第8話義元救出

 『沓掛城・東の義直陣』

 義直を総大将にした義元救援軍は、沓掛城の東方に悠々陣を構えた。

今日は戦に備えて、強行軍をする訳にはいかない。

同時に白拍子や歩き巫女・騎馬伝令を使って、井伊直盛・関口親永・松平元康などの親井伊家の指揮官を探し、連携して織田軍に対処して義元救援を計った。

「義直様、松平元康様の軍勢と連絡が付きました」

「直平、指揮を任せる」

「元康殿は、我ら援軍に協力して頂けるのか」

「はい。織田に着せられた松平家の汚名を雪ぐ好機を頂き、御礼の申しようもないと、感涙されておられました。義直様を始め、おとわ様と直平様にも、くれぐれもよしなにお伝えして欲しいと、申されておられました」

これは重畳の返事。

義直は別格だから仕方が無いが、井伊家の隠居で陣代を務める大爺様より、私の名前が前に来ている。

これは援軍の次席が私だと、元康が認識していることになる。

「では合図の陣太鼓と共に、松平勢も織田に攻め掛かって下さるのだな」

「はい、しかと同意して下さいました。幼き頃よりおとわ様から受けた御恩に報いる為なら、命を賭けても惜しくはないと、近習衆共々申して下さいました」

「おとわ様、日頃の御恩とは何のことですか」

「何でも有りません、大爺様。幼くして母と離れ離れにさせられ、遠く駿河で人質生活を送られる元康殿と御家来衆に、日々の食事を送り届けていただけです」

「ほう、母代わりとな」

大爺様が探るような目で見てくる。

流石に海千山千の大爺様は、私の策略を見抜いているのかもしれない。

だが、秘密を打ち分ける訳には行かない。

男など、口が軽く単純な生き物。

目先の利や情で、簡単に秘事を打ち明けてしまう。

「大爺様。そのような事より、早く合戦の準備を整えましょう。精強な松平勢二千兵が加わってくれるなら、直ぐに織田勢を攻撃すべきです。父上を探して時間を取られ、私達が義元様救出の援軍に来ている事を知られる方が不利です」

「確かにそうかも知れないな。ここは一気に、沓掛城を囲む織田軍に奇襲を掛けるべきだな」

この時代の軍は、現代の軍とは根本的に違う。

国衆と地侍が、それぞれの思惑で配下を動かしているから、ちょっとした合戦の有利不利で、簡単に裏切ったり逃げ出したりする。

それぞれの大将が討たれると、配下の兵は壊乱して逃げ出してしまう。

いくら総大将が健在で、戦を有利に進めていても、よほどの事が無い限り戦いには加わらない。

「大爺様、全ての雑兵や地侍に話しをして宜しいでしょうか」

「何事ですかな、おとわ様」

「もし主家、主人に何かあっても、逃げずに戦い御隠居様の救出に力を貸せば、義直様か井伊家で召し抱えると」

「ほう。それは皆必死で働くでしょうな。しかし皆を召し抱えるほどの褒美を、御屋形様が下さいますかな」

 流石に大爺様は分かっておられる。

氏真の猜疑心と、義直と井伊家の立場を。

だがいくら何でも、この状態で義元を助け出した義直や井伊家に、褒美を渡さないわけにはいかない。そんな事をすれば、配下の国衆と地侍の忠誠心を失ってしまう。

そこを織田が見逃すはずがない。

必ず調略を仕掛けてくる。

そしてそれは義元も理解するだろう。

氏真の処分は兎も角として、義直と井伊家を取り立てない訳にはいかない。

「大爺様もそれ位の事は読めるでしょう」

「左様ですな。御隠居様さえお助けする事が出来たら、それなりの褒美は頂けますな」

「御注進。井伊直盛様、関口親永様、瀬名氏俊様の御無事を確認」

「「「「「おう~」」」」」

その場にいた者が、全て一斉に感嘆の声をあげた。

当然であろう。

井伊家の縁者にとっては、当主の無事が確認できたのだ。

「それで合戦に援軍は出せるのか」

大爺様にとっては、孫の無事も大事だが、これから行う合戦に援軍が加わるかも大切だ。

父上達が無事でも、軍勢としての力を残しているとは限らない。

「井伊様、関口様、瀬名様共に、合図で攻め掛かると御約束して下さいました」

「どれくらいの軍勢を保持しているのだ」

 大爺様は、父上達が確保している兵力が心配なのだろう。

織田相手に二度も大敗したのだ。

討ち取られた兵よりも、織田を恐れて逃げ散ってしまった雑兵の方が多いだろう。

「井伊様、関口様、瀬名様以外にも、兵を保っておられる方がおられ、三千の兵で援軍が可能との事でございます」

「陣は何処にある」

「大高城方面に逃げた者達も多かったそうですが、井伊様達は織田軍の追撃がなくなった場所で踏ん張られ、そこで陣を張られて軍勢の立て直しを図られたようでございます。義直様の元服と援軍の話を聞かれ、我らに先んじて織田軍に攻め込むとの仰せでございました」

「なに。これは急がねばならん。直盛達の攻撃に間に合わねば、各個撃破されてしまう」

だが私達の準備が整うより早く、父上達は織田軍に攻め掛かられた。

二度の奇襲を織田から受けてしまい、その恥を雪ぐ覚悟であったのだろう。

火の出るような勢いで、沓掛城を囲む織田軍に突撃されたが、二度の勝ちに威勢の上がる織田軍も負けてはいなかった。

沓掛城への備えは十分行った上で、ガッチリ井伊・関口・瀬名連合軍を迎え討ち支えた。

連合軍は数で劣り、二度の負け戦で武具を失った者も多かった。

最初の突撃を受け止められたところで、一気に反撃を喰らいそうになった。

だがここで、松平勢がしゃぬむに織田軍に突っ込んでいった。

織田軍は松平家に裏切りの汚名を着せて、今川に戻る道を完全に断ってから、調略して同盟を画策していたのだろう。

沓掛城付近で陣を張り続ける松平勢に、一切攻撃を仕掛けなかった。

もしかしたら、一緒に沓掛城を攻撃する事も考えていたのかもしれない。

岡崎城を取り返す事が出来るのなら、松平家は織田に味方すると考えていた可能性も有る。

だが元康は私に恩義がある。

元康だけでなく、駿河で人質生活していた近習衆も、私の実家・井伊家贔屓だから、義直と私が援軍の総大将なら、裏切る事はない。

それに先陣を切って織田家に突撃したのは、妻の父・関口親永と井伊家の当主だ。

躊躇う素振りも見せずに全軍突撃を命じた。

そこに少し遅れて、私達が東から突撃した。

精強無比の松平勢の攻撃に、迎撃陣を崩されていた織田軍は、私達の横槍を受けて一気に陣形が崩壊した。

壊乱までしなかったものの、雑兵が浮足立ち、今にも逃げ出しそうな様子だ。

ここで城内の籠城軍が動いた。

恐らく義元が戦機を悟って、討って出る決意をしたのだろう。

織田軍が、連合軍・松平勢・義直への対応で、沓掛城への備えが減っていた時を逃さなかった。

籠城していた三千兵が織田軍に攻め掛かり、義元を逃がす為に、命を惜しまず血路を広げようとした。

「御隠居様、御無事で何よりで御座います」

「おとわか。何故御前がここにいる」

「哀しき事成れど、御屋形様が御隠居様の援軍に反対されました。私や義直、五郎、六郎、七郎の為に、寿桂尼様と三浦氏満殿が相談の上で、援軍を率いる事になりました」

「氏真は守勢を重んじたか。愚かな事よ」

「氏真様は御当主として判断されました。それは私がとやかく申し上げる事では御座いません。しかし母として曾孫としてお願いがございます。援軍を指揮した義直殿と直平殿を、褒めてやってください」

「ほう、そこにいるのは四郎なのか。義直を名乗っているとは、出陣に併せて元服したのだな。うむ。 凛々しい武者姿よ。そちの御蔭で無事に逃げおおせる事が出来たぞ」

「お褒めに預かり恐悦至極でございます。これからも父上の為、身命を投げ打って御仕え申し上げます」

「うむ、よくぞ申した。これからの働きも期待しておるぞ。それにしても、おとわも美しく凛々しい武者姿であるな」

「何時でも御隠居様の為、に最前線に立てるように準備しておりました」

「嘘を申すな。義直の為であろう。その親心、無下にしない事を約束しよう」

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