第65話釣り野伏

 天正十二年(一五八四年)二月二十二日、遂に家康は三河への撤退を決断した。

 もうこれ以上、一万石当たり五百兵と言う根こそぎ動員が出来なくなったのだ。

 このまま無理矢理動員を続ければ、田植えを目前にした兼業兵士が敵前逃亡して、裏崩れを起こしかねない。

 そんな事になるくらいなら、裏崩れを起こす前に撤退した方がましだった。

 いや、家康はここで勝負を決める心算だった。

 家康には、とても苦い敗戦経験があった。

 三方ヶ原で偽造撤退をした武田信玄に誘い出され、徹底的に叩かれて、恐ろしさのあまり脱糞までしてしまった敗戦経験だ。

 今回は、自分が秀吉軍を誘い出し、叩きのめしてやる心算だ。

 実際は三方ヶ原とは大きな違いがある。

 三方ヶ原では、誘う武田信玄の方が二万二千の大軍で、誘い出された徳川家康が一万二千の小軍だった。

 だが今回は、誘う家康が一万五千兵の小軍で、誘い出される秀吉が六万一千兵の大軍なのだ。

 普通なら絶対勝てない状況だが、家康は勝機があると考えていた。

 確かに悪い噂は流れていたが、三河衆を中核とした徳川軍は精強無比と言える。

 かつての武田信玄軍にも劣らないと思っていた。

 一方羽柴軍は、寄せ集めの混成軍だ。

 しかも負けそうになると直ぐ逃げ出す、流れの足軽が中心の弱兵集団だ。

 一度でいいのだ。

 一度有利な状況を創り出し、雑兵が逃げ出すように出来れば、最後の勝利を掴むことが出来る。

 あわよくば、秀吉と秀勝の首を取り、天下の主にあることも可能なのだ。

 大逆転を目指し、家康は自分を囮にする決断をした。

 自分の首を取ろうとする敵兵は、鉄砲隊を集中運用して叩く。

 鉄砲隊を突破してくる敵は、親衛隊として配した本多忠勝と榊原康政で叩く。

 そうして時間を稼いでいる間に、左翼の酒井忠次五千兵と、右翼の石川数正五千兵で押し包んで叩く。

 同時に家康本軍五千も逆襲に転じ、秀吉軍を圧倒する。

 そうなれば戦況に敏感な流れの足軽は、命惜しさに逃げ出すだろう。

 無理矢理援軍に送られて来た、信濃衆や甲斐衆は真っ先に逃げるだろう。

 常に危険な先方を命じられている、明智の与力だった高山右近と中川清秀も逃げ出す可能性が高い。

 美濃衆だって昨年は織田信孝の家臣だったし、本能寺までは石高の差はあったものの、秀吉と同じ信長の直臣だったのだ。

 秀吉に命令されるのを面白くないと思っているはずだ。

 家康は自分に有利な点を考え、勝てる可能性を探し出そうとしていた。

 天正十二年(一五八四年)二月二十三日、前夜しっかりと睡眠をとった徳川軍は、夜明け前に各城砦を引き払って三河を目指した。

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