第八話:逃げた先にあるものに気づいたとき

「さっきのは、僕がやった。ごめん」

「そうですか……」


 俺はシャラートに自分が魔法を使えること。精霊を自由に使えることを言った。

 マッパのまま、風呂場で立っている俺とシャラート。

 

「回復も…… ですか?」

「まあ」

「どこで魔法を覚えたのですか……」

「それは……」


 下手な言い訳ができない。

 シャラートは、俺が生まれてからずっと俺を見てきた。

 俺が魔法を習得することなどやっていないということを知っている。


「僕は精霊が見える。生まれつき見える。話すこともできる」


 嘘はつかない。ただし転生者であることは明かさない。

 シャラートは衝撃を受けたように固まった。

 まずったか?

 この世界では、そういった存在は禁忌なのか……

 魔法で精霊を使うから問題ないと思ったが。

 

「魔力は? 呪文は? どうしているのです?」

「僕の場合、いらないみたいだ…… 頼むと、やってくれる」

 

 ここまで来たらしょうがない。正直に言うしかない。

 くそ…… しくじったか。

 俺は苦い思いを抱えて、シャラートを見た。

 美貌の幼女武装メイドは首からチャクラムをぶら下げ、そこに立っているだけだった。

 黒い瞳がじっと俺を見つめた。


「アイン様は、精霊使い(マスター)なのですか?」

「精霊使い(マスター)?」


 今度は俺が訊く番だった。


「上級魔法使いすら超える、精霊を自由に使役する存在です。伝説の中の存在です」

「いや、僕はそんなのじゃないと思います」

「そうですか……」

 

 精霊使い(マスター)とかそんな大層なものじゃない。

 ヲタ話を聞かせた精霊が、その話を聞きたいから気まぐれで俺に付き合ってくれているだけだ。

 魔力の受け渡しもない。そもそも、俺に魔力があるのかどうかも分からない。

 今のところ、魔力の代わりに「ヲタ話」が対価になっているだけだ。

 サラームがそれに飽きたら、俺と精霊の関係は終了だ。

 

「シャラート、お風呂であったことはお父様、お母様には言わないでほしい」

 

 俺は、このことを絶対に口外しないでくれと頼んだ。シャラートは静かにうなづいた。


 確かに俺は、精霊を使える。でも、それはタマタマだ。

 別に努力しないで得た力だからとか、精霊にやってもらったからという訳ではない。

 俺の能力としてずっと身についているものじゃないからだ。

 俺の能力は「精霊」を見て話しをすることだけ。

 いつも言うことを聞かせられるわけがない。


 人間ですら――

 そう、人間ですら、俺の思い通りには動いてはくれなかった。

 俺は、拳を握りしめる。まだ小さな2歳児の拳だ。

 もし、ここでいい気になって、精霊を動かしたとしても、いつか絶対に思う通り動かなくなる日が来る。

 今、サラームが俺のために動いているのは、ほとんど気まぐれみたいなものだ。

 人外の存在。ほとんど神様に近いような精霊をずっと魔力という代価なしに動かせるとは思えない。

 

 だから、秘密だ。

 俺が精霊を使えることは秘密だ。


 俺は、その精霊様を見た。

 少女の姿に4枚の光る羽をもった存在は、今も俺の周囲を飛んでいた。

 水の精霊はいつの間にかいなくなっていた。


 光りを折り重ねて構成したような羽と髪の毛。

 時々、パタパタと羽を動かし飛んでいる。

 移動する空間に光の帯が出来ているような感じがした。


『ねえ! 土の精霊を呼んで、ロ〇ットパンチ飛ばしたいわ! 私だけでもルストハ〇ケ〇ンできるし! あ…… 酸かぁ…… 酸がいるんだよね! アイン』

『そんな、細かい設定はいいから、もう、いいよ。とにかく、助けてくれてありがとう』

『いいわよ別に! お礼は永〇豪先生に言うべきだわ! 私だってアインの話を聞けなくなるのは困るし。幻の多角形コーナリング!』


 キュンと鋭い軌道で、俺の頭の上でインメルマンターンを決めた。それはコーナリングではない。

  

 サラームは、俺の知識を吸収し、ヲタ精霊となりつつある。なんか加齢臭もするし。ああ、俺のデッドコピーだ。

 眩暈がしてきた。

 なんだか、サラームも危険な存在になってくるような気もする。

 精霊王の候補だたというし、可愛い外見とは裏腹に、相当な力があることは分かっている。

 

 俺が完全に制御できないような大きな力はいらない。それなら小さくでも完全に手の内にある力の方がいい。

 そういう手ごろな能力が欲しい。


 俺はとりあえず、親の七光りと、「文化的方面」でちょっとやってみようかと思っている。

 絵をかくか、文を書くか、そういう方面で。ああ、「銀と黒髪の吟遊詩人」って何かもてそうな気がしてきた。 


 とにかく、武闘派は勘弁して欲しい。

 下手な力があると知れたら、俺の異世界ライフの計画は大きく狂う。

 

「アイン様…… 今後のお風呂ですが」

「もう、あんな無茶なことはしないでほしい。怖いよ」

「では…… 今後も?」

「ちゃんと、湯着を着て、洗って欲しい」

「はい、アイン様」


「シャラートのことは好きだ」


 この言葉がスッと自然にでた。

 あれえ? なんだろう、素直にこんな恥ずかしいことが言えるとは……


 俺の言葉を聞いて頬を染めるシャラート。

 2歳児の言葉で頬を染める8歳の幼女武装メイドだった。


 とりあえず、お風呂での騒動は片付いたと、この時の俺は思った。

 しかし、そう簡単にはいかなかった。


        ◇◇◇◇◇◇


「凄いわ! 凄すぎるわ! アインちゃん! もう、天才すぎてお母さんは、嬉しすぎて!」

 

「ぎゅうぅぅっ」と俺を抱きしめるルサーナ。柔らかい胸が俺の顔に押し付けられる。甘い匂いがした。


 バレた。

 俺が精霊を使えることがバレた。あっさりと。

 確かにシャラートはお風呂であったことは言わなかった。約束は守った。

 ただ、俺が精霊を使えるという事実だけを伝えたのだ。

 俺は、コミュニケーションの難しさを実感した。

 彼女に悪気が無いのは分かっているが、これは、非常にまずい状況だった。


 そのシャラートは、その場に立っている。

 相変わらず平素はクールな表情を崩さない。

 成長したら、黒い髪のクールビューティになるような気がした。なんか、メガネとか似あいそうだ。


「ああ! 凄いわ天才なのね。私のアインちゃんは、やっぱり天才なの、大好きよ!」

 俺の顔に自分の顔をスリスリしてくる。普段であれば大歓迎だったが、この状況では楽しめない。


 俺を抱きかかえたまま、部屋の中をピョンピョン飛び跳ねるルサーナ。

「銀髪の竜槍姫」の二つ名ので呼ばれた長い銀髪が揺れる。俺のお母様はどうも感情表現が大げさすぎるような気がする。

 

「精霊を使える…… 神か? 神に近いぞ、それは……」


 最悪のタイミングで家にいたお父様がつぶやいた。「雷鳴の勇者」と呼ばれる俺の父親であるシュバイン・ダートリンクだ。

 コイツは天才を通り越して、自分の息子を神扱いだった。2人そろって親バカすぎる。

 神認定はネットの中だけにして欲しい。されたことはないけど。

 

『アインよ! お前は神にも悪魔にもなれる! アイン、世界はお前のものだぞ! あはははははっはははあ――』

 

 相変わらず、俺の上空1メートルほどを旋回中のサラーム。

 それは、もはや、精霊の発言ではない。

 どーすんだ? この状況。


 ルサーナは抱きかかえていた俺をやっと解放した。

 そして、おでこにキスをした。本当に俺にメロメロで溺愛の母上様だった。

 しかも、息子が精霊を使えるという天才だと言われれば、舞い上がるのもしょうがない。

 彼女はまだ20歳なのだ。確かこの前の誕生日で20になったと思う。


「アイン」

「なんでしょうか、お母様」

「ああん、ママでいいの。ママってよんでいいの」

「はい、ママ」


 救国の英雄の1人、銀髪の竜槍姫、パンゲア王国の第三王女。もはや、親バカ通り越してただのバカにしか見えないんじゃないかと思った。

 淡いブルーの瞳で真っ直ぐに俺を見つめる。瞳に影ができるほど長くボリュームのあるまつ毛だった。

 

「見たいわ。ママも見たい」

「ああ、俺も見たいな」


 2人が言った。


「え…… でも……」

「ああ、そうね! ここじゃ狭いわね。アインの力を見せるには狭すぎるわ」

「じゃあ、外に行くか」

「はい……?」


 俺の話を聞いてくれるような状況ではなくなってきた。

 ここは「いやです」はっきり言うべきか。

 ヲタの俺は知っている。騒動に巻き込まれていくプロットの元凶は、優柔不断な態度だ。これが状況に流されていく原因だ。

 漫画、アニメ、ラノベを浴びるように吸収しまくったヲタの俺の結論だった。

 俺はどうすべきか?

 

「ママ」

「なあに! アイン! ああ、ママは楽しみなの。アインの力を見たいわ」

「あ…… はい」


 こんなキラキラした瞳で見られたら、どうにもできない。

 体調が悪いと言って断っても、それは一時しのぎだ。

 ここを逃げてどうするか?

 俺は今まで逃げてきた。戦っても勝てない。勇気と正義が勝てるのは物語の中だけだ。

 現実は、空気を読んで、力のある者に着くのが正解なんだ。

 俺はそれが分からず、尖がった正義感を振り回して、結局ニートの引きこもりになった。

 誰からも信用されない存在になったんだ。

 ここでも逃げるのか?

 

 俺は2人を見た。俺の両親だ。異世界に転生した俺の両親だ。

「雷鳴の勇者」と「銀髪の竜槍姫」の二つ名を持つ救国の英雄だ。俺はその息子として転生してしまった。

 ふっと、なにかが体の中を通りぬけたような気がした。


「分かりました。見せます。僕が今できることを――」


 俺は言った。


「じゃあ、テラスから飛ぶか?」

「どこに行きますか?」

「ん~、ああ確か、竜哭山の演習場が空いているかな」

「ああ、あそこは広いですね」


「私も同行します」

 シャラートが言った。

 静かだったが、当然であるといった言葉だった。


「あ、ああ…… 当然だな」

 シュバインが言った。

 

 そして、俺たちは屋敷のテラスに出た。広いテラスだ。

 街の様子が見える。 

 俺はこの屋敷から外に出たことが何回かあった。街はいかにもな異世界。中世ヨーロッパ風の世界だった。

 むしろ地球の中世ヨーロッパよりも清潔かのかもしれない。下水とか汚物の処理が魔法によってなされていた。清潔な街並みだ。

 トイレなどは日本と同等だった。魔力のこもった道具がトイレにあって、シャワー式トイレのようになっている。

 当然、この屋敷のトイレもそうなっている。


「じゃあ行くか」

 シュバインはそう言うと、すっと両手をおろし、拳を固めた。


「風と時と空間を総べる大いなる存在よ。事象の理を超え、空間と時を超え、我らを彼の地へ跳躍せしめん――」


 シュバインの呪文詠唱だった。

 俺自身、初めて見る物だった。

 キラキラとした精霊たちが姿を現してきた。凄まじい数だった。

 俺たちの周囲を覆うように飛んでいる。

 まるで光のカーテンのように見えた。


「ラーム・シャンツェ!」


 シュバインの声が響いた。

 そして俺の視界は完全に光りに包まれた。

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