第4話

 ポスター作りがようやく終わった。提出日当日の夜中の2時。結局部活が忙しくて、前日まで引き延ばしてしまった。自己嫌悪。なんとか気力を振り絞って書くこと数時間。これで出せる。そしてベッドに上がって、7時には起きなければと思いながらも眠気には耐えられないのでまぶたが閉じた。

 

 それは入学したばかりのとき。僕が入学した高校は部活加入率が100%。一人で二つ以上入っている人もいる。先生方も「ぜひ部活へ入ってくれ」と生徒に勧める。「3年の夏の最後の大会まで部活を頑張れば、引退してからぐっと学力が伸びて、大学に合格できる」という成功例を盛んに宣伝。そう、わが校は文武両道。勉強も部活も。これは入るのが当たり前だなと思い、中学から続けていた吹奏楽部をやろうかななどと思う。いや、思わざるを得ない。

「お父さん、部活何入ろうかな?」

「ちゃんとした所がいいぞ。毎日活動があって、大会があるところの方が鍛えられる。俺は高校のとき自由になりたくて帰宅部だったけど、なんだか暇過ぎて余計なこと考えて悩んじゃったりした。もっとちゃんとした所に入って夢中でやりたかった。だからお前には後悔して欲しくない。吹奏楽部はちゃんとしたところだし、もちろん高校でも続けるよね?演奏会とかコンクール、家族で見に行くの楽しみにしてる。」

「吹奏楽、楽しいよね!?私もますます応援する!」

両親にこんな風に言われていたので、ほぼ決定事項だった。これでいいんだと、自分に言い聞かせていた。中学の吹奏楽部でやり切った感、もうこれで終わりでもいいかなと思っていた部分もあった。高校はのんびりまったり過ごしたかった。でも、高校でもやった方が、経験者としてはくがつくかなとか、6年間やったらかっこいいかなとか思って、モチベーションを高めることにした。先生方の目も、両親の期待もあるし、不活発な部活に入ったり、帰宅部になったりするわけにはいかないだろうと考えていた。部活動見学期間はだいたい吹奏楽部に行って、楽器を吹き、先輩と話したりした。自分も周囲も、僕が吹奏楽部に入ることを確信していた。

 部活動見学期間の最終日に、もうふらふらしてはいられないなと惜しむような気持ちで校内を散歩していた。そろそろ吹奏楽部に顔を出すかと思っていたとき、ふと目の前の教室に目が留まった。部活の勧誘があまり来ないような奥の教室。その扉に『文芸部(たぶん)』と書かれた髪が張ってある。なんだか興味を惹かれた。なぜ「たぶん」なのだろう?本は好きだし、ちょっと覗いてみるかと思いながら、扉に手をかける。ガラッ。その先、教室の中には、一人の少女が椅子に座っていた。少女の長い黒髪が真っ先に目に飛び込んできた。制服の胸に付いているリボンを見るに、どうやら僕と同じ一年生のようだ。

「誰?」

少女は問う。警戒したような声色で、僕はたじろぐ。

「いや、『文芸部(たぶん)』と書いてあったので、ちょっと覗いてみようかなと思って、中に入りました。」

一応敬語を使っておく。同級生とは言え、初対面の異性にタメ口はきつい。

「あなた、一年生?廊下で何度かすれ違ったような...。」

それは話が早い。会話の取っ掛かりがつかめた。警戒も解けそうだ。

「そうです、1年1組の鎌田です。」

「そう、はじめまして、私は1年2組の村中よ。」

「すみません、いきなり入ってしまって。」

「そんなにかしこまらなくていいのよ、同級生だから。」

許可が出た感じだ。もうタメ口でいいだろう。

「村中さん、どうして一人でこの教室に?部活の先輩が席を外してたりするの?」

「いいえ、わたし一人。」

不思議だ。ではあの張り紙は?

「ここ、『文芸部(たぶん)』っていう張り紙があったけど、部室じゃないの?」

「部室よ。わたしがこれから入部する予定。」

「えっ、どうして?そしてなぜ『文芸部(たぶん)なの?」

「兄が去年までこの部活で部長をしていたの。三年生が何人かいるだけで、兄の代限りで休部になったのだけれど、わたしが引き継ぎたいの。文芸部だったらしいけど、兄は活動と称してアニメを見てたりしたらしいわ。だから、文芸部としての活動実績が無くて、それ以前の活動内容も記録がないし、『たぶん』って付けてみたの。」

「そんな適当な...。学校の許可が下りる気がしない。」

「部員が一人でも、休部から一年以内なら復活させられるのよ。鎌田くん、せっかくだから何かの縁、文芸部に入ってみない?」

いきなりの申し出に、ドキッとする。初対面の異性から、謎の部活への入部を頼まれる。なんだかラブコメのテンプレみたいだ。これはおいしい話なのかもしれない。だが......。

「いや、僕はもう吹奏楽部への入部を決めているから。」

僕はこう言うしかなかった。この場で少女に心動かされて入部したとしても、何の活動をするかわからない文芸部で、この先の高校生活の充実はどうなるのだ。先生方の言っていた「文武両道」はどうなる。こういう部活は「武」に数えられていないだろう。そして、両親の期待を裏切るわけにはいかない。特に父親が、「俺の高校時代を繰り返すのか?もったいない...。」とがっかりするのが目に見えている。

「もう決めたんだ。見学期間中に毎日のように顔を出しているから、今更変えられないよ。親にも公言しちゃったし。それに、僕は吹奏楽が...。」

好きなんだ、と言おうとして、言葉が止まる。村中さんは、僕の目をじっと見つめる。

「好き?だと、思って、いるから...。」

あれ?なぜ断言できないのだ。ここでしっかり断るんだ。自分に言い聞かせているが、こんな消極的な言葉になっている。

「ふーん。なら仕方ないわ。強制するわけにはいかないから。」

そう言って、優しく微笑んだ。

「なんかごめん、僕はもう帰るよ。」

気まずいので、教室を出ようとする。

「最後に一つ。」

背中からかけられた言葉は、さっきまでと明らかに声色が違った。思わず振り返る。そこにはさっきの微笑みとはまるで違う、僕の心の中を覗いているような、真剣で、恐ろしくさえ感じる村中さんの顔があった。

「あなたは本当にそれでいいの?」


 ハッと目を覚ます。目覚ましが鳴っている。もう7時だ。

「夢か...。」

本当にそれで良かったのだろうか。部活見学期間の思い出は、未だに時々夢に見る。彼女のあの表情。吹奏楽部に入部して、僕にそんな風なことを問いかけた人は誰もいない。村中さんよりももっと多くの時間を過ごした仲間たち。仲良くできているはず。それでも僕は、自分の迷いを見透かしたような村中さんを忘れられない。

 彼女は、成績が学年トップだと、後に判明した。テストの成績上位者が張り出されたとき、一位に彼女の名前があった。運動もそこそこできるらしい。友達付き合いも良いらしく、学級委員にもなっている。理知的な感じがし、大っぴらにキャーキャー言われるというよりも、密かなファンが多いようだ。こっちは部活に忙殺され、勉強は中途半端、下位3分の1で、運動も平均以下だ。結局吹奏楽が好き、部活が好きなのかはよくわからないでいる。だから久しぶりに村中さんを見て、自分の判断への後悔が湧き上がってきた。あのまま「文芸部(たぶん)」に入っても、村中さんと仲良くできたかはわからないが、僕の心を少しでも理解してくれたかもしれないという可能性が、僕を苦しめるのだ。

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