第17話備中高松城の水攻め
毛利軍もついに重い腰を上げ、毛利輝元が四万の援軍を整えつつあった。
秀吉は信長に援軍を願ったが、信長からは明智光秀を援軍に送ると言う返事であった。
事前の準備を整えた秀吉は、五月八日に水攻めの命令を下した。
丁度同じ五月八日に、信長の命を受けた三男の三好信孝が、四国出陣の準備を始めている。
法外な報酬を聞いた近隣の領民が、先を争って土俵を運び込んだ。
着々と出来上がる堤防は、毛利の破壊工作を受けても大丈夫なように、川底に沈む幅は二十四メートル、高さ八メートル、上部の幅でも十二メートルと言う前代未聞の頑丈さであった。
しかもその総延長が、十二キロメートルと言う壮大さで、毛利家に味方する国衆の度肝を抜くものだった。
この壮大な工事には、川並衆として、何度も水害を起こした木曽川と共に暮らしてきた、蜂須賀正勝が総指揮をとった。
宇喜多忠家は、黒田官兵衛の指導を受けて、難所の門前村から下出田村までを担当した。
実際に現場の指揮を取るのは、宇喜多家でも土木に秀でた者だ。
原古才村は蜂須賀正勝が直接担当した。
松井から本小山までは、堀尾吉晴、生駒親正、木下備中、桑山重晴、戸田正治らが分け持った。
蛙ヶ鼻より先を、長秀率いる但馬衆が担当した。
浅野長政は、船や船頭を集めて、水攻めが成功した場合の攻撃準備を整えた。
法外な報酬に、百姓達は寝る間も惜しんで土俵を運び込んだ。
永楽銭百文と米一升の報酬がどれだけ法外だったかと言うと、北条家が職人に支払う日当が五十文で、 塩や酒が一升十文、米は豊作と不作や季節によって大きく値段が変わるのだが、豊作の時期の大和で一升三文なのだ。
如何に羽柴家の資金力が桁外れか分かるだろう。
だから、敵味方の予想をはるかに上回り、僅か十二日で堤防が完成した。
しかも梅雨時を計算していたので、瞬く間に水が溜まり、広大な湖が完成し、高松城は湖上に孤立した城になってしまった。
五月十九日に堤防が完成し、秀吉は堤防の上に高松城と毛利の援軍、特に堤防を破壊しようとする者を見張る場所を何カ所も築かせた。
五月二十一日に毛利輝元が援軍に到着するも、既に堤防は完成してしまっている上に、平地は大雨で泥田なっており、とても合戦出来る状態ではなかった。
拠点を羽柴軍に抑えられた毛利軍は、雨の中で山中に野営するしかなかった。
毛利輝元は猿掛城に入り本陣を置いたが、吉川元春は岩崎山に陣を敷き、小早川隆景は日差山に陣を敷くことになった。
雑兵達は雨に濡れ日に日に体力を奪われていった。
一方高松城では、補給を完全に断たれて兵糧が不足していた。
いや、全ての物資が水に漬かってしまっていた。
それどころか、城兵の寝起きする場所にも困っていた。
城内の水没していない場所に点在することになり、連絡を取るにも小船が必要な状態だった。
毛利は追い込まれていた。
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