第4話葬列

 翌日信玄が、近日に俺の元服と鎧着初(よろいきぞめ)を行うと家臣団に伝えた。早すぎると言う意見も少しは出たが、日頃からの神童の評判が後押ししたようで、信繁叔父上などは手放しで喜んでくれた。


 俺は、武田太郎善信を名乗ることになった。この世界では、足利義輝将軍の諱(いみな)は頂かないで、善の字で善信(よしのぶ)と名乗る事になった。流民・浮民を助ける俺に対する、信玄親父の嫌味も多少は含まれているのかもしれない。






1544年10月:躑躅ヶ崎館の信玄私室


「善信、儂は来月に福与城を攻める。手柄が欲しくば、それまでに自力で福与城を落としてみよ」


「飯富虎昌以外の寄騎は付けて頂けますか?」


「駄目だ。独力でやって見せよ」


「虎昌の手勢だけでは、無理して農民兵を集めても800兵が精一杯でございます。福与城の藤沢頼親の手勢は、1500兵ほどおります。確実に勝つためには、もう少し兵が欲しいのです」


「兵を事前に集めれば藤沢に気づかれる。それよりは奇襲がよかろう。奇襲ならば、普段から城に詰めてる兵だけだ。常駐の兵だけなら、多くても200兵ほどだろう」


「確かに夜襲が成功して、気付かれずに城門を開けることができれば、800でも城は落とせるでしょうが・・・・・」


「善信の素破衆は優秀だと聞いておるぞ。やってみせてみよ」


「独力で落とせれば、開拓地と福与城を私に御与え頂けますね?!」


「儂に天下を盗らせてくれるのであろう? ならば開拓地と福与城くらいくれてやる」


「必ず! 父上が天下を取れる甲斐に、開拓いたします」






福与城近くの森:善信主従


 10日後、新月の夜に合わせて、俺は飯富虎昌軍800兵と福与城近くの森にいた。今頃猿渡飛影は、配下と共に城内に侵入しているだろう。幼児の俺は、何時寝落ちしてもおかしくない!


 昼にたっぷり寝ようと思ったが、さすがに緊張で寝れなかった。事前に乳母に作ってもらった、戦仕様負ぶい紐(ひも)を虎昌に預けてある。いざとなったら、虎昌が負ぶってくれるだろう。


 飛影達は、組体操のように仲間を踏み台にして城壁を越えていた。木梯子(きはしご)や縄梯子(なわばしご)を使えば、音がする恐れがある。だが人が梯子(はしご)代わりになれば、音は出ない。規模の小さい、城壁の低い城ならではの方法ではある。


 しばらくして、城の方から梟(ふくろう)の鳴き声が聞こえてきた。


「若殿、藤沢頼親を確保したようです」


 俺の側に控える飛影の配下が小声で言う。


「城門前に近づく、音を立てず付いて参れ」


 伝言ゲームのように、1人ずつ小声で命令を伝えていく。事前に10日間、徹底的に夜襲の訓練をした。いろいろ創意工夫をし、音を立てないように鎧の間に襤褸布(ぼろぬの)を詰めたりもしている。静々と城門に近づいた時、福与城の大手門が開いた。予定通り飛影の手の者が、門番を始末し開けてくれたのだ。


 まだ城兵には気付かれていない、俺は小声で指示した。


「かかれ!」


 俺たちは静かに、しかし素早く一気に城内に攻め込んだ。


 大手門から一番近い曲輪は、城兵に騒がれることなく攻略できた。城兵は見かけ次第、虎昌の家臣団が切り殺した。俺は虎昌の陰に隠れて進むだけだった。


 二番目の曲輪を攻略しようとしたが、不寝番が生きていて騒ぎ出した。さすがに飛影達も、ここまでは手が回らなかったようだ。


「敵だ~、敵襲だ~、ぐぅえ!」


 味方の1人が素早く切って捨てたが、もうどうにもならない。


 一気に福与城内が騒がしくなった。


「「「「「敵襲~、敵襲だ~」」」」」


 城内各地で、俺たちに備(そな)える声が響く。


「虎昌! 眠い」


 急に限界が来てしまった・・・・・もはや一刻の猶予(ゆうよ)もない。


「若殿、どうぞ」


 虎昌が素早く俺を負ぶってくれた。


「猿渡飛影、敵将・藤沢頼親(ふじさわよりちか)を討ち取った」

「藤沢頼親を討ち取った」

「「「「「藤沢頼親は討ち取ったぞ、降伏する者は助けるぞ~!」」」」」

「「「「「降伏する者は、本領安堵(ほんりょうあんど)で助けるぞ~」」」」」

「「「「「降伏する者は、武田善信様の家臣として本領安堵だぞ~」」」」」


 意識が遠くなる中、家臣達の叫び声を子守歌に寝てしまった。






 気が付くと朝だった!


 幼児だから仕方が無いのだろうが、城攻めの途中で寝落ちするとは!


「若殿、福与城を攻略いたしました」


「飛影、御苦労であった、けがはないか?」


「御心配いただき、有難き幸せでございます。幸い擦り傷一つなく切り抜けました」


「配下の者達はどうだ? けがをした者は居らんか?」


「手下の者どもの御心配までして頂き、有り難きことでございます。多少手傷を受けた者もございますが、命の心配のある者は居りません」


「そうか、それはよかった。だが傷が膿(う)んでは命にかかわる。その方どもの命は物や金には代えられんから、預けてある薬を遠慮なく使って手当するがよい」


「!・・・・・は!・・・・・あり、ありが、たき幸せ・・・・」


 俺の警護なのだろう、飛影と4人の素破が部屋にいた。飛影と4人は、声を出さないように、息を飲みこむように、噎(むせ)び泣いている。今までの人生で、人らしく扱ってもらったことがないのかもしれない。部屋の外、庭先でも啜(すす)り泣きが聞こえてきた。庭でも素破衆が警護に当たってくれているようだ。


 俺は、飛影達が落ち着くのを待って声をかけた。


「虎昌の様子を見に行きたい、警護を頼むぞ」


「は! お任せください、この命尽きるまで御側を離れません!」


「うむ、この命預けた!」


 俺は飯富虎昌に福与城を預けて、躑躅ヶ崎館に帰ることにした。一刻も早く信玄に戦勝報告をしなければならない事もあるのだが、何より俺が城内に立ち込める血の匂いに辟易(へきえき)したのだ。前世の影響か、臭気には敏感なのかもしれない。


 福与城には700兵を残し、俺自身の警護は100兵と素破に任せた。飯富虎昌は危険だと心配して、400兵付けると言い張ったが却下した。落としたばかりの福与城を取り返そうと、藤沢一族が攻め寄せるかもしれないからだ。城の守備に700兵残れば、攻守3倍の法則で城攻めに2100兵が必要となる。藤沢一族の動員限界は1500兵、700兵残れば奪還される心配は無くなる。






甲斐国の釜無川付近:善信主従


「どけ~! 若君の御通りだ!」


 飯富源四郎の操る馬の前に乗せてもらい、居眠りしていた俺は目を覚ました。思考力の働かない、寝惚け眼(まなこ)に飛び込んできたのは?


 百姓の葬列を槍で追い散らす足軽の姿!


「やめんか~、この愚か者め!」


 理解した途端、前世では滅多に怒らなかった俺の堪忍袋がぶち切れた。


「ヒィヒィ~ン」


 愚か者は俺だった!


 軍用とは言え、臆病な馬の耳もとで突然大声を出しちまった。馬が嘶(いなな)きながら棹立(さおだ)ちに成る。飯富源四郎が、とっさに両手で手綱を持ち直した。だが俺は、真っ逆さまに馬から投げ出された。


 あわやと地面に叩き付けられる言うところで、飛影が抱き留めてくれた。


「あ、あ、あ、ありがとう」


 硬直する口元で必死で礼を言いながらも、俺の目は棒立ちの足軽と百姓から視線が離れることはなかった。肉親を亡くし悲しみに打ちひしがれる人を、槍で追い散らすなど鬼畜の所業!


 俺の目の黒いうちは絶対に許さん!


 俺はほてほてと、5歳児ながら必死で走り寄り、足軽の脛(すね)を全力で蹴った。


「この戯(たわ)け者が!」


 5歳児の蹴りなど、全く打撃力はないが怒りは伝わったようだ。


「肉親を亡くした人々を槍で脅すなど、それでも甲斐の守護者か!」


 殺し合いを重ね生き延びてきた足軽には、俺の言葉は理不尽なのかもしれない。だが、ここは譲れない。この一線をなくしたら、俺は昨日のような殺戮を続けて、良心をなくしてしまうかもしれない。


「皆の者、許せ」


 俺は、茫然としている葬列の人々に語り掛けた。


「皆の悲しみが分からないわけではないのだ。合戦帰りで気が立っておったのじゃ。我にも仏に念仏を唱えさせてくれ」


 家族たちだろう、怯(おび)えながらも棺桶(かんおけ)を開けてくれた。


「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」


 死臭に混じってドブ臭がするな、肝臓の疾患で亡くなったのか?


 俺は葬列の人々を怯えさせないように、何気なく観察してみた。数人が水腫なのだろう、腹部が膨張して四肢も異常に細くなっている。仲の良さそうな十数組の家族だ、どの家族も1人だけ虐待して食事を与えてないとも思えない。なのに数人だけ栄養失調のような姿なのは解せない、詳しく調べてみるか?


「若君! 急がねば御屋形様がお待ちです」


 馬を立て直し、俺の行状を見守っていた飯富源四郎が、辛抱しきれず話しかけてきた。仕方ない、後日じっくり調べよう。


「分かった、戻ろう。皆の者、騒がせたな達者(たっしゃ)で暮らせ」


 俺は百姓どもの言葉を掛け、飯富源四郎に抱き上げられて騎乗した。何とも締まらない姿だが、早く成長したいような、幼児の無責任な時代をもっと長く過ごしたいような、微妙な気持ちになる。






躑躅ヶ崎館の大広間:


 急遽参集した一族一門と重臣団がうちそろっていた。皆が、俺が初陣で大手柄を立てたことに興奮し、隣の者と大声で話している。さすがに5歳児が主導したとは思っておらず、大半の者が飯富虎昌を褒めている。だが中には鋭く俺の所作を観察し、実力を計ろうとしている者もいる。


 威厳を正した信玄が、近習衆と共に入って来た。大広間のざわめきが、一瞬の内に水を打ったような静けさになる。


「善信、この度の福与城攻略、天晴である」


「は、お褒めいただき恐悦にございます」


「褒美として、この度攻略した藤沢領と、お主が開拓した田畑を直轄領として認める。福与城もお主に預ける故、自由に城代を決めるがよかろう」


 予想外だな、素直に俺に城と領地を預けてくれた、これで今後の展開が楽になる。


「善信、これで貴様も一人前の武将、武田の一門として責任も果たしてもらわねばならん。藤沢領の兵役が1500兵、開墾した領地4000石で100兵、総勢1600兵を合戦時に動員せよ!」


 おいおい、昨日攻略したばかりの土地だぜ、藤沢一門や家臣団はいまだに反撃の機会をうかがってるんだ。兵を集めるどころか、駐屯させて監視しなければいけないのは分かってるだろうが。分かって言ってるんだよな?


 そうなると、俺が漢方薬で稼いだ軍資金を吐き出させる気だな!


 それと、難民とした集まった8000人は、普段は狩猟漁労や開拓農民として動員しているが、躑躅ヶ崎館周辺に常駐させてるのを警戒してるのか?


 これは俺がうかつだった、猜疑心(さいぎしん)の強い信玄に対して、これでは警戒されても仕方がないな、これからはもっと慎重にやろう。


「御屋形様、恐れながら申し上げます。藤沢領は昨晩攻略したばかりで、いまだ藤沢一門や家臣を慰撫(いぶ)しておりません。動員限界一杯の1500兵を集めるのは難しゅうございます。よって開拓に従事しております者から士分と足軽を抜擢(ばってき)して、1600兵を編成させていただきたいのです」


「うむ、認めよう。それと、信濃攻略は我が悲願である。浮民を集めて開拓を行うのなら、新たに領地とした藤沢領周辺がよかろう。さすれば変事に城兵として活用もできよう」


 やはりな、これ以上俺の息がかかった人数を、躑躅ヶ崎館周辺に増やしたくないのだな!


 だが、核を入れ養殖を試行錯誤している淡水真珠を放棄するわけにはいかない!


 主力は藤沢領に移動させるとして、開拓地農民と真珠養殖用母貝の世話人は残さないとな。


「承知いたしました、今後流入してまいります浮民・河原者・山窩は福与城に収容いたし、漁労は天竜川で、狩猟は信濃の山々で行いまする」


「うむ、善信の働きを期待いたしておる!」






躑躅ケ崎館の善信私室


「飛影!」


「は! お呼びでございますか?」


 飛影が庭先から返事する。


「先程の集まりで、俺が藤沢領と開拓地を直領とする事が認められた」


「おめでとうございます」


「だが、同時に1600兵の動員義務が課せられた」


「それは、厳しい条件でございますな」


「だが御前たちには好機だ」


「何がで御座いますか?」


「難民から士分足軽の登用を認めていただいた」


「え? 真でございますか!」


「うむ、だが今の収穫では、十分な扶持は与えられない」


「扶持の多寡など問題ではございません! 正式な家臣にしていただけるなら、河原者や山窩にとって、これに勝る喜びはございません!」


「飛影は士分として扶持20貫文を与える。16人の足軽組頭には5貫文を与える。足軽には1貫文の扶持を与える。ただし、これまで通り狩猟漁労や開墾に従事してもらわねばならん」


「何の問題もございません、承知仕りました」


「それとな、武具防具がないのだ。福与城の備蓄品を流用するにしても、大した足しにならん。難民の中に職人は居らんか?」


「以前承りました、職人調略の条件でよろしゅうございますか?」


「今仕えてる倍の扶持か? 大丈夫だ。儂に二言はない!」


「ならば直ぐに近隣諸国より集まりましょう、善信様の善政は響き渡っております。しかも、約束通り城を手に入れて下さりました。御望みになられた、鉄砲・硝石・木工にとどまらず、ありとあらゆる職人が集まりまする」


「うむ、任せたぞ。それとな、今日躑躅ヶ崎館に戻る途中に出会った葬列を覚えておるか?」


「はい、覚えておりますが、それがなにか?」


「葬列に腹が膨れ、四肢が痩せ細った者が居たのも覚えておるか?」


「はい、甲斐に多くいる水腫の病の者でございますな」


「なに! あの病は甲斐に多くいるのか?」


「はい、甲斐に蔓延(はびこ)る病でございますが、それが何か?」


「知りたいのじゃ! あの病が甲斐のどの当たりに多いのか、どのような状況で病になったのか、治せる病なのか、知りたいのじゃ」


「それがしの知る限り、川筋の低地に多うございますし、治らぬ不治の病でございます」


「飛影、絵図を書き詳しく病の者が居る地域を調べてくれ」


「承知仕りました」

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