第十二話:異形の歌声

 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛ う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛


 なんだこれは?

 俺は震えを抑えることが出来なかった。ガクガクと体が震えた。


 その黒いミミズは歌いだした。異形の歌だ。

 単なる叫び声ではなく、一定のリズム、音階のある歌に聞こえた。

 歌にしか聞こえなかった。


 闇から聞こえる旋律。


 人が暗闇に対して持つ言い知れぬ恐怖をかき立てるもの。

 そういったものだった。


 精霊のサラームは、その物体を凝視していた。いつになく真剣な表情だった。さっきまでのヲタで腐った精霊の表情が消えていた。

 見たこともないような緊張感をまとっている。


 真っ黒いミミズのような物は、相変わらず歌い続けている。

 3メートル以上はある全身をウネウネとくねらせながら。

 

 突然、俺の視界が赤黒いものでふさがれた。

 血の匂いが鼻の中に流れ込んできた。

 シャラートだった。


「さがってなさい。アイン」

 その声が細かく震えていた。

 彼女もまた、なにかしらの恐怖という物を感じていたのかもしれない。

 

 それでも、彼女は俺の護衛としての使命を果たそうとしていた。

 俺を守るように立ち、両手でチャクラムを構えた。

 この異形のモノを相手として、この美少女も大気に濃厚な殺気を放ち始めていた。

 

 ダンジョンの空気が震える。

 恐怖と殺意のアンサンブルだった。 

 

 暗黒が割れた。

 その暗黒を思わせるヌルヌルとした表皮が割れた。

 完全に光を吸収し逃さない暗黒色をしたミミズだ。

 そいつの暗黒表皮に亀裂が入った。

 まるでミチミチと音がするかのように、引き裂かれていった。

 そして、割れたその奥からニュルンッと球体が姿を現した。


 目だ。

 眼球だった。

 巨大な一つの眼球だ。ヌルヌルとした粘液をまとった眼球。

 それは人の眼球を巨大にしたものに見えた。

 ギュルギュルと瞳が動く。瞳孔が開き、シュッと閉じる。

 その目はヌルヌルとした光を放ち辺りを見た。周囲をサーチするように動く。

 まるで、明確な意思をもって「見る」ということを行っているように見えた。

 

 俺はネットでグロ画像には慣れていた。

 ありとあらゆるURLを踏んでいた。

 その結果、散々ブラクラやウィルス、そしてグロ画像を体験している。

 もはや、俺のメンタルは並みのグロ画像では揺るがない強度を誇っていた。

 グロ画像を見ながらコンビニ弁当が食えた。

 

 その俺が恐怖していた。 

 コイツはヤバいと俺の本能が告げていた。

 異形の視線が俺を捕えたような気がした。


(人…… 子ども…… いや? すこし違いますね?)


 脳内に直接響くような声だった。直接、魂の根幹を冷たい触手でつかまれたような気がした。


(ほう…… 分かりますか? 私の言を捉えますか…… 巫女ではないのに……)

 

 妙にヌルヌルとした湿気のこもった感じのする声だった。いや、声じゃないのかもしれない。

 なんだ? 巫女って?


「シャラート、アイツ話している……」

「大丈夫です。私が守ります」

 

 彼女はチャクラムを構えすっと腰を落とした。

 

『サラーム。なんだ? コイツは?』

『知らないわ』

『知らないのか?』

『ええ』


 ヲタ精霊もネタをかます余裕がなくなっている。

 本来であれば『私にだってわからないことぐらいある』と答えるはずだろう。

 そして俺が「な、なんだってー」と答えるのだ。

 しかし、そのようなお約束の入る余地がなかった。


 そして突然だった。そいつが崩れていった。ドロドロと溶けるように、崩れていった。

 黙ってそれを見ているだけの俺とシャラートとサラーム。


『巨〇兵……?』


 サラームが少し余裕を取り戻したようだ。しかし、それは違う。

 

 巨大な眼球が崩れ落ちた。

 ドロドロとした腐った肉のようなものが床に広がっていく。


(受肉化は…… 無理でしたか……)


 また声が聞こえた。

 

「シャラート、声が…… 聞こえる?」

「声?」 

『声なんかしないわよ』


 声が聞こえるのは俺だけのようだ。やめてくれ。頼むよ。

 俺は楽しく温く、異世界で生きていきたいんだよ。こんな、変な物とかかわりになりたくないし。


(あああ、まだ早かったようです――  偶然ですか。空間の揺らぎの固有振動と、あの爆発…… 一時的な時空の逆位相がおきたようですね)


 ドロドロの物体からネットリとした声が響く。

 どうやら俺だけに聞こえるようだ。俺だけ電波の受信感度が良好なのか……

 嫌な予感しかしない。


 ドロドロとした腐った肉のような物がダンジョンの床に広がる。酷い臭いだ。腐った肉の臭いだ。


「酷い臭いです」

 シャラートが言った。臭いは共有できたようだ。


 「ビュン」いきなり全ての感覚が揺すられた気がした。


「消えた?」


 一瞬だった。その腐った肉が消えた。跡形もなくなった。臭いも消えた。


「アイン……」

「なに? シャラート」

「階段です……」


 彼女は短く言った。

 部屋に階段があった。

 まるで、そこにずっとありましたけど、なにか? と主張するかのように、階段がその部屋にあった。


 シャラートが俺を制して、先に進んだ。ゆっくりと罠を確認し、階段まで行く。

 階段も確認している。

 すっと、彼女の緊張が緩んだ気がした。


 「アイン、外です。これで出られます」

 シャラートは言った。


「あああああああ!!! 私の可愛い! アインちゃん! もう、可愛くて天才で、可愛いの、ああ、好き、大好き」


 ダンジョンから出た俺はいきなり、抱きかかえられた。

 母親のルサーナだった。

 数年前まで俺専用だったおっぱいに俺に顔が埋まっていく。

 柔らかで良い匂いがする。俺の安息の地だった。


「お母様」

「ああ、ママって呼んで、ママの方が可愛いわ。アイン、ママってよんで、呼んで欲しいの」

「ママ」

「許して、この容赦なく厳しいママを許して、ああ、アイン、私のアイン。可愛いの、大好きなの」


 容赦なく俺のほっぺたに自分のほっぺたをスリスリするルサーナ。

 その長い銀髪がサラサラと俺の額に当たった。

 そのままにしておくと、俺をペロペロ舐めそうな勢いだ。

 醒めた目でそれを見つめる俺の婚約者にして姉のシャラート。


「お父様は?」

「おうちで反省中です」

「反省?」

「私がここに来たいと言ったのに、反対しました。だから反省です」


 話しぶりからすると、今回の雑な修行計画について、ルサーナも同意はしていたような感じだ。

 しかし、ここに来るかどうかで揉めたようだ。

 まあいい、帰ったらあいつには然るべき報いを与えてやる。


 そして、俺は家に帰った。

 なんだかよく分からん修行のようなものは、終了した。


        ◇◇◇◇◇◇


 ―私は薄情者で父親失格です― 

 こんなプラカードを首から下げて、廊下に正座していた。

 

 「雷鳴の勇者」で救国の英雄で今はこのパンゲア王国の将軍職にある男だ。

 俺の父親のシュバイン・ダートリンクだった。


 顔面はぼろ屑のようになっていた。


「あ゛あ゛……  ア゛インかえってぎだが……」


 口の中が腫れて舌が回らないようだ。

 本物の雷鳴を喰らわせてやろうと思ったが、この姿を見てやめた。


 これが、将来の俺の姿なのかもしれないとちらっと思った。

 いや、俺は嫁には逆らわないようにしよう。絶対にだ。

 俺はそう心に誓ったのだった。


        ◇◇◇◇◇◇


 雑な修行から何日か経過した。

 あのダンジョンで見た、変な物については、一応両親に話した。

 黒いミミズのようなものだ。溶けて完全に消えてしまった。


「あのダンジョンに、そんな物がいることはないはずだが」


 シュバインは言った。ただ、ちょっと心当たりがあるような気配があった。

 口に掌を当て、考えていた。真剣な表情をするとイケメンの勇者様だった。一児のパパとなって、嫁の尻に完全に敷かれているけど。


「まさかな……」

 小さくつぶやいたのを俺は覚えている。


 とにかく、今となってはあれが何だったのかさっぱり分からない。


 とりあえず、俺の異世界の日常は平穏を取り戻したのだ。

 俺は本は魔法関係の本を読んで、初歩的な魔法を試したりしていた。

 しかし、まだ発動に成功していない。

 俺は素質がないんじゃないか? と最近は思っている。

 というわけで、熱も入らない。

 俺は元ニートだから、効率の悪いことなどしないのだ。


「人生適当」声に出して言いたい日本語だ。 


 俺はテラスに出て、ぼーっと外を見ていた。

 テラスの手すりに体重をあずけて外をみている。


「あまり、身を乗り出しては危ないです。アイン」


「大丈夫だよ――」


 後ろには背後霊のように、シャラートがいる。

 このお姉様にして俺の婚約者にして護衛のメイドさんは、俺のそばを離れない。

 とびきりの美少女であるが、中身は色々問題を含んでいる。

 実はふたりきりになると、ある意味、一番危ないのはこのシャラートなのだ。


『ねー、アイン、絵を描いて! 絵を描いてよ』


 サラームがホバリングしながら俺にいった。

 退屈しているようだ。

 まあ、俺も暇と言えば暇だ。


『ああ、なにがいい?』

『んじゃーね! 〇津×部長!』

『マニアックだな……』


 最近、俺は絵も描くようになった。前世でもちょっとは描いていた。

 宗教的な理由で人物の絵がタブーとなっているとヤバいと思っていたが、それは無かった。

 絵本なんかには普通に絵があったし。

 

 俺はポンと勢いをつけて、テラスの手すりから身を離す。

 で、部屋に向かってターンした。


「部屋に戻るよ。シャラート」


 そのときだった。

 

「きゃぁぁっぁぁぁ――!!」


 叫び声だ。

 

「死霊だ! 死霊がぁッ!」


俺の平穏な日常を木端微塵にする叫び声が響いた。

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