第50話信濃の敵と越中統治

5月5日信濃の稲倉城外:小笠原長時視点


 兵糧と軍資金の確保は急務だ、中塔城なら3000の兵と兵糧さえあれば、3年は武田の攻めに耐えられる。民からの略奪はもはや無理、ならば北条城の西牧信道のような、裏切り者の城から奪い取る!


 今夜は赤沢左衛門尉が持っていた稲倉城だ!


「掛かれ!」


 俺の命を受けて、3500兵が我攻めを開始した。近隣城砦から武田の援軍が来る前に、稲倉城を攻め落とさなければならない。めぼしい物を略奪し、無事に帰城しなければならない。今の小笠原家は、損害を考慮してはいられないのだ!


 ただ漫然と籠城しているだけでは、雑兵は逃亡してしまう。俺に忠義を尽してくれる者も、最後は兵糧を喰い潰して滅亡してしまう。民から略奪する手も封じられた以上、損害を覚悟で城砦を攻め落とすしかないのだ!


 無理な攻撃を続けるだけでは、雑兵は逃げてしまう。だが少なくとも、名を残すことはできる。戦って戦って戦い続けて名を残す、小笠原家には、もはやその道以外残されていないのだ!






5月5日信濃の稲倉城外:第3者視点


「殿! 稲倉城が攻められております!」


「馬引け! 援軍に参る」


 稲倉城が小笠原軍に襲われていると言う報告を受けた、伊深城の後庁重常は、500の兵を率いて援軍に向かう事を決意した。ここで武勇を見せれば、若殿の信頼を勝ち得ると判断してのことだ。


 赤沢一門とは、洞山城を巡っての因縁もあるが、ここでそれを持ち出しては、若殿の信頼を失う事は馬鹿でもわかる。伊深城の守りは、若殿が付けてくれた援軍に任せれば安心だと判断したのだ。


「出陣!」


 後庁重常は、援軍に向かうためにいったん平地に下りた。そして稲倉城への登り口手前に到着たときに、不意に矢の雨が降って来た。敵の伏兵がいたのだ!


 何と赤沢政智率いる、小笠原軍の馬廻り衆が待ち構えていたのだ。小笠原軍は5射した後で、一気に勝負を付けるべく、騎馬突撃を開始して来た。小笠原軍としたら、時間が勝負の略奪夜襲であるため、周辺城砦の援軍が合流する前に、武田軍を各個撃破しなければならないのだ。


 だが後庁重常から見れば、各城砦の武田軍援軍が来るまで、無理せず時間稼ぎに徹すればいい。






5月5日信濃の稲倉城内:小笠原長時視点


「御屋形様、下で戦いが始まったようでございます」


「うむ、分かっておる。略奪はどうなっておる?」


「主郭と二之郭が頑強に抵抗しておりますが、他の郭の兵糧と財貨は押さえました」


「ならば頃合いじゃ、逆撃に備えつつ中塔城に戻る」


「は!」






5月5日信濃の稲倉城内:百姓視点


 主郭と二之郭に籠った俺たちは、命と財産を護るため、兵士と一緒に必至で戦った。野良仕事が終われば、自分の家ではなく山城に帰る。不便だが、家族ともども生き残るためには仕方がない。今日も不便に堪えて、城に戻ったからこそ生き残れたのだ!


 全ては武田の若様のお陰で、俺たちの食料や財産を保管する小屋が、何と主郭に作られた。これで安心して暮らすことができる。敵が引いていく、俺たちの食料を守り切れたのだ!


「守り切ったぞ! 勝鬨を挙げよ! えい、えい、えい」


「応(おー)」






5月5日佐久郡の稲荷山城外:神田将監視点


 300騎の騎馬隊を率いて、武田領奥深くまで切り込んだ!


 村上と武田の境界線では、民が財貨と共に城砦に籠ってしまい、残念だが略奪ができない。危険を承知で、武田領の奥深くまで攻め込むしかない。兵糧と軍資金なくしては、信濃に踏みとどまる事すらできない。年貢折半の境目領域を広げるためにも、略奪と焼き討ちを続ける!






6月1日吉岡城の二之郭:三条夫人視点


 息子の三条実信・三条公之、お父上の鷹司公頼卿、妹の鷹司藤花、家族水入らずの団欒(だんらん)の場です。


「お父上、藤花、よく参られました」


 お父上ともう1度お会いできるとは思わなかった。継母がいないのはお父上の配慮だろう。


「うむ、生きてお前の顔をもう一度見られるとは思わなかった」


「姉上様、藤花と申します、お世話になります」


 息子たちは、行儀よく黙って座っています。


「お父上、妾(わらわ)も今生(こんじょう)で今一度お会いできるとは思っておりませんでした。藤花とも、一度も会えぬままで、生を終えると覚悟しておりました」

 

「うむ、義信のお陰でお前にも会えた上に、鷹司の名跡も継ぐことができた。さらに太政大臣にも昇れた、もはや望む事はない。後は安楽に暮らせればよい」


 お父上がしんみりと答えて下さるが、本心なのだろうか?


「されど太政大臣を辞されたのですね?」


「あのまま京にいては、戦に巻き込まれて死ぬやもしれん。だから京の事は九条殿に任せて、我は逃げて来た」


「左様でございましたか、都はそこまで荒れておりましたか」


 義信からはいろいろ聞いていましたが、私がいた頃と同じように、京は惨いありさまのようですね。


「夫人、菓子をお持ちいたしました」

 

「お入り」


 女中が義信直伝の団子を作って持って来た。食料状況が改善したので、今までのように黍や粟ではなく、米で作られた団子に、各種の餡が乗せられている。枝豆を潰したずんだ団子をはじめとして、胡桃・南瓜・栗・赤味噌・白味噌・水飴・果物などを餡にした、色とりどりの団子が並んだ。


「綺麗!」


 藤花が思わずつぶやくが、その気持ちは分かります。妾だって、初めてみた時は、本当に奇麗だと思いましたもの。


「さあ、皆で食べましょう。手あぶりも用意しております。味噌や飴醤油は、炙るとさらに美味しくなりますよ」


 そう言えばお父上が鷹司家を継承し、太政大臣になられたのなら、今後私を鷹司簾中と呼ばせないといけないのかしら?






7月1日越中と能登国境線:武田義信視点


 畠山在氏殿が、越中で集めた300騎1000兵を率いて、畠山義続殿の七尾城に向かった。畠山義続殿の大名権力を強くするため、邪魔になる能登七人衆の兵を、強制的に上洛させるためだ。


 能登七人衆の当主かそれに準じる者を、能登から遠ざける策なのだが、国境線に武田の大兵力が結集しなければ、とてもではないが不可能な策だ。


 七人衆は、足利義藤将軍、細川晴元管領、畠山義続能登守護の命令に逆らい、上洛を拒むことができるか?


 もし拒むとしたら、武田軍との合戦覚悟になる。武田家との合戦となれば、誰かと手を組まねば敗戦は必定だ。だが越後の長尾家は、内乱中で当てにできない。越前の朝倉家は、加賀が間にあり無理だ。残るは加賀・越中の一向宗となる!


 七人衆が手を組めるのは、宗教権力闘争中の、加賀の尾山御坊(金沢御堂)か越中の勝興寺・瑞泉寺だけだろう。


 七人衆がどちらの一向宗と手を組むにしても、宗教戦争を覚悟しないといけない。


 だが俺の心配は杞憂に終わり、七人衆は素直に上洛に同意した。将軍・管領・守護連合の命に逆らえば、2万を超える軍勢に、逆賊として討ち滅ぼされると理解したのだろう。


 七人衆各家が上洛を命じられた兵数も、家を傾けるほどではなかったので、受け入れやすかったのだろう。畠山義続殿を圧迫していた、七人衆当主が出陣する事で、能登国内の畠山家権力が強化された。


 畠山在氏殿の下には、越中・能登の国衆800騎3000兵が付き従い、上洛することになった。京で最も必要な、歴戦の中下級指揮官を確保できたのだ。畿内では、銭さえ積めば、足軽などの雑兵は幾らでも集まる、だから本当に必要なのは、核となる中下級指揮官なのだ。


 問題は上洛経路だった。本願寺支配下の加賀を強行突破しても、越前・若狭を経由して近江の将軍家に合流する経路を選ぶか。飛騨・美濃を経由して近江を目指すか。それは臨機応変に行う事になった。


 加賀の一向宗と争う事なく、北陸路を使って上洛できればいいのだろうが。


 俺は上洛軍を見送りつつ、内政の手配りを行った。伊那や木曽で行ったように、越中の民を豊かにすることが急務だ!


 船大工に小早船・関船・安宅船建造を依頼して、進捗状況に応じて銭を払った。飛騨を含む山岳地帯には、艦船建造用の材木切りだしを大量依頼した。各種職人には、技能に応じて打刀・槍・弓矢・具足・馬具・農具などを大量依頼した。職能のない領民は、城砦の新築・増強改築に雇い、銭をばら撒いた。さらに農業に欠かせない水を確保するための溜池作りや、水車・踏車・激龍水の建造も始めた。


 当然の事だが、悲願であった海岸線を確保できたので、塩田開発を行った。そしてその方法も、3つ考えた。


 1つ目は風車と激龍水で海水を汲み上げ、幾層も竹と笹で組上げた巨大な笊状櫓に流し込み、天日で自然結晶化させる方法だ。2つ目は塩田を作って、最終的に焚いて作る方法だ。3つ目は塩田で濃縮した海水を、氷見温泉の地熱で温め、結晶化させる方法だ。


 2つ目に行ったのは、鰯・鰰(はたはた)・鰊(にしん)・魚の粗を使った、魚肥の生産だ。魚肥の生産が軌道に乗れば、大量の肥料を必要とする綿花や菜種の栽培に、やっと手を付ける事ができる。


 今までの俺は、民を餓えさせないことを最重要としていた。そのために生産できなかった、商品作物や軍需必需品を、やっと栽培できるのだ。特に水軍、いや、海軍を設立するのなら、帆に使う綿花栽培は急務なのだ!


 それらの内政改革を行った上で、甲斐・信濃・飛騨・越中領内の、全ての関所を廃止して、物資流通を促進させた。


 俺の軍用馬増産政策の反動で、伊那で馬料が不足し、価格が高騰していたのだ。今川領との交流交易促進と、木曽・甲斐からの緊急輸送で対応していた。同時に越中に騎馬の扶持武士を常駐させることで、馬料の価格高騰に対応したが、できるだけ早く領内の物資輸送が、速やかに行われるようにしなければならない。


 そうしなければ、騎馬隊の集中運用など絵空事に成ってしまう!


 信玄に技術者を派遣してもらい、河川防波堤兼用の、軍用道路網の構築を急がなければならない。それに馬料だけではない。軍勢だけではなく、全ての物資の領内移動の早さが、今後の戦いの帰趨を制すると言っても過言ではない。


 史実での豊臣秀吉の中国大替えし、賤ヶ岳での兵の機動運用を思い出せば分かる事だ。もちろん国を守るために、国境城砦群の周辺に道路は作らない。敵の奇襲を受けて、一気に重要中心地を押さえられるわけにはいかないからだ。


 国内の兵力集積地から、国境までの移動可能時間を逆算して、軍用道路網構築を考えなければいけない。


 木曽と飛騨に関しては、公家衆を迎え入れる準備で、すでに大量の銭をばら撒いていた。領民だけではなく、地侍の家族すら雇って、それこそ湯水の如く銭を使った。


 そのお陰で、木曽・飛騨の民は豊かになり、著しく生活が向上した。その上で、一向宗の高僧が、お布施を私したと噂を流した。しかも横領したお布施で、戒律を破り酒池肉林の贅沢を行ったと、第2弾の悪評をながした。


 最終的には扇動者を使い、破戒僧を追放しようと言う動きに持っていった。






8月1日越中の松倉城:武田義信視点


「信繁叔父上、後の事をよろしくお願いします」


「任せてくれ、義信殿がここまで段取りしてくれたら、俺がやってもしくじりようがない」


「しかし叔父上、一向宗は油断できません」


「まあしかし、義信殿がばら撒いた越中開拓の銭で、一向宗も潤っておる。『武田を攻めれば銭の流れは途切れる』、義信殿が流した噂は強烈だ! 上は住持から下は最下層の信徒まで、教えを捨てる必要などなく、ただ支配者が武田に変わる事を認めるだけで豊かになれるんだ、暫らく大丈夫だろう」


「分かりました、越中の事は叔父上にお任せします。扶持武士団2400兵と、飛騨・木曽・諏訪衆2200兵、槍足軽3000兵は残して行きます」


「分かった、飛騨への脱出路の確保と、氷見・新湊・滑川・魚津などの、湊の開発確保は任せてくれ」


「はい、それと小さな漁湊も手配りしてください」


「そうだな、水軍を設立するなら、漁民を掻き集めねばならんのだったな。義信殿の指示通りにするから、必要な事は伝令で伝えてくれ。それと伝令が動けなくなる冬場は、伝書鳩を飛ばしてくれ」


「はい分かりました、そのようにさせてもらいます」


 俺は越中の事を信繁叔父上に任せて、信濃に戻る事にした。小笠原長時が、史実より能力があるのが明白なので、このままでは信濃制圧が頓挫する恐れが出て来たからだ。


 史実との違いが早くも顕著になり、越中が武田の支配下となった。謙信も史実と違って、越後統一に苦戦している。ここまで来れば、全力で信濃統一に邁進するのみ。封印していた、鉄砲一斉射撃も使っちまった!


 これからは出し惜しみなしで、攻めの一手だ!


 足利義藤将軍と細川晴元伯父上は、越中と能登の援軍が到着して、狂喜乱舞した。喉から手が出る程欲しかった、中下級指揮官が手に入った上に、将軍権威・管領権威を保つ遠国からの国衆援軍だったからだ。


 このお礼に、2人は守護職を送って来た。


 俺は下国の飛騨守護職から、上国の越中守護に移り、準国持衆から国持衆に格上げになった。


 さらに信玄には、甲斐守護職に加えて、飛騨・信濃守護職を与えた。


 そして越中守護代には、武田信繁を任命して来た。


武田信玄 :従四位上:大膳大夫・甲斐守

     :足利幕府:礼式奉行・国持衆:甲斐・信濃・飛騨守護

武田義信 :従五位下:大膳亮

     :足利幕府:国持衆:越中守護

武田信繁 :正六位下:左馬助

     :足利幕府:越中守護代

武田信廉 :従六位上:大膳大進

姉小路信綱:従六位下:飛騨国司

     :足利幕府:飛騨守護代

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