第5話風土病

 福与城が俺の支配下に入り、信玄は新たに40騎の寄騎を俺の近習に送り込んできた。全員とは言わないが、ほとんどが信玄のスパイだろう。さらに甘利信忠と曽根昌世の2人を、正式な副将兼後見人としてくれた。


 甘利信忠とその直臣には、要害山周辺での狩り・釜無川と笛吹川流域での漁業・農業池造りや用水路造りに開墾も指揮してもらった。


 曽根昌世とその家臣には、開拓地に設けた常設市の管理と警備、子供達への読み書き算盤の教授をしてもらった。


 甲斐に一緒に戻った飯富軍100兵は、領地に帰り農作業に戻った。一方俺は、急いで難民から戦えそうな男1000人を選んで福与城に向かった。本当は1600兵そろえたかったが、これ以上は女子供まで動員することになるので諦めた。


 できるだけ早く、福与城に残った飯富軍700兵を領地に返さないと、飯富領の農作業に支障をきたしてしまう。そうなれば徐々に飯富家の財政は傾き、俺に対する反感が産まれてしまう。


 今回の福与城行きには、飯富源四郎と40騎の近習が付き従ってくれた。取りあえず40騎の中から10騎を選抜し、1騎に100人の難民を預け、足軽としての訓練をさせる心算だ。


 だがそれだけではなく、福与城が敵に囲まれる可能性も考慮し、籠城用の兵糧も運んだ。俺の郭に備蓄してあった食料の内、2000人が1年籠城できるだけの玄米と干魚・干肉・塩・干野菜を持って、福与城に向かったのだ。






福与城:善信私室


「虎昌、この城をいただいたぞ」


「若殿、おめでとうございます。これで若殿も立派な城主でございます」


 飯富虎昌が涙を流して喜んでくれる。


「全て虎昌が後見してくれたおかげじゃ、これからも頼むぞ」


「もったいない御言葉、虎昌生涯忘れません」


 あ~あ~あ~、鼻水まで流してるよ。そこまで喜んでくれて、感謝までしてくれると、俺まで泣きそうになっちまう。虎昌の家臣や俺の近習まで、感激して涙目になってる。こりゃだめだ、俺まで泣きそうだ、雰囲気を変えよう。


「虎昌! 喜んでばかりいられないぞ、御屋形様から軍役1600兵を命じられた。この地の地侍や農民は慰撫(いぶ)できたか? どれくらいの兵を動員できそうだ?」


「若殿、申し訳ございません、全く手をつけておりません。城の修理と、武具甲冑の点検で精一杯でございました」


 まあ仕方ないな、攻略してからわずか5日で、敵地の慰撫(いぶ)は不可能だ。


「うむ、仕方ないことじゃ。まずは虎昌の兵を領地に返せ、でないと収穫に悪影響が出てしまう。城の守備は、連れてきた1000人の難民を鍛えて行おう」


「若殿、某(それがし)の領地の事まで気遣ってくださり、有り難きことでございます」


「うむ、それで武具甲冑だが、1000人に行き届くだろうか?」


「残念ながらこの城には、足軽に貸し与えられる具足が200程度でしかありません。藤沢家では、農民や地侍が自弁で武具と具足をそろえていたようです」


「そうか、ならば地侍や農民を慰撫(いぶ)できれば、1500の兵がそろうのだな?」


「はい、時間さえ掛けられれば、戦慣れした兵を集めることができます」


 虎昌め、急拵えでそろえた難民足軽では不満のようだな、でもまあ当然だな。


「だが今はあるもので凌(しの)がなければならん、まずは槍代わりに竹を切りだそう、竹槍を武器とする」


「情けないことでございますが、今は仕方ありません」


「投石用の石も河原で集めよう。それに盾として竹を束ねて竹束盾を作ろうと思う。さらに竹槍で槍衾を作れば、難民の足軽でも野戦で踏ん張れるだろう。もちろん基本は籠城戦だがな」


「それしかございませんな、今の戦力では、とても野戦などできません。大量の石を集めて、投石で城に近寄らせないのが一番でしょう」


「それで1000人の足軽軍なのだが、最小単位を伍として、伍長に4兵を指揮させる。次に組長を置き、5つの伍を指揮させ25兵の長とする。その上に隊長を置き、4つの組を指揮させ100兵の長とする。取りあえず隊長は40騎の寄騎の中から選ぶが、いずれは難民から抜擢したい。全軍の総大将は虎昌に任せるから、できる限り死なずに済むように訓練してくれ」


「承りました、若殿の期待に背かぬよう徹底的に鍛えます」


「いや言い方が悪かったな。訓練は雪が降り城に籠ってから本格的に始めてくれ。まずは冬を凌(しの)ぐ足軽小屋の増築と、籠城用の兵糧確保の狩猟漁労に重点を置いてくれ。充分な兵糧を運んできた心算だが、甲斐との連絡が途絶えた冬場に反乱が起これば、武田軍は救援に来られない」


 俺は2日間福与城に留まり、こまごまとした指示を与えて躑躅ヶ崎館に帰ることにした。10騎の近習を福与城に残し、残る30騎と700の飯富農民兵が俺に付き従った。飯富源四郎が農民兵を指揮して、飯富領に帰郷するようだ。彼らには略奪を禁じた代わりに、1兵当たり1貫文の銭を褒美に与えた。忠誠心を銭で買うようで嫌だったが、戦国の世ではこれが一番だと虎昌が教えてくれたのだ。


 飯富への帰還を急ぐ俺の前に、偵察に先駆けさせていた近習と共に、立派な出で立ちの騎馬武者一行が現れ立ちふさがった。


「板垣信方にございます。若君を御迎えするためお待ちいたしておりました。どおぞ上原城にて御休息してください」


 参ったな、板垣信方の気持ちは無下にできないが、飯富兵を早く帰郷させてやりたい。そうだ、少し早いがここで弁当を使うか。


「信方殿、気持ちはありがたいのだが、飯富兵を早く帰郷させ農作業をさせてやりたい。ここで弁当を食べながら話さないか?」


「何と若君の優しきこと、農兵の生活まで思いやっておられる。承知いたしました、城に御迎えできぬのは残念ですが、ここで歓談させていただきます」


 信方は、城から御馳走を運ばせようと近習を駆けさせた。


 板垣信方の歓待を受け、甲斐に戻るのが少し遅れたが、日暮れまでには躑躅ヶ崎館に辿り着けそうだ。塩崎の集落に近づいた時、水腫の病と思える姿の者を見かけた。どうにも気になる、確かめてみよう。


「そこの百姓、その姿は水腫の病と聞いたが、それに相違ないか?」


 百姓は、700の軍勢に警戒心を持っていたところに、突然馬上から赤い陣羽織を着た5歳児に声を掛けられ驚愕(きょうがく)している。


「驚かせて済まぬな、この辺りに住む民が独特の病にかかると聞いて気になってな、そちがその病独特(やまいどくとく)の姿なので尋ねたのじゃ」


 驚愕していた百姓も、俺の優しい言葉を聞いて立ち直ってくれたようで、何とか俺の話を聞いてくれる気になったようだ。


「飛影、降ろしてくれ」


 情けない話だが、馬の乗り降りには、大人の手助けが必要だ。まず馬上の飯富源四郎が俺を抱き上げ、地上の飛影に手渡してくれて、初めて地に下りれるのだ。


「源四郎、兵を連れて帰郷せよ、後は飛影と近習衆で大丈夫だ」


「それはなりません、躑躅ヶ崎館まで御送りせよと、兄から厳命されております」


 虎昌は心配性だな。


「大丈夫だ、ここまで来れば何の心配もない。それよりも農作業が一番大切だ、早く兵を田畑に帰してやれ」


「源兵衛、そなたが兵を指揮して帰れ。我は若殿に付き従う」


 源四郎は家人に兵を指揮させて、自分は残る決断をしたようだ。仕方ないな、俺を残してほいほい帰るようでは忠誠心を疑われるからな。


「百姓よ、病の事を聞かせてくれ。その病の原因はなんじゃ?」


 俺はできるだけ優しく百姓に話しかけた。それでなくとも俺の近習30騎に囲まれ恐怖しているんだ、俺まで居丈高に質問したら話せなくなるだろう。


「それが全然わからないんでさ」


「噂や与太話でも構わないよ、周りの者は何か言ってないか?」


 俺は百姓の話を聞きながら、百姓の息の臭いを確認するが、やはりドブと同じ臭いがする。だとすると肝臓が病んでいるのかな?


「近隣の村の者たちは、川の水を飲むから仕方がないと言っとります。中には田や川に入って赤くかぶれると、病に成ると言う者も居りますが、わしゃ、水を飲むと病になると思っとります」


 ふむ、経口感染と皮膚から感染か?


 皮膚からだと虫刺されか?


 湿地帯なら蚊が沸くよな、マラリアみたいに感染したのかな?


 だが言葉通り水生昆虫(すいせいこんちゅう)からの感染だとすると、俺が覚えてるのは、釣りマンガで読んだツツガムシと、衛生学で習った日本住血吸虫だけだ。でもどちらも病名だけしか知らない、症状も予防法も治療法も覚えていない、衛生学は仕事に直接関係ないから、ほとんどの授業を寝てたよ!


 あ、名前聞いてなかった。


「百姓、そなたの名前は?」


「田平と言います。」


「田平、腹を見せてくれ。」


「へい、でも、その、しかし、とても見苦しい姿なんで・・・・・」


「俺は武田善信じゃ、躑躅ヶ崎館の中にある書物に、田平の病を治す事が書かれていないか調べたいのじゃ。そのためにも腹を確認したいのじゃ!」


「へ? 病を治していただけるんですか!」


「治せるかどうかはわからん、だが、調べてみたいのじゃ!」


「どうか、どうか、御願いします。わしら竜地の百姓だけじゃない、川筋に住む百姓皆が苦しんどります、どうか、治してください!」


「まずは腹を見せてくれ、その上で館の書物を調べてみよう」


「へい、へい、どうぞ」


 田平は襤褸雑巾(ぼろぞうきん)のような上着をたくし上げて、膨れ上がった腹を出してくれた。やはり肝臓か!


 下腹部の静脈が、大ミミズがのたくる様に浮き上がっている。これはメズサの頭だな。肝硬変か肝癌で、肝臓が血液を受け入れられなくなって血流障害を起こしている。血液が渋滞を起こしているようなもので、肝臓に流れられなくなった血が浮き上がってる。皮膚も黄色い、黄疸症状がでてるな。


「田平、少し触るぞ」


「若殿! お止めください! 病がうつってしまいます!」


 飯富源四郎が、叫びながら俺と田平の間に割って入った。


「心配いらぬ、これくらいでうつるなら家族は皆うつっておる。それよりも、この病で甲斐の民が苦しむのを見過ごしては、武田の名折れに成る」


 田平の顔が引き攣(つ)ってる、少し震えてるのか?


「まあよい、任せよ」


 俺は幼き手で源四郎を押しのけ、田平の腹を触診する。


「田平、ありがとう。館に帰って病の事を調べてみる」


「どうか、どうか、御願いします。治してください!」


「約束はできぬ! また時間もかかる」


「どうか、どうか、どうか、どうか御願いいたします」


 土下座して拝む田平には胸が痛むが、戦国時代の医療で治せる病など限られている。俺の知る衛生予防で抑え込めるものならいいが・・・・・


「飛影、源四郎、乗せてくれ。帰るぞ」


 情けなくも、また2人に馬に乗せてもらい帰ることにした。


「飛影、今俺がやっていたことは見ていたな」


「はい、若殿」


「では調べて絵図を作ってくれ、甲斐のどの当たりに病の者がいるか調べたい。それと、水腫に加えて息が臭いか、下腹の血管が浮き出ているか、皮膚が黄色いか。そして何よりも、彼ら自身が、何が原因で病になったと思っているのか」


「必要なことなのですね!」


「ああ、俺は決して民を見殺しにはしない、そう飛影と約束したろ? 力及ばず助けられないことはあっても、最後まで努力する!」


「は! 急ぎ調べます!」


 飛影に水腫の情報を調べさせてる間、躑躅ヶ崎館付近に残った老若弱の難民たちでもできる仕事を、俺が直接指揮するした。もともと食べることができなかった難民たち、屈強な男は極少数だったのに、その男たちを根こそぎ福与城に派遣してしまった。


 年頃の女は身を売って生きて行けるので、ここに逃げて来ている大半は、老女か孤児に少数の母親だ。だから今ここに残っているのは、足軽にもできないような老病な男と、老女と子供だけになってしまった。


 彼らを指揮して何とか稲の刈り取りを行い、使える人を厳選して狩猟と漁労をこなし、冬を越えるための食料確保を行った。何とか順調だったのは、廃鉱山を利用して蚕の孵化(ふか)をコントロールした通年の養蚕だ。富岡製糸場特集のテレビで、10度以下で死なない程度の低温管理ができる事を見た覚えがあったが、実験は大成功した。


 もう1つは、椎茸(しいたけ)の人工栽培だ。昆布や鰹の出汁がない戦国時代、特に貧しい甲斐での食生活はつらかったが、それが干椎茸(ほししいたけ)の出汁の御蔭で劇的に変化した。


 3つめが算盤生産だ、直ぐに役立つものではないが、子供達を教育していけば徐々に効果が表れるはず。






躑躅ヶ崎館外の浮民村


「「「「「いんいちがいち、いんいがに、いんさんがさん・・・・・」」」」」


「茜ちゃん、楓ちゃん、桔梗ちゃん、3人ともよく覚えたね」


「「「若様の御蔭です」」」


「違うよ、3人が頑張ったからだよ」


 幸せだなぁ~、美幼女に囲まれてお勉強、これに勝る幸せはない。


「若殿、よろしいでしょうか?」


 庭先から飛影が声を掛けてきた。普段は絶対俺の楽しみを邪魔しない飛影が声を掛けてきたのなら、最重要事項しかない!


「皆、勉強続けていてね」


 側に侍らせていた3人以外の子供達にも声を掛けて、俺は飛影と近習を従えて館に戻った。






躑躅ヶ崎館の善信私室


「若殿、水腫の調べが終わりました。これが御指示を受けて作りました絵図でございます」


 飛影は、甲斐の盆地一帯の絵図を広げてくれた。水腫の患者のいる場所を赤い点で記しているので、絵の具の貴重な戦国時代なら見易い方だろう。釜無川筋一帯と笛吹川一帯に集中しているな?


 笛吹川に合流している、相川と貢川一帯にも多い。だが、釜無川を遡(さかのぼ)り武川と名が代わる上流まで行くと病人はいないのか?


 何より、何故か躑躅ヶ崎館に近い場所では病人がいない?


「病気の原因で、何か新しい話はあったか?」


「いえ、御聞きしていた水が悪いという話と、田に入って赤く爛(ただ)れたら、数年で病に成るという話だけです」


 鉱山開発による鉱毒なら、2つの流域で出るのはおかしい。2つの流域に渡るような大規模鉱毒なら、躑躅ヶ崎館の前の小川で出ないのがおかしい。だから鉱毒の可能性は下位に置こう。そうなると、次に可能性が高いのは、前に考えた湿地帯の蚊の発生による蔓延(まんえん)だが?


「地主や地侍の内、田に入らないような裕福な者に病人はいたか?」


  飛影に確認してみた。


「いえ、多くは貧しい小作人です。自作の者も多少はおりますが」


 となると、蚊による蔓延も除外だ、蚊の行動範囲にいる富裕者だけが、蚊に血を吸われないなどありえない。それと水を飲んでの発病なら、同地域に住む富裕者だって水を飲む!


「富裕な者は、他所(よそ)から水を運ばせたりしていないか? いや、屋敷だけ他所(よそ)に構えていないか?」


「申し訳ありません。いま少し調べてから答えさせていただきます」


 いいね~!


 情報の大切さを分かってくれてる。


 いい加減な返事をせず再調査してくれる。


「うむ、大切なのは水が悪くて病に成るかを確かめる事、病に成っていないものが、何故病を避けられたかを知りたい。特別な水を飲んでいるのか? そもそも病域に立ち入っていないのか、田に入らなければ病にならないのか、それを聞いて来てくれ。俺の名を出して構わん」


「は!」


 さて、こうなると飲料水説の可能性も低くなった。一番可能性が高いのは、水生生物による感染だ!


 糞!


 ここにきて努力不足の恥多き前世が祟(たた)りやがる!


 後悔先に立たず、もっと真剣に勉強しときゃよかった。


 だが、後悔してるだけじゃ前世と同じ。


 何とか方法を考えなければ。


 水生生物が媒介するウィルスや毒による肝硬変なら、俺にはどうにもならん、諦めるしかない。だがフィラリアの様に、身体(からだ)に寄生する虫やその卵が肝臓に影響を及ぼすのなら、わずかではあるが方法はある。


 まずは、衛生管理だ!


 次に生食の禁止だ!


 野菜も果物も全て熱を通して食べさそう。人糞(じんぷん)を肥料に使うのは止められないが、糞(くそ)を1度焼いてしまえばいい。後は飲料水も必ず煮沸して消毒する。だが燃料の薪(まき)の購入費が問題だな、山は全て持ち主が決まっている。


 柴(しば)だって勝手に盗れば罪人だ!


 事情を話して、信玄に武田の山を開放してもらうしかないか?


 現世なら手洗いに石鹸(せっけん)を使うんだが、今は導入できない。作り方は知っているんだが、食料として貴重な油脂(ゆし)を、今の甲斐ではとてもじゃないが石鹸には使えない。寄生虫による肝臓病なら、感染から数年の余裕がある。だが今食用の油脂を石鹸に回せば、冬の間に餓死者が出るかもしれない。


 今までも、軍資金を貯めるより、餓える者を救うために、石鹸(せっけん)作りは封印してきたんだ。多くの民を餓死させる可能性があるのに、感染症のために石鹸づくりを解禁するわけにはいかない。同じ理由で、水田を畑にすることもできない!


 水田と畑では養える人口が違いすぎる、苦渋の選択だが止むを得ない。それよりは虫下しの生産だ!


虫下しの作り方だが、俺の覚えてる範囲では。

1:苦楝皮(くれんぴ):栴檀の樹皮で作れたはず。

2:石榴実皮(せきりゅうじつひ):成熟した石榴の皮を干して作ったよな?

3:雷丸(らいがん):竹に寄生する菌だったような?

4:鳥梅(うばい):青梅を燻製にして作ったよな?

:山椒にも効果があったか?

5:海人草(かいじんそう):マリクとも言ったか?

   :こいつは海の紅藻の一種だから、甲斐で手に入れるのは無理か?


 永田徳本先生か曲直瀬道三と連絡が取れれば、教えを請(こ)えるんだが!


「飛影、永田徳本先生に教えを請(こ)うてくれ。いや、居所を探してくれ、俺自身で尋ねて教えを請(こ)う! 飛影は配下を使い曲直瀬道三と言う医師を探し出し、虫下しの生成法を伝授してもらってきてくれ。とにかく誰でもいい。医師と言う医師から虫下しの生成法を聞き出してくれ!」


「承りました! 諸国を巡る全ての伝手を使い、虫下しの秘術を集めます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る