第2話素っ破
信玄が諏訪を攻め滅ぼした!
いや、滅ぼしてはいない、だが凄惨(せいさん)な行いだった。あのような行為は、俺には精神的にキツイ行状(ぎょうじょう)だ。しかし、親が子を、子が親を殺す戦国時代だ、慣れなければならんのだろう。よく言えば甲斐の民を飢え死にさせないために、悪く言えば己の野心を達成するために、信玄も祖父の信虎を追放したし、子の義信を切腹させている。義信って俺の事だよ!
上手く立ち回らなといけない、俺には切腹する根性はないわ!
「太郎、留守番御苦労!」
「は!」
「御屋形様の指示を守り、大過なく務めることができました」
信玄は、俺が集め養っている民を便利に活用した。今回の遠征時には、本拠の躑躅ヶ崎館の守備兵として留守番させたのだ。だからこそ、その分多くの手勢を最前線に動員できた。喰い詰めた浮民だが、足軽など元々その程度の存在だ。合戦時に支給される、玄米2升が足軽の命の価値、戦国時代の命は軽い、軽すぎるのだ!
さらに労役として、民を堤造りに動員した。後の信玄堤と言われた堤防なのだろうが、土木はさっぱり前世の知識がない、頑張って勉強しよう。
最初、信玄が課した労役は無給だった。だが、俺が拝み倒して、動員した浮民には食事を支給してもらった。些細(ささい)な量だが、塵(ちり)も積もれば山となる。
僅(わず)か2カ月で、浮民が3000人にまで増えてしまった。だが信玄は、最初に約束した1000人分しか雑穀を支給してくれない。だから山菜と虫を集め、魚を漁し、獣を狩り、不足を補うしかなかった。どうにかこうにか、漢方薬と毛皮の販売益で雑穀を購入して食いつないでいる状態だ。信州で虫を喰う文化が残る意味が、骨身に染みて分かる。山国は貧しい、貧民は虫を喰うしか蛋白質を確保できない。
「虎昌、薬や毛皮をもっと高く売れないか?」
「若君、関で支払う税がありますので厳しいです」
「俺の荷でも税は取られるのか?」
「はい、若君であろうと関係ありません。」
信玄は諏訪の姫を側室にするようだ、気を使って誰も俺には教えないようにしていたが、歴史を知ってる俺が、水を向ければ皆直ぐ話しだしたから、本当は話したかったのだろう。姫は歴史通りなら勝頼を産む、勝頼は是が非でも味方につけたい。俺が見たテレビや本の話では、勝頼は肉親の情愛に飢えていたはず。幼き頃より、兄としての精一杯の愛情を注ごう。そして、信玄にとっての信繁のような弟に育てたい。諏訪虎王丸も、同じ様に育てられればいいのだが。
後は、俺のすぐ下の弟は盲目だったよな?
先天的ならどうしようもないが、後天性なら手を打つべきだ。眼瞼下垂(がんけんかすい)なら手術は無理だけど、松脂を使って固定する手を試すか?
事故が原因の後天性盲目なら、俺が気を付けておけば回避できる可能性もある。栄養不良で抵抗力を無くして、そのために感染症にかかって盲目になったのなら、魚肉の差し入れで防げる。三弟は夭折(ようせつ)していたよな?
三弟の夭折(ようせつ)を回避(かいひ)できるかどうか、出来うる限りの努力をしてみよう。
信濃の全権は板垣信方に任せたようだが、信方は信濃を拠点に、武田から自立を画策していたとの説もあったはず、警戒しておかないといけない。俺が武田太郎になった事で、俺の知る歴史と違って、板垣信方が謀反を起こし、甲斐信濃の覇者となる歴史もありえるのだ!
海の無い武田にとって、諏訪湖は何があっても確保しなければならない。いや、真珠養殖を軍資金の柱にしたい俺には、絶対に必要だ!
だが今の俺には、諏訪を直轄領にするほどの力はない。やはり、踏車と激龍水の開発を急がすしかない。甲斐にいる大工が作れないなら、他国からスカウトする。2つを組み合わせれば、飛躍的に溜池(ためいけ)を増やせるし、新田開発もできるはずだ。
それと、貧民の子供達に技術を習得させないといけないな。信玄は孤児の女の子をくノ一に仕込んだはずだ、俺の知る歴史ではまだまだ先の話だが、今から献策してみるか?
木工職人と鉄砲鍛冶・鉱山技術者の育成も急がせないといけない。まずは浮民を刀鍛冶に弟子入りさせて、そのあとで鉄砲鍛冶技術の習得だな。
9月に信玄が高遠頼継を蹴散らしたようだが、この辺の詳細な歴史を俺は知らない。流石に細々とした合戦までは覚えていなし、興味もなかった。時代劇や小説の知識だと、間違いや脚色も激しいだろう。だから先入観(せんにゅうかん)なしで、諜報を重視して自分で調べないとけない。山窩(さんか)や河原者(かわらもの)の連絡網を、俺のために活用しないとな。あとは信玄に、雑穀の御強請(おねだり)りだ。
俺の貧民対策は、近隣諸国に広まっているようだ。太郎の奴隷衆と言われだした難民は、6000人を超えた。山窩や河原者の連絡網は、俺が当初想定していたものの何十倍も素晴らしい。安全に食い物に有りつけると、全国に通達してるのだろうか?
甲斐だけでなく、上野・駿河・信濃の隣国だけでもなく、もっと遠国からも難民が集まっている。これを活用して、諜報網を組織しない手はない。いや、間道を使って関所破りをさせ、漢方薬販売させないと!
信玄は俺の内心に気づいているのだろうか?
信玄はくノ一養成には乗り気で、女への雑穀は、今までとは別枠で支給してくれた。だがそれでも食料は慢性的に不足しており、狩猟漁労にもっと力を入れないと、餓死者を出してしまうかもしれない。
連日連夜、越冬用の魚を集めた。甲斐各地の河川で篝火(かがりび)漁を行い魚を取った。湖沼で掻(か)い掘りを行い、その副産物として魚を掴(つか)み取りした。大量の魚は、種類によって価値が違うため、行き先が別れた。
1:井戸や清流で泥抜きし、信玄や母上に献上するもの。
2:躑躅ヶ崎館の水濠に放流し、家臣団への冬の御馳走用にするもの。
3:煮干しして食料庫に保管し、軍用、特に籠城用にするもの。
4:新築した難民小屋の軒先で寒干しして、難民の越冬食料にするもの。
5:商品として雑穀と交換するもの。
何としても1人の餓死者もださん!
「若君、教えてください」
失敗した!
小便だと虎昌の側を離れたのが間違いだった!
問答無用の刺客ではないようだが、言葉には気を付けないと、この場で殺されてしまうかもしれない。
「何をだい?」
「どうして、俺たちを助けてくださるんで?」
何を言わせたい?
何を言うのが正解だ?
下手な事を言うと殺されるのか?
え~い、下手な正義感でもいい!
俺の不完全な良心回路でも、この時代を何とかしたいのは嘘じゃない!
大好きな信長に任せたとしても、俺の知る歴史通りに成るとは限らない。第一俺には切腹する根性はないんだ!
俺は天寿を全うする気なんだ、信玄に切腹させられる人生なんて真平御免(まっぴらごめん)だ!
「甲斐を極楽浄土(ごくらくじょうど)にしたいんだ」
「は? 御浄土(おじょうど)のことですかい?」
「そうだ、全ての民が飢える事も、凍える事も、戦に怯(おび)える事もない世界だ」
「それを、若君が御創りに成るんで?」
ふん、幼児だと馬鹿にしてるな。
「理想はな、努力せねば成し遂げられんのだ」
「できますんで?」
「ここに来た6000人の民は餓死しておらんぞ」
「せっかく開墾した田畑の収穫は、御屋形様に取り上げられましたが?」
そうなのだ、開拓地で収穫された米・麦・大豆などは、全部信玄に没収された。雑穀を支給している以上、奴隷か使用人、その成果は主人の物、そう言う理論で信玄に巻き上げられた。
「その分、雑穀支給を増やしてくれるようにお願いしているよ」
「聞いてくださるんで?」
「君たちが、御屋形様の御役に立つことを証明してくれればね」
「若君! 大丈夫ですか? 小便なのですか? 腹痛ではないのですか?」
男は、俺が虎昌に視線を向けた僅(わず)かな隙(すき)に消えていた。
「若君、我らが役に立つかの証明とは、何をさせようと言うのです」
おわ!
寝所に忍んでくるかよ!?
こやつ、修験道の流れをくむ忍びか?
信濃は素っ破って言ったか?
落ち着け、下手に答えて殺されたら洒落(しゃれ)にならん。
「御屋形様は、甲斐の民を食わせるのに必死だ、その役に立つかどうかだ」
「何をすれば、あの田畑を手に入れられるのですか」
迫力あるな、暗闇の中でも、妄執(もうしゅう)ともいえる田畑への想いが感じられる。土地を持たぬ流浪の民の、筆舌に尽くしがたい苦しみが込められている。
「御屋形様の敵になりそうな、国衆や地侍の情報を手に入れてくることだよ」
「具体的には何ですか?」
「何が好きで、誰を大切にしているか、ま、何より城の見取り図だな」
「それを調べて来たら、あの田畑を頂けるんで?」
「すぐには無理だよ、何度も役に立たたないと! 最初は小作農として、次いで自作農と段階を踏んで出世だよ」
「侍にはなれませんので?」
「侍になるには、城攻めで中から城門を開くとか、表だった手柄がなければ無理だろうね」
「中から城門を開けば、侍になれるんで?」
「まあ待て、見ての通り4歳の童なんだよ俺は、神童と言われてもな」
「だから、どうしたらいいんですか?」
「長い目で見ていろ、必ず甲斐を極楽浄土にしてやるよ。」
「どれくらい待てばよろしいので?」
暫しの沈黙の後、絞り出すような声で待たねばならない月日を聞いてきた。
「確約は出来ん! だが、元服・初陣を済ませ、最低城一つ任されないと無理だ」
彼らの苦悩を感じた俺も正直に、だが決意と目標を定めて話した。
「城代になるまでですね?」
目に見える約束の形が欲しいのだろう、城代と言う明確な目標を再確認して来た。
「だから確約は出来ん! だが1年1年見ておれ、俺が約束を違(たが)えるかどうか」
だが俺にしても、全ては信玄次第なのだ。
「分かりました」
諦めきれないように、しばしの沈黙の後に絞り出すような声で納得してくれた。
「そうだ、役に立つような浪人を探しておいてくれ」
「浪人ですか?」
「俺が直臣を採用できるようになれば、あの田畑を知行地に与えられる」
「! 真ですか」
「努力して、御屋形様にお願いしよう」
「分かりました」
「それにな、お前たちの仲間を侍に鍛えておけばよかろう」
「よろしいので?」
「ああ、だが御屋形様が納得する実力はいるぞ」
「承りました」
「それと、守護や国衆に叛意を持つ家臣や地侍は、特に丹念に調べるように」
「御意」
「伊賀・甲賀・戸隠など色々あるが、お前はどこの者だい?」
「戸隠の者です」
正体を明かすには、まだ躊躇(ちゅうちょ)があったのだろう。答えるまでに間があったが、それでも答えてくれた。
「名は?」
「猿介」
「猿介、お前が今後全ての修験者を束ねてくれるのか?」
「は!」
「では、名を与えよう、飛影(とびかげ)、猿渡飛影(さるわたりとびかげ)」
「な! 名を頂けるんで?」
素破が、主人から名付けてもらえることはないのだろうか?
驚き喜んでくれている。
「本日只今(ほんじつただいま)より、お前は俺の懐刀、素破頭の猿渡飛影だ」
「はっ、有り難き幸せ!」
ふう~。
なんとか暗殺の心配はなくなったか
「御屋形様、入ってよろしゅうございますか?」
「太郎か、入れ」
「御屋形様、開拓地と民の事なんですが」
「実りの事なら、全て兵糧として納めよ」
「それが、役目に必要な物が出てきてしまいまして」
「役目? くノ一養成の事なら、全員分の雑穀を支給しておろう」
「それが、鍛え上げたくノ一が逃亡したり裏切ったりしないように、人質となる家族が必要と思い至りました」
どんな理由でも構わない、信玄を説得して開墾地を手に入れなければならない。もやは、我が家臣と言える多数の人々に、少しでも多くの食料を与えたい!
「ふむ、甲斐に家族がいれば、裏切ることなく命懸で働くと言うことか」
「左様でございます」
「で、どうせよと言う」
「手柄を立てた民を、小作農に取り立てていただけませんか」
「手柄? いったい浮民たちに何ができるというのだ?」
俺は懐から長窪城・岩村田城・内山城・望月城・荒神山城などの図面を出した。
「これにございます」
「これをどうやって手に入れた!」
怖い!
信玄視線に殺気があるよ、もはや我が子を見る目じゃね~。
「民の中に、修験者が混じっておるようです」
「その者は何故(なぜ)これを持ってきた?!」
「開墾した田畑が欲しいと申しましたので、忠誠を示させました」
「ふむ、これが忠誠の証か?」
「手勢が揃(そろ)いましたら、敵城にも入り込み、内応して見せるとのことです」
「この程度で、開拓地全ての小作権を寄越せと言うか?」
「今から鍛えて、御屋形様に相応しい武士に育てます」
「あの者達を鍛えれば、武士になると申すか?」
「適性に応じて、武士・刀鍛冶・山師・素破など、育て甲斐がございます」
「大きく出たな、太郎!」
こ・こ・こ・怖い、信玄の視線が恐ろしい!
「為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人の儚(はかな)さ」
信玄が言ったとされている名言を言ってみたが、効果はどうだ?
「よくぞ申した、やってみせい! 但し、今まで支給していた雑穀は返せよ!」
「は! 有り難き幸せ! 収穫が終われば、民が餓えない範囲で、少しずつ返させていただきます」
俺は、何気なく分割返済を認めさせて、敵城の図面を置いて部屋を出た。
8000人に増えた難民たちに、こつこつと開墾させた田畑は4000反。少ないように思えるが、日々の食料確保のため、狩猟漁労採集が最優先だから仕方がない。真面(まとも)な開拓用農具もないし、女子供が半数以上を占めてるから、労働力自体が小さいのだ。もちろん、刈り草や落葉を集め肥料としたし、発酵人糞も使った。それでも二毛作でとれるのは、米4000石と麦4000石。5割の年貢を納めたら、8000人を喰わすにはギリギリの量だ。
だがこれで、あの子らに米を食わせてやれるし、味噌を作ってやれる。魚肉は確保できているし、漢方薬と椎茸の売れ行きもいい。河原者・修験者に間道を使わせ、関所破りをして売買してるので、極端に利益率がいい。さらに俺の将来に期待している家臣は、関所や市の税を免除してくれた。いや、いっそ手に入れた開墾地に独自の常設市を開くか?
そうだ、それがいい、楽市楽座を試してみよう。信玄に謀反を疑われないように、利益の半分はこれからも上納するしかないが、そうだ!
諏訪御寮人との房事用に強精剤を献上するか?
「強精剤」
1:けん実(オニバスの種子)は確保してあったな、また集めさせよう。
2:山薬(山芋と自然薯)を民に探させよう。
3:鹿茸(日本鹿の角)で代用してるが以前も喜んでいたし、大丈夫だ。
4:反鼻(蝮(まむし)の蒸し焼き)を作るか。
5:百合(百合根)も掘らせよう。
6:鹿鞭(日本鹿の陰茎)で代用してるが、まあ大丈夫か。
鬼畜の信玄の御機嫌だけは損ねないようにしないとな。
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