第10話 ヘディングパス
結局体育大会で、あげははゴールテープ係になった。あげはがいじけて帰った後、唯が提案したのだ。あまり走る必要がない事と、結構重要な役割で、競技参加者との一体感も得られる。だから沢井さんも隅に置かれたとは感じないだろう、と言う唯の話には説得力があった。そして翌日、全権を委任された唯はあげはに話かけた。
「沢井さん、昨日の話なんだけど、結局沢井さんにはゴール係をお願いすることになったんだけど、やってくれるよね」
「ゴール係?」
「そう。ゴールテープを持つ係よ。大事なミッションだよ。しくじると、折角走ってもテープを切れなくなっちゃうから」
「何するのん?」
「えっと走る競技の前にゴールのところへ移動して、先生に聞いてテープ持ってくれたらいいのよ。解るよね?一番の子がテープ切ったら手を離すんだよ」
「うん、それは解る」
「じゃ、決まりでいい?三年生に言わなくちゃいけないんだ」
「うん…」
選考会の途中でいじけて出てきた事には、あげはなりの後ろめたさが残っていて、あげははそのまま承諾した。
という訳で体育大会当日、あげはは席とゴールを行ったり来たりしていた。赤組と白組は拮抗していて、最後の花形種目、紅白対抗リレーで勝敗が決まるという展開になっている。
あげはの目の前で1年生女子からスタートする。一人1周回って次の走者にバトンを渡す。あげはも赤組を応援した。1年生女子は白組がリードしたものの、男子で逆転し、バトンは2年生女子に渡った。赤組走者はヘレナである。金髪に赤い鉢巻をキリリと締め、ヘレナはバトンを受け取ると軽やかに駈け出した。しかし白組の女子も速かった。1メートルほどの差でヘレナが最後のカーブを回る。あげはもしゃがんだまま『がんばれー』と声援を送った。赤組の2年生男子走者は村上だ。村上はカッコつけて、スタート位置で腕を振り回し後ろを睨んでいる。
そのままヘレナが飛び込んできて、バトンを村上の手に叩き渡す。その瞬間、張り切った村上は腕を後ろに振り上げた。 え? バトンは村上の手からすっぽ抜け飛んだ。歓声が悲鳴になる。しかし、バトンはスタート地点にしゃがんでいるあげはのおでこに当たり、飛んで来た方向にきれいに跳ね返った。村上はリバウンドを取るとそのまま猛ダッシュした。全ては一瞬の事で、あげはには痛いという感覚も残らなかった。
丹波先生が駈け寄る。
「沢井さん、大丈夫?」
あげはもおでこに手をやった。バトンの硬くて軽い感触が残っているだけだ。
「はい。あんまり痛くなかったし、勝手に跳ね返って飛んで行った」
「凄いねー、村上君のところへ飛んで行ったもんね」
「偶然…ですけど…」
トラックでは3年生の競争になっていた。大歓声を受けてダッシュした村上が差を詰め、3年生男子が並んでデットヒートを繰り広げる。双方の応援も凄いことになっていた。
「あ、せや、次、テープや」
ぼーっと見ていたあげはは、もう一人のテープ係と一緒にゴールテープを張る。駈け込んできたのは赤組だった。あげはは最後のゴールテープを手から滑らせた。赤組応援席は大騒ぎだ。あげはも嬉しかった。
赤組のサヨナラ勝ちに終わった体育大会、終了後にあげははたくさん声を掛けられた。
「沢井、ナイスヘディング!」
「ども」
「正確なパスだったねー」
「いえ、パスちごてー…」
「沢井さん、足悪いけど、頭で稼げるじゃん」
「いや、まぐれです」
あげはもなんて答えていいのか判らない。状況は本来なら審判審議になるところだが、偶然の出来事であり不問になっていた。なのであげはも赤組勝利の立役者扱いだった。ウチ、こんなに話しかけられるのって中学入ってから初めてやん。あげはは生まれて初めて体育で照れまくった。
翌朝の教室もこの話題で持ち切りだった。白組だった夏芽はあげはを突っついた。
「まさか、あげはが赤組の秘密兵器とは思わなかったよ。いつ練習してたのよ?」
「する訳ないやろ」
「村上君があげはを苛めてたのって、このためのフェイクだったんでしょ?」
「あのアホがそんな芸できるかいな」
「結構怪しかったりしてー」
「せやからそんな訳ないやろ」
「愛のバトン?」
「ええ加減にしい。跳ね返したんやから不成立やろ」
「でも村上君、しっかり受け取って、いつもより速かったじゃん」
「ウチが怖かったんやろ」
「そう?愛の力?」
「あーもう、なんでそうなんねん」
周囲も結構ニヤニヤ見ている。そんな中をヘレナがやって来た。
「沢井サン」
「ん?」
ヘレナは昨日あげはに話しかける事が出来ず悶々としていた。転がり込んできた絶好のチャンスやのに…。
「あの、昨日、ごめんね」
「いいや。あんたが悪い訳ちゃうやん」
「そうそう、ヘレナちゃんが与えた愛のチャンスだったんよー」
夏芽も介入して来る。
「せやから、そう違うって!」
緊張して来たヘレナだったが微笑みが漏れた。ムキになる時の表情は、小さい頃のあげはと変わっていない。
「あの、沢井サン、あげはちゃんって呼んでいいですか?」
「え?ああ、うん。ええよ。夏芽なんか呼び捨てやし」
「ほんなら、あげは?」
「うん。えっとヘレナ? 関西に居たん?」
夏芽があげはの肩を叩く。
「転校して来た日にヘレナちゃん言ってたじゃん」
「そうやっけ」
「あげは、また話に来るわ。おでこ傷なくて良かった」
「うん、ありがと」
あげはにしては珍しく素直な言葉が出た。ヘレナの方も、それ以来、時々あげはに話しかけるようになった。まだ夏芽みたいに気安くは出来ない。せやけど一歩前進や。いつかは『あのとき…』って言わなあかん。ヘレナはあげはをロックオンした気持ちだった。
そしてクラスにはもう一人、あげはに接近したい生徒がいた。あげはには目の
「藤村さん、ちょっと頼みがあるんだけど」
「ん?」
「あのさ、沢井なんだけどさ、一度真面目に話したいんだよね。何て言うのか、こう、取り持ってもらえないかな」
「はい?なんで私に頼むの?」
「いやほら沢井って、俺のこと目の
クラス1のモテ男に頼られるのはちょっと優越感だ。村上君、ずっと前の暴言と、リレーメンバーを選ぶときのいざこざを引きずってるな。唯は大樹の気持ちを推し量ったが冷静だった。
「私が言っても拒否られると思うよ。あの子、筋が通らない事は受け付けないから。自分で言うべきじゃないの?」
「えー、いや、でもなあ…、ちょっと恥ずかしいって言うか、どのツラ下げてって言うか…」
「それだけ?」
「あ、いや、そりゃそれだけだよ、それ以上何があるんだよ」
慌てた大樹の態度に、唯は少し怪しいものを感じた。
「今日のことは誰にも言わないからさ、その気持ちは自分で乗り越えなきゃ駄目なんじゃないの?」
「まあ、そうなんだけど…」
「じゃ、そう言う事で、頑張ってね」
大樹は捨てられた子犬のような目で唯を見たが、結局引き下がって行った。ふうん、村上君がねえ…。
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