第6話悪夢
「善信様、御暇(おいとま)に参りました」
「どうしたのだ虎昌?」
「このような仕儀になり、もはや御側での御仕えがかなわなくなりました」
虎昌が着物をめくり肥大した腹を見せた、みるみる四肢が痩せ細り、肌が黄色くなる。
「某(それがし)も、御暇(おいとま)に参りました」
水腫の姿になり果てた飛影が腹を見せる。
「「「「「某(それがし)も、某も、某も・・・・・」」」」」
飯富源四郎、甘利信忠、曽根昌世、茜ちゃん、楓ちゃん、桔梗ちゃん、近習衆、難民たちが地獄の餓鬼のような姿で現れて暇乞(いとまご)いをする。
「うぁ~」
絶叫と共に飛び起きた!
急ぎ回りを確認したが誰もいない。心臓が早鐘の様に打つ、全身から冷汗が流れている、本当に恐ろしい、夢か?
夢なんだな!
何だ、何でこんな夢を見たんだ?
予知夢か?
単なる恐怖か!
考えろ、考えるんだ、何か心の中に引っかかってる事があるかもしれない。
冷静に考えろ、俺がなさねばならない事があるのかもしれない!
なぜ皆が病になる夢を見たんだ、水生昆虫による感染なら、武将が感染するはずがない。
うん?!
そうだ!
俺が福与城に送った難民兵は、漁労と田仕事で感染し、すでに保菌者に成ってる可能性がある!
彼らの便から、甲斐独特の病が信濃にまで広がる可能性もある!
やばい!
考えてる余裕はない、一刻一秒でも早く対策を立てないと。
「誰かある、誰か馬の用意をしろ!」
「若殿、悪夢にうなされておられましたが、何か大切なことでも出来(しゅったい)いたしましたか?」
「飛影、福与城に送った兵が病を持っているかもしれん。急ぎ参って対策を取らねば、病が信濃中に広まる恐れがある。馬を用意いたせ!」
「承りました、右幻(うげん)は厩(うまや)に参って馬を用意して来い、左幻(さげん)は近習衆を起こして来い」
飛影が配下の素破に指図する。
「「は!」」
俺はその間も自分で着替えて、福与城に行く準備をする。
福与城の善信私室
「若殿、いったい何ごとでございます?」
近習30騎と飯富源四郎、飛影たち素破を急がせ、馬で駆けに駆けてやってきた俺たちに、飯富虎昌は随分驚いていた。
「一大事じゃ、甲斐の水腫病が福与城下にも広がるかもしれん!」
「どういう事でございますか?」
「水腫の病は、甲斐の川筋に多く表れておる。儂が漁労や田仕事をさせていた浮民は、既に病がうつっておるかもしれないのじゃ、下手をすれば信濃全土に病が広まってしまう!」
「なんと! では如何(いか)にいたす御心算りですか?」
「甲斐に難民兵を戻せば、御屋形様に疑心を抱かしてしまう。福与城に駐屯させるのは仕方ないが、病を広げないように城内各所に便所を増やし、必ず城内の便所で用を足させよ! 通常の肥溜めでの発酵では、死滅させられない虫が居る。糞便も一度焼くか煮立ててから、田畑に撒(ま)くようにさせよ。恐ろしく臭いが、これは仕方のないことだ」
「承りました」
「それと甲斐から送った1000兵の仕事は、狩り、椎茸栽培、養蚕、算盤作りに限定する。水辺に行く新田開発や漁労、蟹や貝を集めるのは、これから他領からやってくる難民に任せよう」
「御意!」
「今日は予定外で参ったが、次(つ)いでじゃ、今後の事をそなたと相談したい」
「は! 何なりと」
「まず早急に手を打たねばならんのは、兵役で不足している600兵だ。来年に合戦があれば、不足のままでは御屋形様に御咎(おとが)めを受ける。最悪の場合は、老人を荷駄兵として送ることで許してもらえると思うか?」
「許していただけると思いますが、その心配はいりますまい。来年の合戦に若殿が動員されることは、まずありますまい」
「は? なぜそんなことがわかる?」
「今年は不作の村が多う御座います。私も、各村々から合戦願いが国衆に出ておると聞き及んでおります。来年は何処かに戦を仕掛け食料を奪わねば、武田家は大量の餓死者が出てしまいます」
「ちょっとまて、ちょっと待て! 一寸(ちょっと)待て!」
「甲斐で不作や凶作が起こると、武田領内で餓死者を出さないために、他国を襲い食料を強奪するのか!」
「左様でございますが、それが何か? あ! 若殿は神童とは申せ、まだ幼かったのですね! では説明させていただきます。どんな小さい村でも、不作で餓死者を出すより、他の村を襲ってでも生き残ろうといたします。餓死するも、戦で死ぬも、死ぬことに変わりはございません。百姓衆は少しでも家族で生き残れる可能性がある、略奪か合戦を選びます、反対する者など居りません。もしいたとしても、そのような者は良くて追放、悪くすれば戦勝祈願の生贄(いけにえ)にされます」
あ~、最悪だ!
「もし、国衆が他の村を襲うことを許さなかったら?」
「百姓衆は、国衆を無視して他の村を襲うか、国衆に謀反を起こします」
「では、国衆は領内の村同士が争うくらいなら、兵として纏(まと)めて他領を襲うことを選択するのだな? 御屋形様なら、他国を襲うことを選択するのだな!」
「左様でございます、万が一御屋形様が願いを取り上げにならなければ、先代信虎公の様に追放されるかもしれません」
「ちょっとまて、ちょっと待て! 一寸待て! 今の言葉は聞き捨てならんぞ! 信虎公は御屋形様を差し置いて、信繁叔父を跡目にしようとして追放されたのではないのか? 四方八方に合戦を仕掛けたために、それを苦慮した家臣団と御屋形様の合議で、甲斐から追放されたのではないのか!」
「そう申す者もございますが、某の見解は違います。あの年は酷い凶作で、甲斐の民は餓えておりました。家臣団は何度も何度も、信虎様に手を打ってくださいと願い出ておりました」
「待て待て! あの当時に家臣団は、食料収奪の合戦を願っていたのだな? 信虎様は、他国への食料収奪の合戦願いを取り上げにならなかったのだな? それは確かなのだな!」
「確かでございます! どこに合戦を仕掛けても勝てる見込みがなかったのでございましょう。いや、身内の諏訪氏を襲って、食料を強奪する決断ができなかったのでしょう」
「では、諏訪氏と共に、さらに信濃の奥深くへ攻め入ることはできなかったのか?」
「あの頃は海野棟綱との合戦で、関東管領の上杉憲政を敵に回してしまっておりました。信濃奥地までの侵攻は、勝ち目がなかったのです。万が一諏訪氏が裏切り、甲斐との国境を閉じれば武田は滅亡です。いえ、裏切らずとも少しでも合戦に手間取り、甲斐を長く留守にするようなすきを見せれば、今川も北条も国境を越えて来ます」
「甲斐の民を餓死から救うために、御屋形様は父親である信虎公を追放され、義弟である諏訪頼重殿を殺したというのか!」
「某はそう思っております」
虎昌の身贔屓(みびいき)もあるだろうが、そういう視点を加えてのシミュレーションをしておかないと、信玄の行動を読み違えて俺が死ぬことになる!
今までの事に今の話を加えて考えれば、俺が食糧生産に力を入れて民を豊かにすればするほど、四方の大名や国衆から襲われる可能性が増大するのか?
いや、武田一門や家臣領民からすら襲われるのか!
ならば、豊かになればそれに見合った兵力をそろえなければならない。だが、それだけでは不足だな、近隣大名が強大化するなら、それに合わせて自分も強くならなければ餌食になる。でも、国衆を味方に取り込んだり人を増やせば、それだけの命に責任を持たなければいけない。彼らを餓死させないように、他人を襲わせる決断をしなければならないこともある!
あ~、嫌だ!
戦国時代は生き地獄だよ!
「虎昌、いったん話を戻すが、俺は出陣を免除されるのだな?」
「はい、恐らく我らは躑躅ヶ崎館の守備か、高遠頼継殿に備えてこの福与城の駐屯でしょう。いや、場合によっては、高遠氏を滅ぼす軍を福与城に迎えることになるかもしれません」
「そうか、高遠氏を攻めるとしたら、拠点となるこの福与城の守備兵を動かすことはないか」
「左様です、守備兵ならば老弱兵でも数さえそろえれば、御咎(おとが)めはありません。何より略奪をさせねばならない餓えた兵を、敵地に送り込まねばなりませんから」
その話は聞きたくないよ!
「高遠氏以外を御屋形様が攻めるとしたら、そこはどこだろう?」
「左様ですな、城取よりも略奪や青田刈りを優先した場合、松本の小笠原長時か北佐久の笠原清繁でしょう。いや、笠原の志賀城なら城取も可能でしょう」
「どちらにしても、俺の兵を福与城から動かすことはないか? だが、虎昌の領地はどうなのだ? 民は餓えておらんか?」
「大丈夫でございます、福与城攻めの際に若殿が褒美をくださいました。1兵当たり1貫文あれば、凶作で米価が高騰していても、家族ともども餓えることはありません。ついでに言わして頂けば、若殿なら福与城下の民を餓えさせることはないと、御屋形様は御考えでしょう」
「だが御屋形様が我らに、単独で高遠氏を攻め取れ、そう命じられる可能性も考慮しておかねばならん!」
「可能性は少ないとは思いますが、備えあれば患いなしですな」
「飛影、新しく俺の元に逃げてくる民は、全て竜ヶ崎城と荒神山城に収容いたせ、さすれば水腫の病に感染した福与城の民と接触させずにすむ」
「は! 承りました」
「虎昌、竜ケ崎城の城代を飯富源四郎に、荒神山城の城代は飛影に一任する、それでよいな?」
「お気遣いは感謝いたしますが、竜ケ崎城も飛影の配下に任せましょう。源四郎には城攻めや領地の代官を任せねばなりません」
「分かった、飛影聞いてたな?」
「は! 承りました」
翌日は丸1日かけて福与城の検分を行った。
2日目は竜ケ崎城の検分。
3日目は荒神山城の検分に費やした。
その間に、永田徳本先生の御宅が諏訪にあることが、飛影の配下から知らされた。
4日目の早朝に荒神山城を出た俺は、諏訪の永田徳本先生を訪ねた。
「武田太郎善信と申します、永田徳本先生は御在宅でしょうか?」
「武田太郎善信殿? 早朝より何事でございますか?」
奥から不審がる声色で聞き返してきた
「甲斐の水腫の病で、先生に御願いがあって参りました、どうか御会い願います」
「水腫の病で願いじゃと?! 武田の若君が直々に?!」
「はい、どうか先生の知恵をお貸しください」
「分かりました」
先生は急いで表戸を開けてくれた。
「先生、お初に御目にかかります、武田太郎善信と申します」
「御丁寧(ごていねい)な御挨拶(ごあいさつ)痛み入ります、永田徳本と申します。あばら屋ですが、どうぞお入りください」
「飛影だけ付いて参れ、他の者は表の警備を任せる」
「「「「「は! 承りました」」」」」
俺の日頃の言動に感化されてきたのだろう。近習たちは、修験者出身の飛影だけ優先したことに、疑問も文句も言わず素直に警備についてくれた。
俺は徳本先生の案内で、奥の板の間に通された。そこで膝を交えて、水種の病について話し合った。
「先生、我は最近に成って、ようやく甲斐の水腫の病を知りました。そこで、この飛影と配下の者にいろいろ調べさせたのですが、水腫の病いは、腹に虫が湧いているのではないかと思い至(いた)ったのです。先生は如何(いか)に御考えですか?」
「私もかねがね水腫の病には心を痛めていたのだが、原因を突き止めるまでには至(いた)らなかったのです」
「我も確証がある訳ではないのですが、飛影に調べさせた現象を突き合わせると、虫の可能性が一番高いかと思い至ったのです」
俺は飛影が作ってくれた絵図を取り出し、永田先生の前に広げた。その上で、鉱毒説やウィルス説をこの時代風に説明した。
「水毒であれば、同じ地域に住む地主が病に掛からぬ説明が付きません。風邪などの邪気から来る病なら、地主と百姓で罹患率(りかんりつ)が変わる説明が付きません。そこで一番疑わしいのが、田や川に住む虫が、田仕事や川仕事をする百姓を襲う事なのです」
「よくぞ思いつかれましたな! 不敬ながらそのように幼き身での慧眼(けいがん)! いや、何より民を思って御自(おんみずか)ら病の原因を探られるとは、永田徳本感服いたしました!」
「いえ、甲斐守護者の一門として当然のことです。そこで御願いなのですが、先生にはどの虫下しがこの病に効くのか、確かめていただきたいのです。薬の原料収集と生成は、私の配下を何人でも使っていただいて構いません」
「善信様、この永田徳本に、このような重大な役目を任せていただき、光栄至極でございます。全身全霊を掛けて、事に当たらせていただきます!」
「どうかお願いいたします。飛影、薬種に詳しい者と警護の者を先生にお付けしろ。それと見所のある子供を、先生の弟子に推挙(すいきょ)せよ」
「は! 承りました」
「先生、我は戦乱で親を亡くした子供たちを保護しております。そしてその子供たちに、生きる道を教えておるのですが、先生にも弟子として受け入れていただけないでしょうか?」
「善信様が行く当てのない民を助けておられる事、私も聞き及んでおります。何人でも構いません、全て弟子としましょう!」
卑怯かもしれない、だが全てを俺一人で解決できるはずもない。俺が武田太郎義信として産まれた事を、運命と考えよう。医師や百姓に産まれなかった、織田信長や今川義元でもなかった。甲斐の地に信玄の息子に産まれたのだから、その地位でしかできない方法で民を助けていこう。
内乱を起こさない様に信玄に従い、外敵に攻め込まれないように兵を養い、民を餓えさせないように内治と殖産に励む。そのためなら、飛影たちを使い外道な暗殺も厭(いと)わん!
より多数の民を助けるために、少数の民を殺すこともやるしかない!
悪鬼羅刹(あっきらせつ)となろうとも、必ずやり遂げてみせる!
その初めとして、俺は水腫の病の責任を永田徳本に丸投げした・・・・・・・
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます