第3話天文12年 (1543年)6歳

甲斐躑躅ヶ崎館:信玄と太郎


 信玄は、信濃国長窪城主である大井貞隆を攻めて、自害に追い込んだ。大井貞隆は、家臣の相木昌朝や芦田信守に裏切られたのだ。猿渡飛影が調べた、城の図面と家臣情報が役立ったのだろう、信玄は上機嫌だった。


「太郎、素破どもの働き上々であった」


「は! 有り難き幸せ」


「開墾地は小作地として認めよう」


 おいおい、先に認めると言ってただろうが!


 信玄の野郎、図面に不備があったら取り消す気だったな。


「太郎、鹿茸と鹿鞭はまだあるのか」


 おいおい、5歳児に強精剤の御強請(おねだ)りかよ!


 ま、最初に与えたのは俺だけどね。


「鹿茸は春でないと取れません、残り少ないんで鹿鞭と山薬を探します」


「そうか、では頼んだぞ」


「はは」


 そうだ、自然薯を栽培しよう。河川に栽培に適した砂地がないか、飛影たちに探させよう。






翌日:武田家の専用狩場


「虎昌、狩りは頼んだぞ」


 俺は強精剤確保を自身で指揮するために、飯富虎昌に狩り班の指揮を任せた。信玄の側近に任せると、狩の獲物を掠(かす)め取られるかもしれない。安心して食料を確保するためには、信頼できる虎昌に狩り班の指揮は頼むほかないのだ。


「しかし、若君の護衛を・・・・・」


「「お任せください!」」


 甘利信忠と曽根昌世の両人が、競うように同時に答えた。両人は、信玄が今日から就けてくれた側近衆だ。曽根の妻は俺の乳母だったし、上手く俺の味方に取り込めればいいのだが。


「信忠、御屋形様が山薬(さんやく)を欲しておられる、材料となる自然薯(じねんじょ)を探す指揮を頼む」


「は、お任せください」


「昌世、俺と共に沢蟹(さわがに)など生薬の材料を河川で探してもらう」


「は、御供させていただきます」


 虎昌には主に屈強な男を、信忠には芋掘り名人を付けて行かせた。俺と昌世は、農業に携わらない女子供を率いた。精力剤の確保は信玄の御所望とは言え、だからと言って開墾を疎(おろそ)かには出来ない。開墾と農作業に必要な人数は最低限確保した上で、何とか捻出した人数を使っての狩りであり採集だ。


「飛影、居るか?」


「は、ここに居ります」


 さすが忍び!


 全く気付かなかったが、近くにいたのかよ!


 恐ろしい!


「あそこで貝を採っている女の子は誰だ?」


「戦乱で親を亡くした孤児です、上野より修験者が連れて参りました」


「俺の側に置きたい!」


「器量がよいので、くノ一にする心算なのですが?」


「欲しい!」


「分かりました、しかし身分が違いすぎますが?」


「俺が読み書き算盤を教える、小作人小屋に俺の寝所を設けよ」


「御屋形様や御家来衆が認められますまい?」


「時間をかけて説得する、あの子はくノ一から除外しろ!」


「分かりました」


「名は分かる?」


「あかね、と申します」

 

「飛影の養女にしろ、おまえが一番早く士分になれよう」


「! 有り難き幸せ!」


「任せた」


「御意」


 そう言えば、生まれ変わる前の俺が、初めて性衝動を感じたのは幼稚園の先生だったな。生まれ変わっても、性の目覚める歳は変わらんもんだな。


 だが、こうして館を出ると、甲斐の貧しさが嫌でも目に入って来て、むしょうに哀しくなる。耕す田畑を持つ百姓ですら栄養不良で、田畑で見かける百姓の中には、一目で栄養失調だと分かる姿の者がいる。まるでテレビで見た難民のように、四肢が細く腹部が肥大してる!


 浮民たちだけ見てるのではいけないのかもしれない、広く民に目を向け、甲斐の民全てを助けられるようにしなければいけない!






数日後の狩場


「いんいちがいち、いんにがに、いんさんがさん、いんよんがよん」


 子供たちが楽しそうに歌っている。俺が教えた九九の歌を歌いながら、貝類を探している。子供たちには俺の股肱(ここう)の臣下になってもらう予定だ!


 俺にはどのような家臣が必要か、それは簡単明瞭だった。武田家臣団の武勇は疑う余地もない、だが経済官吏はどうだ、真面(まとも)な家臣はいたのだろうか?


 歴史上の豊臣秀吉を思い出せばいい。織田信長亡き後、織田株式会社の子会社に過ぎなかった羽柴が天下を取った。30万石程度の統治経験しかなかった家臣団が、日本全体の経済を仕切るのだ、どれほどオーバーワークに陥(おちい)った事か。だからこそ石田三成・増田長盛・長束正家が、官吏として重宝がられたのだ。


 それ故(ゆえ)に、石田三成・増田長盛・長束正家は羽柴家内で絶大な権力を握った。だがまたそれ故(ゆえ)に、創成期からの古参家臣との間に大きな反目を生んでしまい、武断派と言われる武将に忌み嫌われてしまった。どんな組織であろうと、組織内の派閥や反目は少ない方がいい。今のうちから経済官吏を育てて行かないと、武断派家臣との融和が間に合わなくなり、家臣団内の調和を創り出すことができない。


「あかねちゃんは賢いね、九九をすぐに覚えたね」


「若君のおかげです、若君がつきっきりで教えて下さるからです。」


「あかねちゃんが可愛(かわい)いから、ずっと側にいたくなるんだよ」


 ああああ、幸せだ、こんな可愛い子と一緒にいられる。虎昌が苦虫を噛み潰したよう顔をしている。あかねちゃんを睨(にら)み付けたら折檻(せっかん)してやる!


 いやまずい!


 虎昌なら密(ひそ)かにあかねちゃんを殺してしまうかもしれない。


「あかねちゃん、このまま皆と貝を探していてね」


「はい、若君」


「虎昌、ちょっと話がある」


「・・・・・はい、若君・・・・」


「虎昌、不服があるようだが、聞こうか」


「若君、身分と御歳をわきまえてください」


「わきまえているよ、まだ5歳だから子が出来る心配もなかろう」


「! まさか、そんな、若君は僅(わず)か5歳、そのようなことを?」


「神童と言われているんだ、早熟なんだよ」


「ならば尚のこと、御身分をわきまえてくださらねば」


「虎昌、戦国の世だ、いつ死ぬか分からん、楽しみは必要だぞ」


「しかしそれにしても、あのような浮浪児(ふろうじ)を側に寄せるとは」


「虎昌、将来もし子ができたとしても、子の数が多ければ、養子や人質に重宝するだろう?」


「それはそうでございますが、あまりに身分が違いすぎます」


「俺が読み書き算盤(そろばん)を教えて、どこに出しても恥ずかしくない女子に育てる!」


「若君!」


「他家からの嫁だと、寝首を掻かれる恐れもあるぞ!」


「それは、確かにないとは言えませんが」


「俺を決して裏切らぬ、安心して寝所を預けられる女子を今から育てるのだ」


「分かりました、しかし御屋形様の耳の入れば唯では済みません」


「今から許可をもらいに行こう」


 うん?


 今俺、読み書き算盤て思わず言ってたな!


 算盤だよソロバン、算盤を作って売り出そう。いや待て!


 算盤の勉強を、兵に向かない男にやらせよう。その上で他国に算盤先生として送り込み、情報を調べるスパイにしよう。この時代でいえば忍者の草だな!


 やはり甲斐は貧しいな!


 貝拾いから躑躅ヶ崎館に戻る道すがら、田畑で働く民を観察するが、結構な割合で、栄養失調の者がいる。


 だがなんだ?


 何か引っかかる!


 この違和感はなんなんだ?






躑躅が崎館:信玄私室


「そう言う事なら、浮民だろうが、山窩だろうが妾にするがよかろう」


 よっしゃ、信玄の言質をとったぞ!


「そんなことよりも太郎、藤沢頼親の福与城の絵図は有るか? いや、福与城に入り込ませている素破は居るのか?」


「お待ちください、素破頭に確認した上で、お答えさせていただきます」


「そうか」


「ところで御屋形様、私が福与城を落としたら、開拓地を我が直領としていただけませんか?」


「ほう、元服も鎧着初(よろいきぞめ)も済ましておらん小童(こわっぱ)がほざいたな!」


 まずい! 


 怒ってるよ、でも仕方ないんだ、できるだけ早く子飼いの軍勢を整えないといけないんだ。


「御屋形様が京に上られ天下に号令されるには、その手先たる私も、できる限り早く1人前にならねばなりません」


「ほう、儂が京に上って天下に号令するのか、これまた大きく出たな、足利将軍家はどうなる?」


「最早(もはや)足利将軍家は滅びます! 三好一門に命脈を押さえられ、いつ寝首を掻(か)かれるかわかりません」


「だからといって、儂が天下に号令をかけられるものか。古川公方もおる、何より今川が黙っておらん」


「だからこそ、今から準備しておきます」


「太郎! おぬしに領地を与えたら、それが実現できるというのか!」


「修験者と山窩を使い、間道を抜け関所を破り、少量高価な薬を商い軍資金を稼ぎます。武芸者・兵法家・鉄砲鍛冶・火薬作り職人など、特殊技能者を集めます。ただそのためには、素破が決して裏切らぬ理由が必要なのです。そのためには、家族の住む安全な家、素破の里が必要不可欠なのです。素破から武士に成る道があると示し、他家に寝返るよりも武田家のために死んだ方が、残された家族のためになると、希望を与えねばなりません!」


「そのために河原者や山窩を集め、開墾を続けたいと申すのじゃな?」


「はい!」


「そこまで言うのなら命懸で答えよ。儂を追いだし甲斐の支配者になる心算か!」


「それは、悪手(あくしゅ)でございます」


「ほう、どう悪手なのじゃ?」


「御屋形様は、家臣どもの手を借りて、御爺様を追放されました。これによって、家臣どもが力を持ち、武田家に対する家臣団の発言力が増してしまいました」


「なに! 儂が間違いを犯したと申すか!」


「いえ、そうではありません。御爺様が御屋形様を廃して、信繁殿を擁立せんとしたのが悪手でございます。一族で争えば、その間隙を突き家臣が力をつけ、主家を滅ぼすことすらあります」


「うむ、だからお主は儂を裏切らぬと?」


「はい、順当に御屋形様の跡を継ぐのが上策です。他国や家臣どもに隙(すき)を見せぬ1番の策でございます」


「そのためにも、お主と素破だけで福与城を落とすと申すか?」


「とんでもございません、飯富虎昌はもちろん、御屋形様が付けてくださる寄騎は必要です」


「大口を叩いておいて、寄騎を望むか?」


「私を見張る軍監として、寄騎を付けるのが1つの策です。もう1つの策としては、御屋形様が信頼する近習に手柄を立てさせることです。そうすれば、御屋形様の甲斐での権力が強化されます。この2つ利点を考慮された上で、寄騎を付けてください」


「それだけの覚悟と計画があるなら、好きなようにやってみよ!」


「飛影、いるか?」


「は! ここに」


 中庭から声が聞こえた。


「部屋に入れて構いませんか?」


「構わぬ」


「御屋形様が御許可してくださった。部屋に入ってくるがよい」


「失礼いたします」


「御屋形様との会話は聞いていたか?」


「いえ、無理でございました。御屋形様の素破が護りを固めております」


「そうか、なら話して聞かす」


 俺は御屋形様との会話を掻い摘んで聞かせた。その上で、開墾地を無税の直領とすべく、今できることを確認した。


「藤沢頼親の福与城を落とせるか?」


「城の絵図面は出来上がっております、ただ、城内に入り込んでいる手の者はおりません」


「夜陰に乗じて城攻めするなら、事前に忍び込んで城門を開くことはできるか?」


「可能とも不可能とも申し上げられません。最善は尽くしますが」


「城攻めと同時に、藤沢頼親を暗殺することならどうだ?」


「日を決めず、暗殺が成功してからの城攻めなら可能でございます」


「なるほどな、合戦中の暗殺は不可能だな。それよりも暗殺してから攻め込み、城兵が混乱と恐怖を感じる中で頼親を討ち取ったと言えばいいか? さすれば城兵も恐慌を来たして、戦わずして逃げ出すかもしれんな」


「はい、その方法なら成功を約束できます!」


「だができる事なら、今からでも福与城に手の者を入れられないか?」


「疑われない範囲で努力しますが、御約束できませんし、危険です!」


「そうか、下手に動くと頼親に疑念を抱かれるか?」


「はい、その恐れがあります」


「ならば別の事を頼んでおきたい」


「はい、何でございましょうか」


「職人を集めたい」


「何の職人を集めればよろしいですか?」


「1番欲しいのは鉄砲職人だ、2番目は硝石を作れる職人で、3番目が農機具を作れる木工職人と野鍛冶だ」


「てっぽうとしょうせきでございますか? 聞かぬ言葉でございますが、探して攫(さら)ってまいるのですか?」


 うん?


 まだ鉄砲は伝来していないのか?


 まあいい。


 今から探させても無駄にはならんだろう。


「いや、職人が今もらってる倍の待遇で調略してくれ」


「約束通りの待遇を保証できますでしょうか?」


 信玄が約束を破ることを恐れているのか?


「飛影たちが商ってくれている漢方薬は、高値で売れているのだろう?」


「はい! 十分な利益を上げております、後で利益をお渡しいたしましょうか?」


「ああ、確認しよう。でどうなんだ? 概算で幾らほど貯まってる?」


「5000貫文程でございます」


「足軽なら、1000兵を1年間雇えるか?」


「はい、可能でございます」


「だが、それよりは職人や民を集めた方が、もっと軍資金を増やせる。そうすれば、さらに軍資金が増え兵も集められるし、難民も養える。今は職人優先で人集めしたいが出来るか?」


「承知いたしました」


 信玄は俺と飛影の会話を黙って聞いていた。

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