考慮して、最初に一部席替えを行いたいと思います。まずはユウヤさんの席ですが――」


 気を取り直し、ファリスの指示に従って席につく。

 場所はアニメの主人公の指定席と名高い窓際の一番後ろの席……の隣だ。肝心の窓際にはアイリスが、逆側にはイクティナが移動してきている。

 ちなみにアイリスの席の机と椅子は今日追加したものらしく元は空白地帯。雄也とイクティナの席に元々座っていた生徒は、アイリス達二人の以前の席に移っている。


「ええと、改めて……六間雄也です。よろしくお願いします、アイリスさん」


 イクティナの方は未だにネガティブな雰囲気を振り撒いているので、一先ずアイリスに自己紹介を繰り返す。


「……アイリス・エヴァレット・テリオン。……アイリスでいい。丁寧語も必要ない」


 そう言いながら再び鋭い半眼をこちらに向けてくるアイリス。しかし、簡潔な言葉ながら声色自体には刺々しさはなく、別に不機嫌という訳ではなさそうだ。

 恐らく、それが彼女のニュートラルな目つきなのだろう。


「分かった。よろしく、アイリス。俺のことも雄也でいいよ」

「…………ん。よろしく、ユウヤ」


 アイリスは無表情のまま、ほんの僅かな動きで頷いて言った。

 その頃にはイクティナも気を取り直した様子だったので、今度はそっちに顔を向ける。


「あ、えと、イ、イクティナ・ハプハザード・ハーレキンです。クラスの皆さんと同じようにイーナと呼んで下さい」


 少し慌てたようにペコリと頭を下げ、自己紹介をするイクティナ。

 よくよく見ると彼女は彼女で素朴な顔立ちの可愛らしい女の子だ。

 長く腰まで伸びた癖のある髪は地球ではあり得ない自然な緑色で、自信なさそうな緑の瞳と合わせて端整な顔を引き立てている。垂れ目のおかげで主に癒し系の方向に。


「よろしく、イーナ」

「は、はい。よろしくお願いします、ユウヤさん」


 それにしても、これだけ可愛い女の子を鶴の一声で両隣に配置されては、男子からの嫉妬が凄いのではないだろうか。そう思って周囲を見回すと、何故か憐れみのような視線が多いことに気づく。それも性別問わず、だ。


(どーゆーことなの? 何かのフラグか?)


 首を傾げている間にファリスとラディアが教室を出ていき、生徒達が立ち上がる。


(ん? 何が始まるんです?)


 雄也が周囲をキョロキョロと見回していると、アイリスが無表情のまま肩をツンツンとつついてくる。振り返ると、彼女は一瞬間を置いてから口を開いた。


「……一時間目、グラウンド」


 説明はとてもありがたい。が、簡潔過ぎて今一ピンと来なかった。

 とりあえず立ち上がるけれども。


「あ、今日の一時間目は基礎戦闘訓練の授業なので、運動着に着替えてグラウンドに移動するんですよ。でも、ユウヤさんは多分、今日のところは見学だと思いますけど」


 イクティナがフォローしてくれて納得する。


「……先に、行ってて」

「ええと、わたし達は着替えてくるので……」

「ああ、うん。了解」


 そういう訳で二人と別れ、先にグラウンドに向かう。

 他の生徒の姿はまだないが、そこには担当教師と思しき獣人テリオントロープの男性とラディアがいて、何ごとか話をしていた。彼女の視線が時折こちらに向いていることからして、話題の対象が何かは予想できる。できるが故に少し内容が気になってソワソワする。


(まあ、当たり障りのない話だろうけど)


 しばらくその様子を眺めていると、ようやく着替え終わったらしい男子生徒が集まってきた。皆一様に半袖半ズボンのジャージに似た紺色の運動着姿だ。しかし――。


(何故、少し離れた位置で止まる。俺も集団に入れてくれよ)


 彼らはこちらを意識しつつも近づいてこない。かと言って、こちらから近づくのは少々躊躇われる。結果、雄也は嫌な距離間で一人ポツンと立っている状態になってしまった。


(これがボッチか……)


 そんなことを考えていると集団には近い位置にいるが、端の方で一人だった男子生徒がこちらに近づいてくる。彼は他の生徒に比べ、かなり大人びた雰囲気を持った……と言うよりも、普通に大人の青年だった。いや、制服を着ているので同級生だが。


「ユウヤ・ロクマ、でよかったか?」

「あ、ああ。えっと、君は――?」

「アレス・スタバーン・カレッジだ。アレスでいい。よろしく、ユウヤ」


 そう言って気のいい笑顔を見せるアレスは間違いなくイケメンだった。自然な青髪に碧眼。整った顔立ちに力強い体つき。これは女にも男にもモテそうだ。


「よろしく、アレス。…………ところで、不躾だけど一つ聞いてもいいか?」

「何だ?」

「どうして皆、遠巻きに見ているだけで話しかけてこないんだ? 転校生は質問攻めにされるものだと思ってたんだけど……」


 まあ、イケメンや可愛い女の子に限るのかもしれないが。


「それは……仕方がないと思うぞ。ユウヤは俺と同じ二十歳なんだろう?」


 アレスの問いに首を縦に振る。

 昨日、食事の際にラディアに確認したところ、こちらの暦は一ヶ月三十日が十二ヶ月+年末年始に三日から四日の補正期間を取る形らしい。ちなみに一日は二四時間(体感的に一時間は地球の一時間と同じぐらい)で一週間は七日で同じだ。

 なので、再計算しても年齢はほぼ変わらない。


「年上ってだけでまず一つ壁があるからな。クラスのほとんどは十五歳だし」

「……この学院って幅広い年齢層の生徒がいるんじゃないのか?」

「確かにそうだが、それは一年コースや三ヶ月コースの場合だ。三年コースには余りいない。精々クラスに一人か二人ぐらいのものだ」


 アレスの説明に「成程」と納得する。

 この世界の成人は十八歳であり、大体そのくらいで親元から離れるのが普通らしい。

 二十歳やそこらでは、ようやく生活基盤が少しずつ整ってくる頃だろうし、そんな時期に三年もの時間がかかるコースを選択する可能性は低い。その上、何らかの事情で現役入学できなかった者、という前提条件もあるのだから尚更だ。


(ってことは、アレスにもそんな感じの事情があるんかな?)


 そう疑問に思うが、さすがに今問うのは不躾どころではない。自重しておく。


「まあ、お前の場合は、それに加えて狂戦士アイリスと破壊魔イーナが世話役になったことも少し関係しているかもしれないな」

「きょ、狂戦士? 破壊魔? 随分物騒だな。女の子につける呼び名じゃないだろ」

「仕方がないさ。アイリスは目つきが悪い、無愛想ということで先輩に絡まれてキレた挙句、相手を半殺しにして恐れられている。イクティナの方は、身を以って体験したと思うが、魔法制御の甘さから魔法を暴発させて学院の備品を色々と破壊しているからな」

「あー……」


 つまりクラスで感じた憐れみの視線は、これまでの二人の所業故か。


「イクティナの方はまだ単なる落ちこぼれで済んでいて、あの性格のおかげでクラスのマスコットのような感じだが、アイリスの方は完全に腫れものに触る感じだな。彼女は彼女で、それで構わないというような顔をしているが」


 イクティナが動物園の檻の中の可愛い動物なら、アイリスは猛獣というところか。


「……っと、噂をすれば、その二人だ」


 アレスの視線を辿ると、着替え終えた女子の集団の一番後ろから二人が歩いてくる姿が見えた。男子同様全員、ジャージのような服で少々野暮ったい。


「まあ、色々と言ったが、所詮は他人の評価だ。ユウヤ自身の目で見極めるといい」

「……なら、何でそんなことを?」

「今この話を知って相手を色眼鏡で見るような奴は、後から知ったとしても態度を変えるだろう。なら、変にこじれる前に関係を壊した方が互いのためだし、そうでないなら何の問題もないだろう?」


 そう言うとアレスは離れていった。そんな彼の背中を見送る。


(うーん。何かイケメンオーラが出てるなあ)


「ユウヤさん、お待たせしました」


 声をかけられ、視線をやると二人がすぐ傍まで来ていた。


「では、基礎戦闘訓練の授業を始める」


 そうしてクラスの全員が集まったところで獣人テリオントロープの男性教諭が口を開いた。

 ちなみに、雄也達三人は男子の集団からも女子の集団からも少し離れた位置にいる。

 アレスはと言うと、二つの集団の合間にうまいこと溶け込んでいた。


「見学者は学院長のところへ」


 その指示に従ってラディアのもとへ向かう。すると、何故かアイリスとイクティナの二人もついてきた。


「アイリスさんは相手になる人がいないので自習なんです。さすが、生命力Aクラスは伊達じゃないですね」


 疑問を先回りするようにイクティナが言うが、それだけでは少々説明が不十分だ。主にイクティナ自身の事情について。

 問うようにイクティナを見ると彼女は誤魔化すように視線を逸らし、代わりに先程までとは逆にアイリスが口を開く。


「……イーナは危険。主に模擬戦の相手の方が。私でも嫌」

「暴走した魔法は何が起こるか分からんからな。さすがに人に向けては使わせられん。もう少し制御が上達するまでは見学だ」


 ラディアが苦笑気味にさらに補足をアイリスの言葉に加える。


「それはともかく、見学も授業の一環だぞ? しっかりと見て学ぶことだ。学院長たる私の前でサボりは許さ――」


 彼女はそこでハッとしたように言葉を切り、突然ある方向を見据えた。


「……ラディアさん?」


 そう雄也は問いかけたが、返答はなかった。

 彼女は困惑したように「これは…………何だ?」と自問するばかりだ。


「どうしたんですか?」


 雄也の再度の問いかけ。アイリスとイクティナの疑問の視線。それらを受けて、ようやく我に返った様子のラディアは周囲を見回し、それから焦ったように叫んだ。


「授業は中止だ! 全員、教室に戻れ!」

「え?」


 しかし、突然のことに誰もが戸惑うばかりで動かない。


「く、間に合わん! 〈ホーリーヴェール〉!!」


 ラディアの言葉と共に、グラウンドにいる全員を包むように半透明の光がドーム状に生じる。その現象に何かしらの反応をする暇はなかった。

 直後、上空から高速で飛来した何かが、魔法が生んだ光の障壁にぶち当たったからだ。

 まるで大型トラックが正面衝突したかのような轟音が生じ、大地が揺れ、グラウンドの砂が盛大に巻き上げられる。だけに留まらず、連続的な掘削音と共に何かが軋むような不快な音が光のドームの内部に響き渡った。


「ぐっ、くううぅ……」


 自身の魔法に対する負荷を受け止めるように、ラディアが一人苦しげに呻く。


「ラディアさん!?」

「……心配、する、なっ!!」


 彼女は光の障壁に己の力を注ぎ込むように言葉尻を強めた。それに伴って雄也達を包む光の強さが増していく。と共に軋みは消え、急激に掘削音も小さくなっていった。


「はあ、はあっ」


 やがて負荷がなくなったのか、ラディアは僅かに力を抜いて荒く息を吐き出す。どうやら、何者かの奇襲を防ぎ切ることには成功したようだ。


「ちっ」


 しかし、彼女は忌々しげに舌打ちし、正面を見据える。と、襲撃者は何ごともなかったかのように静かに砂煙の中に降り立った。

 あれ程の衝撃。反動も凄まじいはずなのに。


「単なる体当たりで私の〈ホーリーヴェール〉をここまで揺るがすとはな。……少なくともAクラスの魔物と同等かそれ以上と見るべきか」


 警戒を強めるようにラディアが告げる間に、砂埃に満ちた視界が晴れていく。

 やがて、追撃を仕かけるでもなく悠然とそこに佇んでいた影の姿が顕になった。


「こ、こいつは!?」


 それを見て、雄也は思わず驚愕を声に出してしまった。

 何故なら、それはドクター・ワイルドの実験室で見た存在。蝙蝠の特徴を持った異形と化した基人アントロープだったからだ。

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