第8話 却下
幸いそれ以降あげはの事をイモムシ呼ばわりする生徒は現れなかった。江田と村上も、忘れましたとばかりに何も言わない。しかし湿った炭が出した煙はあげはの心に
6月初旬、今度は学校の体育大会がある。5月最後のホームルームで、丹波先生がプリントを配った。
「えー、来月すぐに体育大会があります。去年と一緒だからみんな判ると思うけど、種目はちょっと変わってる所がありますからプリントを読んでおいて下さい。来週、組み分けのくじ引きと、赤組白組、それぞれで選手の選考会がありますから、出たい種目がある人は選考会で立候補して下さい。あ、推薦もあるから、この人に出て欲しいって場合も選考会で意見を言って下さい。えっと、リンドさんは初めてだから、藤村さん、後で教えておいてあげてね」
立候補か。ウチかて資格はある。あげははプリントを握りしめた。あげはは泣き寝入りするような子ではなかった。
人数が少ない水樹中学は、各学年を二つに分けて3学年全体で赤組と白組を編成するので2年生もクラスが真っ二つに分かれる。そして選手選びは赤・白それぞれで3学年が集まる選考会で行われるのだ。
翌週月曜日、朝のホームルームでくじ引きが行われた。その結果、ヘレナもあげはも、2年の学級委員である唯も、そして村上も赤組になった。残念ながらあげはの後見人の夏芽は白組だった。早速その日の放課後、部活を休止して全学年集まっての選考会が、3年生の教室で行われた。
赤組の選手選考は順調に進み、最後の種目、赤白対抗リレーの選手選びに入っていた。リレーは各学年から男女が1名ずつ出場する。花形種目でもあるため、赤白とも当然足の速い生徒を当てて来る。司会の3年生が種目内容を説明する。
「えー、そう言う種目なので、リレーは目立つし点数も大きいですから、ちゃんと決めたいと思います。推薦とかありますか?まず1年生」
1年生の男女選手はあっさりと決まる。まだ入学して2ヶ月とは言え、殆どの生徒は小学校から知っているので、足の速い生徒は自明だった。
「じゃあ次は2年生」
2年生では、男子はクラスきってのイケメンでスポーツ万能な村上、そして女子は体育でも頭角を現しつつあったヘレナを推薦する声が上がった。
「それで、いいですか?」
教室の誰もが頷いて、誰もが決まりと思ったその時、あげはが敢然と手を挙げた。
「ウチが出る。立候補」
司会の3年生は戸惑った。元々町の子ではないあげはのことは良く解らないから尚更だ。3年生は唯に振った。
「藤村さん、えっと沢井さんって足が悪いんじゃなかったっけ?」
唯も混乱しながら答えた。
「あー、えっとそうなんですけど全く走れないってことはないです」
すると手を挙げたあげはが立ち上がった。
「走れます。ムラカミには負けへん。ぶっちぎったる」
あー、そっちか… 唯は理解した。中総体の壮行会のこと、沢井さん忘れてないんだ。こりゃややこしいな。
名指しされた村上も狼狽していた。
「何いってんだよ沢井。赤組で走るんだから俺と競争じゃないぜよ」
「うるさいな、オマエには負けへん言うてるやろ。受けて立たんかい」
あげはの言い方は殆ど恫喝だった。村上も頭を掻いているし、3年生と1年生は訳わからない。唯が立ち上がった。
「あのさ沢井さん、沢井さんがハンディあって努力してるのはよく解ってるんだけどさ、体育大会はほら、一応競争だし3学年全部での話だからさ、他の学年と同じように速い人を優先するね、ごめんね」
あげはは机に突っ伏し、司会の3年生は救われたような顔をした。
「えっと、じゃあ2年生の女子はリンドさんってことでいいですね」
皆は頷き、ヘレナは立ち上がって宜しくお願いしますと言った。話は進む。
「じゃあ、次は先生のサポートする係を決めたいと思います。ますは保健係で、怪我した人とかを保健の先生と一緒にお世話する係で…」
3年生が説明する中、どこからかくぐもった泣き声が聞こえて来る。司会の3年生が話を中断する。声の主はあげはだった。唯が慌ててあげはのところへ行く。
「ちょっと沢井さん、泣かないで。沢井さんにもやってもらいたい係とかあるから。ね」
唯があげはの肩を優しく撫でる。不意に声が止まったかと思うとあげはは涙が溜まった目で唯を見た。
「もうええねん。ウチは足手纏いやから、無理に係作らんでも放っといてくれた方が楽やねん。見るだけにするから」
あげはは唯に向かって言うと、立ち上がって足を引きずりながら教室を出て行った。誰も何も言えなかった。
ヘレナには出て行くあげはが、まるで羽を欠損して上手く飛べないアゲハチョウに見えた。
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