第6話援軍
『駿河・今川館・おとわ私室』
「急いで兵を集めなさい。白拍子と歩き巫女は、訓練中の子供達も含めて、全員に武器と具足を配りなさい」
「しかしおとわ様、それ程の武具も具足も有りません」
「大丈夫です。寿桂尼様が届けて下さいます。井伊、新野、関口、松平の留守居兵を中心に声を掛けなさい」
「はい。承りました」
先程の交渉で私と寿桂尼様は、義元に援軍を出す事で意見の一致をみた。
しかし氏真は、最後まで援軍を認めなかった。
だが氏満は、援軍派遣に意見を変えてきた。
これは当然だろう。
御隠居様を見殺しにして、氏真の今川家で専横を振るおうとしていると言われたのだ。
ここで援軍を派遣しなければ、それを認めた事になる。
もし御隠居様が亡くなり、氏真の側近として権力を手にしたとしても、遠征軍から帰って来た一門譜代衆が、御隠居様を見殺しにしたことを見逃すはずがない。
一門譜代衆に攻め殺されるのは目に見えている。
氏真を無視して行われた軍議では、急遽略式で四郎の元服が執り行われ、寿桂尼様と氏満と相談して決めた義直を名乗り、援軍の大将を務める事になった。
勿論義直に軍の指揮など出来るはずがなく、私と井伊直平が後見人として、全軍の指揮を執る事になる。
兵は寿桂尼様・三浦氏満・井伊義直の連名で、各地に伝令を送り集めた。
だが何よりも、一刻も早く今川館を出なければならない。
氏真を支援する者達が、私と子供達を殺そうとするだろう。
井伊谷に辿り着くまでは、安心出来ない。
私が期待していたのは、白拍子と歩き巫女達が誑し込んだ男達だ。
彼らは私達との繋がりを、猜疑心の強い義元・氏真親子に知られるのを、心底恐れている。
だが寿桂尼様・三浦氏満・井伊義直の連名でだされた、御隠居様の援軍召集なら言い訳が立つ。
この兵力で、最低限の安全を確保して井伊谷に進む。
訓練中の少女五百人は、姉役の白拍子と歩き巫女と共に、出来る限りの用意を整えた。
彼女らが、馴染みの男の中で、駿河に残った将兵を掻き集めた。
井伊・新野・関口・松平の親戚縁者を中心に、百兵を確保出来たので、翌日の払暁に今川館を出陣した。
『今川館から井伊谷への道』
「おとわ様、只今戻りました」
「止まりなさい」
私は行列を小休止させて、義元の影供に付けていた、白拍子と歩き巫女の一人の報告を、その場で聞くことにした。
「みわ、よく戻ってくれました。御隠居様は御無事ですか」
「はい。沓掛城は、織田の猛攻を凌いでおります。ただ侍屋敷は焼き払われ、諏訪郭と二之丸も、長くは持たないと思われます」
「そうですか。近隣の国衆や地侍の動向は探れていますか」
「当主以下の主力兵が尾張遠征に動員されている為、今川と織田のどちらに付くか、去就に迷っているようでございます。御隠居様が討ち取られておられたら、どのような状況になっていたかと考えると、とても恐ろしくなります」
「みわは、万が一の時には、今川が見捨てられていたと考えるのですね」
「はい。御隠居様が御存命であるにもかかわらず、この場に氏真様がおられないようでは、もし御落命されていても、仇討ちの出陣はなされなかったはず。そのような怯懦(きょうだ)な主君に仕えるなど、いつ敵に攻め込まれるか分からない国衆と地侍には、我慢出来ないと思います」
「なるほど、よくわかりました。みわは、ここで少し休んでから後を追って来なさい」
「おとわ様、まだ報告する事がございます。直盛様が大高城で御無事である事が、確認できました」
「なに。よくぞ調べてくれました。御父上が御無事であったのですね」
「はい。井伊家の者の使いとして、大高城に御隠居様救援の依頼に行きました者が、直接お話したそうでございます」
「よくぞ遣り遂げてくれました。それで援軍は出陣したのですか」
「使者になった者は、出陣の確認まで残る事はせず、報告する為に直ぐ沓掛城の見張り所に戻りましたので、確かな事は申し上げられません」
「よくやってくれました。それでいいのです。確認よりも報告を優先したことは、誠に天晴です。私が褒めていたと、その者に伝えなさい」
「有り難き幸せでございます。そのように申し伝えます」
「それで他の城砦にいる今川軍は、援軍を送りそうですか」
「全ての城砦に伝令を送りましたが、我々白拍子と歩き巫女を侮り、侍大将に取り次いでくれない城砦が殆どでした。直盛様がおられた大高城と、松平元康様がおられた丸根砦だけが、私達の事を信じてくれました」
「では松平勢は、援軍に出陣したのですか」
「此方も確認は出来ていませんが、戻った者の話では、用意が整い次第、出陣すると言われていたそうでございます」
「そうですか、よくやってくれました。その子も褒めてやって下さい」
「有り難き幸せでございます。そのように申し伝えます」
「他に何かありますか」
「いえ、私の報告は以上でございます」
「では改めて申します。みわはよく働いてくれました。十分休んでから後を追って来て下さい。無理に急ぐ事はありません。井伊谷で合流してくれたら大丈夫です」
「有り難き御言葉なれど、このまま沓掛城の見張り所まで戻ります。妹達が心配です」
「よくぞ申してくれました。くれぐれも注意して、生きて帰る事を最優先にするのですよ」
「有り難き御言葉、恐悦至極でございます。これで失礼させて頂きます」
「出立です」
私はみわを見送りながら、行列を進めさせた。
京鎌倉往還を使って先を急ぐが、日が暮れる前に大井川を越える事は不可能だった。
駿河野田城で行列を止めて休む事にしたが、三々五々雑兵や一旗組の牢人や地侍が集まり出した。
危急の義元を助ける軍に参加すれば、有利な仕官が出来ると集まって来たようだ。
翌日の払暁に城を出発し、大井川を渡って先を急ぐが、ここで新たな伝令と行き当たった。
「おとわ様戻りました」
「止まりなさい」
行列を小休止させて話を聞くことにした。
「さゆり、よく戻ってくれました。御隠居様は御無事ですか」
「はい。私が出発した時点では、御無事でした。しかしながら、沓掛城の諏訪郭は織田軍に落とされ、本丸と二之丸だけで支えている状態でした」
「援軍はまだ駆けつけないのですか」
「松平元康様が、二千の兵を率いて丸根砦を出陣したと報告がありましたが、大高城は全軍の統制が取れず、井伊直盛様、瀬名氏俊様、関口親永様などの半数の方が、五千の兵を率いて出陣されたと報告がありました。それと鷲津砦は、松平様御家中の本多勢だけが、出陣されたとの事です」
「総兵力はどれくらいですか」
「確かな事は申せませんが、七千から八千かと思われます」
「それだけの兵力が有れば、織田は沓掛城囲みを解くしかないでしょう」
「それがおとわ様、織田軍は沓掛城の城門前に柵を設けたり土嚢を積みあげたりして、沓掛城の兵が討って出られないようにしております」
「城の兵が出られないようにして、今川の援軍を迎え討つ心算なのですか」
「そのように思われます」
「織田軍はいったいどれくらい兵を持っているのです。御隠居様が集められた、二万の兵力に勝る兵を動員出来るとは思えません」
「今分かっておりますのは、奇襲時には三千兵程度であった思われる事です。これは今沓掛城を包囲している兵が、徐々に増えて五千と言う事でも明らかでございます」
「諸城砦の全兵力が一致団結すれば、織田軍を圧倒出来るのですね」
「左様思われます」
何と愚かな話だ。
全軍を束ねる為に隠居までした義元が、このような事で全軍の指揮統率が出来なく成るとは。
全軍を動かす陣代を育成しなければならない。
ただ陣代は絶対の忠誠心を持った者でなければ、裏切られた時は取り返しがつかない。
やはり源頼朝のように、絶対安全な本拠で指揮を執る大将と、範頼と義経のような、前線で指揮を執る陣代がいるのが理想だろう。
そして陣代が一人では危険だ。
最低でも二人は必要だ。
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