第51話謀略

9月1日信濃国伊那郡の吉岡城:武田義信視点


 越中から戻った俺は、取りあえず伊那郡の吉岡城に入った。鷹司公頼お爺ちゃんをはじめとする、公家衆との交流のためだ。人付き合いは苦手なのだが、こればかりは仕方ない、朝廷・皇室工作は手抜きできない。


「お爺様、普光女王と永高女王の内親王宣下の許可は降りそうですか?」


「普光女王の外祖父・橘以緒殿と養外祖父・高倉永家殿は随分乗り気でおる。費用は全て義信が持ってやるのだろう? ならば何の問題もない! いや降嫁先をどうするかが大問題じゃな」


 お爺様が探るような、愛おしむような、複雑な眼差(まなざ)しで話しかけて来た。


「鷹司家や三条家では家格が釣り合わないでしょうか?」


「ほう! それならば家格は釣り合うな、具体的には誰を考えておるのじゃ?」


「弟たちを考えております」


「三条実信と三条公之だな、実信ならば年は釣り合っておるな、だが義信殿でない理由は何じゃ?」


「今上帝は清廉潔白(せいれんけっぱく)な御方、武家への降嫁は嫌われるでしょう?」


「確かにそれは十分考えねばなるまいな。うむ、義信殿が鷹司家の嗣養子となり、武田を鷹司にしてはどうじゃ?」


「それは義信一人で答えを出せる事ではございません!」


 お爺ちゃんとんでもない事を言いだしたな!


 俺の思考の遥か斜め上方を行ってるな。正直に言えば、俺が武田に残ったまま鷹司家猶子となって、普光女王の降嫁を狙っていたんだがな。


「ならば晴信殿(信玄)とよく話し合ってはどうだ?」


「そうですね、そうさせていただきます。それでは永高女王の内親王宣下の方はどうでしょう?」


「そちらも何の問題もない。永高女王の外祖父・万里小路賢房殿は、もともと我らの縁戚・勧修寺教秀の三男じゃ、諸手で賛成しておる。三条実信か三条公之の何方との降嫁であろうと、何の問題もない」







9月5日躑躅城の信玄私室:義信視点


「御屋形様、義信が鷹司家を継承して、内親王をお迎えする事をどう思われますか?」


「鷹司卿もとんでもない策を思いつかれたものじゃな! しかし今上帝が御認めになられるのか?」


「確(しか)とは申し上げられませんが、皇室と公家衆、朝廷の衰微(すいび)は目を覆うものがございます。今上帝は天文9年に全国の疫病を鎮めんと、一宮二十五カ所に勅使を使わされ、般若心経25巻を届けられております。天文14年には、伊勢神宮へ皇室と民の復興を祈願する宣命をさせておられます。武田の武力と富、さらには京の三条屋敷で貧民に施療を施していることを、どう評価して頂けるかでございます」


「まあ建前はそうじゃ、だが義信なら気付いておるのだろ。勅使一行が全国の一宮に往復する間は、守護・国衆・寺社に歓待され食い繋ぐことができた事を!」


「分かっております御屋形様。今上帝の大御心(おおみごころ)は兎も角、公家衆がそれを利用して、暮らしの足しにしていたことは分かっておるのです。だからこそ、信濃を攻め取れば実質四カ国守護となる武田家の嫡男に、内親王を降嫁させれば、朝廷がその武力を取り込めるかもしれないと、公家衆は考えておるのでしょう」


「鷹司の義父上も強(したた)かであるな! いやそれが下向した公家衆の本音か?」


「伊那での今の暮らしを手放したくない、その一心でございましょう。」


「後は武田譜代衆が納得するかどうかと、周辺諸国の嫉妬(しっと)か?」


「はい御屋形様。一度試してみませんか? 内親王とは申さず『摂関家の止(や)ん事無(どころな)い姫君を正妻に迎えるにあたり、義信を鷹司家の養子に出そうと思うが、それでも武田後継者として相応(ふさわ)しいと思うか?』と譜代衆に聞いてみられては?」


「ふむ、家臣どもにはその手でいいとして、周辺諸国の侵攻対策だな。特に今川と北条が手切れになるとしたら、正直痛いな!」


「はい、三国で密かに進めていた、婚姻政策による不可侵条約が不可能になります」


「内親王を側室にはできぬし、今川・北条の姫を側室にする事もできぬ。二郎や三郎の嫁では、今川と北条は納得すまい!」


「飛騨の姉小路信綱叔父上の嫁では、今川と北条も納得しません。ですが加賀国を切り取って、二郎を守護に任命してもらい、土佐の一条や伊予の西園寺の様な公家大名にしたら、今川と北条も納得してくれるのではありませんか?」


「う~む、二郎や三郎の守護就任は兎も角、三条家当主としての家格で、今川と北条に交渉するしかあるまいな。で、最初の話に戻るが、公家衆の思惑ではなく、今上帝の大御心(おおみごころ)をどう思う?」


「今上帝が清廉潔白な大御心(おおみごころ)を抑え込まれ、義父として武田の武力と富を皇室に取り込む決断を、御出来になれるかどうかが全てと考えます」


「後は方仁親王が、永高女王の降嫁を今上帝に認めて頂くことができるか、説得できるかか?」


「その可能性もございます」


「素直に鷹司家当主になった二郎に普光女王、三条家当主になった三郎に永高女王を降嫁していただく方が、簡単であろうな」


「はい、それによって朝廷工作する方が遥かに楽だと思われます」


「まあやれるだけやって、落としどころをその辺にしておこう」


「承りました」


 信玄の話を聞いた武田家家臣団の反応は、信玄や俺の想像とは違っていた。朝廷や公家衆との直接窓口を持たない国衆や地侍の、官位官職への憧憬(しょうけい)は強烈だったようだ。俺が鷹司家の当主となり、摂関家の姫を正妻に迎えるのは、諸手を挙げて賛成だった。だが武家の棟梁として、武田家嫡男の立場は堅持(けんじ)して欲しい。


 そこで家臣団が捻り出した方法は、とても強引だった。まず俺が鷹司家の当主になり、摂関家の姫を正妻に向かえ、従一位・関白の地位を得る。その後で二郎を養子に迎えて隠居し、武田の嫡男に戻って戦に専念すると言う、とても手前勝手な物だ。


 最終的には鷹司家を、俺の実弟で養子となる二郎に後を継がせて、武田家の支配下に置けと言う事だ。






9月10日信濃国伊那郡吉岡城の鷹司屋敷:鷹司公頼視点


「九条卿、遠路御疲れであったな」


「いやいや鷹司卿、これほど安全で歓待(かんたい)を受けた旅は初めてであった。応仁の乱に始まる公家の困窮(こんきゅう)は、我が九条家も同じだ。武田家の富裕と影響力の大きさに、正直驚きましたぞ。武田家に娘御(むすめご)が嫁いでおられる鷹司卿が、心底羨ましい」


「運がよかっただけですよ。正直我が生家三条も、困窮(こんきゅう)の極みであった。細川や武田に娘を嫁がさねば、生きていけなかっただけなのです。だが望外の幸運で、娘が産んだ義信が麒麟児(きりんじ)であった」


「お聞きしておりますぞ! 孫の義信殿は道々の者を束ね、この伊那郡を楽園とした上に、木曽、飛騨、越中を独力で切り取ったと」


「よくご存じですな九条卿。儂や一緒に下向した公家衆も、伊那に辿り着くまでこれほど豊かだとは思いもしなかったのですが?」


「実はな鷹司卿、儂は飯綱の法を学んでおってな、その伝手で山窩からいろいろ情報が入るのだよ」


「左様でしたか、ならば合点がいきます」


「それでな鷹司卿、今日急に訊ねさせてもらったのは、我が娘の事なのじゃ」


「九条卿の姫君のお話ですか?」


「うむ、娘を義信殿の妻にもらってもらえぬかと思ってな」


「九条卿! 由緒正しき摂関家である九条家の姫を、武家に嫁がすお心算か?」


「正直に申すが、三好一門の十河一存の妻にと言う話もあったのじゃ。だがな、京の戦乱は激しい! 足利義藤将軍と細川晴元管領の軍勢が、平島公方の足利義冬や、細川氏綱管領を担ぐ三好長慶の軍勢と争っておる。一時は足利義藤将軍の負けに決したように思われたが、義信殿の資金援助で盛り返されておられる。娘を十河に嫁がせては、細川晴元殿に嫁がれた鷹司卿のご長女の様に、合戦の勝敗で日々の住む場所も定まらず、苦労の絶間がなくなりそうでな。その点義信殿に嫁ぐことができれば、娘は伊那の地で安楽に暮らせると思ったのだよ」


「九条卿が正直に話してくださったので、儂も正直に話そう。実は義信の妻に、内親王をお迎えできないかと考えておったのじゃ」


「何と大胆な事を申される! それで普光女王と永高女王の、内親王宣下の話が出ておったのだな。その話なら、後を任せた二条卿が話を纏めておる頃であろうが、武家への降嫁など帝が御認めになるまい?」


「いや、義信に鷹司家を継がせた後で、降嫁していただくのじゃ」


「武勇の誉れ高き義信殿が、武田の後継者を降りるとも思えんがの?」


「いやそれも違うのじゃ、将来は鷹司当主と武田棟梁を兼ねてもらう心算なのじゃ」


「それは凄いお考えじゃが、そのような事を帝が御認めになる訳がなかろう?」


「九条卿は、儂が皇室を武田に売ろうとしている。そう考えておられるかもしれぬ。だがそれは違う、逆なのじゃ」

 

「逆とはどういう意味かな鷹司卿?」


「皇室を売ったのではなく、皇室が武田を取り込むのじゃ!」


「武田を取り込む? どう言う意味なのだ?」


「義信は紛れもない我が孫じゃ、その義信の公家に対する丁重(ていちょう)な扱いは、他の武家に比べれば雲泥(うんでい)の差があろう?」


「それは認めよう。今の武家で、公家の家職や荘園を認めてくれるのは、義信殿だけじゃ。だがそれがどういう意味を持つのじゃ?」


「もし普光女王が義信に降嫁してくだされれば、義信は帝の婿となり、方仁親王の義弟になるのじゃ。上手く取り込むことができれば、武田を使って、武家を皇室の支配下に置くことができるかもしれぬのじゃ」


「それは都合よく考えすぎではないか?」


「確かに今のは最良の結果だ、だがどう転ぼうと、今の皇室や朝廷の状態より悪くなることはない。そう思うがの?」


「それはそうであろうな、今の状態より悪くなることなど考え難いな」


「『虎穴に入らざれば虎子を得ず』と申すではないか、なればこそ、義信への内親王降嫁は遣り遂げねばならん。そう思っておるのだ!」


「ふむ、結果がどう落ち着くのかはわからんが、帝の方仁親王への御譲位が可能となり、武田を上皇の北面武士とできるなら、これほど喜ばしいことはないであろうがな、鷹司卿」


「う~ん、今の武田は京を制している訳ではない。我が婿の細川晴元殿も、義信の支援で何とか三好に抗している状態じゃ。内裏の再建や上皇の御所建築は、とても不可能であろう。さすがに今の武田の力では、御譲位は無理であろう」


「今と言う事は、武田が上洛すれば可能と言う事かな?」


「その辺の話は、後日義信や晴信殿を交えて話さんか?」


「そうだな、今は落とし所を決めておくか?」


「うむ、義信を我が鷹司家の当主に迎え、普光内親王降嫁を持って、武田を皇室に取り込む策が1つ」


「2つ目は、三条実信卿を鷹司家の当主とし、普光内親王に降嫁して頂く。三条家は三条公之殿を当主に向かえて、永高内親王に降嫁していただく。義信殿には、我が娘をもらって頂くのでどうかな? 鷹司卿」


「ふむ、それならば皇室と公家の血で、何重にも武田を搦め捕ることになる。これならば、上手く武田を盗り込む事ができるかもしれませんな、九条卿!」


「なれば帝の説得のために、上洛せねばなりますまい!」



 史実では、九条の娘は十河一存の妻となります。嫡男の三好義興を亡くした三好長慶は、次弟の子や三弟・安宅冬康を差し置いて、四弟・十河一存の子を後継者・三好義継としています。


 これには義継の外祖父である、九条稙通の影響があった言う説があります。もし九条の娘が十河一存に嫁がず、穏やかで優しい仁慈の将であり人望が高かったという、安宅冬康が三好家を継いでいたら?


 今後のバタフライ効果をお待ち下さい。


 あ、三好義興が死なない可能性もあります。

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