第二一話:修羅場

「おい、天成大丈夫か! 気分が悪いのか?」

 俺の気分を悪くさせている原因が言った。

 いや、そいつに悪意があるわけじゃないが。


「千葉…… 自分がどうなっているのか、分かっているのか」

「ああ、分かっている――」

 クイッとメガネを持ち上げるポーズをするが、既にメガネは無い。

「本当に分かっているのか」

「ああ、俺はエルフになった。しかも、女だ。『TS』だな」

「よく平気だな……」

「まあ、なっちまったものはしょうがない。これも想定の内だ」

「オマエ…… すげぇわ…… マジで」

 マジで尊敬しそうになった。


「異世界に転移したんだ。性別逆転くらい些細な問題だ」

「いや、エルフにもなってるし……」

 俺は元千葉のエルフを見た。

 まさに幻想世界の一枚のイラストを切りぬいたようなものだ。

 輝く緑の長い髪。長い耳の完全無欠のエルフだった。

 緩やかな胸のふくらみがその性別を明らかにしていた。

 確かに本人も「女」といっていたし女にしか見えない。


「姿がどんなに変わっても、絶対に変わらないものがある―― オレがオレであることだ」

『〇ンター×ハ〇ターだ! 〇ンのオヤジのだぁ!』

 サラームの突っ込みが早かった。

 一瞬、カッコいいこと言ってるなぁ、って感心したよ俺。元ネタあったのかよ。

 しかし、やべぇ、コイツら…… 

 俺の脳内で、サラームが『フフン』と勝ち誇っていた。

 

「おい、天成」

「なんだ?」

「俺は美しいか?」

 ふわりと手で緑の長い髪をかきあげた。

 シャンプーのCMのように髪がサラサラと流れる。

 仕草が、手馴れすぎて俺は引いた。


「あ、ああ…… 美しいな」

 とりあえずつぶやく。

 すっと間合いを開けた。


「美しい女は正義だ。全方位的に正しい」

 有無を言わせぬ調子で断言した。

 そして、エメラルドグリーンの瞳で遠くを見つめる。

 翳りのあるその眼差しがまた、凄いレベル。

 俺は頭がおかしくなりそうだった。


「お前、男だろ……」

「今は女だ」

「いや、そうだけどさ……」


『見た目は女、頭脳は男、その名は千葉次郎!!』

『サラーム…… 頼む、勘弁してくれ』

『ここで、やっちゃえばぁ、面白いから。ね、アイン』


 このクソヲタ精霊の価値観は「面白いか」か「面白くない」かしかない。

 いいか、それは、オマエにとって面白いかもしれないが、俺にとっては面白くないんだよ。


「俺の学んだ血破・覇極流では、このような事態すら想定してあった」

 すっと、破れた繭から一歩踏み出し、千葉だったエルフは言った。

 その歩く姿すら、優雅といってよかった。


「すごい…… 通信教育だな」

「ああ、すごいな」


 千葉は話しながら、また一歩進む。

 俺は一歩さがる。

 

「しかし、問題はあるな……」

 千葉は少し、考えるように口に掌を当てた。

 いや、問題あるというレベルじゃなく、問題あるから。

 元ニートで、自爆テロを計画した俺ですらドンビキレベルで問題あるから。


「一人称だな…… 『俺っ娘』や『僕っ娘』は好みではない。萌えない。萎える」

 きっぱりと千葉だったエルフは言った。

 「男の娘」は平気な癖に、変なこだわりがありやがるのでございました。

 そして、千葉だったエルフは延々と「俺っ娘」と「僕っ娘」がなぜ、萌えないのか、そしてどうして萎えてしまうのか、その高説を語った。

 美しいエルフの外見をしたものが、こんな話をしている。

 俺の視覚神経と三半規管が痺れてきそうになる。


「というわけだ―― 天成」

「お、おう…… すごいな」


 もう、同意するしかない。

 

「天成、今後は『私』でいいかな? それとも何かあるか? こう、キャラの立つ一人称が?」

「いいんじゃね、「私」で」

 千葉だったエルフは、もはや、意識がキャラ付けの方に飛んでいた。

 なんで、コイツとキャラクタ設定の打ち合わせしてんだよ? 

 なんで、ダンジョンでエルフになってしまった男子高校生のキャラづくりの相談に乗ってんの? 


 キミは、千葉君だよね。俺の友達で男子高校生の千葉君だよ。

 ヲタクだけど、成績優秀な、なんか難しいこと言っちゃう千葉君だよ。

 俺は、そんな千葉君が大好きなんだ。だから、変なところにいかないで、お願い。


 俺のそんな望みをガン無視して、千葉君は語り続ける。

 細い腕を胸の下に組む。

 細い体に割には、胸のふくらみがそれと分かるくらいあった。胸のふくらみの下に腕が入る。


「あとは、名前だな。私はエルフの『千葉次郎』です―― これは、萌えない」

 ゆっくりと首を左右に振る。髪がサラリと揺れる。


 いや、元男子高校生のエルフという時点で、小手先をどうこうしても、萌える、萌えないの議論のテーブルにすら上がらんと思うよ。

「いや、いいんじゃね? 親からもらった名前だろ。大事にしろよ」

 俺は言った。また一歩さがった。


「天成ぃぃぃ!」

 急にでかい声を出した、エルフの千葉。

 部屋の中の空気がビリビリと震え、ホコリが舞った。

 細身のエルフの肢体から出た声量とは思えなかった。

 

「な、なんだよ? いったい」

「オマエにとって『萌』とはなんだ?」


『………ッッ。考えたこともねェ うまい料理を喰らうが如くだ』

『サラーム、助かった!』

 もう、なんでもいいよ。

 俺はサラームのセリフをそのまま、パクって言おうとした。

 しかし――

「バ〇ネタは禁止」

 先回りで禁止された。

 くそが!

『ちぃッ!』

 脳内でサラームが舌打ち。

 なぜか、千葉はニヤリと笑った。


 くそ!

 いいぜ、言ってやるよ。俺も言ってやるさ。


「命がけで萌えろ

 限界を超えて萌えろ

 夢を見て萌えろ

 自信をもって萌えろ

 思い切り萌えろ

 喰うのを忘れて萌えろ

 よく寝てから萌えろ

 明日も萌えろ

 最後まで萌えろ

 失敗したら、新しいので萌えろ」


 俺は言った。

 胸の中にある思いをぶつけてやった。

 萌は理屈じゃねえ。


「ほう――」

 すっと、エメラルドグリーンの瞳が細くなった。目を細めたのだ。

 その口にはあるかなしかの笑みが浮かんでいた。

 エルフの幻想的な笑みだった。

「車田〇美か? 天成」

「千葉…… おまえ……」

『え? 島〇和彦じゃないの?』

『お前の負けだ。サラーム』

『えーー!!』


 俺の脳内でヲタ精霊がショックを受けていた。12年では千葉の壁は越えられなかった。

 超えてしまったら、俺も嫌だったし。


 とにかく、俺は千葉の改名案を却下した。というか、先延ばしを提案した。

 異世界の様子を確認してから、名前を決めた方がいいといったのだ。

 これは意外にすんなり受け入れられた。


「確かに、一考の余地があるな」

「そうだろ」

「『カツオ』はイタリアでは不可だったし、ロシアでは『海老原』が不可だ。日本のある地方では『ボボ・ブラジル』、かつて、西武の外人が『マニー』という登録名となった」

 しらねーよ。お前、どんな奴なんだよ。

 まあ、納得してくれたのはありがたいけどね。


 とにかく、俺と千葉だったエルフは教室のある最下層に戻って行った。

 この部屋を新たな拠点とするように提案するのだ。


        ◇◇◇◇◇◇


「あ~ ただいまぁ」

「戻ってまいりました」


 俺と千葉は戻ってきた。

 一斉に視線が千葉だったエルフに集まった。


「天成君……」

 剣道部の船橋奈津美が話しかけてきた。

「ん? なに?」

「だれそれ? 千葉君は?」

「あーー、これ千葉だから、なんか罠にかかって、エルフになった」

 俺は正直に説明した。


「えええ!」という声が上がる「マジか? あれ、なんだよ?」という声も混じる。


「ふん、現実を消化できぬ、凡俗どもが……」

 千葉だった、エルフがひとり語ちた。ああ、確かに中の人は千葉以外の何ものでもないよ。


「お、俺、千葉でもいいかも……」

 はぁはぁ、言い出す奴が出てきた。正気か? おい?

 柔道部の佐倉というデカイ男だ。顔中がニキビでボコボコになっている。


『これは…… どうすればいいのかしら?』

 いつもなら「キター」と叫び、×を作るサラームが困惑している。

 もう、千葉は、女だからな。しかもエルフだし。


「私は嫌です―― アナタのような男はダメです」

 千葉は言った。

 神秘的な声音。空気を荘厳に震わせる声音だった。

 頭が痛くなる俺。


 俺の視線に長い黒髪の美少女が割り込む。シャラートだった。

 じっと、千葉を見つめている。


「だ…… 誰ですか? それ?」

 シャラートが言った。

 ライサもルビーの瞳を丸くしてこっちを見ている。

 エロリィも固まっていた。

「いや、千葉だけど…… なんか、ダンジョンで罠に……」


 シャラートのメガネの奥の瞳からポロリと水滴がこぼれ落ちた。

 あれ?

 なにそれ。


「う、う、う、う、わーーーーーん! アインがぁぁ! アインがぁぁ! 浮気したぁ! 女とぉぉ! 女と帰ってきたぁぁ!」

 膝から崩れ落ちるように、シャラートは座り込んだ。

 ワンワンと泣き崩れる。クールビューティのお姉様。


 俺は助けを求めるように、ライサを見た。

 あれ?

 ルビーの瞳から、ポロポロと涙をこぼしている。

 床にポツポツと涙の痕をつくる。


「あああああ、わーーん!! あああああああ! 捨てられたぁああ!! 私は捨てられたぁぁ!!! あああ!! ああぁぁ!」

 捨てるも何も、始まってもいないから。

 なにそれ?


「エ、エロリィ!」

 エロリィは教室を出て走って行こうとした。

 俺はダッシュして彼女を捕まえた。

「どこ行くんだよ! おい。話を……」


 金髪ツインテールがクルンと回転して俺を見つめる。

 碧い瞳から、涙が溢れそうになっていた。

 グッと歯を食縛って、それを堪えていた。


「ア、あああ、アンタなんかね! アンタなんか! もうね、アンタなんかぁぁぁ!!!」


 そう言いながら、ツーッと涙の筋をほほに這わせた。


 え?

 なにこれ?

 なに、この意味不明な修羅場は……


「おい、千葉、なんとか言ってくれ!」


 エルフだった、千葉は、ふわりと緑の髪を流し、俺の方を振り返った。

 そして、微笑んだ。

 

「私が正妻ですかな。これは――」


 千葉だったエルフが、勝ち誇ったように言った。

 

 俺はブラックアウトを起こしてその場にひっくり返った。

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